通った名前

 サン・ジェルマン伯爵が倒されたと言うニュースは瞬く間に『この業界』に広がった。

 その中心に居た水谷総本山も対応に追われて忙しい。

「じゃから!倒したのはワシじゃなく北嶋 勇と言う小僧じゃ!!」

 電話に向って怒鳴っている師匠。数多く居る弟子からの確認ならば私達が対応するが、大物相手ではそうはいかない。師匠自ら対応する事になる。

 因みに今の電話はヴァチカンの教皇からの電話だ。流石に私達に教皇のお相手はねぇ…

『嘘はいけないな君代ちゃん。そんな話を誰が信じる?』

「知らんわ。信じようと信じまいとお主の自由じゃ。ワシは本当の事しか言っておらん」

 さっき取り次いだ警視総監の菊地原さんと同じ対応だった。面倒くさいんだろうなぁ…

『だが、北嶋と言う若者の名前は知らないぞ?伯爵を葬るほどの者だ。私の耳に入らない訳が無いだろう?』

「じゃから!!あの小僧はつい最近この世界に入ったばかりじゃと言ったろうが!!知らんのは無理が無いとも言ったじゃろ!!」

『ならば質問を変えようか?賢者の石は普通の石になってしまった。その北嶋と言う若者の手によって。故に石を狙う事も出来ない?』

「ふん。あわよくば、が見え見えじゃぞネロ。神に仕える者の頂点ともあろうお主が何と強欲な事じゃ」

『そう言われてもな…元々サン・ジェルマン伯爵は我々カトリックの者だ。つまり賢者の石は我々の預かりとなる。君代ちゃんに預けっぱなしだったのは、君だったら石を私利私欲の為に使わないだろうと信用しての事なのだから』

「嘘はいかんなネロ。伯爵を恐れて手を出さなかっただけじゃろが。それに石は効力を失ったとは言え石じゃ。ワシが保管する事には変わるまい。いずれ小僧にくれてやる、としてもじゃ」

 …北嶋さんに賢者の石を?だけどあれは北嶋さんによってただの石になった筈じゃ…

 だけどお師匠の意趣返しは流石だ。あんな大物相手に一歩も引かないのも流石。

『…まあいい。君代ちゃんがそこまで言うのなら。だが、その男が我々に敵対した場合、ヴァチカン全てがその男を狙う事になる』

「敵対とは石の受け渡しを拒否した場合、か?先の話を今するとはな。脅しか警告か?いずれにせよ、ワシから言えることは、滅びたくなかったらあの小僧には手を出さん方がええ。と言う忠告じゃ。昔馴染みの友人に対して、の」

 果たして脅しか警告か。此処でも意趣返しとは恐れ入る。

 そうこうしている内に、とうとう乱暴に受話器を置いた。お疲れのようだ。

「お疲れ様です師匠。大変でしたね…」

 温くなったお茶を煎れ直し、師匠に渡す。

「疲れるわ。何で誰も素直に信じないんじゃろうな?」

 ゆっくりお茶を啜りながら落胆気味に言う。そりゃ信じないでしょ。北嶋さんが、つい最近この業界に入ったばかりの男が、最強の錬金術師を倒したなんて話は。それも楽勝で倒しただなんて、更に信じないでしょう。

「私もこの目で見ていなかったら信じませんよ」

「まあのう…それを言われるとワシも自信がないのう…」

 そこは仕方のないところだ。だから私はこう言う。

「いずれ信じる事になりますよ。これから忙しくなるんですから北嶋さんは」

「そうじゃの。これから忙しくなるのは間違いないからの。その時知る事になるじゃろう。小僧の力をな」

「そうですよ師匠。あの北嶋さんを目の当たりにしたら誰だって…まだ電話ですか。はい水谷…師匠、道教の周様からですが…」

 うんざりしながら電話を取る。そして暫くすると、やはり電話で怒鳴っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 暫く取り次ぐなと言って梓を下がらせる。梓はワシが疲れているからだろうと素直に頷いて下がって行った。

