依頼人

 高度経済成長中の日本。確実に日本は復興していた。

 一年前の東京オリンピックも成功を収めた事からも、はっきりと感じ取れる。

 水谷は都心部に近い所に住んでいた。

 朽ち果てて誰も見向きもしなかった神社に住み着き、数々の心霊現象を解決していた水谷は『女仙人』と呼ばれ、界隈で有名になっていた。

「ふ、ここも住み難くなって来たか」

 高度経済成長中故の都心部…

 空は灰色であり、川は埋め立てられ、山は削られている。

 そんな空気にげんなりしていた最中、水谷の住んでいた神社の取り壊しが決定してしまったので、立ち退きしなければならない状態だった。

「まぁ、未練は無いけどね」

 取り敢えず住み着いただけの神社だったが、ニ十年間住んでいた家。それなりに愛着はあった。

 しかしここが取り壊されるのを事前に知っていた水谷は、今度は遥か遠くの山間に移る事に決定していた。

「あちらの家ももうすぐ出来るから…そろそろ引っ越さないとね」

 老朽化した柱を撫でて水谷は一つため息をついた。


 ガタガタガタ…


 建て付けの悪い玄関に、誰か開けて入って来た。

「誰だ?」

 訪問者は事前に察知できていた水谷だが、今日の来客はていない。

「何者だ?」

 水谷は警戒しながら玄関に出る。

「お前?」

 そこには水谷の一番弟子の国見くにみ 陸雄りくおが立っていた。

「お久し振りです。師匠」

 人懐っこそうな青年の笑顔に懐かしさを覚え、釣られて笑う。

 この男と初めて知り合ったのは十年前。

 まだ子供だった国見は、両親を悪霊に殺され、自身も呪われていた。

 水谷は仕事でその悪霊を祓ったのだが、天涯孤独となった国見を弟子として引き取り、祓い師として鍛えた。

 そして青年となった国見は、水谷から独立し、自身で依頼をこなしていたのだが、手に負えない案件は水谷に泣き付いていた。

「お前さん、また厄介事を持って来たのかい?」

 水谷は屈託の無い笑顔を見せ、頭を撫でる。

 結婚もせず、子供も居ない水谷にとって、国見は我が子に等しかったのだ。

 国見も、水谷の愛情を感じて修行に明け暮れていた。

 そんな過去が昨日のように思い出される。

「厄介事って…酷いな師匠。まぁ、その通りですか」

 国見は頭を掻きながら顔を伏せ、苦笑いをする。

「ふ、まぁ上がりなさい。もう一週間もしたら出て行くつもりだったから、陸雄と入れ違いにならなくて良かった」

 無論、国見も水谷の引っ越しは知っていた。

「師匠が居なくなる前に、と思いましてね」

 居間らしく作っていた部屋の卓袱台の前に座る国見。

 水谷がお茶を運んで来た。

「昔は僕がお茶入れ担当でしたね。師匠に煎れて貰えるとは感激です」

「お前さんは料理が全然だったからね。せめて、茶くらいは煎れて貰おうと思ってさ。私のおかげで上手になっただろう。感謝しな」

 国見の対面に座り、茶を啜る。

「ふふ、師匠には何もかも感謝しています」

 国見も茶を啜る。今は客の身なれど、尊敬している師より先に茶に手を付ける事はあり得ない。

「戦い方、生き方、師匠には全て教えて戴きました」

 昔を懐かしんでいるような国見。しかし、何処かぎこちなかった。

「時間が勿体無い。本題を言いなさい」

 何か言いたげな国見を察し、話を促す水谷。

「…僕はある依頼を受けて、関西の方の洋館へ行きました」

 話始める国見。よく見ると顔が真っ青だった。

 尋常じゃ無い気配を感じたが、水谷は黙って聞く事にした。

 天涯孤独となったから国見を引き取った訳では無い。それなりの素質があったから、弟子として引き取ったのだ。

 その国見が怯えている。

 国見は語る。

「依頼人は洋館の持ち主…外国人でした。何やら娘がおかしい様子だと。悪魔祓いもしたようですが、効果が無かったようです」

「どのようにおかしいのだい?」

 悪魔祓いまでした訳だから、それ相応の事なのだろう。

「娘の部屋の荷物が宙を狂ったように飛んだり、意味不明にいきなり笑い出したり…と、言う事でした」

 ポルターガイストか。

