永遠に口付けを 中



 幸福安全保障局執行課職員アキラ・サクラギ。彼の人生はその大半を暗雲に包まれていた。


 彼は36年前、このニューホープにて科学者の父ソウゲン・サクラギと母ハル・サクラギの元に生を受けた。兄弟はおらず、優しい両親の愛情を一身に受けて何不自由ない子供時代を送ったものである。


 幼年学校時代にはニューホープ中央研究所に務めるほどの優秀な父親の影響を受け、勉学に励み、特に自然科学の分野において抜きんでた成績を誇っていた。


 教師には神童などと言わしめ、当時アンドロイド工学の権威と言われていた父親も、将来自らの研究を引き継ぎうる正統な後継者として認識されてますますその教育熱を刺激させたのだ。


 しかし、彼の人生が急激な下降に転じたのは、彼が中等学校に通い始めた頃であった。


 父が殺害されたのである。


 殺害と言っても強盗殺人などと言った類のものではない。彼の父を殺したのは幸福安全保障局執行課の職員だったのだ。


 ニューホープ中央研究所の研究員といえば幸福安全保障局の職員に並ぶ高給職である。それに彼の父は当時まだ40代後半。生体アンドロイドという次世代のアンドロイドの開発が遂に達成された全盛期である。


 当然そう簡単に寿命など尽きるはずがない。しかしその職員はあろうことかアキラの父を本来のターゲットと間違えてしたのだという。当然彼の母は職員を殺人の容疑で起訴しようとするも、保障局上層部による圧力によりアキラの父は事故死とされ、全ては闇に葬られてしまった。


 アキラは父の殺される現場を間近で目撃していた。今でも、彼の記憶の奥底にはその生臭い記憶がこびりついているのだ。


 身体中に何発もの銃弾を受け、倒れ伏す父親。そしてそれを見てにやりと微笑む職員……まるで殺人を楽しんでいるかのような表情。アキラはそれを必死に訴えようとしたものの、子供の意見では相手にされるはずもない。


 終いにはアキラやハルこそソウゲンを殺した犯人なのではないかという噂まで流れだす始末である。強力な収入源を失い、更には濡れ衣までも着せられた彼らの以降の生活がいかに困難なものであったかは想像に難くない。


 彼らは度重なる転居を強いられ、残り少ない財産の全てを寿命の購入に回さざるを得なくなったのである。アキラ自身も行く先々で酷い虐めに遭い、凄惨な学校生活を強いられることとなった。


 アキラはそれらの全てを怨恨として胸にしまい、その執行課職員への復讐を固く誓ったのである。


 彼はそこからあえて幸福安全保障局に就職するため、あらゆる訓練や勉学を網羅した。堅く凝り固まった官僚機構なら、あえて内部に侵入せねば復讐の相手を捉えることはできないと考えたのだ。


 保障局への就職に有利とされる武道に射撃、更には法学までとにかく大学までで学びつくした。元々勉学には才のあった彼である。彼はニューホープ大学法学部を首席で卒業すると、保障局からの直々のリクルートを受けるに至ったのであった。


 彼も初めのうちは人を殺すという執行課の業務に戸惑ったものだが、復讐相手の探索のためとにかく正確に任務を達成して回った。


 一時期の彼の仕事ぶりは冷酷かつ苛烈。人々の嘆願の声すら聞き入れず執行し、時には非公式の暗殺業にまで手を出したという。


 保障局内部に侵入したにもかかわらず復讐相手の手がかりはほとんどつかむことが出来ず、そのストレスを余計に業務へと向けていったのである。


 しかし彼のそんな苛烈な業務形態が大幅に修正されたのは30代を超えた頃であった。彼は老化治療措置の非適合者及び末期がんとの診断を受けたのである。


 彼は自分の耳を疑った。どうして自分が? まだまだ自分には時間が必要だ。復讐相手の手がかりはせいぜい出世して上層部にいるということぐらい。それでは奴に辿り着くまであと10年は軽くかかることだろう。


