魔人の最後

『お、お風呂と添い寝の分って…』

『そ、それより、亜空間に亀裂が入っているわ!!』

『伯爵の術を小僧が凌駕したんじゃ!どの部分が凌駕したかは不明じゃが…』

 水谷さんとお弟子さんが、驚愕しているが、いや、呆れたり驚いたりと忙しいが、私自身が一番信じられない。

 身体が目の前の日本人に畏縮し、硬直している。こんな経験は初めての事だった。

「そして…これが…」

 恐れている私を余所に、彼が右拳を握り硬め、私に照準を合わせる。

 だが、私は彼に訊ねなければならない。彼をどんなに恐れようとも。

「あ、貴方は何者………?」

 その彼に向かってやっと絞り出した言葉がこれだ。

 その言葉は、常に私に向けられていた言葉…

 そうだ…私は常に恐れられ、敬われて来た。その私が……!!

 目を見開き、彼の続く言葉を待つ。

「これは飯抜きを逃れる為の俺の分だ!!」

 め、飯抜き?

 そ、そんな程度の事で私を恐れさせるのか!?いや、私の質問に答えていないじゃないか?

「で、ですから貴方はなにもぐわあああああああああああああああ!?」

 再び問おうとした私の顎が跳ね上がる。

 こっちの事は全くお構いなし!!全部自分の事情か!?


 ガシャァァァァァン!


 私が倒れると同時に、私の創った亜空間が崩壊した…!!


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 伯爵の亜空間が崩壊した!!あの一撃の時に空間が一瞬歪んだ。つか単なるパンチで亜空間を崩壊させるの!?

「む?神崎?こっちに来たのか?」

 北嶋さんと血まみれの伯爵が現れる。北嶋さんはやはり呑気に質問してくるが、伯爵の方は…一言で言うと可哀想な状態になっている。

「き、北嶋さん達が戻って来たのよ…」

「そうなのか?丁度良かったっちゃー良かったな。腹減っていたから早く戻りたいな、と思っていた所だ。飯抜きは洒落にならんし」

 ご、ご飯抜きの分のパンチで亜空間を崩壊させた言うの?

 北嶋さん…普通に凄いと思うわ…あらゆる意味で。

 呆れてはいたが、少し嬉しい気がするのは何でだろうか?

「む?」

 師匠が緊張する。あの状態の伯爵がヨロヨロと立ち上がったからだ。

「ハァ!!ハァ!!ハァ!!っくは!!ムッシュ北嶋…貴方の事は決して忘れません…!!石はまだ預けておきます…!!」

 逃亡を謀るつもり!?

「瞬間移動で逃げるつもりよ!!」

「ほう?便利な能力だな」

 どこまで呑気なのこの人!?感心している場合じゃないでしょ!!