 悪魔祓いでも祓えなかったと言う事は、祓い屋が下手くそか、強力な悪霊って所だろう。

 国見の表情を見ていると、どうやら後者のようだ。

 水谷は話を進めるよう、促した。

「その娘さんに会った時ですが、あまりの美しさに僕は驚きました。とても何かに憑かれているとは思えない程、顔は赤みがさして表情は生き生きとしていて、疲労している様子も無い。至って普通の…いや、強いて言うなら美し過ぎるのがおかしいと言う感じでした」

「『視た』んだろ?」

 すっかり温くなった茶を一気に啜る国見。そして一気に捲し立てるように言う。

「視ました!!憑いているのは人でした。まだ生きている人間です!!」

「生き霊か?呪いか?陸雄…何故怯えている?お前さんの技量なら、何とかなるんじゃないか?」

 事実、水谷の一番弟子として、贔屓目に見なくても、国見の実力は日本屈指と呼べる物だ。

 その国見が何故怯えている?

「娘は…娘のままですが…違う人格になっています。いや、別人格と言うより、憑いた者その者になっていました」

 顔から汗が大量に吹き出す。

「僕は夜に、生き霊を祓いました…」

 国見ならば祓うだろう。

 そこまでの展開は解っていたが、問題はその間か?

 じっと耳を傾ける水谷。

「娘の名前はメリーと言いました。夜にメリーがベッドに入る時………」

 カタカタと震えている国見…もう視てみるか?そう思い、水谷は国見の心を探る。

 国見が恐怖により、上手く話せないと感じたからだ。

 それにやはり違和感が拭い切れない。

 今日の来客に国見の姿が見えなかったからだ。


 水谷は国見の心を視る…


 暗い?

 自分の弟子の心を視る罪悪感がそう視えさせているのか?いや、国見ならば、水谷は『視る』と思うだろう。

 実際に、過去何度も視ていた。国見の悩みや苦しみも視て解決した事もある。

 しかしこれ程暗かったか?

 水谷の予感は嫌な方へと向かって行った。

 取り敢えず、その状況だけ見る事にしよう。

 水谷は、国見とメリーとの晩の寝室だけを視る事にした。

 悪い予感が杞憂で済めば問題ないが、念の為に、自身の周りに結界を張る。

 さて、視てみよう………


「ミスター国見…なぜ私の寝室に入って来るの?」

 メリーは迷惑そうに、ブロンドの長い髪を掻き分けた。

 成程美しい。昔の求婚者が 振られた逆怨みで呪いをかけているとしても不思議じゃない。それとも、執着されているのか?

「ミスメリー。僕はあなたのご両親から依頼を受けて、ここにいます。僕の存在など気にせず、いつも通り過ごして下さい」

 クライアントはメリーの両親。国見のやり方に口を出さないと言う条件で、国見は依頼を受けた。

 その条件が飲めなくば、依頼は断るつもりだった。

 両親は暫く話し合った後、国見の条件を飲んだ。

 普段なら、日本人になど条件提示される事など冗談じゃないと思っていた連中だが、悪魔祓いが悉く退けられた今、この界隈で有名な国見に頼らざるを得ない状況だったのだろう。

 国見を紹介したのは、悪魔祓いに失敗したエクソシストだった。

 自分は失敗したが、国見ならば祓う事が出来ると、メリーの両親に紹介したのだ。

 国見も本来ならば、見下した感じの外国人の依頼は断るのだが、このエクソシストとは気の合う友人だったので、友人の頼みを聞く形で、この洋館に来たのだった。

 気が乗らぬが、こんな美人と話が出来ると思えば役得か。

 無理やりそう思い込み、国見は椅子に腰掛けた。

「ミスメリー。もう一度言います。僕の事は無視して、いつも通りに過ごして下さい」

 そう言うと、目を瞑った。

「はぁ…こんな状況でいつもとおりって言われてもね…」

 苛立ちを見せるメリー。その間にも国見は視ている。

 初めて会った時も視たのだが、良く解らなかった。何か憑いているようで、違うような。別の人格が住んでいるような…

 多重人格ならば、国見の仕事ではないが、『深夜に家具が宙を舞った。おかしな音がした』と聞いた以上は、国見の仕事だ。

 ポルターガイストくらいで、何故僕に依頼して来たのだろう?

