託した望み

 長いお婆さんのお話だった。

 あの外国人のオジサンと長い間戦っていたんだ。

 私はまばたき一つせずにお婆さんのお話を聞いていた。

「ふふ、何も泣く事はあるまいな」

 私の頬が涙で濡れていた。

「これはまばたきしなかったから、目が乾いただけだよ」

 袖でグイグイと涙を拭く。その同時くらいに襖が開いた。

 お盆にお茶を二つ乗せて現れたのはさっきの子。生乃ちゃんだった。

「お茶です」

「遠慮せんと入って来たらよかろうに」

「まだお話途中だったから…」

 お婆さんの前にお茶を置いて帰ろうとする生乃ちゃん。それを慌てて止める。

「?」

「ひょっとして…あなたもオジサンのお話は知っているの?」

 生乃ちゃんはコクンと頷く。

「お師匠様に教えて貰う人は皆このお話を聞くの。オジサンに騙されないように」

 よく解らないけど、オジサン対策がなされているみたいだった。

「オジサンはお婆さんがやっつけるんでしょ?」

 沢山の子供を守りながらあのオジサンと戦う。あの賢者の石と言う宝物を守るために。

 早くやっつけて、安心出来るといいのに。

 お婆さんは首を振る。ビックリだった。お婆さんがやっつけられないんじゃ、誰がやっつっけるのか?

「ワシが生きている間は、表立って手を出して来ないじゃろう。お前さんの父をたぶらかしたのも、ほんの気紛れに過ぎん。伯爵が本気で奪いにくるならば、もっと力押しでくるじゃろな。そうなれば、ワシも相討ち覚悟で挑む事になる。伯爵もまだ命が惜しいじゃろう」

 気紛れ…気紛れでお父さんを殺したんだ…

 沸々と怒りが込み上げて来る…

 そんな私の様子を見たお婆さんが優しい口調で話し掛けた。

「お前さん、家に来るかね?家に来たらば伯爵と対峙できるかもしれん」

「私は…」

 オジサンと戦う事が私に出来るだろうか?あんなに怖くて強いオジサンに。

 しかし、私は孤児になってしまった。おじいさんもおばちゃんも私は要らないと言っているみたいだし…行く所も無いけど…

 返事を躊躇っている。そりゃそうだ。子供には色々と重すぎる話だ。

「じゃ、お部屋を用意します。ここはお客さんのお部屋だから」

 生乃ちゃんが何か解んないけど話を決めた。

「それがええ。まぁ、伯爵と対峙するかは、後々決めるがええ」

 行く所無い私はお婆さんのお弟子になるのが一番安心なんだろうけど、お化けとか怖いし…

「安心せぇ。お前さんには素質がある。今は駄目じゃろうが、きちんと修行すれば、悪霊も退治出来るようになる。無論、伯爵もな…」

 お婆さんはニコッと笑った。安心させる笑顔だった。

「私もオジサンをやっつける事が出来るの?」

「お前さん一人では無理じゃがな。時期が来れば、とんでもない者が現れるじゃろう。そやつが伯爵の人生に終止符を打つ者じゃ。お前さんは恐らく、その者のサポートをする事になる」

 遠くを見るような目で、私に語る。

「解るの?」

「朧気じゃが…視えるのでな…」

 お父さんの仇は私には討てない。しかし、その手助けは出来る。

 それだけで私の覚悟は決まった。お婆さんの方を向き、正座をし、お辞儀をする。

「宜しくお願いします。お師匠様」

 今の私の精一杯の覚悟を見せたつもりだった。

「明日から修行じゃな。ガハハハ!!」

 お婆さんの手が私の髪を撫でた。

 凄く頼もしくて凄く安心する優しい手だった………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 梓はもう冷えてしまったお茶を一口飲んだ。長く話した事により、喉が乾いたのだろう。

「…私も聞いたわ。弟子になった最初の頃に…」

 北嶋さんに、この話をすると言う事は北嶋さんがサン・ジェルマン伯爵を倒す者?

 北嶋さんは確かに凄いけど、伯爵とは格が違うような気がするけど…だけど北嶋さんが負ける絵が全く浮かばないのは何で?

