借りは返す

 やがて師匠の姿が完全に見えなくなった頃、北嶋さんが梓に向かってクルリと振り返った。

「さぁ…有馬…風呂に入ろうか?」

 その鼻の下が伸びに伸びて…その目尻が馬鹿みたいに垂れ下がって…

「な、尚美ぃ~………」

 梓が私に助けを求める視線を向ける。自業自得でしょと言いたいが、それは駄目だ。梓の貞操を護らなきゃ!!

「き、北嶋さん?先ずは話し合いしましょ?ね?」

 絶対に応じる訳は無いだろうが、梓を放っては置けない。生乃の想いもある事だし。

「話し合い…か?神崎も風呂と添い寝に参戦するつもりか?何なら三人で…ぷふぁっ!!」

 最後まで言わせる必要など感じる必要は無く、私のグーが北嶋さんを捉えた。

「その邪な考えを改めなさい!!」

「お、俺は約束の為に頑張ったんだぞ!!その約束を破ると言うのか!?もしも破ると言うのなら俺はこの先誰も信じないぞ!!水谷は俺を良いように利用する最低クズ野郎の集団だと認識するからな!!」

 鼻を押さえて涙ながらに訴えてきた。しかし、そうなのよねぇ…

「でも、水谷から仕事を戴いているのは知っているでしょ?その最低クズ野郎の集団からお金を得ているって事にならない?」

「それは当然だろが?こっちも仕事、あっちも仕事だ。更に言えば今回のオッサンの件は水谷で処理できなかった案件だろ?俺が片付けたんだ。礼はいらんと言ったがそれはあくまでも仕事だから言ったのであって、タダ働きならやらないぞ。その仕事の報酬が風呂と添い寝なんじゃねーか」

 おおお…正論とは見くびっていたわ北嶋さん。言い返す事ができないとは恐れ入るわ…

 いつも私に簡単にいなされているから忘れがちなんだけど、この人仕事では筋を外す事はしないのよね。単純に信用問題に関わるとか何とかで。

 だけどこればっかりは諦めて貰わなきゃならない。理不尽だろうがなんだろうが。

「だったらお金で解決して貰いましょ?大体お風呂と添い寝も正式な報酬にならないよ?だってちゃんとした契約書なんか作っていないんだから」

「そうか。そうだな。じゃあ1億即金でどうだ?『誰も手に負えなかった』案件なんだ。まさか事後だからと、俺が超楽勝でこなしたとは言え、安価な金額で納得しろとは言えまい?1億でも安すぎると思うが、どうだ?」

 ぐぬぬ、である。全く以てその通りだからだ。

 あのサン・ジェルマン伯爵を倒した報酬としては1億じゃ安すぎる。心情的にも。

「そ、それはその通りかもしれないけど、即金は無いんじゃない?仕事でもローンとか色々あるじゃない?」

「あるな。分割払いな。だけど俺は『誰も信じない』んだぞ?なんてったって報酬を無理やり変更させられるんだ。そこに信用なんて存在するのか?信用できない相手との取引なら即金だろ普通」

 ぐぬぬ、パート2である。全く以てその通りだからだ。

 先述にも言っていた。この先誰も信じない、と。その意志を明確にしているだけだから。

「で、でも師匠にはいつもお世話になっているよね?その所はどう思う?」

 こうなれば心情に訴える作戦だ。師匠の名前を出して諦めさせよう。お風呂と添い寝と1億を。

「婆さんも言っていただろ?有馬には風呂と添い寝があると。冗談にするかどうかは俺と決めろとも言っていたな」

 ぐぬぬ、パート3だった。師匠も納得していたから。お風呂と添い寝の事は。

「どうした?もう言う事が無いのか?だったら決めて貰らおうか?風呂と添い寝か、1億即金か。神崎に選ばせてやる」

 腕を組んでの仁王立ちだった。偉そうだ。もう私に打つ手がないと思っての余裕も手伝って。

 ムカツク!!ホントにムカつくわあ!!

