逃避 下

 

「さて、ここからどうしますかね。下手に動くのも得策とは言えませんが、何もしないで待っているのも危険ですな」

「そうですが……でも、待っていればきっと救助が来るのでは?」

「さぁ……そうとも言いきれません。ここまで大規模な事故が起こったなんて話はニューホープじゃあ一度も聞いたことがありませんからな。さて政府の連中も上手く対応できているのやら……」


 彼はひしゃげた車両の暗闇を一度見まわした。視界は1メートルも無い。目の前にはうずたかく積もった土砂やコンクリートが聳えているのである。


 まさかこんな地下で閉じ込められる羽目になるとは。幸福と希望の都市が聞いて飽きれる。


「はぁ……まあ、いざとなったら私なんて見捨てて逃げてください。足手まといにしかなりませんからね」

「滅多なことを言いなさんな。さっき助けると言ったばかりじゃありませんか」

「いいんです……私はもう、生きる価値なんてない人間なんです」

「どうしたんです。何かあったんですかい?」

「いや、まぁ……」


 絞り出すように言う彼。どうやら何かを溜め込んででもいるかのような、そんな苦悩に満ちた声である。


「私は元はあるベンチャー企業の社長をしていましてね。もっと若いころは野心と冷酷さに満ちた男でした。成功のためならあらゆるものを利用したし、汚い方法にも手を染めた……旧年来共に歩んできた親友も、対立から社を追放し、自殺にまで追い込んだんです。でも私は何ら罪悪感など感じず、むしろ権力と金を手に入れたことに満足していた」

「ふむ。分かる話ではありますな」

「でも結局私企業は倒産しましてね……多くの社員もそのまま寿命が払えなくなり、貴方たちのお世話になってしまったようです。私はこれまで自分のためだけに様々な犠牲を強いてきたんです。だから最後くらいは人のための犠牲になりたい……」

「だからと言って折角の命を無駄にするのは話が違うんじゃあありませんかね。自殺が禁止されているというのもまあ一つの建前ですが、生きたくても生きられなかった人々にどう言い訳をするつもりですかい」

「それは……」 

「失礼。口調が少しきつくなってしまいましたな。私も職業柄そんな人間を何百人と見てきたクチでね」

「分かっています。分かっていますが……」


 再び彼は言葉を濁した。何かを言い駆けて、抑え込んだかのようなそんな雰囲気である。


「まあともかく、まずは二人でここを脱出することからです。私はまだそう簡単に死ねるようなタチでもありませんから……!!」


 その時だった。再び地面が揺れ、轟音が辺りに鳴り始めたのである。うずたかく積まれた土砂が崩れ、避けた天井からは新たに巨大なコンクリートの塊が転がり込んでくる。


 ぎしぎしと金属が折れ曲がる音と共に、彼らのいる車両も崩壊を始めた。


「まずい! さあ肩を持って! 後ろに逃げましょう」

「は、はい!」


 彼はすぐさま男の肩を持ち、後部車両の方へと向かった。積もった土砂の山を上手くかき分け、連結部へと向かっていく。その間にも轟音は鳴り響き、ごろごろと巨大な塊が辺りに降り注いでくる。


 そしてより一際大きな音と共に、彼らの背後、車両の前半分が完全にぐしゃりと押しつぶされた。


「ぐ、開いてくれ……!」


 彼はなんとか連結部の扉付近に辿り着くと、ひしゃげた扉を力一杯に引いた。白い長方形で、上部に窓がついた金属製の扉。元は自動で横開きに開く扉だが、当然今は開くはずもない。そして彼がいくら引いても、連結部の扉は開くことは無かった。歪みのせいでレールが壊れているらしい。


