第4節 五分咲き(2)

 ぼくとユスティアは昇降口で靴を履き替え、(人界でぼくが履き慣れた靴がなぜか下駄箱に収納されていた)校庭に出た。


 春の風が優しくぼくたちを包み込む。ユスティアの綺麗な艶のある髪がそよぎ、思わずぼくは彼女の横顔に見とれてしまっていた。


「何をしてるんだ? タダシ、いくぞ」


「あ、あぁ……うん」


 ぼくは生温い相槌を打ちながら彼女の後ろをついていった。


 午前中、授業の合間に窓から学園を眺めていたけども、実際に外へ出てみて改めてその広大さを目の当たりにする。学園はたった百五十人と教師たちが過ごすには広過ぎる敷地面積を有していた。ぼくたちが過ごしている教室のある棟のすぐ隣には横長い長方形の建物が建っている。推測するにあれは体育館だろうか。ふと、近くに荷台のついた軽トラックが止まっているのを目に入る。この世界にも車があるのかとぼくは内心、感動を覚える。


「らっしゃい、ユスティア嬢! 精が出るな、ガハハ。今日はどれにするかい?」


「ご機嫌だな、デュオニュソス。いつもので頼む。あと、個数は二つずつだ」


 ユスティアと対面している軽トラックの持ち主であろう男は目立つスキンヘッド頭に加え顎鬚をたっぷり蓄えており、迫力満点だった。体はがっちりとしており、さながらプロレスラーや歴戦の海兵などといった姿を想像させる。ただ、黄色いティーシャツの上からピンクのエプロンをしていたのがなんとも言えないシュールさを滲ませている。スサノオといいこっちの世界はなぜここまで個性が強いやつが多いのか。などと思っていると、


「へいへーい。いつも通り日替わり弁当と紅茶だな、よーし……えっ二つ!?」


「そうだ。あっ……その……決してわたしが二つ平らげるわけではないぞ。彼の分もと思ってな」


「あぁん? 彼だと?」


 ユスティアが半身の体勢になってみせ、男にぼくが視界に入るよう誘導する。


「ユスティアさんと同じクラスの新しい転入生です」

自己紹介をしてみたものの弁当屋の厳つい男は怪訝な顔つきでこちらを値踏みする。


「ユスティア嬢にカレシ……か。これはたまげたな……」


「話が飛躍しすぎだ! デュオニュソス!」

「そんな関係じゃないんですけど」


 ほぼ同時にぼくとユスティアが否定しにかかると、


「ほーん……そうか。俺の早とちりだったみてぇだな。済まねぇ」


 少し悪びれたようにデュオニュソスと呼ばれた髭面親父は顎をぼりぼりと掻いた。


「俺は本業の傍ら、副業でこの学園に弁当を配達しにきているデュオニュソスってえもんだ。よろしくなあ兄ちゃんよ」


「あっどうもご丁寧によろしくお願いしま――?」


 デュオニュソスから握手を求められたのに対してぼくが応じようとしたとき、彼の顔が引き攣る。


「兄ちゃん……あんたそのツラ、まさかと思うがよぉ……噂になってる……」


「件の落第者(ドロップ)で間違いないぞ」


 ユスティアの言葉も彼の耳に届いているかすらもはや怪しく、厳つい図体の男は後ずさりしながら、おっかねえおっかねえと呟いていた。


「しっかりしてくれディオニュソス」


「あ……あぁ悪かった。俺みてぇに特に古い神はな、どうもゴールドにはビビっちまう。情けねぇ話だな。忘れてくれ」


 ディオニュソスは軽トラックの荷台から弁当二つとペットボトルの紅茶を二つをビニール袋に入れるとぼくに向かって差し出した。


「ありがとうございます。えっと、ディオニュソスさん」


 ぼくに名前を呼ばれるとディオニュソスの肩がまたしても動揺を見せた。


「あぁ。お嬢に兄ちゃん……今後ともディオニュソス弁当をよろしく頼むぜ」


「ではまた」


 別れを告げ、軽トラックを後にしたぼくとユスティア。ぼくの脳裏には「俺みてぇに特に古い神はな、どうもゴールドにはビビっちまう」と口にした彼の言葉が反芻し、その意味について深く考えさせられることになった。



