若かりし頃

 終戦して間も無く。

 日本のあちこちに現れた米軍の兵隊は、戦勝国の義務として、日本を復興させようとしていた。

 瓦礫と化した街並みを復旧し、間違った教育を正すと言う目的の為に。

 今までの日本を否定するが如く、我が物顔でのし歩く兵隊の中…その将校らしき人物のかたららに、そいつが居た。

「戦勝国の義務とは言え、こんな汚い国には来たくは無かったな」

 アメリカ国旗の旗を振りながら、ぎこちない笑顔をしている日本人を蔑むように一瞥する。

「まあまあ将校。貴国が勝ち取った平和です。愚かな猿に、貴国の教育を施すのには骨が折れる作業ですがね」

 そいつは左手を懐に入れて、将校と並んで歩いている。

「君はいつも懐に左手を入れているな?かのナポレオンと同じ癖だな」

 将校はあまり興味が無さそうに、そいつに問うた。

 それは仕方無い事だ。将校はアメリカ人で、そいつはフランス人だったのだから。

 何故フランス人が自分と行動を共にしているのか?その疑問の方が大きかったのだ。

 そいつは将校に微笑しながら言った。

「私がフランス人だからかな?アメリカ軍将校のご自身と並んで歩くのがお気に召さない様子ですね」

 将校は目を逸らした。心を見透かされたような気がしたからだ。

 しかし謝罪する気は無い。誇り高きアメリカ軍将校が謝罪などあり得ない。

「陳腐なプライドですね」

 本当に聞こえないように言ったのか、微かに聞こえるように言ったのか。ともあれ、将校の耳にははっきりと聞こえた。

 しかし、無視をする事にした。反論したら、聞こえた事になる。聞こえたと言う事は、話したと言う事だ。発言していない、心に呟いた事をこのフランス人は話した事になる。

 このフランス人は人の心が読める───

 そんな恐ろしい事は、考えたくは無かった。

 将校とフランス人はその後一言も話さずに、仮設された基地へと赴く。

 フランス人への疑問よりもアメリカ軍将校として、日本を復興させる事が最優先事項なのだから。

「ご立派な志ですね」

 また思った事に返答するフランス人に恐れを感じ、将校はそのまま基地の自室へと歩いて行った。


「ふん、ここか」

 仮設の基地を遠くから眺めている女がいた。

 年齢20代半ば。凛とした顔立ちにスラリとしたしなやかな身体つきの女だ。

 華奢な身体ではあるが、そこいらの男共が束になっても敵わない。

 理屈では無く、本能で感じ取れる。

 それ程の存在感を醸し出している。

「…敗戦は日本の再生の為とは言え…あまり気分が良く無いね。まぁ、御言葉に従うだけか」

 長い髪を鬱陶しそうに掻き分ける。

「…いるね…」

 どうやら、誰かを発見した様子だ。

「御言葉に従い、至宝は返して貰わなきゃな。志半ばだろうけど、もう充分良い思いはした事でしょう」

 口元から笑みが溢れる。久しぶりの実戦で気分が高揚している?と自問自答するも、遮られる。

「また御言葉が…大丈夫です。怪我人一人も出しませんから。しかし、あやつには容赦出来ませんよ?かなりの力量みたいですから」

 女は、見えない誰かと言葉を交わしている。

『御言葉』…

 この事から、話しているのは、人間を凌駕した存在のようだ。


 夜、深夜まで待つ女。いや、既に行動は起こしていた。

