第3話 逃避

逃避 上


「うむ、今日も上手いな。日に日に料理の腕が増しているんじゃないかイナミ?」

「そう言ってもらえるとイナミは嬉しい」


そう言ってにっこりとほほ笑むイナミ。色白の肌が、窓から差し込む朝日に充てられてきらりと輝いている。金色の長髪はハーフアップに纏め、まるでメイドのような恰好で朝食を摂るアキラの向かいに腰を下ろしているのだ。


彼女とアキラが2人でついたテーブルにはスクランブルエッグにソーセージ、オレンジジュースに味噌汁、そして白米といった朝食のフルコースが並んでいる。


どこかの高級ホテルでしか味わえないような料理ばかりが、広いダイニングに置かれたテーブルの上でキラキラと輝いているのだ。


「イナミは食べないのか?」

「イナミは食べなくても生きていける」

「何だつれないな。生体アンドロイドなら別に食べることだってできるんだろ? 一口位食べてみたらどうだ」

「……そこまで言うなら……」


イナミがアキラの家に住み着いてからもう一カ月ほどが経つだろうか。あれから彼は彼女に秘められた更なる秘密を探りつつ、時折は彼女への教育も継続しながら生活を続けていた。


研究所の外の知識量はかなり向上した。今彼女が来ているメイド服も、自分のこなすべき仕事と最も合致した服装だから、という理由で強くアキラにねだったのである。彼も結局は無下にする訳にも行かないと、彼女の希望を叶えてやったのだった。


彼女はアキラに言われた通り、近くにあったソーセージを一口、自らの口に放り込んでみた。恐る恐るそれを咀嚼していく。なんだ、今まで食事と言うものをしたことが無かったのだろうか。


「とても良い……これが美味しいっていうこと?」

「ああ、そういうことだ。中々癖になるだろ」

「すごい……」


彼女はぱっと顔に驚いたような表情を浮かべると、更に黙ってひょいひょいと食べ物をつまんで食べ始めた。終いにはアキラの分にまで手を出そうとする始末である。


「おいおい、あんまり食べ過ぎるな……?」


アキラがそんな彼女の様子を見て小さく笑いを返そうとした時だった。急に彼の視界が歪み、激しい頭痛が彼を襲ったのである。


「アキラ、大丈夫!?」

「ぐっ……イナミ、あそこにある薬を……」


そう言って近くのキッチンの棚に置かれた薬を指さすアキラ。イナミはすぐにそれ等数種類もの薬を取り出すと、アキラの下へとそれを届けた。


アキラはそれを受け取るなり、それらの薬を次々と飲み込んでいく。頭痛薬に抗ガン薬、鎮痛薬に老化防止薬など様々な薬が彼の胃の中へと消えていった。


「はぁ、はぁ……発作の間隔が短くなっているな……もう少し薬を増やしてもらうか」

「アキラ、大丈夫?」

「ああ。心配はいらない。唯の頭痛さ」


もちろん彼はこれがただの頭痛でないことは知っていた。全身に転移した彼のガン。それの一部は脳に至り、激しい頭痛を引き起こしているのである。


とはいえ彼が薬を飲むと、間もなく痛みは引いていった。限りなく医療が発達した昨今、副作用も無く経口摂取でしかも数秒で効果を発揮する錠剤も金さえ効かせれば手に入るようになっているのだ。


「今日のお仕事も行ける? 辛いなら休んだ方が良い」

「ああ、気持ちだけでも受け取っておくよ。私の仕事は重要なものだからな、滞らせるわけにもいかないんだ」

「そう……分かった。気を付けて。ニュースでは反政府組織のテロ? に警戒してほしいって言ってた。よく分からないけど多分危ないと思う」


一応イナミに彼は自分の仕事内容については話してあった。寿命の尽きた人を執行する。だが彼女には死という概念があまり理解できないらしく、正しく伝えるにはなかなか時間がかかってしまった。