 拳を握って顔を伏せる。悔しい顔を見せないように気を張って。

「どうした神崎?選ばせてやるって言ってんだ。このお優しい所長様の善意に感謝して打ち震えているのかぁい?ううん?」

 顔を覗き込んで勝ち誇った笑顔を見せる北嶋さん。本気でムカついたのでつい手が出てしまう。

「ぐはああ!!?」

 北嶋さんはいつものように鼻血を噴出させて仰向けに倒れて行った。

「あ、ごめん。つい」

 素直に、真摯に謝罪した。軽いように思えるだろうが、真実だ。今回は私の方が全面的に悪い。そこだけはちゃんと理解しているから。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 また北嶋さんが尚美にパンチを食らって鼻血を噴出している。この家に来てから、北嶋さんが鼻血を出してない日は見た事が無い。

 そしていつものように、抗議している。尚美もいつものように怒っている。理不尽に。

 何でそんなに怒るのか、何でそんなに嫌なのか気付いていないんでしょうね。

 仕方ない、ここは同期のよしみで私が一肌脱ごう。

 生乃に遠慮していちゃ、いつまで経っても進展しないよ?まぁ、1ヶ月居候したお礼って事で。

 私は覚悟を決めた振りをする。本当に仕方がないと言った体を演出し、肩を竦めて首を振った。

「解った!約束は約束だしね!!」

 予想通り、尚美が真っ青になって私を見た。

 これまた予想通り、北嶋さんも満面の笑みで私を見る。

「ちょ!ちょっと梓!!」

 尚美が慌てて私に駆け寄る。

 私はやると言ったらやる性格なのを承知している尚美は、私が本当にお風呂と添い寝をすると思ったのだろう。

「約束は守りますよ、北嶋さん。その代わり、これだけは覚えておいてね」

 真剣な顔を作り、北嶋さんに近付いた。

「何だ?言ってみろ」

 格好つけているつもりのようだが、鼻の下の伸びは抑え切れていない。いちいち惜しい人だなぁ。

「私は一緒にお風呂や添い寝したら、絶対に北嶋さんを好きになる。だって嫌いな相手とは、そんな事しないでしょ?その覚悟ある?」

「覚悟?」

「梓?」

 二人が困惑している様子を見ているのも悪く無いけど、話を進めよう。

「私が北嶋さんを好きになったら、生乃や尚美には絶対に近付けないようにするから。私、ヤキモキ焼きで、彼氏が他の女と話しているの、見るのも嫌だからね。北嶋さんは私を絶対に選ばなきゃいけなくなる。いいの?それで?」