「北嶋さん!!逃がさないで!!つかもう消えた!?」

「逃がした!?あそこまで追い込んだのに!?」

 まばたきの間の消えた伯爵に騒然となる私と梓。

「いや、逃がしてはおらん」

 しかし、師匠は全く動じない。

「どうっ!?」

 伯爵が空間から現れた!!私達は愚か、伯爵も驚いた様子だ。

「に、逃げられない?な、何故?」

「四大天使の結界じゃ。お前さんは、この家から出る事は出来ん」

 伯爵に指を差しながらしたり顔の師匠。

「よ、四大天使?私を西洋の術で留めた!?」

 逃げられないショックからか、伯爵は顔面蒼白になっている。

「これは俺の家を掃除しなきゃならない神崎の分!!」

 そして空気を読まない北嶋さんのハイキックが、伯爵のこめかみにヒットする。

「があっ!」

 派手にぶっ飛ぶ伯爵。居間に転がり、辺りの家具や筆記用具を散乱させる。

「まだそれやるの?ご飯抜きの分で終わりじゃないんだ…」

 と言うか、やはり私に片付けさせるつもりなんだと改めて思った。

 だけどまあ…

「片付けくらいはやるから、しっかりやりなさいよ!!」

 北嶋さんに親指を立て、突き出す。

「おう。風呂掃除もヨロシク」

 梓を見ながらお風呂掃除を強要する。

「ま、まだ言っているの?」

 梓は呆れるやら恥ずかしいやらの微妙な表情だ。

「だから今そんな事を言っている場合じゃあ………っ!!」

 咎めようとした矢先、伯爵がヨロヨロと立ち上がり、私は続きの言葉を発するのをやめた。

「ハァ…ハァ…くそ…石…私の石さえあれば…………!!」

 逃げる事も、反撃する心も、折れた伯爵を支えているのは、やはり石の存在か。

 そんな伯爵を呆れ顔で見ながら北嶋さんが言う。

「そんなにこんな石コロが欲しいのか?何処にでもあるような石みたいなんだけど。まあ、価値は人それぞれだからな」

 北嶋さんはポケットから石を取りだし、伯爵にヒョイと投げ渡した。

 つか…

「なぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!?な、何すんのよ!?」

「こ、小僧―――!?いきなり何をするんじゃあああああ!?」

「ち、ちょ!!いきなり何なの!?馬鹿なのあの男!?」

 あまりの驚きに理解が追い付かないが、それぞれさまざまな突っ込みをした!!

「え?えええ??え―――――――っっっ!!!???」

 伯爵も顔が腫れていなければ、表現出来ない表情をした事は明白だろう。

「その石コロ欲しいんだろ?冥土の土産にやるよ」

 当の北嶋さんはあっけらかんとしたものだった。それがムカツクと言うか何と言うか…

 時と場合を考えなくとも良いとの許しが出たのなら、私の右拳は北嶋さんの鼻を砕いていた事だろう。

 そして伯爵はそれが本物か調べている。軽く放り渡されたんだ。偽物を疑ってもおかしくはない。と言うか普通は渡さない。だって事の発端がその石なのだから。

 そして、それは遠目に見ても、間違いなく本物。梓が付けたネックレスのチェーンも付いている。

「は、ははははは!!紛れも無く賢者の石!!いやはや、無知は恐ろしい……!!」

 早速伯爵は石に願いをかける。

「石よ!賢者の石よ!我が憎き敵…ムッシュ北嶋の肉体を黄金に換えよ!!」

 石を北嶋さんに向かって翳す伯爵。

 伯爵の顔が歪んだ笑みを見せていた。

「北嶋さんっ!!」

 駆け寄ろうとした私を止める梓。

「今行ったらアンタも金になっちゃうかも!!」

 私の腕をしっかりと握り、体重を掛けて動きを止めていた。

「離して!離してよっ!!」

 暴れる私の背後から、身体をしっかり抱き固める梓。

「駄目よ!!」

 駄目?何が?早くしないと北嶋さんが金になってしまうじゃない!!

「む?こ、小僧…?」

 師匠が何か驚いて北嶋さんを見ていた。

「な、何故?なぜ金にならない?」

 皆の心配を余所に、北嶋さんは頭を掻きながらボーッと突っ立っていた。

「北嶋さん!無事なのね!」

 素直に嬉しかった。

 北嶋さんは平然としていたが、この場にいる人間全員が、北嶋さんは死んだと思っていたのだから。

「そんな石コロに何を願掛けしているんだが…」

 呆れた表情の北嶋さんは、そのまま伯爵を蹴り上げる。

「ぐはっ!?」

 鮮血が口から飛び散り、倒れた。

「な、何故だ…?石は本物の筈…?」

 倒れた拍子に石を離してしまった伯爵。コロコロと転がり、師匠の足の爪先に『コン』と当たった。

 拾い上げ、石を確認する師匠。

「ま、紛れもなく、本物じゃが…」

 師匠も不思議そうだが、私にはなんとなく理由が解った。

「北嶋さんは、石コロって言っていました。石コロにそんな力は無いと北嶋さんは思っていたのでは…」

 師匠は青くなり、石を真剣に観察する。

「賢者の石が…効力を失っとる!?こ、小僧!石に何を願った?」

「は?願う事など無いだろ?それを有馬から預かった時に、こんな何処にでもある石に執着する意味が解らないと思っただけだ」

 石は北嶋さんの思いをそのまま自身に反映した。だから石はただの石になった?