「ありがとう。それじゃあそろそろ行ってくるよ」

「うん。じゃあはい、制服とコートとタバコ」


すると彼女はどこからともなくアキラのいつもの服を取り出し、アキラに差し出した。仕事の早い奴である。


「助かるよ。じゃあ」


彼はすぐにそれらに着替えると、家を後にするのであった。



――――――



今日の任務はニューホープ第20区に住む元実業家の執行であった。第20区といえば中産階級層のクラスエリアの中でも最も外縁に位置する区である。


そしてサクラギの家がある第14区からは正反対でかなり距離もあった。そこで、彼は今回は車ではなく地下鉄を用いて第20区まで向かおうとしていた。


自動改札を越え、駅のホームへと下っていくサクラギ。もちろん、幸福安全保障法のお陰で公共交通機関の料金は無料である。汚れ一つない壁、磨かれた石材が敷き詰められた床、地下にあってなおぼんやりとした柔らかい光で辺りを照らすライト。


辺りに人はそう多くない。時間は平日の昼間、しかも都市部である14区から20区へ向かう人間などこの時間ではそう多くないのである。サクラギは階段を下りながら、自らの端末を一度確認した。


「……」


そこには1人の男の顔が浮かんでいた。黒い短髪に彫りの深い顔。それなりに整ってはいるが、鋭い眼光と微かに吊り上がる口元からどことなく不気味な雰囲気を醸し出している。


元実業家ということは……事業に失敗でもしたのだろうか。年齢も47とかなり若い。名前の欄にはクラウス・ケスラーという名が浮かんでいた。


『3番線に第20区行き電車が参ります』


彼がホームに降り立つと、すぐに電子音声が電車の到着を告げた。線路に面する端には透明な壁が作られ、利用者の転落を防止している。


幸福安全保障法の下では自殺することも重罪として禁じられているのだ。その影響で、ニューホープにある建設物には自殺防止の工夫が凝らされている。


間もなく、ホームの隅の暗闇の中から青色の車両が顔を出した。そのまま速度を落としていき、透明な壁の扉の部分に合わせて停止する。


コンピューターによる完全自動制御の最新車両だ。ぷしゅうと音を立てて開く扉。サクラギは降りた人を避けつつも、車両へと乗り込んでいくのだった。



――――――



ニューホープの地下鉄はリニアモーター技術が応用された車両である。車体に揺れはほとんど無く、すべて自動運行のため遅延は一切無い。もし一本のがしても3分もすれば次の電車がやってくるのだ。


そのため、ニューホープ内の少し遠出の外出は地下鉄を使うのが一般的である。近場は自動タクシー、遠出は地下鉄、そして大陸間の移動は量子ゲートと、世界の大きさは限りなく小さくなったといえる。


「……」


サクラギはそんな車両の中で足を組んで座り、静かに目を閉じていた。真っ黒なズボンに黒い外套。人はまばらとはいえ、やはり目立つこと限りない。何となく視線を感じてしまう。


暫くすると次の駅に到着し、また扉が開いた。すたすたと数人が入れ替わり、彼の前に1人の男が座る。帽子を被っているせいで良く顔は見えない。なんだ、怪しい男だな。まあ人のことは言えないか。


彼はそんなことを思いながらふとまた目を閉じた。そして、イナミの言葉をふと思い出す。


反政府組織のテロか。なんでもその反政府組織とやらの構成員は全て寿命の無い死んでいるはずの者たちなのだそうだ。ふとしたことで寿命を失くし、死を恐れて逃亡した後に過激な思想に取り憑かれ、幸福安全保障法を憎んでテロ行為に及ぶのだとか。


もちろん彼らは生きているだけで重罪だ。しかし、元はといえば執行課員の取り逃がしが原因である。あまりターゲットに感情移入しすぎて取り逃がすと結局は自分に帰って来るのである。


だから彼は死までの時間をある程度コントロールしてやることはあっても、それを無限にしてやることはしない。


「?」


彼はまた目を開けた。すると、また目の前のあの男が目に入る。体型はやせ形で長身と言ったところだろうか。がたいは良く、赤と白のジャージを上下に纏っている。帽子は緑のキャップだ。目元は見えないが、なんとなく痩せこけたような頬のあたりまでが見えている。


いや、一瞬彼は顔を上げた。こちらが見ていることに気が付いたのだろうか。あれは……


その瞬間だった。激しい爆音が炸裂し、揺れるはずのない車体が突然ひどく揺さぶられたのである!