 そして襖に結界を張り、中心に座った。

「…視ているんじゃろう?」

 話し掛けるも反応が無い。いや、反応したくても出来ないのか。それも無理は無い。この部屋の下には…

 ならば、とワシの方から出向いた。意識を飛ばしたと言った方が解り易いか。

 漆黒の闇のような空間…そこにこの闇の中でも輝いている、銀の髪の女を見付けた。

 更に接近する。

 女の顔がすぐそこにある。真っ白い肌に髪と同じ色の銀の瞳。その銀の瞳を真っ直ぐにワシに向けてくる。

 ワシを正面に見据えても微笑を絶やさず、寧ろ好戦的に笑う。

 漆黒の背景に溶け込んだ黒いワンピースが靡いた。

「…酷いじゃないか水谷先生。彼は私が最初に見つけたんだよ?横からかっさらう真似をしてくれて…」

 口調とは裏腹に女が笑う。実に愉快そうに。

「…ふん。小僧はお前さんの手には負えんぞ?それももうっている筈じゃろう?」

 この女の冷笑。ワシですら腰が引ける程の恐怖…それはこの女の魔力のせいか、それともこの女の美しさに魅了されつつあるからか?

「断っておくが、私は何もしていないよ?貴女程の霊能者には何をしても無駄、と思っているからね」

 読まれたか…否、表情を読んだか。ワシの身体が微かに硬直しているのを見逃さなかった。流石の洞察力。

「まあ、それは冗談だがね。今日お訪ねしたのはお祝いを述べる為さ。あの魔人を葬った、とのお祝いを、ね…」

「倒したのはワシじゃない。小僧じゃ。それも識っておるはずじゃがな?」

「そうだね。私は彼の全てを識っている。貴女よりもね、先生」

 ざわり

 なんだ?一瞬魔力が高ぶったような気がしたが…?

「おっといけない。つい嬉しくなって魔力が漏れ出たようだ」

 女は反省した様子で鎮める素振りをした。じゃが、嬉しくなったとは?

「何が嬉しいのじゃ?」

「これは珍しいね。貴女なら知りたければ視ると思っていたが?」

「生憎と他人のプライバシーを覗く趣味は無いのでな」

 これは一応本心。ワシとて常に霊視している訳ではない。

「嬉しいとはサン・ジェルマン伯爵を殺してくれた事だよ。彼は私の不利益になりえる存在だったからね」

 素直に答えたか。この程度の情報は重要ではないと言う事か。

 事実小僧が倒さなければ、伯爵はヴァチカン側に立って、この女と戦う事になっていたのだろうから。

「それに彼の力が世に広まる結果となった。私は兎も角、『他の者』が納得しないからね。最低でも私と釣り合う力が無いと、ね」

「…揃えている連中の事かえ?」

 カマを掛けた訳じゃない。本心で聞いただけ。

 女は一瞬キョトンとしたが、噴き出す。上品と言うか、どんな動作をしても絵になる。

「いやいや、彼等とは別の者、だよ。とは言っても全員交渉中なのだがね」

「…小僧の実家にそれ程脅威を抱いたのか?」

「そうだね。その通り。アレは私単独では戦えない。無理だ。貴女が仰った揃えている連中を束にしても無理だろうが、『王』なら話が違う」

 そしてチラ、と視線を下に向ける。

「『王』を引き入れる事に成功したら、下の『アレ』も私が殺して差し上げようか?」

「必要ないわ。『アレ』は小僧が何とかしよう」

 ワシの負の遺産たる『アレ』を敵にどうにかして貰おうとは流石に思わん。本心では丸投げしたいけども。

「ハハハハハ!!彼にどうにかして貰おうと!?天下の水谷先生も他力に頼るのか!?」

 嘲笑う女。しかしこやつ…

「お主、小僧が敗れるとは微塵たりとも思っておらぬな?」

 ピタリ、と笑うのをやめてワシを見る。

「…そう言う先生こそ、そうじゃないのかい?」

「ワシは無論じゃが、お主と同じく小僧の敗北を微塵たりとも思っておらぬ弟子がおるのでな…」

「…最近彼と暮らし始めた女の事かい?」

 頷く。

「そうかい。だけどあれは駄目だ。素質はあろう。だがキャリアが少なすぎる。霊力もそこそこ。とても彼の隣に居るに相応しいとは思えない。貴女の弟子じゃ無ければ、とっくに殺して地獄に追いやっている所だよ」

 肩を竦めて首を振る。自分には及ばないと暗に言っている。

「そりゃそうじゃろ。幼少の、否、生まれた時から定められておるお主とは格が違う。じゃが、それは今の話。これから先は解らんよ。お主も言ったように、尚美は素質があるからのう」