 師匠と梓が力無くへたり込んだ。無論伯爵もだ。泣きそうな顔になっているのも同じだった。

「じ、人類の至宝を単なる石に変えてしまったのか…」

「き、北嶋さん…なんてとんでもない事を…」

 師匠と梓は私の目から見ても、気の毒になった程、落胆していた。

「私の宝を!!人類の至宝を!!貴様みたいなカスに台無しにされたのかぁぁぁ!!」

 伯爵はボロボロになっていながらも、北嶋さんに襲い掛かった。我を忘れたのだろう。気持ちは解る。痛い程。

「オッサン、カスは言い過ぎだろう?」

 逆ギレ(?)した北嶋さんのローキックが伯爵の右足にヒットした。

「がっ!!」

 膝を付く伯爵。

「丁度いい。これも昨日覚えた技なんだ。ついでに試してやる」

 そう言って掌打を伯爵の胸に当てた。

「ぶ……ぶはっ………!!」

 伯爵は大量の血を吐き、崩れて行く。

発勁はっけいっつうらしい。気を打ち込むとそうなるらしいぜ?」

「だから数時間本を読んだくらいでどんな効果があるのよ…」

 今更ながら、北嶋さんの無茶苦茶な珍現象に呆れ、嘆息する。

「まあなんだ。折角一夜漬けで勉強したんだ。こうなりゃとことん試させて貰うぞ」

 一夜漬けでそこまで極めるの?いろいろ突っ込みたいが、今更感の方が大きい 。彼と知り合ってから私の常識なんて無意味になっちゃったんだから。

「これは俺を愛してやまない神崎の怒りの分!!」

 倒れている伯爵に空手の瓦割のように拳を叩き込む。

「がはっ!!」

 白目を剥きながら吐血する。つか私の怒りの理由が意味不明なんだけど?

 北嶋さんは伯爵の胸座を掴み上げて、自分の顔と同じ位置に持ってきて首を捻った。

「おい婆さん。このオッサン本当に強いのか?俺は弱い者イジメは好かんのだが…」

 白目を剥いていた伯爵に生気が戻る。

「わ…私が…弱い…?」

「激弱だオッサン。話を聞く限りじゃ物騒なオッサンのようだったが、何の事は無い。ちょっとばかり長生きなガイジンじゃねーか」

 三千年は長生きを超えているんじゃ…

「小僧が規格外なだけじゃよ…」

 お世辞でもなんでもない。本心でそう思っているのだろう。師匠は自分よりも上と仰っていたし。

「欲しがっていたパワーストーンもくれてやったんだから、もうちょっと頑張ってくれよなぁ…」

 賢者の石をパワーストーン呼ばわり!?いや、それよりも…苛立っている?