「チッ。少し離れててくださいな!」


 彼はすぐさま懐からワルサーPPKを取り出すと、数発、扉上部の窓を撃った。ガラスが砕ける音が鳴り、扉の上部に大人一人が入れるほどの穴があく。


「さあ早く、先に行って!」

「え、でも……」

「早く!」

「うわっ」


 彼はすぐに男を掴みあげると、その窓から彼を外へと放り投げた。めきめきと音を立てる車両。今すぐにでもこの車両前半分も押しつぶされてしまいそうだ。


「ぐはっ!」

「ぐ……」


 彼は男を車両の外へと出し切ると、すぐさま自分も窓から連結部へと飛び出した。


 間一髪、彼の足先を掠めて、今の今までいた車両は土砂とともに崩壊し、完全に押しつぶされてしまったのだ。


「はぁ、はぁ……何とか間に合いましたな……」

「痛たたた……あ、危なかった……」

「大丈夫ですかい? 脚には響いてませんか」

「え、えぇ……大丈夫です」


 サクラギはゆっくりと立ちあがり、辺りの状況を確認した。もちろん暗闇でそこまでよくは見えない。


 せいぜい連結部の向こうにある次の車両へ繋がる扉が見えるのみだ。そちらの扉もどうやらひしゃげてしまっているようだった。通るにはまた窓を使わないといけないだろう。


「やはり急いで抜けた方がよさそうですな。ここもそこまで安全じゃなさそうだ」

「ええ。そのようですね……横から車両の外に出るのはどうですか?」

「外もこの様子じゃ崩れてしまっているでしょう。恐らく人が通れる隙間もありませんし、とにかく最後尾車両まで辿りついてそこから出るのがよさそうです」


 彼は再び男の肩を持ち、ゆっくりと立ちあがった。そして再び扉の窓をワルサーで割り、後ろから最後尾の車両へと移っていく。


 暗くて良く見えないものの、その車両も先ほどの車両とほとんど変わらない様相のようであった。車両の大半はひしゃげ、コンクリートと土砂が混じった瓦礫が目の前に壁となって聳えている。


「あ……あぁ……」

「!?」


 すると、彼の耳は微かに女性の呻き声のようなものを捉えた。


「誰だ!? 生きているのか?」

「……ぁ……ぅ……」


 声の主はどうやら足元右側にいるようであった。暗闇をかき分け、彼は足元を慎重に探っていく。


 すると彼はすぐに巨大なコンクリートの塊が転がっているのに気づいた。そしてその下に、女性が押しつぶされてしまっていた。


 よくよく見れば、塊は彼女の腹部を貫通し、辺りには巨大な血だまりが出来ているではないか。


「おいアンタ! 大丈夫か?」


 彼はすぐにその女性に声をかけた。しかし返事はない。間に合わなかったか……?


「生きてるなら返事をしてくれ!」


 彼はすぐに彼女の脈を確認した。しかし、指先に鼓動の感覚は伝わってこない。若い20代ほどの女性である。スーツを着こみ、近くには鞄も転がっているようだった。20区に遅刻出勤でもしようとしていたのだろうか。


「ど、どうしたんですか? 誰かいたんですか」

「ええ。しかし駄目でしたよ。助けられなかった」

「……! そんな……」


 すると、彼の脇にあの男が近づいてきた。暗い中女性の遺体を見つけ、枯れた悲鳴のような声を上げる。


「全く参りましたな。この事故だけで一体何人分の寿命が消えてなくなったのやら……執行課の仕事は減っても、損害は甚大でしょう」

「ううぅ……」


 すると、男は嘔吐してしまった。暗闇とはいえ、死体を目の当たりにした衝撃は大きかったか。


「大丈夫ですかい? 息も荒んでますよ」

「だ、大丈夫です……大丈夫……」


 明らかに動揺した様子で話す彼。思えば少し変わった男である。普通ならこんな状況に追い込まれれば助けてくれと懇願してきそうなものだ。しかも相手が政府の職員ともなればなおさらである。


 それなのにその気配が無いのは不思議なものだ。いや、彼はなんとなくその感覚を知っている。死に瀕したというのに、それを受け入れたかのような態度を取る、あの感覚を……


「急ぎましょう。立てますか?」

「……はい」


 彼は再び先を急ぎ始めた。片足の無い男を肩に持ち、最後尾の車両の後部から外へ出ようとする。


「……! これは……」


 しかし、彼の前には土砂とコンクリートの塊が立ちはだかった。最後尾の車両の最後方、運転制御コンピュータの置かれた部屋は完全に天井から降り注いだ瓦礫によって押しつぶされていたのだ。これではもうこれ以上進むことが出来ない。


「こいつは……堀りでもしないと外には出られそうにありませんな……ん?」


 しかし彼は一か所だけ、微かに風を感じる場所を見つけた。みると、人ひとりが通れそうな穴があいているではないか。


「ここに穴がありますぜ。もしかしたら外に出られるかもしれません」

「本当ですか!? よかった……」

「安心するのはまだ早いですぜ。本当にこの穴が外までつながっているかは分からない。それに人ひとりも通れるか分からない小さな穴だ。貴方の身体ではリスクが大きすぎますな」

「そ、そんな……」


 絶句する男。サクラギも冷静な分析を述べただけだったのだが、結果的に彼の希望を打ち砕くような言動になってしまったことに気付いた。


「分かりました。それなら貴方一人で行ってください。私のことは構わずに」

「残念ながらそうはいきません。さっきも言いましたが、幸福安全保障局の職員の仕事は人々が寿命を過不足なく終えられるよう、幸福な一生を悔いなく過ごせるようにすることです。つまりは人を殺すだけじゃなく、生かすことも仕事の一部ってことですな」

「寿命……」


 男はそのまま黙り込んでしまった。そんな彼を尻目に、サクラギはひたすらにその穴の付近を掘り始めた。崩れない様細心の注意を払いながら、人ひとり分の穴を大きく大きく拡大していく……サクラギと、彼が二人で通れるよう、慎重に……