「梓っ!?いきなり何言うの!?」

 尚美が焦っている。そうでなくちゃ、ね。さて、北嶋さんはと言うと、眉間にシワを寄せて、何か考えている。

 そして口を開く北嶋さん。

「俺に惚れるのは有馬の勝手だ。そして俺がどう応えるのも俺の勝手だ」

 そう言ってニカッと笑う。

 すごぉく上から目線だった。しかも自信満々だし。

 やはり北嶋さん…かなりの強者だわ。ガックリと膝を落とすのを躊躇わない程の強者よ。

「や、やるわね北嶋さん…そこまでイッてるなんて、想像以上だわ…」

 私の心が折れそうになる。

「どんな策略かは知らないけど、北嶋さんには揺さぶりは全く無意味よ」

 尚美が呆れていた。軽く溜息も付いていた。肩で落胆を表していた。

 アンタの為にやっているんでしょ!!喉から出掛かった言葉を飲み込んだ。

 意地っぱりな所がある尚美は、決して聞こうとはしないでしょうから。

「…OK!解った。でもお風呂にはちょっと早いから夜にね?」

 約束は守りますよ。約束はね。

 北嶋さんの目が輝く。まるで少年のように。此処だけ見るとホントにアホじゃないかと思うけど、私の為に、師匠の為に伯爵を倒してくれた事には変わらない。

「ち、ちょっと梓!?本気なの!?」

 尚美が不安そうな、困ったような顔をして訊ねてくる。

「お風呂と添い寝でしょ?やってやろうじゃない!!」

 ヤケになっている訳じゃない。ちゃんと約束は守りながらも尚美達に義理立て出来る方法を思い付いたから。

「その為には買い物に出なきゃね。尚美、ちょっと車貸して?」

「う、うん…」

 尚美から鍵を借り、買い物に出かける。

 北嶋さんとの約束を守る為、尚美に素直になって貰う為に――


「ただいま~」

 小一時間程時間が経ったが、無事お目当ての物は買えた。

 ついでに晩御飯のおかずを買って来たので尚美に渡す。

「……すき焼き?」

 頷く私。御礼と言ってはささやかだが、一応和牛だ。後はネギに白滝等。

「…言っておくけど、この程度じゃ誤魔化されないよ…?」

 不安そうな尚美、見ようによっては泣きそうな顔だ。

「大丈夫大丈夫。買ってきたのはコレだから。本命はコレ」

 もう一つの袋を開けて尚美に見せる。曇っていた顔に輝きが戻った。

「そうか…これなら…」

「そうそう。だから安心してすき焼き作って」

 笑顔で頷く尚美。その足で台所にパタパタ駆ける。

 何でそんなに嬉しいのか解らないんだろうなぁ…まあ、そっちは添い寝の方でね。

 私は尚美の笑顔とは違う笑顔を、尚美の後ろ姿に向けた。


「む?晩飯はすき焼きか?」

 いい香りがして反応したのか、北嶋さんが自室から降りて来た。

「お昼も抜いちゃったし、晩御飯にはちょっと早いけど構わないでしょ?」

「構わん構わん。すき焼きは好きだからな」

 そのような会話が台所から聞こえてくる。

 ご機嫌だ。尚美も北嶋さんも。

「まだちょっと掛かるから部屋で休んでて。出来たら呼ぶから」

「おう」

 そう言って再び自室に戻る北嶋さん。それを確認し、私が台所に向かう。

「なんかご機嫌じゃん?」

 すき焼きを作っている最中の尚美の顔を覗き込むように言った。

「ご飯抜きの為にも戦ってくれたからね」

 尚美はニコニコしながらそう答える。だからご機嫌なのか。

「手遅れになる前に気付かないとね!」

 嬉しくなって尚美の肩をポンと叩いた。一応意識はしているんだと思ったから。しかし当の尚美はキョトンとしている。


 晩御飯。北嶋さんはモリモリと食べていた。旨い、旨いと言いながら。

 尚美はニコニコしながら、北嶋さんの食べっぷりを見ている。

 私はそんな二人の様子を見ている。

 やはり私が何とかしないとね。生乃には悪いけども。

「どうしたの梓?なんかニコニコしちゃって?」

 自分の顔を見てから言いなさいよと心の中で突っ込みを入れる。

「べっつにぃ~」

 尚美が作ったご飯を食べながら、嬉しく思うと同時に、いつもよりも美味しく、本当に美味しく感じた。

 伯爵が居なくなって、心の荷が降りたおかげだろう。

 北嶋さん…

 私は、借りは返す女よ?

 私の借りの返し方に感謝しなさいよ?

 そして尚美…

 アンタの見る目は間違っていない。

 まぁ、私は御免被るけどね。私には彼は凄すぎて釣り合わないわ。あらゆる意味で。

 再びご飯をパクつく。

「やっぱり変よ?ニコニコが治まってないよ?」

 だから自分の顔を見てから言いなさいってば。

 私は再び心の中で突っ込みを入れた。


 さて、晩御飯が終わり、マッタリしている最中だが…

 北嶋さんがそわそわして実に鬱陶しい。そんなにお風呂が楽しみなのか?

 余り焦らすのも可哀想だと北嶋さんに促す。

「そろそろお風呂に入る?」

 高速で頷く北嶋さん。首の骨が折れそうだけど。

「じゃあお風呂湧かして先に入ってて」

 消えた、と思った。それ程までに速かった。北嶋さんの行動が。

 解った事と言えば、お風呂にお湯を張っている事だ。何故解ったかと言えば、お風呂からその音が聞えて来たからだ。

「本気で凄いわ北嶋さん…伯爵の時も実は本気じゃ無かったんじゃない?」

 驚愕を通り越し、呆れる。

「あれでもまだ底が見えないんだからね」

 尚美の方は慣れたもので、呑気にお茶を啜っている。一番傍に居る尚美でさえ北嶋さんの底を見た事が無いと言うのだ。一体彼の本気は何処にあるのだろうか?少なくともお風呂を沸かしに行ったスピード以上だと思いたい。

 そして慌しく服を脱ぐ音。ほぼ同時に湯船に入った音。そして鼻歌とシャワーの音。

 間違いなくお風呂に入ったのだ。

 しかしあの鼻歌…かなりご機嫌ね…

「一応傍で待機しておくから!」

 尚美が腕捲りして息巻いた。

 頼りにしているわと私も着替える。

 そして意を決して浴槽の扉を開けた。

「有馬!!待っていた……………おおおおお?」

 北嶋さんが凝視した。

 騙されたと言う表情の反面、これはこれでなかなかと言う顔をしている。

「成程、水着着用か…考えたな…」

 そう、あの時の買い物は水着。尚美の水着を借りようとも思ったけど、胸が…ねえ?