「北嶋さん、師匠が仰っていたわ。北嶋さんなら倒す事が出来る。何を以てそう言ったのかは解らないけど、師匠が言ったのだから間違いは無い…!!」

 梓の瞳が真っ直ぐに北嶋さんを捉えている。

 ジーッと見ていた北嶋さんが、口を開いた。

「綺麗だ…」

「はぁ!?あ、ありがとう…」

 梓が仰天しながらもお礼を言った。お礼はいいでしょ?いつも言われ慣れてそう返しているから咄嗟に出たのか?

 まあ兎も角、と北嶋さんに詰め寄る。

「話をちゃんと聞いていた!?」

「良く解らんが、あのオッサンをぶち倒せと言う依頼なんだろう?依頼は請けた。安心して風呂に入るがいいさ」

 何故か梓にお風呂を勧める北嶋さん。私の右拳に力が入る。

 私の右拳を察したか、慌てて口を開いた。

「ご、誤解するなよ!!無論、俺は神崎の方が好みだから!!心変わりした訳じゃないぞ!!」

「聞いていないじゃないのよっ!!」

 右フックが北嶋さんの顎にモロにヒットする。

「ぐあ!!ま、真正面を警戒していたからマトモに食らってしまったぜ…」

 横に崩れていく北嶋さん。どうやら鼻を警戒していたようだった。

「あ、あの…伯爵の件は引き受けるのは間違いないんだよね?」

 梓が空気を読みたいが読めない状態で、とりあえず話を戻す。

 北嶋さんはヨロヨロと起き上がる。

「任せておけ。心配せずに風呂に…ぷふあっ!!」

 最後まで言わせずに、北嶋さんの鼻に左ストレートをぶち込んだ。

 いつものように大量の鼻血を噴射して、仰向けに倒れる。

「毎回毎回鼻血出しているんだから、少しは血の気が無くなっても良さそうじゃないの!!」

 左拳に血が付着していた。その血を払うように振る。

「ほ、本当に伯爵を倒す人なのかしら………?」

 梓の困惑は間違ってはいない。私もそう思うのだから。

 そして夕飯を終えて夜。

「本当は下の四畳半とか空いているんだけど…」

「いーのいーの。久しぶりだし、一緒に寝よ!」

 私のベッドの隣にお布団を敷いて寝る事にしたのだ。何故か荷物も部屋に持って来たし。

 その荷物からパジャマを引っ張り出す。着替えもこの部屋で行う事にしたのか。

 北嶋さんに身の危険を感じているのかもしれない。あの人エッチだから警戒して然るべきなんだけど。

「まぁ、北嶋さんは任せておいて!」

 胸をドン!と叩いて頼もしさをアピールし、安心させようとする。

「ふふ、期待しているわよ」

 悪戯っぽく笑う梓は賢者の石を首に下げる。

「石を身に付けるの?」

 賢者の石は師匠が何重にも封印し、存在や効力を消していたが、知っている者ならば知っている代物だ。

 しかも、狙っているのは伯爵…

「私は餌ね」

 不安な私に実にあっけらかんと言い放った。

「つまり囮?師匠は知っているの?」

 梓は首を左右に振る。

「多分知らない。視ているなら今知っただろうけどね」

 これまた実にあっけらかんと言い放った!

「そんな!危険過ぎるよ!」

 慌てた私は梓を止めようとする。

「師匠も知っているでしょうしね。私は無茶をするって」

 梓は気にしていない様子で持って来た荷物を片付ける。具体的には着替えを私の箪笥に仕舞っている。

 師匠は梓の性格を知っている。

 伯爵を追ってきたのは梓だ。

 自分の父を間接的に殺した伯爵をずっと追っていた。

 敵わないのは梓も承知。しかし一太刀浴びせなければ気が済まない。

 そんな梓を師匠も知っている筈……

「師匠は北嶋さんに託したって事…忘れていない?」

 確かにそうだけど…

「北嶋さんが伯爵を単独で追えるとは思えない。失礼だけどね。伯爵が接触してくるなら話は別でしょ?」

 だから自分が囮になるって言うのは賛成しかねる。

 私の表情が曇っているのを察知したのか、梓はニコッと笑う。

「北嶋さんの凄さは私や師匠よりも尚美が知っているでしょ?」

 勿論知っている。

 北嶋さんは伯爵には絶対に負けない。根拠は全く無いが、確信はしている。北嶋さんの凄さは世界で一番私が知っている。

「ふふ、生乃に睨まれないようにね」

 梓の発言に、私の顔が火照り出す。

「な!!何をいきなり!!」

 首をブンブン振り、火照りを静める。

「まあまあ、とりあえず居候で宜しく」

 居候って、一応クライアントじゃないの!!