 しかし彼に言い渡された寿命は長くて40を迎えられるかどうかまで。制度上購入していた寿命の半分にも満たない長さである。


 こんな理不尽は無いことだろう。生きる価値もない人間、とりわけ彼の復讐の相手はのうのうと高給をのさばって生きながらえ、彼は生きる権利さえも奪われたのだ。父も母も理不尽に奪われ、今度は自分自身まで奪われないといけないのか。


 そこから彼の生き方はガラリと変わった。


 寿命を購入しなくてよくなった分の金はなるべく贅沢に費やすようになり、残り短い人生をなるべく全うできるようにし始めたのだ。


 もちろん復讐の相手に関しては道連れにすべく更なる捜査に力を入れ、金に物を言わせた情報入手も多くなった。結果未だに確信を得ることは出来ていないものの、目的の相手は数択にまで絞るに至った。


 そして、とりわけ執行に関しての変貌は顕著であった。これまでは人々の声など無視して即執行を行っていた彼であったが、それらに耳を傾けるようになったのだ。


 生きる時間が制限されたという彼らの心境に同情を得て、いったい彼らがのような死を選ぼうとするのか、そして自分がそれにどのように加担できるのかに興味を持つようになったのである。


 とはいえ完全に好かれてやる義理も無い。彼はあえてその様な人々の要求に対価をつけ、彼らを試そうとするのだ。


『貴方が欲しがる時間が本当に対価に見合う価値のある時間かどうか知りたいだけですよ。』これは彼が人々によく口にするフレーズである。これによって彼は人々の死に一種の芸術性を付加し、その死が本当にその人間によって価値のある物かどうかを推し量るのである。


 人々に死に際する希望を聞き、一度脅したうえで了承し、最後に対価を要求する。


 これが彼の今の執行のスタイルであった。時間はかかるが、最後には対価とある種の解を得ることが出来る。この幸福で安全とされる世界において本当の幸福を垣間見ることが出来るのである。


 彼は復讐の相手を見つけ出すまで、いや、死ぬまで探し続けることだろう。本当に幸福な死とは何か。それはどんなものなのか、を。


 ――――――


 サクラギの自宅は彼の自室にて。個人の自室にしては十分すぎるほどの広さの部屋にはほとんど物は置かれておらず、あるのは灰色のカーペットに仕事机、小さな本棚にラックのみである。


 扉の横に設置されたクローゼットにはいくつもの幸福安全保障局の制服が並び、向かいにある窓は広大なニューホープの夜景を一部切り取って、生きた絵画のように輝いている。


 サクラギはそんな窓のすぐ近くに置かれた仕事机にて、パソコンとひたすらに対面していた。端末の一部から投影されたキーボードを操るごとに、空中に映し出された立体モニターが次々と移り変わっていく。


 ニューホープ中央研究所……そんなワードに思わず父の記憶を再起され、なんとなく自らの過去を回顧させられる。


「ふむ……?」


 彼はふと横を向いた。するとそこには相変わらずあの少女が佇んでいた。中央研究所の研究員が死したとき、その遺体の元へとあらわれたという少女……


 彼はこれまで民事局の戸籍謄本や幸福安全保障局の寿命購入履歴、さらには交通局の監視カメラ映像まで保障局員権限でアクセスしたが、彼女の形跡は全く見られなかった。


 ニューホープの住民としては存在せず、寿命もなく、さらには外へ出歩いた形跡もない。もちろん彼女がビル・サザンの遺体へとたどり着いた直前には移動する彼女の姿が時折映っていたが、それでもいったいどこから現れたのかまでは特定できなかった。完全に謎の少女である。


「まったく、こんなケースは初めてだな」


 彼は一度ため息をつくと、そのまま椅子の背もたれへともたれかかった。


 こうなってはお手上げである。ビル・サザン博士の履歴を調べても完全にシロ。女性関係など微塵も感じられない。わかったのは彼がサクラギの父親が遺したプロジェクトの一部を引き継いでいたということくらい。