 仮設基地の周りに、何かしるしを施していた。周りと言っても、半径1kmは離れているが。

 印は全部で108箇所。108箇所全て、印の記号が違っていた。

「少し骨が折れる作業だったけど、あやつに気付かれないようにする方が大変だったな」

 肩と首がぼきぼきと鳴る。実際にかなりの気を遣った。

 おかげで、『あやつ』と呼ぶ敵には気付かれなかったようだ。

 女は少し離れた茂みにて日が暮れるのを待った。

 夜になり、やがて深夜になっても、当然ながら、見張りの兵隊は多数いる。

「まぁ、仕方無いか」

 女は静かに目を瞑り。口元を微かに動かす。

 何か言っている、いや、囁いているようだった。呪文のようにも聞こえる。

 暫くすると辺りに霧が立ち込める。

 濃い霧では無い。易々と明かりを通す、ただの霧。

 しかし見張りの兵隊は霧の中で、立ちながら眠ってしまった。目を瞑る事すらせずに。

「少しだけ眠っていてね」

 女は堂々と真正面から仮説基地へと乗り込む。

 基地の中の兵隊達も全てが目を開けて眠っていた。

「やはりただ一人だけ起きているね」

 女はとある一室のドアを蹴破った。

 そこには、あのフランス人が、何か書物を読んでコーヒーを啜っていた。

 動じる様子も見せずに、乱暴に入ってきた日本人の女を感嘆する。

「貴女みたいな美しい女性がサキュバスを呼んだのですか」

「サキュバス?西洋ではそう呼ぶのか。それよりもこの状況で常時の振る舞い。永いキャリアの賜物か?まあいい。直ぐに終わらせてやる」

 薄く笑いながら女は言う。

 フランス人はスッと立ち上がる。

「常時の振る舞い?冗談じゃない。危機を感じて立ち上がったのは久方振りですよ。マドモアゼル。お名前を教えて戴けますか?」

「水谷…水谷 君代。貴方が持ち出した至宝を返して貰いに来た」

 フランス人も軽く笑みを浮かべる。

「マドモアゼル水谷…どおりでこの頃上着のポケットを確認するようになった訳です。私の宝を奪う者が現れる、と言う予感があったのですね」

 そう言いながらも、左手で内ポケットを探る仕草を取る。

「私も名乗りましょうか?」

 水谷は再び軽く笑みを浮かべる。

「必要無い。有名人だからね。サン・ジェルマン伯爵」

 伯爵は先程の軽い笑みを消し、歪むように笑った。

 伯爵が右手を翳すと霧が発生した。

 刹那、爆発音が伯爵の部屋に起こる。

「…ほう?」

 粉塵すら立ち込めず、水谷や部屋にはダメージが無かった。

「フランス人は紳士的と聞いていたけれど…いきなり爆弾を造って女に投げるとはね」

「ふふ…生業は錬金術ですから。物質変換は錬金術の初歩ですしね。水素を融合させる事も錬金術の学問ですから」

 伯爵は瞬時に水素爆弾を造った。規模が小さいとはいえ危険極まりない水素爆弾を。

「別空間に移動しておいて良かった。怪我人一人出さないと言う誓いを破る訳にはいかないからね」

 伯爵の顔が驚愕を表す。気付かなかったからだ。自分が亜空間に転送されていた事を。

「貴女ほどのシャーマンも記憶にありませんが…誓いとは誰に立てた誓いですか?」

「勿論、神様よ?」

 シャーマンと錬金術師は共に魔人と畏れられ、敬われる存在。

 伯爵も水谷も互いの力量を瞬時に理解した。

 今までの中で、最強の敵だと…!!