「もう少しか……!」


 しばらく彼は穴を掘り続けた。するとごろりという音を立てて、奥にあった岩が外側に転げていった。同時に彼の前に再び広い空間が広がる。ついに穴の向こう側まで辿り着いたのである。


 穴は彼の努力でかなり広がり、ぽっかりと積もったコンクリートと土砂の真ん中に口を開けていた。これなら、あの男を抱えながらでも通れそうだ。


「行きましょう。残った寿命は最後まで全うするのです。それが今死んでいった人々……いや私からの願いですからね」

「……」


 そう言うのも、サクラギ自身の置かれた境遇からの発言だったのかもしれない。寿命延長措置の不適合者と診断され、末期がんにより彼は寿命に関わらず40代までの生を強制されたのである。


 それなのに寿命のある人間が自ら生を投げ出すというのは贅沢な話ではないか。


 彼は男と共に、ついに電車の外へと脱出に成功した。目の前にはほんのりと風が吹き抜ける暗闇が広がっている。ところどころ崩れているものの、このまま進めばいずれは駅まで辿りつけることだろう。


 彼らは思わず線路の脇に腰を下ろし、一息をついた。


「ふぅ……ここまで来ればもう安心ですな。さあ行きましょう」


 サクラギは久方ぶりの解放感を味わう間もないまま、前へと歩き去ろうとした。しかし、後ろで腰を下ろす男は一行にサクラギの言葉に答えようとしない。


「……? どうかしたんですかい?」

「待ってください……」

「待つ? どうしてです。このまま進めば駅まで辿り着くでしょう。そうすれば私達は助かるんです」

「……私は……私は……!」


 震える声で話す男。しかし、その瞬間再び激しい揺れが2人を襲った。先ほどまで彼らのいた電車は脆くも押しつぶされ、2人のいた付近の天井も崩壊を始める。


「早く、こっちです!」


 サクラギはすぐに男の手を取ると、すぐにその場を離れた。なるべくトンネルの隅に寄り、コンクリートの落下に巻き込まれないよう非難する。


「ふぅ……今度こそ助かったようですね。さあ、行きましょう」

「……! 危ない!」


 そして、サクラギが立ちあがり、男の手を取ろうとした瞬間だった。突然バチバチという音と閃光が煌めき、サクラギは男に突き飛ばされたのである。


「何をっ!?」

「ぐああああああぁぁぁぁっ!!」


 突き飛ばされた先で、サクラギは男が痙攣する様を見た。断続的な光の中、不気味な踊りを踊る彼の身体。そのまま彼は倒れ伏し、肉が焦げるような臭いを上げる。


「あ、アンタ何やってるんだ!!」

「は、はは……」


 どうやら崩壊した壁の一部から高圧電流を通す電線が飛び出して来たらしい。バチバチと、暗闇に光が灯る。彼は決死の思いでサクラギを助けたのだ。


「バカなことを……!」


 そしてそんな光の中、サクラギは初めて男の顔を見た。黒い短髪に彫りの深い顔。鋭い眼光と微かに吊り上がる口元……感電し、焼け焦げてはいるが間違いない。


「ケスラーさん……?」


 それはサクラギが正にターゲットとしていた男だった。クラウス・ケスラー。彼は自らが殺す予定だった相手を今まで助けようとしていたのである。


「はは……私は、死ぬのが怖かった……だから、逃げ出した……反政府組織に入るつもりで……でも、無理だった……勇気が足りなかった……」

「く、もう喋りなさんな!」

「どうせ今日死ぬ予定だったんだ……最期に人のためになれて……よかった……」


 彼はそのまま目を閉じた。呼吸は止まり、脈も消える。


 サクラギはそのまま、唇を噛みしめた。いったい今までのは何だったんだ。もし彼を助けていたとしても、自分はその場で彼を殺さなければならなかった。無駄足だったのだ。


「おい、生存者がいるぞ! 急げ!」


 すると、背後からはライト付きのヘルメットを被った男たちが続々と駆け付けてきた。皆ライトを持ち、白い蛍光色の防護服を被った男たち。ニューホープの救助隊であろう。



 ―――――



 サクラギはその後、結局無傷のまま救助隊に救助され、事なきを得るに至った。


 調査の結果、あの事故は反政府組織の同時多発テロという結論に至った。後から彼が知ったことではあるが、彼のいたあの車両以外にも5つの車両が目標とされ、車両及び地下トンネルの両方が爆破されたのだという。


 この事件により犠牲者は700人に上り、世界中を震撼させた。幸福と安全の中心たるニューホープがテロの被害にあったのだ。この衝撃は生半可なものではない。


 すぐさま世界政府は公共交通機関の警備強化、及び反政府組織への対策強化を打ち出した。


 幸福と安全が約束されたはずのユートピアに、恐怖と破壊の影が舞い降り始めるのである……


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こうふくのくに  柳塩 礼音 @ryuen2527

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