「約束は守るから」

 北嶋さんが入っている湯船に強引に割り込む。目のやり場が…北嶋さんは普通に全裸だから。

 こっちは水着着用だと言っても恥ずかしい物は恥ずかしい!!

「むぅ、水着は残念だが、共に湯船ってのがいいな」

 ニヤけている北嶋さんを放って、私は湯船から出た。

「え?お、おいおい?」

 キョトンとしている北嶋さん。

「はい、一緒にお風呂終わり!」

 私は北嶋さんが何か喚いているのを無視し、お風呂場から立ち去った。思った以上に恥ずかしかったからだ。


「後は添い寝か…」

 北嶋さんがムッとしながらお風呂から出て来たと同時に言う。

「さ、パジャマに着替えて」

「まだ寝るの早いだろ…」

 そうかな?もう9時だから別に?

 だけどまあ、その要望は叶えましょう。

 そして私達は就寝時間になるまで居間でマッタリ過ごした。

 自分でも驚くほど、リラックスして過ごせた。伯爵を倒してくれた北嶋さんに本当に感謝した。絶対口に出しては言わないけども。

 そして北嶋さんがソワソワし出し、尚美がカリカリし出して来た。

 解りやすいな~…二人共。

「そろそろ寝る時間だな」

 北嶋さんが切り出すと尚美が凄い目をして言い返す。

「そうね!!それが何か!?」

 何で威圧的になるんだか。普通に嫌だと言えばいいのに。

「有馬、眠くは無いのか?」

「眠いなら、『私の部屋』で先に休んでいて」

 北嶋さんがギョッとして尚美を見た。

「…何か?」

「神崎、先に自分の部屋で休んでいたらどうだ?」

「ご心配には及びません。自分で勝手に眠るから。眠くなったら自分からお部屋行きますので」

「……なんなら俺が一緒に…がっ!!」

 脳天を小突かれて、頭を押さえた北嶋さん。涙目だった。伯爵の攻撃を一度も喰らわなかったのに、やはり尚美の攻撃は簡単に当たる。不思議だ。

 つか、本当に一緒に寝ればいいのに。

 私はクスクスと笑い、北嶋さんに言う。

「さて、添い寝しょっか?」

 両手を組んで、上に伸ばしながら、疲れをアピールする私。

 北嶋さんの鼻の下が伸び、尚美の顔色が変わる。本当に解りやすい二人だ。

「もうやめようよぉ」

 尚美が泣きそうな顔をして、私の顔を覗き込む。

「約束は約束だからね。北嶋さん、先に行ってて。着替えしてから行くから…って!?」

 言うや否や、北嶋さんは猛ダッシュで自分の寝室に掛けて行った。

「速っ!!!」

「もぅ、いいでしょ?約束なんて、どうでもいいでしょう?」

 懇願してくる尚美。

 そんなに辛いなら、気の無い素振りしなきゃいいのに。

 私はやはりクスクスと笑った。そして安心させる為に言う。

「大丈夫大丈夫。ちょっと準備…っと…」

 私は物置部屋に向かった。尚美も後から付いて来る。

「これこれ。これなら大丈夫」

 物置から見つけ出した物を、尚美に見せる。

「成程…念の為に、お布団も使いましょう」

 私に耳打ちをする尚美。

「ふんふん…尚美、アナタもなかなかねー」

 私達は顔を向け合い、笑った。


 そして準備を終えて北嶋さんの部屋を開けた。

「有馬!!さぁさぁ!!早くベッドに!!」

 掛布団をガバッと開け、北嶋さんが自分の隣をバンバンと叩いて呼んでいる。

「焦らなくても大丈夫よ」

 私は北嶋さんの上に乗る。

「ほほほ~!!ん?」

 北嶋さんの両手を、さっき持って来たロープできつく縛った。

「これは…何のプレイだ?しかもきついから血行が悪くなってしまう!!」

 北嶋さんが何か言っているが、聞いてはいけない。迅速に作業しなければ、私の貞操が危ないからだ。