 ドキッとする発言が多い梓だが、私は久しぶりに同門、いや、友達と生活出来る事が単純に嬉しかった。

 ただひとつ悩みの種が。

 一つ、深呼吸をし、梓に人差し指を近付ける。

「いい?お風呂はちゃんと鍵をかける事!!あと、もし一人で寝る事があった場合、この部屋の鍵を全てかける事!!これは必須よ!!」

 梓を北嶋さんの魔の手から救わなければならない。

 よってお風呂覗きと夜這いモドキの被害は決して出してはならない。

 今回の私の最大の仕事だ。

 梓にも充分注意して貰わなければならないし。あの人直ぐにいい方に勘違いしちゃうからなぁ。

「解った。これ以上北嶋さんに迷惑かけられないしね」

 ん?北嶋さんに迷惑?

 いや、梓に迷惑が掛かるからの警告なんだけど?

「北嶋さんは尚美と生乃で一杯一杯だしね~。これで私まで交わっちゃ、大変になるしね~」

 私の人差し指を押し退け梓の人差し指が私の鼻に触れる。

 ガックリ肩を落とした。

 梓には、この手の話では全く敵わない。

 知り合った時から、梓は同じ女の私から見ても綺麗で、街に出たら男の人に良く声をかけられていた。

 師匠の元で修行していなかったら、モデルかタレントになっていただろう。それ程のルックスだ。

 もちろん梓も自分が綺麗だと自覚していた。

 しかし、悲願があるからと、そのアタックを悉く退けて来たのだが、他人の色恋沙汰にはすごく敏感だった。

 まるで『私は無理だけど、皆には幸せになって欲しい』と言わんばかりにアドバイスをしていた。

 恋をしている後輩…時には先輩にまで、駆け引きのテクニックを伝授していた。 三角関係も、よく相談に乗っていた。

 私は単純に『すごいな~』としか思っていなかったが…

 まさか自分が弄られる時が来るとは…

 しかし、私は認める訳にはいかない。

 生乃との約束は勿論、私自身も良く解らないのだから。解らないものを認める事は出来ないし。

「ふふ、悩め悩め!」

 梓が私の肩をパンパンと叩く。

 悩んでなかったのに梓が言うから悩むんでしょうよ。

 私は梓を恨めしそうに見た。対して梓はニコニコと笑っていた。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ふむ、有馬は神崎の部屋で生活するようだ。

 因みに神崎の部屋とは俺の隣の部屋。俺の部屋とは壁一枚隔てているだけ。

 これはもう…両手に花というヤツか?

 俺の両手が汗ばむ。

 それもその筈、コーヒーの入ったマグカップを2つ手に握っているからだ。

 気を利かせてコーヒーを淹れたのだ。これには実は深い意味がある。

 ぶっちゃけ好感度アップを目論んだのだ。実に深い意味だろう。

 しかし熱い。

 よく考えたら、さっき下でお茶やら何やら飲んでいたのだ。

 コーヒー意味無しじゃね?飲んでもトイレ近くなるだけだろ。好感度アップもなにも、だ。

 そう推理した俺は、持っていたコーヒーを啜る。

 熱い、熱々だ。舌が火傷しそうだ。

 フーフー息を吹き掛け、懸命にコーヒーを冷まそうと試みる。

「あち!あちち!」

 駄目だ。冷めない。そりゃそうだ。沸騰しまくったお湯を使ったのだ。なかなか冷める事は無いだろう。

 もう棄てたい…しかし出来ない。

 理由はキリマンジャロだからだ。

 勿体ないだろう?キリマンジャロを棄てるのは?