 エクソシストの友人なら、祓えるだろうに。

 不可解ではあったが、請けてしまったからには仕事だ。

 だから視てみる。

 深く、深く…メリーの心に潜っていく…


 …………おかしい…………


 メリーだ。他の存在は感じるが、やはりメリーだ。メリーに憑いている訳ではない?

 ならば深夜に外からやって来るのか?

 国見が目を瞑って『視て』いると、メリーが衣服を脱ぎ捨てる。

「!ミスメリー、普段通りにと言った筈ですが」

 真っ赤になって顔を逸らす国見にメリーは鼻をフンと鳴らす。

「私は寝る時は裸で寝るの。ご要望通り普段通りよ。ミスターが居るからと言って特別な事はしてないわ」

 国見は自分の邪な心を見られたようで、少し恥ずかしく思った。

 視ている筈が見られたか。皮肉にも可笑しかった。

 メリーは灯りを全て消し、ベッドに潜った。

 じゃあ、待つか…

 国見は目を瞑りながら、それが起こるのを待つ……


 暫くして、メリーが軽く寝息を立てているのが耳に入った。どうやら寝たようだ。

 国見は内ポケットから、ふだを一枚出した。

 微かに呪文を唱えるとその札が屈強な鬼になる。

「さぁ、化け物退治と行きますか…」

 あからさまに挑発するように式神を出した国見。いや、挑発だった。来れるものなら来てみろ。と。

 逃亡しようが自分なら気配を追える。その自信も見せ付けた。


 カタ…


 メリーのベッドが、数センチほど動いた。

「おいでなすったか…………?」

 ここで国見は妙な事に気が付く。

「霊的な者が侵入して来なかったのに、ベッドが動いた?」

 生き霊にせよ、呪いにせよ、外部から侵入してくると思っていた。メリーを『視た』時も、メリーはメリーだったのだから。

 先程出した式神も、敵を感知し、殺気立つ。

 その時、いきなりメリーが起き上がる。

「メリー……っ?」

 国見は心を奪われた。

 メリーの完璧な一糸も纏わぬ身体が月明かりによって、更に妖艶となる。

「ふふ…ミスター国見。やはりあなたも雄ね。隙だらけになったわ」

「え?」

 瞬間、国見の式神が、縦に圧縮され、潰れてしまった。

「な!」

「ふふふ、いいのよ。私は美しいから当然なのよ。あなただけじゃないわ」

 国見に近付いてくるメリー。

 国見は震えていた。メリーの裸の美しさに自分が興奮しているのが解った。

 国見はメリーに身体を寄せる。

 頭では、行ってはいけないと命令しているのだが、心が奪われてしまっていた。

 その白い肌に触れたい欲求に。そして国見の手がメリーに伸びる…

 駄目だ…この女は魅了の呪文でも唱えているのか?

 頭では必死で拒んでいるのにも関わらず、心が、身体がついて来ない。

「触りたい…?ふふ、駄目よ?私に触れられるのは、あの方だけよ」

 メリーは国見の顎に、触れるか触れないかで指を這わせる。

 あの方?誰だそいつは?く、自由が無い…!!

 頭で拒絶しようとも、メリーの虜となった心がメリーに屈し、メリーに跪く。

「ふふ…良い男ね。まぁ、あなたには用事は無いわ…あるのは、あなたの後ろの人」

 後ろだと?一体…

 最早頭には恐怖しか無い。その恐怖で、辛うじて自我を保っていたに過ぎない。

「漸く…漸く近付いた…網を張っていた甲斐があったと言うものです………!!」

 男?男の声?