「な、何だ⁉」


乗客の悲鳴が響き渡る車内。一瞬にして電気は消え、暗闇の中、車体はさらに揺れの激しさを増していった。


再び、耳をつんざくような轟音が響き、何かにぶつかったかのように電車が急停止する。ひしゃげる車体、吹き飛ぶ乗客、天井がぼこぼことひしゃげ、その裂け目からはコンクリートと土砂の混合物が降り注ぐ。


バチバチと火花が散り、悲鳴のような轢音が耳を引き裂いていく。何人かの乗客が降り注ぐ土砂に押しつぶされるのも見えた。


「ぐああっ!」


サクラギも思わず身体を吹き飛ばされ、車両の前部へと叩きつけられた。壁に頭を強打する。そのまま半狂乱の車両の中、彼は意識を失うのであった。



――――――



「う……ぐ……」


彼は生きていた。目の前には深い闇。いや、よく見れば目の前まで土砂が降り積もり、彼の前に広がっていたはずの空間を完全に押しつぶしてしまっているのだ。


周りを見れば辛うじて元の車両の一部が見える。だがそのあらゆる部分は折れ曲がり、歪曲し、元の車両からは想像できないほどにぐしゃぐしゃに押しつぶされてしまっていた。


時々バチバチと電気が散るような音が遠くから聞こえてくる。彼は運よく潰れた車内の隙間に入り込み、事なきを得たようである。


痛む頭を抑え、何とか光を探そうとするサクラギ。右腕に付けた端末に触れるが、反応は無かった。今の衝撃で故障したらしい。


「ぐ……誰かいるか? 一体、何があったんだ!?」


しかし返事はない。同じ車両には確か5,6人は人が載っていたはずだ。まさか……


その時、ガラガラと近くの土砂が崩れ落ちた。巨大なコンクリートの塊が転がり、その下からは何かまた塊のようなものが現れる。暗くて近づかなくてはよく分からない。


「……!」


彼が思わずそれに近づくと、すぐにその正体を察した。彼の目の前に血にまみれた人間の手が飛び出してきたのだ。よく見ると潰れた人の頭部も微かに見える。今の崩落で犠牲になったらしい。


「くそ、一体何が起こったんだ……? とにかく外に出なくては……」

「…………うぅ……」

「!」


彼が暗闇の中、出口を探そうとすると、不意に車両の奥の方から声が聞こえた。方向としては車両の後方に当たるだろう。彼がいるのは最後尾から二番目の車両、その車両の最前部である。


「誰かいるのか!?」

「う、うぅ……助けて……」


辛うじて絞り出すかのような声。彼は今度ははっきりと言葉を聞きとった。間違いない、他にも生存者がいる。


「く、今行きますぜ」


彼はうずたかく積まれた土砂とコンクリートの壁を迂回し、何とか車両の隅の方を通って移動し始めた。


天井から崩れているため、殆ど車両内にスペースはない。だが向かって右側の乗降口付近だけは幸い土砂が入り込んでおらず、通り抜けられそうだった。


彼は暗闇の中を手探りで進み、何とか土砂の向こう側へと抜けた。正確に言うと、積もり積もった土砂の間に空いた小さなスペースに入り込んだのである。


「どこだ、どこにいる?」

「うぅ……助けて……足が挟まれてるんだ……」


すると今度はかなり近くから声は聞こえてきた。ひしゃげたドアのすぐ前にできた小さな空間。その底部にどうやら彼はいるらしい。


サクラギはすぐに土砂の上から降りた。暗闇の中慎重に足場を探し、積もった土砂の山を下っていく。


すると、彼の前に何か影のようなものが現れた。人影だ。それはドアのふもとに座り込み、脚を土砂の中に突っ込んでいる。声の主だろうか。少しづつ暗闇に目も慣れてきたようだ。


「大丈夫ですか?」

「うぅ……足が……痛ぇ……」


サクラギがその人影の元に近寄ると、確かにその影は声に合わせてもぞもぞと動いた。顔はよく見えないが、声からするに歳は中年の男性ほどのように思える。


足を完全に挟まれてしまっており、それ以外の部位も負傷しているようだ。息も絶え絶えなところを見ると、肋骨辺りもやられているらしい。こう見るとサクラギがほぼ無傷で済んだのは奇跡のようだ。


