魔人

 宝石商の父が噂には聞いていた『賢者の石』。

 その存在が、霊能者の水谷先生に有ると知り、水谷先生の元へと駆け付けたのが、私が12歳の時だった。

「梓!お父さんは凄い物を見つけたぞ!!宝石じゃないけど、人類の至宝だぞ!!」

 父は大喜びし、私の手を取ってはしゃいだ。

「至宝?凄いね!買えるの?」

「勿論、絶対に手に入れるさ!!」

 父の真剣な顔はよく見ていたけど、こんなに怖く笑っていた父を見たのは初めてだった。

 父は父に違いないけど、どこか父では無いような気がした。

 この時はただの勘違いだと思っていた。

 私の母は、私を産んで直ぐに他界していた。

 宝石の買い付けには、父は私を連れて行ってはくれなかった為に、私は幼い頃から一人が多かった。

 この時も私は留守番する事になると思っていた。

「お前も来るか?ちょうど夏休みだ。ちょっとした旅行だな」

 父の申し出に驚き、聞き返す。

「え?ついて行っていいの?」

「小さい頃からどこにも連れて行って無かったからな。ちょうどいい」

 私は嬉しかった。勿論、頷いた。

 …父が何故私を連れて行く事にしたのかは、深く考えずに嬉しかった…


 水谷邸までの長い道中、私は初めての旅行で、はしゃぎ過ぎた。

 飛行機に乗り、空路で行く事になり、初めての飛行機と言う事もあってだ。

 飲み物を貰おうと、席を立つ。

「どうぞ、お嬢さん」

 不意に外国人のおじさんが私にジュースを差し出してくれる。

「あ、ありがとう」

 素直にお礼を言う私の頭を、外国人のおじさんはゆっくりと撫でた。

「お嬢さんは旅行かな?」

 私は普通に対応し、暫くおじさんとお喋りをした。

「…これは!貴方もこちらの便でお出かけですか!?」

 トイレから帰った父が、外国人のおじさんに握手を求めた。

「これはムッシュ有馬。ところで、手は洗ったかな?」

「勿論ですよ」

「いやいや、冗談ですよ」

 おじさんと父は握手をし、互いに笑い合った。

「お父さん?お知り合い?」

「この方が、石の所在を調べて教えてくれたんだよ」

 父は幾分興奮していた。

「いやいや、ムッシュのような方なら、きっと石を譲って頂けると思いましてね」

 おじさんは笑って話してはいたが、その目は何か冷たく感じた。

(このおじさん…何か怖いなぁ…)

「お嬢さん、本当に怖いのは人間の欲だよ」

 やはり冷たい目を私に向けて話す。

(あれ?今声に出したっけ?)