 俺はハードボイルドだが、地球に優しいハードボイルドを目指しているんでな。 食べ物飲み物を棄てる事は俺の美学に反するのさ。

 ん?インスタントならどうするって?

 ふっ、愚問だな。当然棄てるさ。

 棄てる事に抵抗は持ってはいけない。

 キッパリと棄てるのもハードボイルドの美学なのだからな。

 まあ、そんな訳で、このキリマンジャロは結局棄てる事にした。

 だってそうだろう?舌が火傷したらどうするんだ?

 婆さんが労災適用してくれるのか?

 答えは否だ。

 婆さんは労災など出さない。

『我慢しな!』と言われて終わるだろう。

 どうだいこの推理力は?

 ハードボイルドは誰にでもなれる訳じゃない。俺程のレベルじゃないとハードボイルドは難しいのさ。

 そんな訳でコーヒーを棄てるとしようか。

 俺は台所へコーヒーを棄てる為に向かった。

 さて、キリマンジャロを破棄するか。その時、俺の背後からいい匂いがした。具体的には髪の匂いっつうか香水の匂いっつうか。

「あれ?コーヒー淹れたの?」

 振り向くと、そこにはウェーブの掛かった髪を掻き分けている有馬の姿があった。

「今お水貰おうと台所に来たの。ちょうど良かったわ。ちょうだい」

 有馬は俺が先程フーフーして啜ったキリマンジャロを取り、マグカップに口をつけ、軽く啜る。

「うん、キリマンジャロね。北嶋さん良い好みだね」

 確かに俺は良い好みだ。本物を見分ける事ができる天性の感の持ち主と言っていい。

 しかし問題はそこではない。

 この女…俺に惚れているのか?

 俺はその根拠を纏める。

 まず、あのマグカップは俺が口をつけた物だ。

 有馬は俺からそのマグカップを取り、コーヒーを啜った。

 つまり間接キスだ。

 間接キス狙いで俺が口をつけたマグカップを取ったならば、有馬は俺に惚れている事になる。

 くっ、有馬…

 お前は決して悪くはない。そこまでさせる俺が罪なのだ…!!

 しかし俺には神崎がいる。神崎を裏切って有馬を選ぶ事はあり得ない。

 だが…まぁいいか!

 神崎は神崎、有馬は有馬。どっちも捨てがたいのは事実だ。

 俺は『三人』の薔薇色の生活を想像!!やはり風呂は三人で入らなければならない!!

 ん?そうするとだ…浴槽が少し狭いのではないだろうか?

 明日にでもリフォーム業者を呼んで浴槽を大きくしなければならないな。

「?北嶋さん?」

 俺が薔薇色の生活を想像している最中、有馬が俺の顔を覗き込んで来た。

 これは…キスをせがんでいると言う事か?

 しかし俺には神崎が、イヤイヤ、据え膳食わぬは何とやらだ。

 ならば、それに応えるのが男という生き物だろう。

「あ、有馬!!」

 俺は有馬を押し倒す。

「え?ええ?きゃーっ!!」

 大丈夫だ。俺の心の準備は出来ている。三人での薔薇色の生活はシュミレート完了だ。

 有馬の唇に向かう俺の唇…

「ちょ!ちょっと北嶋さん!!きゃーっ!!」

「ごをっ!?」

 俺のテンプルに激しい痛みが走る。拍子に有馬から離れてしまった。具体的には転がったのだ。

「私の友達に何してんの!?」

 神崎がグーで俺のテンプルを殴った模様。

「か、神崎、これには深い訳がだな」

「どうせまた訳解らない勘違いしたんでしょ!!」

 神崎の右拳が俺の鼻っ柱を直撃する!

「ぷああ!!」

 俺の鮮血が鼻から華麗に吹き出る。

「グ、グーはだな…」

「うるさい!!」

 今度は左拳だった。

「ぷふああ!!」

 鼻血の量が倍になる。痛い!痛すぎだコレ!!

