永遠に口付けを 下
イナミは極めてアキラの言うことには従順で、彼の身の回りの世話は何でもこなしてみせた。
朝起きればダイニングのテーブルには屹然とフルコースの朝食が並び、保障局員のスーツや仕事道具をまとめたカバンを持ったイナミが横にたたずんでいるのだ。
あらゆる部屋はきれいに掃除され、ほこり一つ落ちていないとまで思わせる清潔ぶり。さすがの彼もそれには驚くばかり。アンドロイド一体でここまで環境が激変するとは思わなかったのだ。
一方で彼女は研究所の外のことに関しては非常に疎かった。寿命に関してもそうだが、幸福安全保障局のことも知らず、毎日のようにアキラの仕事内容について質問をぶつけてきた。
それ以外にも、夜景を見てははしゃぎ、パソコンに映し出された画像を見てはそれが何かと問いかけてくる。好奇心に関してはかなり旺盛なようであった。
言葉や学問に関しても、一度教えれば完璧に覚えてしまう。サクラギは徐々に彼女の口調も直していくことにした。あんな口調ではもし街中などに出ればすぐに怪しまれてしまう。父やビルもその点は無頓着だったのだろうか。
彼はすぐにイナミに対して愛着を持つようになっていった。無限の寿命を持つ彼女とあと数年で人生を終えるであろう彼。そんな皮肉をも、彼は感じていたのだ。
今まで復讐のみを考え、一人で生きてきた彼。そんな彼にも死んだとき悲しんでくれるかもしれない相手ができたのである。
興味深いことだ。もしかしたら、彼女に自分の何かを託すこともできるかもしれない。もし復讐に失敗したときには、あるいは……
そんな彼にある連絡が入ったのは、それから一週間ほどが経ったときである。
ーーーーーー
「いやはや、お待ちしておりましたよサクラギさん。どうぞ中へ中へ」
「お久しぶりですねサザンさん」
彼は再びウィリアム・サザン夫妻の自宅にいた。突然、まさかの彼らの方から呼び出しを食らったのである。なんでもイナミについて相談があるのだとか。
まさか用紙の貰い手を探してくれたというわけでもあるまいし、どういう風の吹き回しであろうか。
アキラの後ろにはイナミがついている。彼女も一緒に来てほしいとのことだったのだ。今は子供用のTシャツにスカートを着せ、長い縞々の靴下を彼女は履いている。
長い金髪はさらさらとおろしたままだ。そもそも子供に興味など全くなかったサクラギ。服のセンスも髪のまとめ方もさっぱりわからない。
「まぁまぁイナミちゃんも見違えて……相変わらず可愛らしいわねぇ」
イナミとともに奥のテーブルにつくと、向かいのソファに座ったサザン夫人は猫が鳴くような高い声を上げた。以前とは全く違う態度に、サクラギも一抹の不安を覚える。
「で、用件は何ですか?」
「いやはやそれがですねぇ。やっぱり私たちでイナミちゃんを引き取ろうかと思いまして」
「どうしたんです。以前はあんなに苦言を呈していたではありませんか」
テーブルにつくなり疑問を投げかけるサクラギ。ウィリアムの口調はどこか浮ついていて、真実には程遠い様子だ。
「いえいえ。あれは何せ突然のことでしたので私たちも冷静さを失っていたんですよ! 本心は可愛らしい女の子を放っておくことはできない。それにつきるのです」
「そうですわ! こんな幼い子を路頭に迷わせるわけにはいきませんもの!」
「ほう……そうですか」
サクラギは一度視線を落とした。まったく意図の読めない夫妻である。このまま素直にイナミを渡してやるわけにもいくまい……一度本心を聞かせてもらうことにしようか。
「分かりました……ではその場合のリスクを一つお話しておきましょうか」
「リスク?」
「ええ。残念ながら私の調査ではこの子の戸籍も寿命も登録されておりませんでした。これはやはり幸福安全保障法に背く重大な犯罪です。本来ならばビル・サザン氏は重罪。この子も即刻処分が言い渡されることでしょう」
「そ、そんな、処分だなんてあんまりじゃなくて?」