 不思議に思い、じーっとおじさんを見る。

「梓!なんだ?私の友人を観察するように!!」

 父の声が怒りを含んでいた。

「ご、ごめんなさい」

 目を逸らす。

「ふふ、いいのですよムッシュ。お嬢さんは外国人が珍しいだけでしょうから」

 おじさんが庇ってくれた。

「おじさん、ごめんなさい」

 おじさんに謝罪する。

 おじさんは笑い、ウンウン頭を下げてはいたが、やはり目は冷たいままだった。


 空港へ無事着いた私達は、おじさんとお別れして、レンタカーを借り、温泉宿へと向かう。

「お父さんは一度仕事に行ってくるから、少し待ってなさい。晩ご飯には戻るから」

 父は、宿へチェックインした後に、いつもより多目におこづかいを渡し、レンタカーに乗り出掛けて行った。

「…あ~あ、やっぱり…」

 慣れていた事とは言え、やはり寂しかった。

 私は一人でお風呂に入り、本を読んだり散歩したりして過ごした。

 いつしか日が暮れて夕飯時間になっていたようで、部屋に旅館の人がご馳走を運んで来た。

「ま、まだお父さんが…」

 旅館の人は、困ったような顔を拵える。

「お父さんからお電話がありまして…先に食事は済ませておくようにと…」

 …やはり来なきゃ良かったなぁ…これじゃ、お家に居るのと全く変わらないよ…

 旅館の食事は豪華だったが、それ程美味しいと思わなかった。

 いつものコンビニのお弁当の味がした。


 深夜遅く…私がお布団にて丸く寝ているとお父さんが酔っ払って帰って来た。

「ちくしょう…あのババァ!舐めた口利きやがって……!!」

 こんなに酔っ払った父を見るのは初めての事だった。

 怖い…

 寂しい思いさせてすまないと、いつものお父さんなら、絶対にこう言って頭を撫でてくれるのに…

 私は目を瞑り、寝た振りをした。

「帰って娘と遊んでやれだと?偉そうなババァが!!」

「まぁまぁ…明日は娘さんと一緒に行けば良いですよ。どうやらあの人は子供好きの様子ですしね」


 え?誰かいる?


 薄く目を開けるも、父がビール缶を持って胡座をかいて、座っているだけだ。

「…そうですね…あの屋敷には、小さな子供が沢山いましたからね…」

「ええ。娘さんに突破口を作って貰いましょう…ふふふ…」


 何?私をどうするつもり?

 怖くても気になって硬く目を瞑りながら会話を聞いていた。

 いや、会話…では無い…

 何故なら、父の周りには、誰も居なかったのだから。


「…さ…ずさ…」


 身体が揺れる。薄く目を開けると、父が私を起こそうとして揺すっていたようだ。

 いつの間にか寝てしまっていたのか。

「梓、おはよう。さぁ、朝ご飯を食べようか?早く顔を洗って来なさい」

 いつもの父の笑顔だった。

 昨日見たのは夢なのか?

 頷き、顔を洗い、歯を磨き、着替えをし、父と一緒に朝ご飯を食べた。

 父は何故かニコニコしていた。

「どうしたの?そんなにニコニコして?」

「いや、梓と一緒に朝御飯を食べるなんて、何年振りかな、と思ってね」

 父も私と朝ご飯を食べるのが嬉しかったんだ!!

 私の顔が赤くなって、熱くなって、つい意地悪を言った。

「だったら毎日朝ご飯一緒に食べればいいじゃん」

 無理なのは知っている。

 父は朝、私が寝ている時に仕事に行って、夜、私が寝ている時に帰宅する。私と父が顔を合わせるのは、良い所三日に一度くらいだ。

「そうだな。この仕事が終われば…」

 父が再び笑う。

 しかし、私はギョッとした。

 確かに顔が笑っていたが、目が怖いのだ。

 飛行機で会った外国人のおじさん…父とおじさんの笑顔が…目だけが怖かったのが、凄くそっくりだったから…

「どうした梓?」

 心配そうに顔を覗き込んでくる父。

 あの怖い目じゃなくなっていた。

 気のせいか?と思い、何でも無いよと言ってお味噌汁を啜る。

 だけど、このおかしな胸騒ぎのおかげで味がよく解らなかった。


 朝御飯を食べた後、私はレンタカーに乗せられた。

「どこ行くの?」

「ん?ちょっとね」

 特別おかしい事は無い。ただのドライブだ。

 だけど…さっきから感じる、不安と言うか恐怖と言うか…

 父が父では無いような…

 このまま殺されてしまうんじゃないか…

 何故そう思ったのかは解らないが、当然ながら殺される事も無く、レンタカーは、とある屋敷にて停車する。

「…旅館?」

 物凄い大きな建物は旅館と言っても差し支えが無かった。

「旅館みたいな大きさだよな…儲けてやがるんだ…あのババァ!!」

 怒気を孕んだ言葉に、思わず振り向く。

 父は、父の目が、見た事が無いくらいに怒りに満ちていた。

「お、お父さん…?」

「ん?」

 私の方に振り向いた父は、いつもと同じ気配。あの怖い怒りもいきなり消えている。

「…何でも無い」

 目を逸らした。

 何?私がおかしくなっちゃったの?お父さんがお父さんじゃなく、やっぱりお父さんだった?