「ほ、本当に彼が伯爵を倒す人なのかしら…」

 激痛が走る鼻を押さえている最中、有馬が発した言葉は、俺を庇う言葉でも無ければ俺を気遣う言葉でも無かった。

 有馬は俺に気がある筈なのに…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 私が北嶋さんの元に来てから一ヶ月が経った。

 伯爵の動きは感じない。

 石への結界の力が強く働いているのか、はたまた策を練っている最中なのか…いずれにせよ、気が抜けない状態だ。

 もっとも、毎日気が抜けない状態ではあるが。

 それは、毎日毎日お風呂を覗きに来る北嶋さんの存在だ。

 毎日毎日尚美にグーで殴られては鼻血を噴出させる、コントのような生活…

 最初は笑っていたけれど、こう毎日じゃ精神的に追い込まれるわ…

「どこかにアパートを借りる?」

 そう、尚美は提案してきたけど、囮の意味が無くなるし…

 何より、尚美の攻撃は当たるけど、私が石鹸やシャンプーを投げても軽やかに避ける北嶋さんには意味不明だ。

 北嶋さんは本当に訳の解らない人だ。

 生乃が何故好きになったのか理解出来ない。

 あんな人好きになっても良いのだろうか?まぁ、人の好みには文句は言えないけど、私はゴメンだ。

「ちょっと買い物に出て来る」

 特に必要な物は無いけど、北嶋さんと尚美の『夫婦喧嘩』を見るのも飽きたし、少し気分転換しに行きたい。

 夫婦喧嘩と言えば、今日は洗濯物の下着を凝視したと言って北嶋さんをグーで殴っていた。

 北嶋さんは相変わらず鼻血を噴出していた。

 よく毎日毎日鼻血があんなに出るものだ。正直言って呆れている。そして尚美もよく耐えている。

 感心するわ。私には無理。

 靴を履いて出掛ける準備をしている最中、北嶋さんが小銭を渡してくる。

「?」

「すまんがタバコを買って来てくれ」

 少しイラッとした。

 私についでに買い物を頼む男なんか、今までいなかった。

 寧ろ、師匠の家まで届けに来る男が多かったのに…

「解った…」

 断る事も出来るが、流石にそれも大人気ない。少し乱暴に玄関を閉じてあの家を出る。

 ここは辺りに民家が無い。つまりお店も無い。

 何をするにも、車で移動しなければならない場所に、この家はある。

 今では、この家から車で出掛けるのか、私の細やかな楽しみになっていた。

 そう言っても尚美の運転は御免だけど。なので北嶋さんの軽自動車を借りて自分で運転する。まあ、ちょっとした気分転換にはなる。

 結局私は街まで出て来た。

 久しぶりに映画でも観るか。

 チケットを購入し、館内へと入る。

 丁度始まる所。ギリギリ間に合ったようだ。

 比較的空いていたので、一番見易い中央の席に座ると、直ぐに私の隣に男性が座る。

 純粋に観やすいからか、私の隣に来たかったのか。まぁ、どうでもいい事だけど。

 隣の男性が私にポップコーンを差し出す。

 なんだ、いつものナンパか。私の隣に座りたかった方なのね。

 慣れてしまっていた私は男性に断りを入れる為に、男性の方を向いた。

「結構です………っっっ!?」

 心臓が止まりそうになった。

 隣に座った男性は外国人の中高年…蒼い瞳に銀の髪…!!

 あの日、子供の頃…飛行機に同乗していたオジサンに酷似していた。

「酷似…?いえ、本人ですが」

 外国人の紳士はニヤッと 笑い、私を見る。

「は、伯爵…!!」

 叫びそうになりながらも恐怖が大きくて絞り出すような声しか出なかった。

「賢明です。映画館では静かにするのがマナーですからね」

 あの凍り付くような怖い眼差しが、子供の頃の私を呼び戻す。

 怖い……怖い怖い!!

 あれから力を付けたつもりだ。覚悟も当然出来ていた。

 なのに………!!