「右腕はなくなっちゃったけど、まだ左腕が残っているだろ?それでもうちょっと頑張らないか?」

 どこまで追い込もうと言うのか?こんなにボロボロの相手なのに。なんか可哀想になって来た。そしてそれは師匠も感じたようで。

 未だ項垂れている梓に師匠が背中をポンと叩く。

「梓、最早石は諦めよう…それより、伯爵にとどめを。あそこまで行くと哀れじゃわ…」

 確かに師匠の言う通り、伯爵は魔人の面影すら見えない程、ボロボロになっていた。

「わ、解りました…」

 梓もヨロヨロと立ち上がった。酷く落胆している様子だ。そりゃそうだろう。あの石は梓のお父さんの形見のようなもの。

 あの石に運命を左右されながらも、終いには単なる石に変えられてしまったのだから。

 梓は印を組み、喚び出した。

「審判の刃…!!」

 梓の真正面の空間から、身の丈以上の大鎌が空間を裂き、出現した。

 生ある者が現世にてことわりを曲げる大罪を犯した場合、肉体と魂を切断し、冥界へと送り込む。しかし、命を取るまでも無いと判断された場合は術者に襲い掛かると言う。

 術者にもかなりのリスクがある両刃の剣だ。間違えば自分が死んでしまうのだから。

「私が死ぬか、魔人が死ぬかは大鎌の審判に委ねるわ」

 緊張が走る。

 伯爵ならば、大鎌を欺いて斬られるのを避ける事は容易だろう。

 しかし、今は北嶋さんにボロボロにされているので、大鎌を欺く事は出来ない筈だ。その余裕も力も尽きている。

 大鎌はユラユラと揺れながら、どちらを刃にかけるか思案しているように見えた。

 やがて停止する大鎌。梓の顔に緊張が走る。

 その刃が伯爵に振り掛かった。

「がっ!!」

 伯爵にも大鎌が見えていただろう。普段の伯爵ならば、大鎌を欺き、梓を殺していた筈だ。

 伯爵は『人殺しした事が無いのが自慢』らしいが、確かに自らは手を掛けていない。

 切っ掛けを与え、自ら、もしくは周りが殺した、と言う所だ。

 その伯爵が、全く大鎌と交渉もせずに、無防備で斬り付けられた……!!

「わ…私が…このサン・ジェルマン伯爵が…こんな所で尽きてしまうとは…」

 魂を斬られても、直ぐに絶命しないのは流石と言うべきか。

 梓が再び念を込める。

 大鎌が、伯爵に再び斬り掛かかった。

「私が………私が!こんな訳の解らぬ輩にっ!!!!」


 これが伯爵の最後の言葉となった…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 …この世に生を受け、三千年以上の時が経った。

 私はまだまだ生きてやるべき事があった筈だ。

 しかし、ムッシュ北嶋…

 彼の出現により、私は生涯を終える事になってしまった…

 最早現世に魂も留まれぬ。あの大鎌が私を殺した事は事実だが、私を倒したのは紛れもなくムッシュ。

 ムッシュ北嶋…私の全てを悉く退け、賢者の石も簡単に意志を反映した男…

 今現在の彼の力は計り知れないが、ひょとしたら彼の前世の所業で、彼の力が創られたのではないか?事実、そのような輩は沢山居る。

 私は最後に好奇心で彼の前世を視る事にした。


 な!?

 ムッシュ…貴方の前世は…!!

 驚愕した。永き人生で、彼のような前例を見た事が無かったから。

 彼は言うなれば最初の人類か……!!

 だから見えない、聞こえない、感じない訳か……!?