「生まれた時から定められた、か。それは彼も同じ。故に私と彼は…」

 首を横に振って否定。

「小僧はお主の思っている者ではない。小僧はもっと…」

 続く言葉を遮るように、女の魔力が膨れ上がる。

「……ちょっとお喋りが過ぎたようだ。伯爵を倒したお祝いの言葉を述べるだけのつもりが…今日の所はこれで帰るよ先生。また近いうちに。もしくは貴女が死んだ後に」

 凍り付くような笑みを浮かべながら女が消えた。

 同時にワシの意識も戻される。

 目を開けた場所は自室。

「…勘違いしおって…今後の人生を無駄にするぞい…」

 やるせない思いで溜息を付いた。折角美しい銀の髪に相応しい美貌も与えられて生まれて来たのに…わざわざ不幸になる事もあるまいに…

 まあ…今考えても仕方のない事。あの女の事はもっと先の話。

「さて、梓が対応で困っている頃じゃな。気が向かぬが仕方がない」

 ワシは重い腰を上げて自室を出る。

 客間に暖簾分けをした弟子達がわんさかと押しかけておるらしい。勿論伯爵打倒の祝いで。

 其奴等にも説明してやらねばならん。倒したのはワシではない。ワシより上の、つい最近この業界に入った北嶋 勇だと言う事を。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 押し寄せてきた姉弟子達を師匠に預けて一息付く。

 木村さんが煎れてくれたお茶で喉を潤す。つか喉カラカラ。同じ説明を何度もとか、何の苦行よ。

「でも凄いね北嶋君。サン・ジェルマン伯爵を倒しちゃうなんて」

 木村さんもこの話を聞いた時はとても驚き、何かの冗談だと思ったらしい。師匠自らが言わなかったら絶対に信じていなかったと。

「私もこの目で見ていなかったら信じなかったでしょうね。例え師匠がそう仰ったとしても」

 それ程あの魔人は別格だと言う事だ。師匠ですらも退ける事が精一杯だっだから。

「…お疲れの所悪いけど…」

 ずい、と木村さんか顔を近付けてくる。苦笑いしながら身体を退く。何を言われるか解っていたからだ。

「梓は北嶋君と伯爵の戦いをその目で見たのよね?」

「え、ええ…そうですね…」

「申し訳ないんだけどさ、その時の事、細かく教えてくれないかな~?」

 やっぱりそうか…つか屋敷に居る姉弟子、妹弟子、はたまた別館の男共にも事細かく教えて、正直うんざりなんだけど…

「師匠に聞けば一発なんだけど、流石にね~…」

 まあそうだ。師匠もうんざりだろう。

 だけど木村さんにはお世話になっている事だし、此処は嫌な顔一つせずに教えよう。

 言っちゃなんだけど、うんざりはうんざりなんだけど、実は聞いて貰いたい気持ちもあるし。

 私は木村さんに身振り手振りを加えて話した。アクション映画を観た時に興奮し、それを事細かく伝えようと頑張っているみたいだな、と一人苦笑いしながら。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 何度も何度も掛けて漸く繋がる。

 電話向こうの君代ちゃんがお疲れの様子じゃが、ワシの知った事じゃない。と言うかあのババァがこれしきの事で疲れるか。

『今度はテッチャンかよ…弟子からの説明でも構わんじゃろうに…気が利かんジジィじゃな…』

「鬼仙道の松尾まつお 哲治てつじに向かって気が利かんとか言うか?」

 いくら盟友とは言え酷過ぎるじゃろ。君代ちゃん程ではないにせよ、ワシもそこその名は通っていると言うのに…

『嘆くのはいいが、ワシはもうくたくたなんじゃ。明日で構わんじゃろ?』

「心を読むでないわ。明日でもいいが今直ぐ聞きたいが本音じゃ。じゃから話せ」

 明日でもいい。つまりいつでもいいのならしつこく電話なんかせんわ。あの世界最高峰の錬金術師が倒されたとあってはな…

『そう言うと思っておったが…まあエエじゃろ。じゃが感情が全く入っていない、機械のように話すぞ?本気でうんざりじゃし、何より話し過ぎて顎が痛いからの』

 冷たいババァじゃと思った。本当に機械のように淡々と話すのだから。このババァは多分心が無いのじゃろう。ワシのように熱血よろしくな熱い思いが無いのじゃろう。

 ならばここはワシの方が大人にならねばならん。なのでワシも普通に聞いた。相槌など一切打たずに。業務的にただ聞いた。

『……と、言う事じゃよ』

 君代ちゃんの結びの言葉にも事務的に「うん」と言って返す。だが、君代ちゃんに張り合って感情を出さないようにしていたが…やはりそれは不可能だ。

「……北嶋 勇…この世界につい最近入ったばかりの男…素質があると言う話じゃない。何と言うか、別次元に居るような…」

『ワシより上と言った筈じゃ。よってテッチャンの思った事は正しい。ワシは所詮この世界止まりじゃろうからな』

 この世界とは…霊能者としてか?それとも人間としてか?