 困惑していると私のすぐ前で、お婆さんの声がした。

「やはりまた来られたか」

「水谷先生。今日こそは『うん』と言ってもらいますよ?」

 父の表情を見る。やはりいつもの父だった。

「ふ~、困ったのう。今日は娘さんとご一緒かえ?」

 お婆さんがチラリと私を見た。

「こ、こんにちわ」

 ペコリとお辞儀をする。

「こんにちわ。ようこんな辺鄙な所へ来たのう。上がってお菓子でも食べんしゃい」

 お婆さんは私の肩に手を回し、屋敷に入るよう、促した。

「昨日は門前払いでしたが?」

「娘に哀れな姿を見せとう無かろう。お前さんは、今は何を言っても聞きはせんじゃろうしな」

 お婆さんはジロリと父を睨む。

「え?今はって…?」

「大丈夫じゃ。大丈夫大丈夫」

 お婆さんは私の背中を撫でた。

 なぜか安心した。これで私は助かった。

「お前さんはワシが守るよ」

 声に出していなかった安堵が、お婆さんに聞こえた事など気が付かず、ただ安心していた。


 広い、広ぉい居間に通された私の前に、ジュースとお菓子が置かれた。

 父の前にはお茶が置かれる。

「水谷先生、昨日も言いましたが、先生が所有している『石』を、是非とも私にお譲りお願い致したく…」

「お前さんは、いや、お前さんの中に居る者は、何故それほど石に執着するのじゃ?もう、お前さんは願いを全て叶えた筈じゃろう?他人をたぶらかすのは、もうやめぃ!!」

 お婆さんが父じゃない父に向かって叱咤している?

「昨日からそんな訳の解らない事ばかりですね……!!」

 父が苛立っている。髪を掻き毟っている。あれじゃ髪が沢山抜けるんじゃ…

「お前さんはお前さんに在らずじゃ。中に居るあやつの一部が、お前さんを狂わしておる」

 あやつ?

 何故か私の頭に、昨日飛行機に一緒に乗り合わせた外国人のおじさんが浮かぶ。

「ほぅ?お前さんはなかなか勘が鋭いのう?」

 お婆さんが私を驚いたような表情で見た。しかし、もっと驚いたのは私だった。

「え?な、何で?」

 私はおじさんを想像しただけ。

 お婆さんが、私の想像を読んだとしか理由がつかなかったからだ。

「先程、いや!昨日から訳の解らない事を!!あやつとは誰です!?」

 父が食って掛かる。いや…本当に父…?

「知らんじゃろう。気が付かんじゃろう。あやつの技量ならばのう!伯爵!!聞いておるじゃろう!有馬氏の身体の中で見ておるじゃろう!!」

 お婆さんは杖を持ち、父の胸を『トン』と叩いた。

「ふぐっ!!」

 父はそのまま目を開けながら倒れてしまった。軽く叩いた程度なのに!?