「当たり前の事です。巨大な力を目の当たりにすると、普通の人間ならばそうなります。私は一向に気にしませんから大丈夫ですよ」

 嫌味な返答だ。しかし身体が固まって動けはしない。伯爵の言う通りだ。

「ふむ、しかし弱りましたな…」

 伯爵は私の胸元をじろじろと見る。

「私の『石』が封印されていますね。これを解くと水谷さんのトラップが働くのですね?石が砕け散るかもしれませんし…いや、厄介だ」

 素直に其の儘私に預ける真似はしない。少しいい気味だと思ってしまう。

「おや?水谷さんの流派の人間ならば、封印を解いてもトラップが発動しないんですね」

 伯爵が怪しく笑い私の胸元に手を伸ばしてくる………!!


「っはぁああああ!!」


 暗闇…いや、暗闇ではない。

 私の回りに沢山の人がいて、私を怪訝そうに見ている。

 ここは映画館。今まさにクライマックスシーンのようだ。私の声が、観ている人の邪魔をしたのだ。

 寝て……いた……?

 じゃあ、あれは夢…?

 胸にかけている石を触ってみた。

 良かった、あった…やはり夢だったんだ。

 安堵したのはいいが、観客の視線が痛い。

 仕方ない、もう出よう。

 静かに立ち上がり映画館を後にする。

 観ていないから特に未練は無いが、お金は勿体ない事をした。

 まぁ、いいか。北嶋さんから頼まれたタバコを買って帰ろう。

 いつもなら、あまり帰りたくない北嶋さんの家に急ぐように帰る。

 私は夢が怖かったのだ。背中が汗でびっしょりと濡れている。

 一人でいるのがとても怖い。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 プルルルル…プルルルル…プルルルル…と私の携帯が鳴った。

「師匠からだ」

 なんだろう。師匠から連絡ある時は碌でもない事だからなぁ…

 気が重いが電話に出る。

「もしも」

『碌でもない事で悪かったな!!』

 うわー!!視ていたぁー!!

「し、師匠お疲れ様です…」

『まぁ、確かに録でもない事じゃがな』

 師匠が肯定した!!物凄く心配になる!!

「師匠!お腹でも痛いんですか!?」

『バカモン!!至って健康じゃ!!』

 うわー!余計な事を口走ってしまったー!!激しく自己嫌悪に陥る。

『落ち込んでいる暇は無いぞぃ!来たぞ!!』

 来た?何が?

 考える暇すら与えようともせず、師匠が続ける。

『伯爵が梓の魂に絡み付いて、そちらに向かっておる!!!』


 梓の魂…に?


 伯爵…!!


 私の集中力が一気に高まった。

『よいか!梓が来たらば直ぐに小僧に抜いて貰え!!』

 北嶋さんのあのヘンテコな技で伯爵を抜けるのだろうか?

 多少不安ではあるが、やって貰うしかないだろう。

『そして直ぐに燃やすのじゃ。お前さんの炎なら、比較的楽に作業出来るじゃろう。終わったらば連絡をくれ………!!』

 緊張感が増してきた。

 微妙たる伯爵の魂とは言え、過去に師匠の一番弟子…私達の兄弟子が殺された…いや、殺されたも同然なのだ。

「北嶋さん!北嶋さん!」

 居間で寝転んでテレビを見ている北嶋さんの元へと行く。

「ん?もう夕飯か?」

「休日のお父さんみたいにマッタリしている場合じゃないのよ!!」

 私は師匠の電話の内容を北嶋さんに伝えた。

「伯爵とは、以前由香と一緒に来た、あのオッサンの事だよな?」

「ええ…ついに動いたようね…」

 神妙な顔の私に対して余裕綽々な北嶋さん。

「あのオッサンなら楽勝だ。泥船に乗った気でいりゃあいい」

「泥船は沈むでしょうよ…」

 楽天的な北嶋さんだが、私は不思議と不安は感じなかった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 急いで帰宅したのはいいけど、どうしたんだろうか?北嶋さんの家に入りたくない。

 私の足が玄関先から一歩も動こうとしない。

「何?私どうかしちゃったの?」

 苛立ちにより、心が揺れる。全く安定していないような感じだ。何故か北嶋さんに脅威を抱いている感がある…

「馬鹿馬鹿しい!あんな煩悩まみれの男なんか、今まで飽きる程見てきたわ!!」

 かなりの決心で玄関を開けた。

 そう、私は北嶋さんの家に入るのに、かなりの決心を必要としたのだ。

 心の何処かで【入ってはいけない】そう言う命令が出ているようで…

「ただいま…」

 頼まれたタバコを放り投げ、私は尚美の部屋へと急ぐ。

「有馬、ちょっと待て」

 ドキッと心臓が大きな鼓動を一つ立てる。

「……タバコならそこに…」

 顔を見ないよう振り返った私の目に飛び込んで来たのは北嶋さんの右手…!!