 次は速やかに、北嶋さんを掛布団で簀巻きにする。

「これはまた…斬新なプレイだな…」

 簀巻きにした北嶋さんを、更にベッドにロープで固定する。

「……おい、俺全く動けないけど……」

 私はニコッと笑い、北嶋さんをお布団越しでパンパンと叩く。

「さっ!寝ましょうか!!」

「おおい!!動けないつってんだろ!!しかも暑いし!!」

 北嶋さんの首筋に、いい感じで筋が浮き出ている。

「口もガムテープで塞げるように、一応持って来たのよ?」

 わざとらしく、北嶋さんに荷造り用のガムテープをチラつかせた。

「………」

 目では何か言いた気だったが、それ以上は何も発言しなかった。

「っしょ……狭いわねー…簀巻きにした分、多くスペース取られたんだわ」

 ブツブツ文句を言うと流石にクレームが返って来た。

「お前が簀巻きにしたんだろーが!!解いて俺を自由にしろ!!俺はフリーダム北嶋なんだ!!」

 バッタンバッタン暴れる。

 少し声が大きかったので、再びガムテープをチラつかせる。

「………」

「よしよし!!イイコね~!!」

 わざとらしい笑みを浮かべて頭を撫ででみた。しかし、北嶋さんはむくれていた。当たり前か。

 まあいいか。いや、良くはないだろうけどまあいいか。

 さて、今度は尚美に借りを返さなきゃ…

 私は努めて小声で話し掛ける。

「…北嶋さん、少しお話しましょ?北嶋さんは尚美と生乃…どっちを取るつもり?」

 北嶋さんは応えなかった。怒っているんだろうなぁ。

 だけど構わずに話を進める。

「生乃は当然だけど、尚美も北嶋さんを…尚美は素直じゃないからね。いくら師匠の命令だとは言え、嫌いな異性とは一つ屋根の下で暮らさないでしょ?」

 しかし、北嶋さんは応えなかった。

「北嶋さん…聞いているの?それとも…不貞腐れているの?」

 腕を縛られ、簀巻きにされた訳だ。北嶋さんにしたら、詐欺に遭ったようなモノだろう。

 北嶋さんが怒るのも無理は無い。

 だけど、私はこの機会に尚美の想いを伝えたかった。

 尚美は意識しているのかいないのか、今思えば、殆ど北嶋さんと一緒に居たが、本当の意味で北嶋さんと二人きりになる事が無かった。まあ素直じゃない子だし。

 しかし、添い寝を利用すれば、私のお節介が可能となる。簀巻きにしたのは、私の貞操は勿論、尚美を安心させる為でもあった。

「北嶋さん…怒るのも解るけど…」

 私は北嶋さんの耳元に語り掛けた。折角のお節介のチャンスを無駄にする訳にはいかない。


 カーカー…カーカー…カーカー……


 寝ている………!!

 腕を縛られ、簀巻きにされ、ベッドに固定されて、更に言うなら、この私が隣に横になっているこの状況にも関わらず!!

「北嶋さん…あなた…本気で失礼だわ………」

 改めて北嶋さんの凄さに驚嘆する。そう言えば生乃が客間にお邪魔した時も寝ちゃったとか…年頃の女が傍に居る状況でもマイペースよろしく寝ちゃったとかで落胆していたな…

 同時に肩の力が抜け落ちる。

「ふふ…お休み北嶋さん。あなたの隣で寝るのは、私じゃない事はいつか解るでしょうからね」

 私も目を閉じた。

 男の人の隣で眠るのは初めてだったがこの日は心地良く眠れそうな予感がした………


 ………

 目が覚めた。久し振りに熟睡出来たような気がする…

「これも北嶋効果…かしらね?」

 軽く微笑んで、ベッドから出る。北嶋さんが気持ち良さそうに熟睡している様子を見ながら。

「ふふ…機会があったら、また添い寝してね」

 そのまま部屋のドアを開けた。

 !!!