「お、お父さん!」

 私は父に駆け寄ろうとするも、お婆さんにより、止められた。

「まだじゃ…」

 私は一つ、喉を鳴らし、素直にその言葉に従った。お婆さんの迫力で動けなくなったから。

「…出てこんか…!!」

 しかし父は動かない。

「長生きし過ぎたもんじゃな。死んだ振りがとても上手じゃ」

 だけど父は動かない。

 本当に死んだんじゃ…そう思ってしまっては居ても立っても居られない。

「お父さん!!」

 私はやはり父に駆け寄る。お婆さんの迫力が私より父に向かったのを期に。

「な!?」

 お婆さんは父に集中し、私を疎かにしてしまったのだ。

「お父さん!お父さん!!」

 父を揺さぶった。目を見開いている父を。

 私の呼びかけに反応?いや、待っていた?兎に角動かなかった父の目が、私を捉えた。

「きゃ!?」

 突然、私の身体が宙に浮く。気が付くと、父は私を地面に押し倒していた。

「お、お父さん…?」

 一瞬、何があったか理解出来ずにいる。できる筈が無い。それはあまりにも速過ぎる動き。少なくとも父にはこんな動きは出来ない。

「梓!梓ぁ!私の為だ!我慢してくれぇえぇええ!!」

 首に回した腕に力が入った。

 苦しい…何故お父さんが私の首を絞めているの?

 涙が溜まった瞳で父を見る。

 ………ああ、やっぱりお父さんじゃないや…姿はお父さんだけど…目が違う…さっきまで黒い瞳だったけど…今は蒼い…

「そこまでするか…!!」

「水谷さぁん!返して下さいよ!あれは私の物でしょう!!」

 父の声が父じゃない声になっていた。瞳だけじゃ無く声までも別人になった。

「か、かは…」

 考えていた私だが、いよいよ呼吸するのも儘ならなくなってきた。今はただ苦しいだけ。

「人質かよ……!!」

「まだこの身体に慣れていませんからねぇ…加減が解らないですよ。いやはや、困りましたな」

 少しだけ力が弱まる。

 その隙と言う訳じゃないが、父、いや、父に似た誰かに問うた。

「だ…誰!?お父さんじゃない!!誰なの!?お父さんは何処!?」

 父、いや、誰かが、私を見る。冷たく、怖くて蒼い瞳を以て。

「梓ぁ~!!ひどいなぁ!!お父さんだよ!!」

 父の腕に力が入る。

「かは……」

 また苦しくなって考えるのをやめてしまう。

「離しんしゃい」

 杖をお父さんに付き出すお婆さん。杖の先に青い炎が見える…?

「殺しませんよ。私は人殺しだけはした事が無いのが自慢でしてね」

 嘲笑うような父…いや、誰か。

「いずれ問答は不要じゃな」

 杖の先で、何か文字?記号?を書くお婆さん。擦った感じだった。すると私の背中が熱くなった。

「うわ!?」

 父は漸く私を離した。転がっているけど、なんというか身体に点いた火を消しているような?炎なんて見えないけど…

「嬢ちゃん、こっちじゃ」

 我に返って四つん這いでお婆さんの傍に行く。

「凄いな……いつです?」

 消火(?)したのか、転がるのをやめてこっちを向いた。瞳は蒼い儘。声も別人の儘だった。

「先程嬢ちゃんの背中にイフリートを護りに付けたのじゃよ」

「ジンも思いの儘ですか…貴女は宗教宗派問わないんでしたね…」

 お婆さんは私の背中を擦った時に、何か護りをしておいてくれたらしかった。

「ふはは…やはり水谷さん、貴女は恐ろしい方だ……」

 お父さんの顔が…お父さんじゃ無くなって来ている?