 その後の記憶は無かった。

 目が覚めた時には夜が白々と開け、朝日が差し込んで…メリーが軽い寝息を立て、ベッドで眠っていただけだった。

 しかし、国見はあれが夢では無い事は知っていた。

 式神の札が縦の方向に潰れていたからだった。

 メリーが目覚める前に寝室から出て行く国見。途中、クライアントの洋館の夫婦に出会う。

 メリーの両親だ。しかしメリーにはあまり似ていない。

「ミスター国見。もう結構です。お引き取りを…」

 館の主人が国見に封筒を渡した。

「結構とは…それに、この封筒は…」

 封筒の中には大金が入っていた。

「ミスター国見。ミスターの仕事は終わりました。もう用済みなのですよ」

 夫人が酷く冷めた目を国見に向けながら言った。

「バカな!僕はまだ何もしていない!!」

 一度引き受けた依頼を、しかも正体も確かめず、報酬まで受け取る訳には行かない。

「報酬は間違っていません。あなたの仕事はこれからですから」

 主人は微かに笑っていた。

「しかし!」

 国見が異議を唱えようとする背後にメリーが立っていた。いつの間に?と戦慄する。

「ふふ、ミスター国見…また会うかもね」

 美しいメリーのその笑みが国見を嘲笑うが如く、侮蔑に満ちていた笑顔。そんな笑顔に国見は無言で洋館から出て行かざるを得なくなった。


 洋館から出て暫く歩く国見。釈然としない気持ちでいっぱいだった。

 確かに自分は失敗したかもしれない。望んだ結果が出せなかったのだから。だが、まだ一日目、言うならば様子見。それなのに追い出されたのだ。あの侮蔑な笑みもそうだが、用済みと言われた事に憤る。

 やるせない思いと苛立ちで振り返って洋館を見る。

「な!?」

 仰天した国見。危うく尻もちを付きそうになる程驚いた。

 そこには洋館など存在しなく、ただ古ぼけたアパートがあったのだから。

「ぼ、僕が出し抜かれるなんて……!!」

 国見は日本屈指の霊能力者だ。

 数々の悪霊と対峙し、その殆どに勝利している。

 中には手に負えない依頼もあったが、師匠の水谷にお願いし、実質は負け無しだった。

「敗れるならまだ解る…幻術を見せられて…そのまま放置とは…」

 殺す事が目的なら完全に殺されていた。生かされたのは用済みだから?そう言えば主人が何か言っていた。仕事はこれからだと…

 恐ろしかったが、今は頭が混乱していて恐怖が麻痺している。

 恐怖が振り返す前に友人のエクソシストの元に行かねばならない。

 その友人から回ってきたのが今回の依頼…友人ならば、何か知っているかもしれない。

 小刻みに震える身体を引き摺り、友人宅に向かう。

 その時、あの洋館があった場所から刺すような視線を感じた。

 しかし後ろを向く勇気は無かった。

 今は早くこの場所から立ち去りたい。

 国見は足早に友人宅に向かった。


「はぁ、はぁ、っは!増田…増田!!」

 国見はエクソシストの友人、増田を訪ねた。

 増田の依頼であの洋館へ行ったのだから、詳しい話を聞けるかもしれない。

 多少古い教会ではあるが、それなりに信者もいる。

 増田は今、信者の懺悔を訊いている最中だった。

「っ!…来客中か…」

 国見は取り敢えず、キリスト像の前の椅子に腰掛ける。

 懺悔室は、誰かが神父に罪を告白し、神に許しを乞う場所である。

 それ故に誰が懺悔しているか解らぬよう、個室となっている。

 更に神父側と懺悔側は壁で塞がれているので、神父も誰が懺悔しに来たかは解らない仕組みとなっている。

「……おかしいな?」

 個室なのにも関わらず、懺悔中の会話が聞こえてくる?聞き耳を立てても聞えないように配慮された個室なのに?


 ……なのです……

 ……い改めよ……

 懺悔しているのは、どうやら外国人の男のようだ。多少日本語がたどたどしい。

「あまり聞くものじゃないな」

 声が漏れているのはどこかに穴が開いているからだろうが、懺悔を聞く悪趣味は持ち合わせていない。気を遣って席を立とうとした国見の耳に信じられない会話が聞こえて来た。


 ………洋館を出現させて、人を惑わした罪をお許し下さい……

「致し方無き事です。きっと父も許して下さるでしょう…」


 増田!誰と話している!?

 いや、致し方無いって…どういう事だ!?

 席を立った国見だが、会話に飲み込まれたが如く身体が動かなくなってしまった。


 ………父も許して下さるでしょうか?あの方を探す為に、数々の人をたぶらかして来た私ですが…

「あなたの宝を取り戻す為…代わりに私が罰を受けましょう…」


 罰を受けるだと?何の為に?