* * *



「うむ。タダシ、ここで弁当をいただくとしよう!」


 やっと落ち着ける場所を見つけたユスティアが指さしたのは桜並木だった。まだ桜の花びらは五分咲きといった感じだったが、それでも昼食を取る場所としては打ってつけに思えた。


「綺麗な桜並木だなー」


 ぼくは美しい桜に圧倒されてそれ以外の言葉が出せずにいる。


 ユスティアが近くにあった木のベンチの上を軽く払い、こっちにくるように手招きしたのでぼくも彼女に倣い隣に腰を落ち着かせる。


「桜の下で食べる弁当というのは風情があってなかなか良いだろう? それに弁当を作っったのはあのデュオニュソスだからな! 不味いはずがない」


「あの人って食の神様だったりするの?」


 ふとぼくはそんな疑問を投げかける。


「広義の意味ではまぁそんなところだ。もっと限定的な言い方をすれば酒の神だな。夜はマスターとして酒場を経営している。それが彼の本業だな」


「なるほど。言われてみれば確かにそんなイメージだよ……」


 ピンクのエプロンをつけて弁当を売っているよりは中ジョッキを客に振る舞っている姿の方が彼には似合っているように思えた。


「ではさっそくいただくとしよう」


 二人そろって弁当を開封すると焼き魚や筍、煮しめなどが色彩豊かに盛り付けてあった。


「けっこう豪華だね……」


「そうか? もぐもぐもぐ」


 隣に目を向けると既にユスティアは食べ始めていた。はえーよ。


「よし。じゃあさっそく……もぐもぐ。ん……!?」


「どうした? 何かあたったか?」


「いや、そんなに食べはじめてすぐにはあたらないよ……。ううん、じゃなくて。すっごく美味しいよこれ!」


 素材の味が引き出されているとでもいうのだろうか。味付けが濃すぎず薄すぎず丁度いい。それに弁当なのに作りたてのような温かさ。この手料理が味わえるのならその酒場に行ってみたい気持ちにもなった。それくらいこの料理は素晴らしい。共働きの両親を持っていたおかげで夕飯を作ることが多かったぼくだけどこの味だけは何千年かかっても何万年かかっても敵わないだろうなと思わせたのだった。


「はじめてデュオニュソスの手料理を食べた者は皆がそんな反応をするな。わたしとしても気に入ってもらえたようで嬉しい限りだ」


 得意げに語るユスティアの方を見ると既に食べ終わって紅茶を飲もうとしていた。だから早いって……。


「弁当もう一つ頼んだ方が良かったんじゃ……?」


 心の声が口に出てしまったところでまずったなと思った。さっき年齢の話で思いっきり両頬掴まれたばかりじゃないか。


「あ……いや、その……な? わたしは最近ダイエットしてるから……」


 顔を赤らめながらもじもじしているユスティア。ギリギリセーフ? でいいのかなこれ。とりあえず拳が飛んでくることはなかったので一安心。


 遅れること数分、美味しかった弁当をあっさりと完食する。


「おにいちゃん、おいしかった……?」


「うん。すっごい美味しかった! ごちそーさま!」


 ここで。


 ぼくは、ぼくに話しかけてきた相手がユスティアではないのに気付く。


 弁当に舌鼓を打っていて夢中でそれまで気づかなかったのかもしれない。


 目の前に立っていたのは。


 見た目幼い少女。


 というよりは幼女。


 小柄な体に濃い緑のフード付きの長いマントを被っていて、そして彼女はどこか儚げな瞳をしていた。

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