 髪が白髪、いや、銀色になって…肌も白くなって…

「!飛行機のおじさん!?」

 その姿は飛行機で会った父の友達の姿だった。

「おっと、段々と侵食してきたようですね」

 ニヤリと笑うお父さん…いや、おじさん。完全に父とは別人になっている。

「最早手遅れかぇ」

 お婆さんは深く溜め息をついた。そんなお婆さんに掴み掛かる。

「お父さんは?お父さんはどうなっちゃったの!?」

「…お父さんはの、心を…いや、魂を乗っ取られたのじゃ。証拠に、身体があやつになり始めておる」

「ど、どう言う事?」

 意味が良く解らない。動転している事を差し引いても。

「お嬢さんのお父さんはね、私になったのさ。私はこうして従者を増やしていっているのだよ」

 最早父の姿じゃなくなっていた。あの飛行機のおじさんの姿、そのままだった。

「有馬氏もお前さんの一部になったか…永遠に時を歩く、お前さんの下僕となったのじゃな」

 お婆さんは杖を突き出し、おじさんを見据えた。

「従者がお主自身とは…末恐ろしい男よの…」

 お婆さんはお父さん、いや、おじさんに向けた杖で何か宙に文字を書く。

「うく?」

 おじさんの身体が硬直し、動かなくなった。表情が苦しそうだった。

「有馬氏の魂と融合しておるようじゃな?」

「流石ですね水谷さん。そこまで読めたのは、私の永すぎる人生でも数える程ですよ」

 おじさんは苦しい顔をしながらも、少しも動じる事も無く、笑った。

「お父さんは?お父さんを返して!!」

「返したくともね、あちらさんが私を縛っていますのでね。返せないのですよ」

 おじさんが愉快そうに笑う。だけどそれはお婆さんが何かしたからだと理解するに足る言葉だった。

 ならば話は簡単だ。お婆さんにお願いしてその…縛り?を解いて貰おう。

「今は駄目じゃ!!こやつ、最初はお前さんを人質にしようとしておったのじゃ。ワシに見破られて、人質をお前さんの父に変更しただけ…ワシがきっとあやつと有馬氏を離してやるのでな。今はワシを信じてくれまいか?」