 成程、それならば、私が全く歯が立たなかったのも頷ける。 

 やり残した事は沢山あるが、私の最後の相手がムッシュで良かった…

 私はムッシュに出会えた事を、幸福に感じた。

 永き人生…前例が無かった事など、ムッシュしか見たことが無かったのだから。

 いやはや貴重な体験をさせて貰った。

 私は黄泉の扉の前で、フッと微笑んだ………


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


「み、見て!伯爵の身体が!!」

 伯爵の身体が崩れ落ちて行き、遂には灰燼と化し、消えていった…

「三千年のツケが一気に回って来たのじゃな…」

 師匠が梓の肩をポンと叩く。

「ようやった梓。鎌を引っ込めても良いぞ」

 師匠の合図で術を閉じる梓。その表情は苦しみから解放されたように輝いていた。

「オッサンがサラサラとなってしまったぞ!!オッサンは生き物じゃ無かったのか!!」

 北嶋さんがアタフタしている。何か新鮮な光景だ。

「後でゆっくり説明したげる。取り敢えずお疲れ様」

 私は北嶋さんに歩み寄り、笑った。一件落着での安心感もあるが、最初から実はあんまり心配していなかった不思議な感情を置いても、やはり…うん、安心したからだ。

「お疲れ様?つまりは終わったんだな?飯抜きは逃れたな」

 北嶋さんがフンと鼻を鳴らし、梓を見た。

「風呂と添い寝…ごおっ!!」

 私のグーが北嶋さんの鼻っ柱を捉える。

「どうせそんな事を言うと思っていたわよっっっ!!」

 北嶋さんが鼻血を噴射した。伯爵が乗り込んで来て、戦いが始まってから、これが最初の北嶋さんのダメージだった。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 神崎のグーが俺の顔面をモロに捉える。床が俺の鼻血で血まみれになってしまった。

「勝ったのに殴られるとは…俺はなんて理不尽な仕打ちを受けているんだ……」

 楽勝だったとは言え、超楽勝だったとは言え、少しは優遇されるべきでは無いだろうか?

「くだらない約束なんか忘れなさい!!」

 神崎がお冠だ。

 しかしだな、俺は風呂と添い寝と飯抜きの為に戦ったんだぞ?約束破棄されたら、俺はもう誰も信じない!!

 俺の思いは揺るがない。風呂と添い寝は必ず有馬にしてもらう!!

「約束じゃからな、仕方なかろう。」

 婆さんがニタニタしながら有馬を見ている。

 流石婆さん!!物事の道理が解っている!!

「………約束だからなぁ…でもなぁ…」

 有馬が何か苦い顔をしているが、気にしてはいけない。溜息も気にしてはいけない。それが男の配慮ってモンだ。

「その前に…有り難う北嶋さん。北嶋さんのおかげで、私は悲願を達成出来ました」

 そう言って俺に深々と頭を下げる。

 俺は思った。礼はいらん。風呂と添い寝を切望する…と。

「まぁ、梓の報酬の件は置いといて、先ずは散らかった部屋を片付けんとな」

 確かに多少、いや、かなり散らかっているな。

 ここは一発、北嶋心霊探偵事務所の所長として、所員の神崎にガツンと言っておくか。

「神崎、片付けておけ」

 いくら愛し合っているとしても、所長と所員の立場は変わらない訳だ。

 本当は一緒に片付けたいが、それでは有馬と婆さんに示しが付かないからな。

「………あ?」

 神崎の人を刺すような視線が俺を穿つ!!

 こえぇぇぇぇ!!マジこえぇ!!更には右手まで握っているじゃないか!!

 しかしだな、所長としてはだな、所員にガツンと……

「ぷふわぁ!!!!」

 神崎にガツンと言うつもりが、神崎にガツンとグーでやられた。

 先程噴射した鼻血を超える量が俺の鼻から吹き出る。

「一緒に片付けするのよ!!北嶋さんの家でしょ!!」

 鼻血の拭き掃除は神崎に願いたいのが心情だが。

 言えば再び鼻血を噴射する事になるのは容易に想像出来たので、言葉を飲み込んだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 小僧と尚美の漫才を見るのは飽きないのじゃが、いずれ小僧は大量出血死する勢いじゃな。

 梓も久方ぶりにコロコロ笑っておるわ。

 素直に笑う梓を見るのは随分久しぶりじゃな。流石小僧じゃ。

 それにしても…

 伯爵が堕ちた時、小僧の前世を覗いておったが、流石のあやつも仰天してたのう。

 ワシも視た時にはたまげたからのう。

 伯爵も気が付いたようじゃったな。

 見えぬ、聞こえぬ、感じぬの小僧の秘密を。

 ワシはとんでも無い者を拾ったのじゃな。

 始まりの人間…

 伯爵も見た事も無いのじゃから、無論ワシにも覚えが無い。

 運命を背負って、いや、逆か。

 何も背負わずに産まれて来た、お前さんのこれからの運命を見るのが、このババァの唯一の楽しみとなったのじゃ。

 これからもワシを驚かせてくれよ?この歳になると、楽しみがトンと無くなるのでな。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 結局片付けは私と梓が二人で行った。