「北嶋さん!?きゃあああああ!!ああああ!?」

 私の魂から何かが剥がされて引き摺り出される感覚を覚えた。


――なにいい!?


「はぁっ!はぁっ!はっ…伯爵!?」

 伯爵の魂の欠片が私の魂から引き剥がされる?

 その伯爵の魂が北嶋さんに捕まれてバタバタしている。

――私を引き剥がすだと!?しかも簡単に!?

 伯爵が憑いた魂は、深く絡み会い、一流の霊能者でさえも困難を極める。

 水谷師匠ですら、伯爵を抜くのを二度失敗している。

「き、北嶋さん…あなたは…一体…?」

 私の疑問は伯爵も同じのようで……

――貴方は何者ですか!?

 北嶋さんは伯爵じゃなく、私に応えた。

「何者って…俺は北嶋。探偵だ!!」

 無視され、憤る伯爵。掴まれながらバタバタ暴れている。

――私を無視か!?

 そこへ尚美が近付いて来た。

「無駄よ。北嶋さんは見えないし聞こえないんだから。あなたの質問には応えられないのよ」

「見えないし聞こえない…解ってはいたけど…」

 あのサン・ジェルマン伯爵が、欠片と言えど、あっさりと引き摺り出されるなんて…!!

 尚美がいつか言っていた。北嶋さんのは奇跡じゃなくて珍事だと。

 あの時はよく理解出来なかったけど、今はっきりと理解出来た。

 理屈が全く解らない!!奇跡なら私達は霊能者。何となく理屈が解る。だけど北嶋さんのは…

「神崎、焼いて」

 北嶋さんはひょいっと伯爵を尚美の前に突き出す。

「了解……!!」

 尚美は印を結ぶ。生無き者を浄化する炎だ。

 伯爵はまだ生きてはいるけど、魂が悪霊と類似しているから問題は無い。

 炎が伯爵を包み込んだ。そして瞬く間に燃え尽きた…


「北嶋さん。もういいよ」

 尚美の前に手をつまんで差し出す形を取っていた北嶋さんが、手をブンブンと振る。

「しかし、毎度の事だが全く実感がないな」

「私が視ているから問題無しよ。それより…」

 尚美が私に駆け寄る。

「梓、大丈夫?」

「ええ…平気よ…」

 憑依を抜く事は、憑依された人間も疲労を伴う。しかし、北嶋さんのやり方では、憑依された方にはダメージが無い。

「やっぱり…北嶋さんが伯爵を倒す人なの…?」

 呟いた私に尚美が微笑んで頷いた…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 遠く離れた地で、私の欠片が消滅した。

 消滅は理解出来る。問題は、取り除き方…

 ムッシュ北嶋…かつて見た事が無い取り除き方。しかも、場数も踏んでいる。

 以前接触した時も、驚くべき身体能力を見せてくれたが、まさかこれ程とは…

「?どうかなさいましたかムッシュ?」

 私の目の前にいる、物欲にまみれた小汚ない人間が、私を心配する素振りをする。

「いえ、何でもありません。それより、私が今話した銘柄の株を買っておきなさい。さすれば貴方は巨万の富を得るでしょう」

 副業で、物欲にまみれたクズに未来を予言しては金を儲けさせている。

 この世はこんなクズでも使い道があると言うものだ。

 既にヨーロッパは統一された。とも言い難いが、兎も角形を成した。が、世界はまだまだバラバラだ。

 金と言う餌を権力者に与えておけば、いずれ世界は統一されるだろう。

 私はその日まで生き続けなければならない。

 それには賢者の石がやはり必要だ。

 私自ら日本に行かねばなるまい。

 東の空を見ながら私に苦汁を与えた者から託された者に…私は軽く高揚感を覚えた。

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