 君代ちゃんは世界でも数少ない、生身で霊界に行ける霊能者。人間界や霊界より上の存在?

 また、君代ちゃんは霊能者として世界最高峰と謳われている。それこそ世界中にコネクションも持っている。その世界最高峰よりも上?

 どっちの意味で言ったのだろう?もしかして両方の意味かもしれぬ。

「……それ程の力を持っておると言うのなら…」

 言い掛けてやめた。あの問題はワシのガキがケリをつける。外部の者に手を借りるなど、ガキのプライドが許さんじゃろうし。

『とは言ってもまだまだじゃがな。小僧は知らぬ事が多すぎる。ことわりは何となく理解しておる様じゃが。ご実家の祖父母殿の教育が良かったのじゃな』

「そりゃ、昨日今日この業界に入ったばかりの若造が全てを知っていたらオカシイじゃろ。ワシのガキもまだまだだって言うのに…ん?待てよ?その実家の祖父母が霊能者か何かか?」

 ならば小さい頃からキャリアを積んでいると言えるのではないか?

『いや?霊感も持っておらん、ごく普通の人達じゃよ。じゃが実家には…』

 言い掛けてやめる。気になるから言えよババァ。

『必要ないと、縁があるのならいずれ、と。じゃからお前さんが如何に気になろうがワシは知らんと言う事じゃ』

「じゃから心を読むなと言っておろうに…」

 げんなりする。おちおち考え事も出来んのか、と。

 じゃが、実家には何かあるのだと言う事は解った。北嶋 勇の力の秘密、と言う訳じゃなさそうだが。

 そうならば加護とか守護とかの単語が出て来る筈じゃし。

 じゃが聞きたい事は聞けたから良しとしようか。

 北嶋 勇がワシのガキのライバルになる事は明白になったのだから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 梓の仇敵であり、師匠の因縁の相手でもありサン・ジェルマン伯爵が倒されたと言うニュースが耳に届いてから三日後。

 恐らく師匠も水谷のお屋敷も対応に追われ、多忙だろうと連絡を遠慮していたが、そろそろ大丈夫でしょう。

 水谷の弟子として師匠にお祝いをしたいし、同期として梓に良かったねと言ってあげたいし。

 そう言えば尚美も生乃もそれぞれの敵を葬ったんだったか。色情霊と侍の怨念など取るに足りない相手からの勝利。だからと言う訳じゃないが、お祝いをしてあげてないな。

 登録されているお屋敷にコールする。しかし対応したのは私の妹弟子。ぐったりして、興奮して何を言っているのか全く解らない。梓も後輩の指導くらいしっかりやって欲しいものだ。

 面倒くさくなって適当に相槌を打って電話を終える。私で良かったものの、お客様相手だったら罵声を浴びせられるレベルの対応だった。

 本当に訳が解らない。素人同然の男が伯爵を倒したなんて、冗談でも言っちゃいけないでしょ。あれは師匠じゃ無ければ倒せない相手なのに。

 それを冒険譚のように興奮しながら話すものだから支離滅裂。御影石のゴーレムを殴って壊したとか、亜空間をこれまた殴って粉砕したとか。ファンタジー小説でも読んでいた最中なのか?だとしたら感化され過ぎだ。

 まあいいと今度は木村さんの携帯にコールする。師匠が今だ対応中なら、私の電話は迷惑になる。他の弟子と違い、私は実に気が回る弟子だ。他の子達にもこの程度の気遣いが出来ていれば師匠も少しは楽になれるのに。

『はい木村』

「あ、木村さんですか?千堂です。千堂せんどう 結奈ゆいなです」

 電話向こうの木村さんにお辞儀をして名乗った。見えないのに丁寧過ぎる自分にやや呆れてしまった。

『久しぶりね結奈さん』

 声が弾んでいる木村さん。この人には屋敷に住んでいた時、かなりお世話になった。霊能者としてはあまり大成できなかった彼女だが、ならばサポートをと私達弟子のお世話をしてくれた人だ。