「ええ。私もそう思いますな」
形式的に返すサクラギ。サザン夫人は言い返すことも出来ず、再び彼の話に耳を傾けようとする。
「ですので、どうしてもこの子を引き取りたいというのであればビル・サザン氏の罪が貴方たちにも及ぶ可能性があるということをお伝えしたかったのです」
「は!? そ、そんなわけあるはずが……」
「そうですか? ビル・サザン氏は既に他界しています。そこでこの寿命に背いて生きてきた少女も生かすということになれば誰が責任を取りましょう。ここまでの重罪を張本人の死だけで収められるはずがありません。親族であるあなた方の監督不行き届き、ビル・サザン氏の殺害容疑などなど……貴方がたに着せられうる責任はいくらでもあるのです」
「ばかばかしい……そもそもどうして兄の残した子をわざわざ引き取ってやるのにそんな罪を着せられないといけないんだ。嘘をつくんじゃない嘘を!」
「そうですわ! そもそもアンドロイドには寿命なんて……」
「おい、馬鹿!」
「あっ……」
そこで、ついにサザン夫人が口を滑らした。やはりこの夫妻、イナミの正体を知っている。
どうやって知ったかは知らないが……私とイナミをわざわざもう一度呼びつけた原因はそれか。
「ほう……? やはり知っていましたか。どうやってそれを知ったんです?」
「そ、そんなこと関係ないだろ! チッ……やっぱりお前も知っていたのか。ともかく、その子は譲ってもらう! 兄の遺した物はすべて私のものだ! 何の文句がある!」
「そうですわ! 寿命が無いのなら罪を着せられる筋合いもありませんわ!」
「参りましたねぇ……」
急に立ちあがってわめき出す夫妻。イナミが生体アンドロイドであることを知っているならば、引き取ってそのまま売り払うなどと言う可能性も高い。それはサクラギにとっても非常に困ることになるだろう。
だからといって本当に改心してイナミを育てる気になったという可能性もゼロではない。彼は最後に一つ質問を投げかけてみることにした。
「分かりました。それでは最後に質問です」
「何です」
「貴方がたはこの子を……このイナミを人間として生かす気はありますか?」
「は? 何を言ってるんだアンタ。そいつは機械だろ。機械を人間として生かすなんて馬鹿げた話だ!」
ぴしゃりと言って捨てるウィリアム。それを聞いて、少しだけイナミの表情が曇った気がした。
彼の気持ちはよく分かった。この男には良心と言うものが尽く欠けているらしい。アキラは、ため息をついて続けていく。
「なるほど。よく分かりました。それならばこの子を貴方がたにお渡しすることはできませんな」
「なんだと!? 何故だ」
「そ、そうですわ! 理由を聞かせて頂戴!」
「理由は自分で考えてごらんなさい。これ以上話しても無駄です」
「ぐ……チッ。お前もその生体アンドロイドをうっぱらって大金をせしめようってんだろ! 俺達に金を渡したくねえから難癖付けて持って帰ろうって口か! ふざけるなこの金の亡者! 人殺し! 俺達の子を誘拐した容疑で訴えてやる!」
ここぞとばかりに罵詈雑言を重ねてくるウィリアム。それを聞き、サクラギはその場から立ち上がった。
「うるさい! 彼女は、私の子だ! 貴様らなんぞに手は出させん!」
珍しく、アキラは怒号を発した。今の今まで冷静に落ち着いた返答を返していたサクラギ、そんな彼が突然立ち上がり、鋭い眼光でサザン夫妻を睨みつけたのだ。
咄嗟に彼は外套からワルサーPPKを取り出し、その銃口を夫妻の下へと向ける。
「ひっ……」
「うっ、な、何の真似だ!?」
「私の職業は幸福安全保障局の職員ですぜ旦那。アンタも言ってたが、公務で人を殺すことを認められている職業なんだ。さっき言った兄への監督不行き届きだろうが兄の殺害容疑だろうが何でもいい。罪状なんて後からいくらでも作れるのさ。アンタがたを公然と葬ることなんて容易いことなんだぜ?」
「……」