 会話は続く。聞きたくないが聞いてしまう会話が。


 ……神父様…あなたには大変お世話になりました…この上罰を受けて下さるとは…しかし、罰を受けるのはあの方です。神父様は充分役に立って下さいました…

「役に立ったのですか?それは良かったらあらあらあわからわ!!ぷぺらあふ!!」


 増田の呂律ろれつが回っていない。国見は意を決し、懺悔室に乗り込む。

「おい!お前、なぜ洋館の事を……!?」

 国見の前には誰もいない。

 懺悔している筈の外国人の姿が見えない!!

「………!!」

 絶句した国見だが、薄い壁の向こうから、まだ神父の増田がブツブツと何か言っている。

「私は…私は……父よ!私は友人をおとしいれてしまいました!!あああ~!お許し下さい!!」

 懺悔を聞く筈の神父が懺悔をしているとは…一体何事だ?不安しか感じなかった国見は神父側の個室に向かう。

「増田!?」

 そこには跪いて神に許しを乞う増田。国見は増田の身体を揺さぶる。

「増田!おい増田!一体どう言う事だ!?」

 顔を上げた増田を見て仰け反る。真っ青な顔をして、顔は涙と鼻水でグシャグシャだったからだ。あの気丈な増田がこうまで泣くものか?と。

「国見……私は、私は…神に仕える身でありながら…悪魔に利用されてしまった………!!」

「悪魔…だと…?やはりあの洋館か………!!」

 国見はここに来た目的を思い出した。

 友人から依頼された洋館の悪魔祓いの経緯を知りたかったのだ。だから聞いてみる。増田の心情を慮る程心に余裕が無かった。

「あの依頼は同業のエクソシストから回って来たんだ…私も軽い気持ちで引き受けたんだが…」

 増田はガタガタ震えながら続ける。

「娘のメリーに憑いている悪魔…いや、人…」

「待ってくれ!!メリーには何も憑いて居なかったぞ?ならばメリーが主犯じゃ…?」

 国見の『視た』限りではメリーはメリーであり、悪魔では無かった。悪魔と言うなら、メリーが悪魔を演出して自演した事になる。目的がさっぱり解らないが。

「何を言っている!?君も夜メリーの寝室に張り込んだだろう?メリーの腹から出て来た外国人の紳士を見なかったのか?」

「腹から紳士が出て来た?そんな事は全く無かった………!!」

 いや、待てよ?メリーを『視た』時の違和感…

 メリーはメリーであってメリーじゃないと感じなかったか?

 メリーじゃない何かが外国人の紳士だと言うのか?

 考える国見に、増田が続けて話した。

「そ、その外国人はメリーの腹から出て来て…肉が盛り上がり、外国人になった感じだが…酷く嬉しそうな顔で『近づいて来ましたね』と言ってニヤリと笑ったんだ…」

 近づいて来た…やはり僕を捜していたのか?

 考える国見を他所に、興奮しながら増田は続けた。

「私はありとあらゆる悪魔祓いを試みたんだが、そいつは笑いながら『そこそこですね』と動じていなかった!!」

「それで、僕に依頼した訳か?」

「君はこの業界じゃ、トップレベルだからな…しかし、君にも手に負えなかったようだね…」

 確かに手に負えなかったが、何故増田が知っている?