 懐かしく思いながらも用件を口に出す。

「伯爵が倒されたとお聞きしまして…そんな重大ニュースが発信されたのなら、師匠もご多忙だと思いまして…」

『ああ、師匠にお話を伺いたいのね。今は大分沈静化してきたから直接お電話を取れるんじゃないかな?』

 …いや、それもそうなんだけど、お話を伺う前にお祝いを言いたいんだけど…

 まあ…木村さんにはお世話になったから勘違いは別に咎めないけども。

『それにしても凄いよね。尚美、生乃、梓と立て続けに悲願達成できたなんて』

 尚美は色情霊だし、生乃は怨霊だし、伯爵と比べてかなり格が落ちるが、確かにそうだ。私の同期だし、せめておめでとうくらい言ってあげた方がいいのかもしれない。

「あ、じゃあ尚美のケー番、教えて貰えませんか?私の電話、水没しちゃってデータが半分以上オシャカになっちゃったんで、連絡先知らないんですよ」

 師匠への御祝いが先だが、尚美も私の同期。素質もあるし、頑張っているのも知っている。風の噂でお屋敷から独立したのは知っていたので、水谷一門最年少で独立した私の話も参考で聞きたいだろうし。尚美から言い出すのは憚れると思うし。此処は私から連絡を取って、おめでとうと言ってあげて、さり気なく…

『悪霊を倒したのは、確かに尚美だけど、追い込んだのは北嶋って人よ』

 …なんだ。尚美が一人で倒した訳じゃないんだ。

 まあ…悪霊如きは他の霊能者でも倒せるだろうし。じゃあ独立はタナボタなのか?

 落胆した感が否めないが、気を取り直して…

「じゃあ生乃の連絡先を教えて貰えますか?学校?塾?そんな感じの所に通う為にお屋敷から出たと聞いたんで」

 先に生乃の方におめでとうと言ってあげよう。手助けされて、漸く色情霊を倒した程度の尚美よりも頑張った筈だから。頑張った者から最初に労ったり祝福したりするのは当然の事でしょうから。

 絵の勉強だったっけ?いきなりそんなところに通う意味が解らないんだけど、小さい頃からの悲願が達成されたんだ。気が抜けて趣味を見付けて習い始めたのかもしれない。あの子は暗かったから趣味を見付けた、前向きになったって事は良い事だし。

『生乃は少女漫画家のアシスタントになったのよ。師匠から紹介されてね』

 師匠が紹介したの?生乃もそこそこの霊能者になれるだろうに、今から別の道を薦めるって事は、思ったよりも才能がないのか?