今まで真っ赤にしていた顔を一気に青く変えていく夫妻。アキラの淡々とした口調にも、ますます全身を震え上がらせていく。
「わ、分かりました! 分かりましたから……! 子供がいるんです、命だけは……」
「仕方ありませんね。それでは一つ教えていただきましょう」
「な、何をですか!?」
「貴方がたがイナミの正体を知ったきっかけ。それを知りたいんです」
「それは……」
「早く!」
「ひっ! おい、早く取って来い!」
アキラが少し銃口を揺らすと、ウィリアムはいよいよ震えあがって夫人に命令を出した。夫人も顔を真っ青にしたまま、細い体をゆらゆらとさせて一度家の奥へと消えていく。
間もなく戻ると、彼女の細い指の上には何か封筒が一つ乗せられていた。
「これは?」
「兄の遺書です。先日兄の部屋を片付けていたら出てきまして……ここに、その生体アンドロイドのことが書いてあったんです……」
「なるほど」
それはビル・サザンの遺書であった。サクラギは銃口をそのまま、片手で封筒から中の紙を取り出し、それを読んでいく。
内容としては殆どが弟への懺悔文といったところだった。昔から比較させてしまい、迷惑をかけた。本当は苦労を駆けさせるつもりはなかった。ただお前に嫌われてしまったようだから、なかなか言い出せないでいた、と……
そして問題の記述はその遺書の最後の部分にあった。
お前に最後の頼みがある。俺は間もなく死ぬかもしれない。その時、イナミという生体アンドロイドがお前の下へとやってくるだろう。彼女をアキラ・サクラギという男を探して渡してくれ。
少し変わっているがほとんど人間の女の子と同じで可愛らしい奴なんだ。だから、それまでの間はくれぐれも娘のように可愛がってやってほしい。私の最後の願いだ、頼む……
サクラギはますます辟易した。ビル・サザンは恐らく弟のウィリアムを信頼してこの遺書を送ったのだろう。いや、愛人すらいなかった彼である。もはや唯一の肉親たるウィリアムしか信頼できる人間は残っていなかったのかもしれない。
そもそもなぜ遺書なんかを書いていたのか……そこに謎は残るものの、必死の思いでこれを書いたに違いない。
それを奴は踏みにじろうとしていたのだ。イナミを機械としてしか扱わず、売りさばいて大金をせしめようとしていたのである。ビルが最後に託した信頼を、金を目前にして前に粉々に打ち砕いたのである。
「これは重要な資料ですので私が預かります。くれぐれも、これらのことは内密に。生体アンドロイドを狙う輩はいくらでもいますからね。自らの命が惜しいなら下手に口外しないことです。いいですね」
「は、はい……」
アキラはそう言って銃を下ろし、イナミの方へと向き直った。
「行きますよ、イナミ」
「はい!」
そしてイナミの手を取り、サザン夫妻の自宅を後にしようとする。
「あ、あの!」
しかしアキラが玄関の扉を潜ろうとしていた時だった。背後から、再びあの野太い声が彼の背中をつついたのである。
「なんですか?」
「あの、ですね……先ほどはなんといいますか、感情に任せて不適切な発言を申し上げてしまってですね……いや、あれは本当はイナミちゃんのためを思っていた故でしてね、へへへ……」
サクラギは振り返りもせずその言葉を聞いた。こびへつらうような笑いを上げるウィリアム。この期に及んでまだそんなことを言うのかこの男は。
「ですから
「……」
そこまで言った時、アキラはさっと振り返った。ひっ、とウィリアムが跳ねるような声を上げる。丸い顔は畏怖の色で満ち、キラキラと光る脂汗で満ち満ちている。
「もちろんです。二度と関わりたくもありませんからね。では」
豆鉄砲を食らったような顔をするウィリアム。アキラはそんな彼を尻目に、イナミを連れ、ニューホープの夜景の中へと溶けていくのであった。
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