 北嶋さんは師匠と台所のテーブルでお茶を啜っている。

「小僧は戦いで疲労困憊なんじゃ。お主等が小僧に感謝の意を込めて片付けするのが筋じゃろう」

 師匠の鶴の一声で私と梓が片付けを行う事にしたのだ。

 師匠はここに来る前に、どこかお店に立ち寄ったらしく、お茶受けのお菓子を買っていた。

「最中か。戦いの後は甘い物だよな」

 そう言って北嶋さんは最中を三つ食べていた。

「小僧、尚美と梓の分は残しておけよ?」

 師匠にそう言われて、北嶋さんは四つ目の最中を取る手を引っ込め、冷蔵庫からカステラを取り出し、ムシャムシャと食べていた。

「婆さんも食え」

 二切れ程師匠にカステラを差し出した時の北嶋さんの名残惜しそうな表情は、決して忘れる事が出来そうも無かった。

 そんなこんなで綺麗に片付けが終わり…

「終わったよ」

「おう、ご苦労」

 すごおぉぉぉく偉そぉぉぉな態度だ!!なんで胸を張っているのか?何かの威厳を演出したいのか!?

「あのね!ちょっとはね!感謝の気持ちとか表しなさいよね!!」

 北嶋さんが考える。そして良い事思い付いたとパンと手を叩く。

「一緒に寝てやろう…がぁっ!?」

 ついホウキの柄の部分で北嶋さんの目を突いてしまった。

「し、失明したらどうするつもりだ!!俺を一生介護出来るのか!!」

 右目を押さえながら、北嶋さんが悲痛に訴える。

「うっさい!!」

 問答するのも面倒なので、北嶋さんを目で威圧する。

「こ、今後は気をつけるようにな…」

 北嶋さんの語尾が弱まる。伯爵を苦も無く倒したのに、何で私ごときに怖がるのか?ホント解らない人だ。

「介護が必要なのはワシじゃ」

 師匠が真顔でとんでも無い事を言った。

「し、師匠!」

「まだまだ必要無いですよ!」

 私と梓があたふたしながら変なフォローをしてしまう。

「婆さんもそんな歳か…介護は面倒だから、まだまだボケるなよ」

 北嶋さんはおそらく本心で『面倒』と言い切った。私と梓の顔が蒼白になったのは言うまでも無い。

「なんじゃ、冷たいのぅ…まぁ良い、小僧なりの励ましと取っておくかの」

 意外とポジティブな師匠だが、私達は気が気で無かった。

「さて、帰るかの。小僧、永きの因縁に決着をつけてくれて、感謝の言葉も無い…ありがとう」

 師匠がペコリと頭を下げた―――!!初めて見た―――!!

 そのレアな現象に私達は呆けるしか術はなかった。

「特に面倒じゃ無かったからな。礼はいらん。いつもの姿が見えない敵とやる方が面倒だからな」

 実に普通に対応した北嶋さんにも呆けた私達。いや、彼はきっとそう言うんだろうなぁとは思っていたけれど!!

「ははは、ではまたな」

 師匠は本当に帰るつもりだ。

「し、師匠、私がお送りします!」

 梓が送迎を申し出る。

 師匠はキョトンとした顔を拵えて言った。

「お前さんは風呂と添い寝があるじゃろが?」

「あ、あれは冗談で…」

「そ、そうですよ!!生乃と尚美に殺されちゃいますよ!!」

 …なんか私の名前が出て来たようだが、気にするべきだろうか?

「冗談とするか、否かは小僧と相談して決めい。ではな」

 師匠はケタケタ笑いながら、本当に帰ってしまった。

「流石だ婆さん…心から尊敬しよう………!!」

 北嶋さんが…北嶋さんが漢泣きしている!!

 証拠に、頬を濡らし、仁王立ちしながら師匠を見送っていた!!その姿が小さくなるまで、ずっと…!!


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