 かなり驚いた。

 北嶋さんの部屋の前に毛布をかぶったまま座っている尚美が居たからだ。

 手にはフライパンを持っている。

「……何しているの?」

「……おはよ」

 尚美の目は真っ赤になっていた。

「……寝てないの?」

「……寝たよ。三分」

 カップメンを作る時間じゃない…それは一般的には寝ていないって言うんだけど。

「…そのフライパンは?」

 尚美はフライパンをフラフラ揺らし、言う。

「梓の悲鳴と同時に武器になる予定だったのよ」

「はははは!!尚美ぃ!!アンタ本当に素直じゃないわ!!」

 声を上げて笑った。

 尚美はキョトンとしていた。

 尚美も自身の行動を理解しきれていないようだった。


 尚美の部屋で着替え、荷物を纏めた。

「もう帰っちゃうの?もう少しゆっくりしたら?」

 軽く首を振る。

「伯爵は滅んだ。私の悲願は達成された。これからは師匠みたいに困っている人の為に、私の能力を使うわ。その為には、師匠の元で修業を再開しないとね」

 私の命は、本来ならば伯爵と相討ちする為に取っておいた物。

 その伯爵が滅んだ今、純粋に新しい道の為に頑張りたいと思った。

 それに…

 私は尚美を見据えた。軽く微笑みながら。

「これ以上、尚美にライバル増やしたくないしね」

 尚美は解ったような、解らないような顔をしながら頷いた。それが逆に私の肩を落とす事になったが。

「あ~あ…まぁいいか…私のお節介も意味無かったしね」

 そして静かに立ち上がる。

「じゃあね尚美。北嶋さんによろしくね」

「え?北嶋さんに挨拶くらいして行きなよ?」

「だからぁ…これ以上尚美にライバル増やしたくないってば」

 私は尚美のほっぺたをツンと突いて、手を振った。

「ありがとね尚美!!たまには師匠の家に来なさいよ?仕事じゃなく遊びにね!!」

 呆気に取られながらも、私に手を振って応えた尚美。

 いつか北嶋さんに素直になれればいいね。

 私はそのまま北嶋心霊探偵事務所を後にした。

 尚美を羨ましく感じながら………


 駅に着いた私は、時刻表を探し、ウロウロしていた。

「梓…お主は辛くないのかえ?」

 私の後ろから、聞き覚えのある声が…

 振り向いた私の視線の先に…師匠がいた。

「師匠!?昨日お帰りになったのでは!?」

「なに、気紛れじゃよ。昨日は近くのホテルに泊まって寛いでいたのじゃ」

 違う…

 師匠は私の心を読んだのだ。私に芽生えた想いを読んだのだ。だから残った。残らざるを得なかった。師匠はお優しい方だから…

「…私は尚美に勝てる気がしませんから…」

 師匠は戸惑いながらも頷いた。

「負け戦はなるべくせん方がええ。特に小僧相手にはの…」

「…生乃も負けますか?」

 意地悪な質問だ。

 自分が醜く感じる…

 生乃を仲間にしようとしている…

「さて、どうじゃろうな…生乃と尚美の戦いは、このババァにも読めぬ。何故なら、その中心は小僧じゃからな」

 私はプッと噴き出した。物凄く納得したからだ。

「確かにそうですね。北嶋さんが中心なら解らないですね。ん?じゃ、私も解らないかも?」

 一応冗談だ。一応と言うのは自分の心にはやはり嘘は付けないから。

「はは、そうじゃな。もう少し力を付けてから、小僧の前に立ってみぃ。少しは状況が違うかもじゃ」

 師匠はケラケラ笑っていた。私もクスクスと笑った。

 しかし、私は北嶋さんを迎え入れる器量は無い。それは、自分が一番知っている。

「さて、帰るかの?修業次第では、小僧を包める器量が出来るやも知れぬぞ?」

 師匠は私の腰をパンパンと叩いた。

 また読まれたか。

 私は苦笑いしながら、師匠と共にこの街を出た………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 梓が帰った後直ぐに北嶋さんの部屋に行き、拘束を解いた。

 結構乱暴に解いた筈なのに起きる事が無かった北嶋さんにはただ呆れた。

 …もしもこの拘束が無かったら、やはり彼は梓と普通に寝ていただろうか?口説いていただろうか?梓は綺麗だからなぁ…

 でも、なんと言うかそれ以上の事はしないような気がする。男の劣情をぶつけるような真似はしないと。

 なんでだろ?不思議と自信がある。

 そう言えばお風呂も覗きに来るし、部屋に入ろうとするけれど、『そう言う事』はされた事ないなぁ…紳士って訳じゃあるまいし。

 人が嫌がる事はしないんだろうな。いや、するか。鳥谷先輩をとことん追い込んだし、伯爵もボロボロにしたし。

 よく解らないが何となく解るような気がする。筋は外さないのが北嶋さんだから。

 じゃあ…昨日は碌に寝ていないし、此処で少し寝ちゃっても大丈夫だよね?つか自室に帰るのも面倒な程眠い…

 今はベッドのド真ん中に寝ている北嶋さんを転がすように押し、開いたスペースに身体を預ける。

 お休み北嶋さん。ちょっとだけベッドを貸してね?

 そう呟くと同時に、目を瞑ったと同時に意識が無くなる。昨日寝ていないから仕方がない、仕方がない…間違いなんかある筈も無いし……此処が一番安心できるし………



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