第5節 五分咲き(3)

「どうしたタダシ。豆鉄砲を食らったような顔をしているが」


「あ……えっと。このお嬢さんはいつから?」


 弁当に夢中になり過ぎていたせいでその間ずっと見つめられていたのだろうか。そうだとしたら我ながら滑稽だ。いや、そうさせるだけの魅力がこの弁当にあったのかもしれない。隣で一足先に食べ終わっていたユスティアはその一部始終を見ていたことになる。


「タダシが弁当を食べている間、ずっとだな」


 やはりそういうことらしい。


 幼女の方はというと、相変わらず首を傾げたりしながらこちらの方を無言でじっくり観察し続けている。なんというか別に悪いことをしたわけでもないのに純粋な瞳で見つめられ続けるというのはむず痒い気持ちになる。ぼくはついにその場の空気に耐えられず、幼女にぎこちない笑顔を向けてみた。


「いちおうA組のクラスメイトだぞ。アイリスといって、草花の精で訪問者(イレギュラー)の生徒だ」


 ユスティアに名前を呼ばれるとアイリスもぼくに微笑む。


「おにいちゃんがおべんとうたべてるときね、すっごくしあわせそうだったよ!」


「えっと、それは……どうも?」


 ぼくには兄弟もいなければ年下の親戚などもいなかった。だからこういうときにどう接していいのか分からないのだ。


「アイリスはまた木の世話をしてくれているのか? 感心だな」


「うん! ことしはおねえちゃんにもきれいなさくらみせてあげるね! みてて」


 アイリスは近くに立っていた桜の木にその小さな腕をいっぱいに広げがっしりと抱え込む。


「あの子は何をしてるの?」


「桜の木に神力を注ぎ込んでいるようだな。彼女は草花の精だから神力を注ぐことで木々の生命力を更に引き上げることができる。この見事な桜並木もひとえに彼女の努力あってのものと言えるな。まだ時期的に満開ではないが、わたしもこれから楽しみだ」


 瞳を閉じて木にしがみついているアイリス。どちらかと言えば傍から見ると木の生命力を肌で感じる森ガールといった印象だが実際はその逆らしい。優に五十本はくだらないであろうこの桜並木の一本一本が彼女の作品なのだ。


「ふぅ……おわったよ!」


 満面の笑みを浮かべて草花の精が再び戻ってくる。


「ありがとうアイリス。今年の桜は楽しみだよ」


「うん! あのきだけちょっとげんきがなかったけどもうだいじょうぶだよ! あともうすこししたらまんかいになるとおもう!」


 年下にも慕われている様子のユスティアがこのとき、ほんの少しばかり羨ましく感じた。彼女の普段からの振る舞いがあっての人徳なのだろう。


「すごいねアイリスちゃん」


「おにいちゃんもいっしょにおはなみしようね! やくそく!」


 初対面の幼女相手に勇気を出して褒めてみるぼく。そんな一抹の心配もご無用といった様子だ。


「ほんとはねアイリス、おにいちゃんのことこわいひとかなーっておもってたんだ」


「へ?」


「でもね、おにいちゃんはぜんぜんこわいひとじゃなかった。それにアイリスがおべんきょうしてもそつぎょうできないけど、おにいちゃんがいればアイリスがそつぎょうしなくてもだいじょうぶだもんね」


 ぼくが怖い人だと思われていた理由は元ゴールドだから、人界を滅ぼしたからという理由で納得はできる。けれど、アイリスの話の後半部分がそこから繋がらない。どういう意味だ……?


「ユスティア……どういう意味だろう?」


 結局、ぼくは頼れる隣人に丸投げするほかなかった。


「卒業後、アイリスは草花の神として人界に出向くつもりらしくてな。誰かさんが人界を滅ぼしたことでアイリスがわざわざ出向く必要もなくなったということだ」


「そういうことか……」


 そう言ってぼくは肩をがっくりと落とす。ぼくの予想が正しければおそらく神の活動拠点は多くの場合が神界か人界なのだろう。その他の四界とはっきり区別されているのはそのためだ。人界は神にとって重要な仕事場である場所、それをぼくが無に帰したのだ。


「アイリスはこのがっこうもおべんきょうもたのしいの。 けど、いつかはそつぎょうしなくちゃいけないからそのときはおにいちゃんもいっしょにおしごとがんばろうね!」


 純粋無垢な言葉がいまのぼくには重くのしかかる。ぼくが卒業するまでこの呪縛からは逃れられないのか。でも、ぼくが無事に卒業できたとして何ができる……?


「これは推測の話だがな、タダシ、きみが卒業してゴールド免許を取り戻すとしよう。その力をもってすれば今は亡き人界も元に戻るかもしれんぞ」


「えっ……そんなすごいの? ゴールドって」


「だから推測の域に過ぎない話と言っているだろう。運命は神さえ知らないんだ。ならば他の誰も知りようもないだろう? 第一に自慢じゃないがゴールド持ちなんてわたしは見たこともないからな」


 学園の卒業が目下のぼくの目標であることは分かり切っていることだった。だけど卒業することで滅ぼしてしまった人界も元通りにすることができるかもしれないのならば底辺まで落とされたぼくのモチベも鰻登りだ。あとは個人でそれぞれハードルが違うという卒業条件をクリアできればというのが課題だった。そのためには……。

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過ちを犯した神様は失格ですか? 藍川紅介 @aikawa_kohsuke

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