 怪訝な国見を察した増田。言葉を繋げる。

「知っているさ…いや、さっき知ったのさ…」

「さっきだって?」

 増田はガタガタと震え、それでも話した。

「さっきここに懺悔しに来たのは…メリーの腹から出て来た外国人の紳士なんだから!!」

 先程懺悔室にいたのがメリーじゃない誰か…外国人の紳士…

 国見は震えた。何故か知っていた自分に怯え、恐れてしまったのだ…


 …………………


「外国人の紳士、か」

 口を開かず固まっている国見を『視た』水谷は溜息を付いた。

「師匠…僕は…!!」

 国見が口を開くも、水谷が制す。

「お前さん程の祓い屋でも取り込まれたか」

「な、なんですって!?」

 驚愕の国見だが、水谷は構わずに続ける。

「お前さんは今日ここに来る予定では無かった。私は毎日来客を『先に視て』知っているんでね。その来客にはお前さんの姿は無かった」

 驚いた国見は立ち上がろうとした。しかし、何故か身体が動かない。

「し、師匠!何故僕に金縛りをかけたのですか!?」

 国見の身体には、銀の至極細い糸が絡んでいた。それで動きを封じられたのだ。

「その糸は北欧の魔狼すらも切れなかった糸…陸雄、暫く辛抱しろ…!!」

 水谷がゆっくりと立ち上がり国見を見据える。いや、国見を通して誰かを見据える。

「久しいね伯爵。随分と遠回りしながら会いに来てくれたね。まさかバレないと思ったかい?」

 伯爵?

 国見は伯爵を知らなかったが、メリーでは無い外国人の事だと、何故か確信した。

「し、師匠…ぼ、僕はどうすれば………?」

「憑き物なら祓うだけだが…さて、どうだい伯爵?」

 水谷は国見に向かって『伯爵』と言っている。しかし国見は国見なのだ。自分も憑かれた感覚は無い。こんな経験は初めての事だった。

 どうすればいいのか、自分でも解らない。

 その時国見は自分の意思では無く、口を開いた。

「ふふ、流石ですね水谷さん。それにしても懐かしい」

(な!?僕の意識がある中で、僕を使って会話しているとは!?)

 自分も多少は名の売れた霊能者。その自分に知らぬ間に取り憑き、あまつさえ肉体をも支配するとは!!

 この『伯爵』と呼ばれる者の器量が伺えた。

 しかしそれを見抜いた師匠の水谷…

 この二人はまるで違う次元にいる。

 国見は自分の小ささに絶望しかけていた。

「陸雄!!心を強く持ちな!!伯爵に捕らわれるぞ!!」

 解ってはいる。心を強く持たなければ、自分は身体を奪われてしまう事は解ってはいる。

 しかしこの状況でも自分の心を『視ている』師匠の強さには、自分は到底敵うまい。

 それを察した伯爵と呼ばれる者が笑う。

「水谷さん、このままでは、貴女の可愛いお弟子さんが可哀想な事になります。どうです?私の宝を返してくれるのならば、この若者から出て行きますよ。約束します。私は約束を違えた事が無いのが自慢ですからね」

 国見は泣いていた。自分の意思の外で、自分じゃない誰かが自分の身体を使って言葉を発しているのが、これ程恐ろしいものだったとは思いも寄らなかった。

「ふ、アンタと初めて会った時に返して貰った石かい?あれから20年が経ったね」

「そうですね。美しかった貴女も、歳を取りました。しかし、私は歳を取りません。貴女が天寿を全うしてから返して貰うのも一つの方法ですが、敗北したような感があって、それも釈然としませんしね」

 伯爵と水谷…二度目の対峙…

 しかし、伯爵は国見と言う人質がいる以上、水谷の分が悪いのは目に見えていた。

(師匠!!師匠ぉ!!)

「情けない声を出すんじゃないよ…」

 そう言いつつも、水谷の意識は伯爵に向いていた。

 憑依を抜く要領を試みたいと思ったが、敵は説得に応じる訳では無い。

 ならば力技で行くしか無い。

「陸雄!!意識はしっかり保ちな!!死にたくなかったらね!!」

 水谷は何か呟いた。

「ぐ!力付くで行こうと言う訳ですか!!」

 伯爵が苦しみ出す。

 水谷は国見の魂と融合寸前の伯爵の念を術により、無理矢理剥がそうとしたのだ。

 だが、伯爵は元より、国見も苦しみ出す。

(師匠!がぁっ!ごはぁ!し、師匠………がああああ!!)

「ち…!!」

 国見の負担が大き過ぎる。迷った水谷。やめるか、このまま突き進むか?

「ふふ、水谷さんが自ら手を下す訳ですか…がぁっ!それも一興ですね…!!」

 苦しみながらも嫌みな笑みを見せる伯爵。水谷の額から汗が流れ落ちる。

(師匠…僕は…師匠の足手纏いにはなりたくない……)

 国見のある種の決意を感じた水谷。

「気をしっかり保てと言っただろう!!」

 水谷の叱咤が飛ぶ!!