 お婆さんの力強い瞳を見て、私はただ頷いた。

 この人ならきっと何とかしてくれる。そう信じるに値する瞳だった。

「水谷先生…取引です。石を返して貰えませんか?」

 未だにニヤニヤしているおじさん。焦った素振りも全く無い。嘲笑っている。そう思ういやらしい笑みだった。

「取引には応じぬ。無論、有馬氏も返して貰う」

 お婆さんが杖でおじさんの身体を軽く叩く。

「がっ!!」

 おじさんの身体が震える。

 髪が銀色から黒へ…目が蒼から黒へ…段々とお父さんの姿に戻って来た。

「憑依を抜くのと同じ要領じゃ」

「ぐぐぐ…仕方ありません…」

 先の笑いに陰りが見え、今は苦しそうだ。

「お父さんを返してくれるの!?」

 私はおじさんに問い掛けた。諦めてくれそうに思えたからだ。恐らく、口元が緩んでいたに違いない。

「石は今回…諦めます…ではお嬢さん…恨むなら、水谷先生を恨んで下さい…」

 おじさんは最後にニカッと笑うとそのまま倒れてしまった。

 倒れた姿は父そのものの姿に変わっている。

「お父さん、良かったぁ~…」

 心から安心した。これでいつものお父さんに戻ると。いつもの日常に戻ると。今度は少し早く帰ってくれればいいなぁ。と淡い期待を込めながらお父さんに近寄る。

「すまぬ…!!このババァの不覚!!」

 お婆さんが私にいきなり謝ってきた。

 しかし、聞かずに父を揺り動かす。

 父は目を開けたまま動かない…

「お父さん…?」

 問い掛けても反応しない…

「お父さん?お父さん?」

 激しく揺り動かすもお父さんはピクリともしない…

「心臓を止めて行きおった……!!」

 お婆さんが悔しそうに俯き、私の肩に手を置く。

「お父さん!!お父さん!!お父さん!!お父さん!!」

 必死に叫ぶ私…だが、やはり父は動かない…

「わああああああゎ!!お父さぁぁぁん!!」

 理解はまだ出来ていない。

 あるのは動かなくなった父…それと飛行機のおじさん…

 ただ、お父さんがおじさんに殺されたのだとしか、理解は出来ていない。

「…誰か…警察を…」

 お婆さんが警察に連絡させる最中、私はただお父さんにしがみ付き泣いていた。


 私は別の部屋に通された。

 警察が来て、慌ただしくなっている。

 私も少し質問されたが、解らないとだけ答えた。本当に解らなかったから。

 死因は心臓麻痺とされ、事件性は無しと判断されたようだが、事実、そう対応せざるを得なかったのだろう。

 私はただ泣いてばかりいた。

 かなりの時間泣いていたのだろう…何時しか、日が暮れて、夜になっていた。

 私がいる部屋の襖が、空いた。

「晩ごはん」

 顔を上げる。

 お盆に晩ごはんを持ち、差し出した女の子は私と同じくらいの歳の子。

「いらない」

 食欲など有る筈が無い。

 しかし女の子は何も言わずに、お盆をテーブルに置き、立ち去ろうとした。

「いらないって言っているでしょ!!」

 声を荒げた。

 女の子は私に見向きもせず、私に告げる。

「自分だけが不幸だと思わないでね」

 カッとなった私は、女の子の肩を掴む。

「目の前でお父さん死んじゃったのよ!!あなたに何が解るの!!」

 女の子は振り向いた。何も感じていない表情をしながら。

「で?それが何?」

 興味が無いような素振りだった。心底どうでもよさそうな。

「なんですって!!」

 悲しみが怒りに変わり、女の子に平手打ちをする。

「あなたもここに住む事になるのね」

 女の子は頬を押さえ、そう言って出ていった。

「待ちなさいよ!!」

 部屋から出て、追いかけようとする。

 

 ドン

 

 誰かにぶつかり、尻餅をついた。

「いてて…」

 お尻を擦る。ぶつかったのは身体の大きなおばさんだった。まるでバレー選手のような背の高いおばさんが立って笑っている。

「や!少し元気になったかな?生乃とお話したおかげかな?」

 生乃?あのさっきの女の子?

「さっきの女の子、生乃って言うの!?あの子ヒドイんだよ!!」

 私はおばさんにさっきの事を話す。

「ははは、生乃はツンケンしているからね」

 おばさんは少し笑ったかと思うと、真剣な顔付きになる。

「生乃はね、家族みんな首を刎ねられて殺されたんだ。梓ちゃん、それだけは解ってあげて?」

 家族みんな首を刎ねられた?

 私がお父さんを殺されたとおんなじ…

『自分だけが不幸だと思わないでね』

 あの子も不幸なんだ…私は少しだけ、胸が痛くなった…

 そして私は無理矢理晩ご飯を飲み込んだ。

 悲しくもあったが、負けたくも無かったから。

 頑張って頑張って、全部食べた時、再び襖が開く。

「あ、さっきの…」

 さっきの女の子、生乃がお水を持って来たのだ。

 無言でお水をテーブルに置く。

「あ、あの、さっきはゴメン…」

 辛いのは私だけじゃない。この子も沢山辛いんだ。だから素直に謝罪できた。言葉の重さが違うから。

「別に」

 そう言って、お盆を下げる。

「わ、私、自分でやるから」

 慌てて止める。

「あなたは多分ここに住むわ。そうなったら、お客さんじゃなくなる。今はお客さんだから、そのままでいいわ」

 ?意味が解らない。

 何故私がここに住む事になるのだろうか?私にはまだ、お祖父ちゃんもお祖母さんもいるのに?

「お師匠様がそう言っていたから、間違いないわ」

 再び立ち去ろうとする女の子を慌てて引き止める。

「ちょ、少しお話しよ?」

「これ下げてからなら」

 そう言ってやはり去って行く。

 その顔は、どこか儚げで、寂しそうで、悲しそうだった。

 私が生乃を待っていてウトウトし出した頃、襖が静かに開く。

 ハッと目を覚ます。

 しかし、現れたのは、お婆さんだった。

「あれ?生乃ちゃんは?」

 お婆さんは首を横に振り、残念そうに言う。

「生乃は来んよ。あの子は他人との接触を極力避けとる。許してやってくれんか?」

 良く解らないけど、あの子にも色々あるんだ。

 私は黙って頷いた。

 お婆さんは腰を下ろし、私と向かい合う。

「…率直に言おう。お前さんの祖父や祖母、はたまた親戚連中は、お前さんを迎えに来ない」


 え?意味が解らない…


 解らないよ?