「賊にしておくには惜しい人ですね。しかもお美しい」

 言い終わると宙に浮く伯爵。

「残念ですが、女性とはやり難い。この場は退散させて戴きます」

 瞬間移動で逃走を試みる。

 水谷の右人差し指がクイっと曲がる。

 伯爵は宙から落下した。

「っと!驚きますね。悉く退けるとは」

 苛立ちが顔に表れる。

「帰るなら『石』を置いて下さらない?」

 苛立ちは水谷も同じだった。

 心を覗き込んでも、底が見えない。こんな経験は初めての事だった。

 神の御言葉に従い、金色の尾が九つある狐を封じた時よりも、地獄にて管理者と交渉した時よりも、恐れが止まらない自分がいた。

「私も同じ思いですよ。三千年の時を生きて来て、貴女程のスキルの持ち主は覚えがありません」

 読まれた?いや、当然か。

 この男は自分と同じ…選ばれた者なのだから…

「逃走不可能ならばやるしかありませんね。マドモアゼルには手を上げたく無かったのですがね」

「良く言うわ。最初の爆弾は何?錬金術師は詐欺師でもあるのか?」

「皮肉にしても、的を射ています。詐欺師が大半な世界ですから」

「そうか?こちらの世界も似たような物だから親近感が湧く」

 水谷の返答に、伯爵は笑いながら左手を水谷に向ける。突如。炎が立ち上がる。

「大気中の燐を燃やしただけですが」

 一気に酸素が無くなって来た。

「やはり別空間に移動とは言え、この仮設基地限定な訳ですね」

 広いとはいえ所詮仮設基地。この空間の酸素を炎で一気に消費させたのだ。

「…っく!」

 まさか一瞬で酸素濃度が減少する程の炎を作り上げるとは。

 しかし、解除は出来ない。解除した途端に、仮設基地が炎に包まれるからだ。

「ならば!!」

 水谷は印を組む。そして集中して言葉を繋いだ。

「地獄の最下層に流れる悲嘆の川より…現世に現れよ、絶望しか与えぬ冷たき氷の監獄!!氷獄の檻!!」

 瞬く間に炎が消える。今度は伯爵が恐れた。

「炎には氷、と言う単純な訳では無いようですね………!!」

「コキュートス…西洋ではそう言ったか」

 水谷は地獄の第九層、『氷地獄』を喚んだのだ。

「地獄の管理者と交渉した甲斐があったと言うもの」

 伯爵の足元から徐々に氷に侵食されて行く。

「これに飲み込まれたら大変です!」

 伯爵は氷に侵食された自分の足を自ら断り、脱出した。

「正気か!?氷地獄から脱出する為に、自分の足を切るなんて!?」

 驚愕の水谷!伯爵の足は確かに氷地獄に飲み込まれた。しかし身体は、肉体の殆どは無事。

 伯爵は、宙に浮きながら、苦渋の表情だった。

「東洋ではカマイタチと言うヤツですよ。それに心配には及びません」

 真空の刃を造って自らの足を断った伯爵。それも驚愕だったが、更に驚愕する。

 足が徐々に生えて来ていたからだ。

「再生!?」

「DNAに私の足が記憶されていますからね」

 伯爵は自分のDNAに呼び掛け、足を新しく造り直したのだ。今はIPS細胞での再生医療がそれを可能とするまでに医学が進んでいるが、この時代では考えられないことだろう。