「ふふ、水谷さんのお弟子さんは実に良く解っておられる…自分は師匠の足枷なのだと理解していますね」

「黙れ!!」

 多少強引だが、このまま無理矢理剥がそう。

 国見の負担もかなりの物になるが、このままでは国見も自分もジリ貧だ。

「水谷さん…やはり貴女は恐ろしい人だ…自分の一番弟子を自分で殺そうとしているのですからね」

「黙れと言っている!!」

 水谷の念が力を増す。

「うわああああああああああああああ!!」

(ぐっああああああああああああああ!!)

 伯爵も国見も苦しみを増す。

 その時国見のある種の覚悟が形となった。

(し…師匠…今までありがとうございました…この男は…絶対僕から出て行かないでしょう…このままでは師匠は僕の魂を殺してしまう…その前に………!!)

 国見の意志が自分の肉体に働いた。伯爵に肉体を支配されていたにも関わらず。 国見は最後に伯爵を凌駕したのだ。

 国見は舌を噛み切る事に成功したのだ。

「ば、バカ!!なんて早まった事を………!!」

 水谷は糸を解こうとしたが、手を止める。

「伯爵…まだいたのか!!」

 まだ伯爵が国見の身体に留まっていた。

 今ならまだ国見は助かるが、糸を解けば伯爵の自由が効くようになる。

「く…!!」

 水谷は再び呪文を唱える。急いで国見と伯爵の魂を離す事が出来れば…

 気を失っている国見の表情が苦しくて険しくなってきているのが解った。

「まだ抜けないか!陸雄が…陸雄が死んでしまう!!」

 焦る水谷。近年経験した事の無い焦りだった。

 苦しい表情の国見の唇が上につり上がる。

「ふふ、お弟子さんは…このままでは死にますよ…!!貴女が殺すんですね!!」

 姿が国見では無く、サン・ジェルマン伯爵になって来ていた。

「黙れ!陸雄はまだ死んでいない!!」

「では…お弟子さんの姿が私の姿になってきた理由は何ですかね?」

 国見の黒髪が銀髪になり、鼻が少し高くなり瞳も蒼く変色して来ている。

「陸雄!!まだ死ぬな!!捕らわれるなよ!!」

「フハハ…だんだんと心臓の鼓動が弱くなって来ていますけどね」

 最早姿が伯爵と化していた。

 国見の魂が、国見の存在が…

 少しずつ…少しずつ……


「陸雄!!!!」


 水谷の叫び声と共に国見は居なくなってしまった。


 居るのはサン・ジェルマン伯爵のみ…


「………水谷さん、弟子殺しの業を背負われましたな」

 何とも侮辱した瞳で水谷を見る伯爵。

「伯爵!アンタは!!」

 糸を強く縛る。伯爵の肉に食い込んでいき、その皮膚が多少裂けて来た。

「どうやら石は返して貰えそうもありませんね。残念です…またいずれお会いしましょう。ああ、お弟子さんは返しますよ。遺体は私には必要無いのでね」

 伯爵は水谷に哀れみの目を一瞬向けると同時に消える。

 そこには、既に骸と化した国見が、ただ項垂れて固まっていたのみになっていた。

「待て!!」

 遠くなる伯爵の念に術で喚び出した雷を浴びせる。

――がは!!

 伯爵の魂に直撃したようだが…

「く…!!伯爵の魂はほんの一欠片…本体にダメージを与える事は出来なかったか…!!」

 国見に取り憑いた伯爵の魂はほんの僅か。

 その僅かの魂で洋館を出現させ、数々の霊能者を騙し、退け、国見 陸雄と言う最高の霊能者を自決させるという、驚くべき力を見せたのだ。

「陸雄………」

 冷たく動かなくなった最初の弟子の頬を撫で、糸を解く水谷。

「陸雄…アンタは本当は大した事無いんだから…取り憑かれるのは仕方ないんだ…私を信じて耐えてくれれば良かったんだよ…バカだね…」

 国見の姿が滲んで見える。

「足枷ったって、そんなのはお前さんを拾った時から思っていた事なんだから…お前さん、バカだね~…バカな子程可愛いってのは…本当なんだね…」

 最愛の『息子』の亡骸を抱き締め…水谷の頬は涙で濡れていた。

 水谷が神に仕えてから初めて流した涙だった………

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