『北嶋って人が生乃の仇敵を倒してね。彼の手助けをする為に絵の勉強をする事になったのよ』

 また北嶋?さっきから聞く名前なんだけど?そう言えばお屋敷の方で出た妹弟子も北嶋がどーのこーの、とか言っていたような気がするけど…

『じゃあ尚美と生乃の連絡先を教えるわ。今メールするから少し待って』

 その言葉で考え事から思考が一気に遠ざかる。

 ではお願いしますを言って電話を終える。その数分後に尚美と生乃の連絡先が添付されたメールが届いた。

 二人の住所は今私が事務所を構えている所よりも遠いし、水谷からも遠い。わざわざ訪ねるのも面倒なくらい。

 それに生乃の方はいいけど、尚美は…

 北嶋心霊探偵事務所…先程から出てきた名前と同じ…

 その北嶋に恩義を感じて事務所に入ったのか?だったら独立とは違う。

 妙にガッカリして電話を掛けるのをやめた。色情霊如きに外部の力を借りるなんて、水谷一門の恥。生乃も同じだ。

 心を広くして祝福したいのだけれど、私もまだまだ修行不足、いきなり寛大になれる筈も無い。

 やはり最初の予定通りに梓に…いや、師匠の方にお祝いを述べよう。

 そして私は師匠に携帯にコールする。お屋敷の電話ではまた使えない妹弟子が取るかもしれない。だったら面倒な取り繋ぎをして貰うよりは直接電話した方がいい。

 数コール後に師匠が電話に出る。

『結奈か、久し振りじゃな』

 懐かしいお声にドキドキするも、そのお声にどこか元気がない。

「お久しぶりです師匠。お疲れの様子ですが…」

 やはり電話向こうに師匠にお辞儀した。自分でも丁寧過ぎるな、とは思うけど、これは私の性格だから仕方ない。

『…………お前さん、まだそんな事を…』

 溜息交じりの師匠のお声。どうやらかなりお疲れのようだ。

「あ、あの、お疲れでしたら後日改めて…」

『いや、良い。お前さんも伯爵の件で電話をしてきたのじゃろう?ならば後だろうが二度手間になる事に変わらないのでな』

 師匠にしてみればそうか。だけど私の気遣いも解って欲しい。言わないけどもさ。

『……何か不満がある様じゃが?』

 ヤバ、心を読まれたか。

 誤魔化すように髪を掻く。電話向こうの師匠には見えないけども。いや視えているのか。まあいいや。

「師匠、あの錬金術師を倒したそうで。おめでとうございます。梓も漸く心の荷が降りた事でしょう」

 やはり電話向こうで恭しく辞儀をしながら言う。もうこれは癖だ。

 師匠は溜息のように息を付く。呆れているような悲しんでいるような…?

『伯爵を倒したのはワシじゃないぞぇ』

 え?

「え?じ、じゃあ師匠のお友達の方が?」

 伯爵は巨大。師匠一人じゃきついと判断してお友達を呼んで一緒に倒した?

 師匠のお友達と言うと、松尾先生、ネロ教皇、周老子がまだご存命だった筈。あの三人との共闘ならば如何に伯爵とて…

『伯爵を倒したのは北嶋と言う小僧じゃ』

 北嶋?さっきからやけに聞く名前だ。だが私には到底信じられなかった。

「北嶋?北嶋 勇!?尚美と生乃の仇敵を倒したとか?話はちらっと聞きましたが、色情霊と首だけの怨霊を倒したのは百歩譲って信じてもいいですが…サン・ジェルマン伯爵も倒したとか有り得ないでしょ!?」

 この業界で名の通った霊能者でさえ、伯爵を倒せる者は居ない筈。

 師匠でさえ、退けるのが精一杯だった魔人を、ポッと出てきた訳の解らない男が倒したと言うのだ。それを信じろと?

『お主が疑うのは尤もじゃが、本当の事じゃ。小僧は伯爵の攻撃の全てを物ともせずに、あまつさえ手応えが無いとぼやき、簡単に葬った。否、確かにとどめは梓がやったのじゃが』

 梓の選択した技は罪を犯した、理を無視した生者を地獄に送る技。鎌で魂の尾を斬って地獄に堕す。

 伯爵は三千年生きているとしても生者に変わらないのだから確かに有効なのだが、鎌は騙される可能性がある。なので騙す余裕を失う程ボロボロに追い詰める必要がある。肉体的にも精神的にも。

 その北嶋がそこまで追い込んだ?あの伝説の錬金術師を?

「し、しかしそれ程圧倒的なら鎌に頼らず、その北嶋が殺せば済む話じゃないですか?何故やらないんです?」

 伯爵は生身なので究極に言えば普通に殺せる。そんなに強いのなら絞殺でも刺殺でも簡単にできるのでは?

 やらなかったと言うのなら、やはり嘘。もしくは大袈裟に話しているだけじゃないのか?問題はなんで嘘か大袈裟に話すと言う事になる。

『お主にも教えた筈じゃがな?業は自ら取り除かなければ意味がないと』

 いや、確かにそう教えて貰ったけど…それが梓がとどめを刺した理由?

『因みに尚美も生乃もとどめだけは自分で行った。業を取り除く云々以前に小僧には致命的な弱点があるからの』

 やっぱりそうじゃないか。弱点が無い人間なんていない。致命的なら尚更だ。多分北嶋の弱点は霊力が低すぎて地獄堕としが出来ない…

『小僧は霊の姿が見えない。霊の声が聞えない。霊の気配を感じないのじゃ』

「それは普通の人間です!!霊感が無いのにどうやって色情霊や怨念を倒せるんですか!?伯爵もただの身体能力だけじゃ倒せる相手じゃないでしょう!!」

 解った。要するに私をからかっているんだ。そんな悪質な冗談をわざわざ言うなんて!!

『いやいや、とんでもない。本当じゃ。仕方ないのう。尚美の敵を倒した事から話そうか』

「いや、別にい」

 しかし師匠は勝手に話し出す。それは愉快に、興奮しながら。だが、私の耳には全く入って来なかった。

 お世話になった年寄りの暇つぶしに付き合う程度の認識しか持てなかったのだ。



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