「こいつは……完全に挟まれちまってるようですね」


サクラギが彼の足の辺りをまさぐると、どうやら巨大なコンクリートの塊が彼の足を押し潰してしまっているようであった。塊はそのまま土砂の中へと埋まっており、大きさは全く分からない。この暗闇の中で動かすのは相当難しそうだ。


「とにかく、一度持ち上げますから、抜けそうだったら足を引き抜いてくださいな」

「わ……分かりました……」

「行きますよ、せーのっ!」


サクラギは精一杯コンクリートの塊を持ちあげようと力を入れた。パラパラと土が崩れ、微かに塊が動いた気がする。しかし、結局彼の力では塊を持ちあげるには至らなかった。やはりこの塊、相当な大きさがあるらしい。


「う、うぅ……あぁ……」

「駄目か……」


彼は男の足元から大量の血が流れだしていることにも気づいた。潰れた足から出血してしまっているのだろうか。


このままでは失血死は避けられないだろう。なんとか今すぐに足を取り出して止血せねば……何とか……


「アンタ。自分の足は大事かい?」

「……え?」

「こうなったらもう足を切り離すしかなさそうだ。足だけなら後から義足でなんとかなる。命を落とすよかましだろう。どうだ?」

「そんな……足を切るなんて……方法はあるのか?」

「無いことはない。どうなんだ? 命と引き換えに足一本だ。安いもんだろう」

「……分かりました。お願いします」

「少し目を閉じて歯を喰いしばっていてくれ。くれぐれも暴れなさんなよ」

「……?」


そう言うと、彼はボロボロになってしまった外套の中からサプレッサー付のワルサーを取り出した。暗闇の中、その銃口を慎重に男の足に当て、ゆっくりと引き金を引く。


「ぐああああっ!!」


鈍い発射音が数度、その暗闇の中に鳴り響いた。銃弾は彼の足を数度貫通し、潰れた足を更に裁断していく。


「くっ、少し大人しくしてくれ。今止血する!」


暴れる男を尻目に、サクラギはボロボロに引き裂かれた足を何とかコンクリートに挟まれた部位から引きちぎり、すぐに外套を破ってきつく巻き付けていった。


医療の知識などない素人の治療だ。しかしこれ以外に方法も無い。何とか耐えてくれるのを祈るのみだ。


「はぁ……はぁ……ぐ……はあ……」


サクラギが止血を施して暫くすると、男の方も大分落ち着いてきたようだった。あそこまで暴れられるならまだすぐに死ぬということもなかろう。


だがこんなところでのんびりもしていられない。早く脱出しなくては……


「大丈夫ですかい?」

「あ、あぁ……何とか……しかし、今のは銃ですよね? どうしてそんなものを」

「私は幸福安全保障局執行課の職員でしてね。帯銃も許可されているんですよ」

「執行課の!?」


彼の言葉を聞くなり過剰な驚きを見せる男。顔こそ良く見えないが、そんな表情を浮かべているのが容易に想像できる。


「あ、あの、確かハンターって……」

「そうですね。我々のことです」

「ひっ……」


男の声はすぐに驚愕から畏怖へと変わっていった。今一常人の反応からは一際大げさな気もする。


「そう怖がらないでくださいな。ここでの貸しを何百倍にして返せなんて脅したりはしませんからね。私達は同じ被害者だ。偶然同じ電車に乗り合わせた、ね」

「……そうですか……」


サクラギの言葉に反して、彼は声をくぐもらせるのみであった。まあそれも仕方がないことであろう。


初対面で顔も見えぬ相手、しかも幸福安全保障局の職員とあらばそう簡単に信用できるものでもあるまい。


「貴方はきっと地上まで送り届けましょう。幸運にも私は無傷でね。そんな重傷な人を見たら助けない訳にも行きません」

「ふふ、人殺しなんて呼ばれている人が人の命を助けようなんて、何だかおかしな話ですね」

「我々だって誰でも彼でも好き好んで殺すわけじゃありませんからね。人助けをする事だってありますよ」


サクラギは冗談めかしい口調で話して見せた。それに感化されたのか、男の方も言葉から緊張が抜ける。





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