「魔人だな…」

 半ば呆れた水谷。トカゲのしっぽが目の前で起きたのだから当然とも言える。

「マドモアゼル水谷、人の事は言えませんよ」

 再び水素を融合する伯爵。

 けたたましい爆発音と共に氷地獄が破壊された。

「今度は右腕がふっ飛びました」

 造った爆弾が巨大だった為に、右腕がふっ飛んだ伯爵だったが、やはり、右腕を再生させる

「あまり多用はしたくありませんがね」

 再生したばかりの腕の具合を立ち咬めるように振る伯爵だったが、瞳は水谷を向いていた。

 何故なら、まだ水谷は生きているからだ。と言うよりもノーダメージ。その理由も直ぐに解った。

 爆風の中、水谷の周りには、空気の壁らしき物の護りがあった。それにより、水谷にはダメージが無かったのだ。

「地獄を破壊するとは…なんて罰当たりな」

 冷たい汗が背中を流れる。中心部の硬度には及ばないとはいえ、喚び出した氷地獄も相当な硬度。それを破壊したのだから。

「まさか生きたまま地獄を見る事が叶うなんてね…いやはや、恐ろしいマドモアゼルだ」

 互いの驚愕、恐怖を相手に抱いた。そこで水谷は『諦める』選択を取った。

「いいわ。取り敢えず石だけ」

 水谷は伯爵を倒すのを諦め、賢者の石…それのみの奪還に全てを注ぐ事にした。

 水谷は三枚の札を取り出す。

「札…?」

 札にどのような効果があるかは解らないが、伯爵の危機能力が敏感に反応した。

 伯爵は土に一つ、紙を埋める。

 水谷の札が鬼になる。

「式神と言うやつですか?」

 伯爵の目の前の土が盛り上がり、巨大な人を象った。

「ゴーレムか!また似たような技を!」

「陰陽師の技ですか?この目で見るのは初めてです」

 紙で作った鬼と土で創った巨人が一切の威嚇も無しに衝突した。

 伯爵のゴーレムのもの凄い力のパンチを軽々と防ぐ水谷の式神。

 しかも三体。ゴーレムの足止めに一体回り、残り二体で伯爵に踊りかかる。

「っく!少し不味い…!!」

 水谷は再び術を発動する。伯爵の身体が一瞬硬直する。当然隙ができ、二体の式神が伯爵を押さえた。

「化け物ですか…!!」

 式神三体、しかも行動が全て異なる式神。更には伯爵の自由を一瞬奪う術。

 これを水谷がたった一人で行っているのだ。

「化け物は貴方でしょう」

 ゴーレムが式神を握り潰した。

 ゴーレムには通常は呪文を書いた羊皮紙ようひしを仕様する。

 ゴーレムを止めるには、その呪文の一文字を消す事が一番近道だ。

 水谷が式神に命令を出したのは、まさにその一文字を消す事。それを式神は水谷の命令を実行し、文字を消す事に成功したのだ。

 それにも関わらずゴーレムが動いて、式神を握り潰す。

「貴方の念が込められている?」

 ゴーレムは押さえている式神の脳天を叩き潰し、伯爵を逃す。

 埃を叩き払いながら水谷を睨んで言った。

「私自身の魂を分け与えましたので」

「自分を自分で造った物に憑依させている訳か」

 残り一体の式神も、ゴーレムの圧倒的破壊力により、叩き潰された。

「少しは楽になりましたよ」

 勝利を確信したか、伯爵が歪んだ笑いをする。ゴーレムが一歩一歩、水谷に近づいて行く…

 しかし水谷は慌てない。逃げない。小声で何かと呟いて、いや、繋いでいる。

 そしてゴーレムが水谷の脳天を叩きつけようとしたその時、ゴーレムの身体が崩れていった。

「な、なんと…!!」

「憑依を抜く事は特に難しい事じゃない」

 水谷はゴーレムに『憑いた』伯爵を『祓った』のだ。それにより、元の土に戻って行った。

「ふう~……困ったマドモアゼルだ。第三ラウンドですか?」

 本気で嫌そうな伯爵。驚嘆を超え、恐れを超えて単純に嫌になった。

「いいえ。これでおしまい。楽しかったわ伯爵。きっとまたいつか会う事になるでしょうけど」

 パリンと一つ音がすると水谷の身体が忽然と消えて仮説基地は普通の仮説基地に戻った。

 少々呆気に取られながらもホッとする伯爵。

「退いた…のか?何故?」

 椅子に座り、少し考えようとした。しかし、その時、突然喪失感を覚える。

「なんだ?」

 微妙だが、胸の石の膨らみが異なっているような?

「まさか?」

 伯爵は内ポケットを調べる。取り出した石。それは…

「ただの石ころだと!?」

 いつの間にか摩り替えられていたのだ。

「式神に押さえられた時か!!」

 ゴーレムに叩き潰される前、一瞬の隙をついて賢者の石を普通の石に摩り替えられたのだ。

 背筋が凍った。これが石の奪還ではなく、自分の抹殺がメインだったのならば…

「フハハハハ…マドモアゼル水谷…いいでしょう…今日の所は貸しにしておきましょう…フハハハハ……」

 伯爵の笑い声が屈辱を孕んでいる。

「マドモアゼル水谷…次はこうはいきませんよ………………!!」

 伯爵の瞳に怒気が含まれていたのだが、伯爵はそれに驚いていた。

 自分が他人に怒りを感じる事などとは夢にも思わなかったのだから…

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