「有馬氏は多額の借金をしとってな、宝石商として大成しとらんかったのじゃ。親戚にも金を借りとる」

 知らなかった。お父さんの仕事が上手く行っていなかったなんて…

「有馬氏のマンションや財産は、その借金で取られる事になる。生命保険の受取人はお前さんのじいさんじゃ。お前さんを引き取ってもメリットが無いばかりか、厄介事が増えるだけ。お前さんは天涯孤独じゃ」


 頭が真っ白になった。


「有馬氏が資金面で苦労している最中…ある外国人が、融資すると名乗り出たのじゃ」

 外国人?

 項垂れた顔を上げた。

「その外国人があやつ…サン・ジェルマン伯爵。融資の条件が、ワシから『石』を買い取る、いや、奪い取る事。有馬氏はこの条件を直ぐ飲んだ。ババァ相手じゃ。直ぐ騙せると思ったんじゃろう」

 カッとなる私。

「お父さんはそんな人じゃないよ!!」

 お婆さんはウンウン頷く。

「やはり、まだ早いのかのぅ…真実を知るには幼過ぎるか」

「真実?本当の事だと言うの?」

 怒りで目の前が曇る。その時、再び襖が開いた。

「あなた…」

「おや?生乃?珍しいのう?」

 生乃はこちらに目を合わせようとせずに答える。

「約束したから…それに…」

 それに?何?

「その子は知りたく無いみたいだし…お師匠様、もう、許してあげて下さい」

 生乃がお婆さんに深々と頭を下げる。

 その行動が私のプライドに火を点ける。

「…!いいよ!聞かせて!!」

 半ばやけになっている。いや、同じ歳の子から哀れみを受けた感が、私を意地にさせたのかもしれない。

「そうか。生乃、すまんがお茶を持って来てくれんか?」

 生乃はコクンと頷き、再び表に出た。

「それでじゃ、お前さんと来る前…昨日じゃが…ワシの所に現れての、『力尽くでも貰って行く』と、屋敷に入って来たのじゃが、ワシの所にはそこいらにいる格闘家なんぞより強いヤツが沢山おってな、すぐに摘まみ出されたのじゃ。しかし、ワシの所にはお前さんと同じくらいの子供が沢山おるのを知ってしまってな…今日、お前さんを連れて来た訳じゃ。人質にしようとしてな」

 私の手が、硬くギュッと握り締まる。

「まぁ、その時は、既にあやつに憑依されておったのじゃが。人質もあやつに憑かれたから実行できたんじゃろう」

 少しだけ安心する。

 お父さんは、初めから私を人質にした訳じゃなく、おじさんに操られて人質にしたんだ。

 少しではあるが、私の心は救われた。本当に少しだけれども。

「あやつと初めて対峙した時は、終戦したばかりの時でのう…」

 いきなり昔話をするお婆さん。

 私は耳を傾ける。

「連合軍の兵隊が日本を我が物顔で歩いておった時じゃ。太平洋戦争はあやつが首謀したようなもんじゃからな」

「え?あのおじさんが戦争を起こしたの?」

 これには流石に驚いて、声が大きくなる。

「あやつは元々ヨーロッパ統一の為に時の権力者に取り入っておったのじゃ。まぁ、戦争終結後にはヨーロッパは西と東に別れてしまったのじゃから、あやつの計画は失敗と言った所じゃかな」

 なんでそんな事をする必要があるの?

 平和の為?それとも自分が王様になる為?

「詳しくは解らんが、あやつの属しておる組織の悲願らしいの。まぁ、計画が失敗に終わった伯爵は、連合軍でも異質じゃった米軍に近寄ったのじゃ。後のヨーロッパ統一の為の足ががり的にな」

 お婆さんは少しだけ遠い目をし、淡々と語り出した……

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