 研究所内部のことまでは調べきれなかったが、それでも今のところ隠し子の可能性など微塵もなさそうだ。


「君が一言でも喋ってくれれば話は別なんだがねお嬢さん」


 彼は皮肉っぽい口調で、彼の目を見つめる少女に語りかけた。そもそも戸籍すら残さず、寿命も購入せずにここまで生きてくることがどうやって叶ったのだろうか。


 戸籍がない時点であらゆる教育機関や医療機関の恩恵を受けることはできず、食料の購入もできない。万が一それで育てられたとしても、発覚すれば即極刑クラスの重罪というリスクを負っているのだ。相当な訳でもなければそんなリスクを負おうとは思わないだろう。


 まあ、あるいは……別の心当たりがないわけでもない。もちろん、そんな可能性は限りなく低いのではあるが……


「アキラ・サクラギ……貴方が、アキラ・サクラギ?」

「!?」


 それは突然のことだった。彼女がふと口を開いたのだ。幼くて透き通るような彼女の声。自らの名前以外を語らなかったその声が突然、サクラギの名を呼んだのである。


「な、なんだ? どうした。お前、口が利けたのか」

「声紋、容姿、骨格、虹彩の認証を完了。すべてデータと一致。いくつかのプログラムを解凍……」


 今までとは打って変わって突然口数を増す彼女。サファイアのように透き通った瞳はサクラギの目をじっと見つめ、ふわりと長い金髪が揺れる。


 しかしその内容も口調もどこか人間離れしたようなものばかりだ。


「お前は、一体……?」

「解凍を完了。ミッションを開始……初めまして、アキラ・サクラギ。私の名前はLA-173、通称”イナミ”。21年前にニューホープ中央研究所で製造された生体アンドロイド」

「生体アンドロイドだと?」


 生体アンドロイド……それはかつてサクラギの父、ソウゲン・サクラギが開発した当時の次世代アンドロイドの名称である。


 内臓や脳の一部、表皮などは人間と同じ生の臓器を用い、筋肉や骨などは人口繊維や合金を用いたアンドロイド……ある意味でのサイボーグである。


 これによって見た目や生理機能は人間そのもの、かつ驚異的な強度と怪力を兼ね備えたアンドロイドが誕生したのだ。脳の大部分は名の電子頭脳組織で構成されているため、従来のものと同じく従順で好きにプログラムすることもできる。


 食事も摂らせても良いし、摂らなくても体内に埋め込まれた小型常温核融合炉からエネルギーが供給されるため、餓死の心配はない。もちろん寿命も長大である。まさに人間に最も近いアンドロイドである。


 しかしその開発プロジェクトはソウゲンの死によってほぼ完全に消滅してしまった。結局のところ、噂では生体アンドロイドのうちごく少数の個体だけが生産され、世に放たれたのだという。


 そのほとんどは捕獲、解体されたが、まだすべてが回収されたわけでもないらしい。それらの精巧さと希少さに魅かれ、時折ひそかに裏で売買が行われることもあるのだそうだ。価格はというと途方もない高額である。金目当てに生体アンドロイド探しを数十年にわたって続け、最終的には寿命不足で死ぬような人間もいるのだという。


「はい。私はソウゲン・サクラギよりいくつかのミッションを受け、後継であるビル・サザンの元で保護されていた。そして、アキラ・サクラギ。貴方にメッセージを伝え、尽くすようにとプログラムされている。これを」


 そういって彼女は壁のほうを見た。すると彼女の目からはまばゆい光が飛び出し、立体映像へと収縮していった。


 そこに現れたのは白衣をまとった一人の中年男性。彫の浅いアジア系の顔で、口元にはひげを蓄えている。髪は天然パーマでもじゃもじゃ。間違いない。アキラの父、ソウゲン・サクラギである。


「父さん……!?」


 アキラは思わず立ち上がった。20年ぶりに拝む父の姿。事故と騙り、幸福安全保障局員により殺された悲劇の研究者。


 もし彼が生きていればもう数世紀分はアンドロイド工学は前進していたとまで言われるほど。偉大な科学者である。


『アキラ……』


 しかし、立体映像の父が小さく口を開き、アキラの名を口にした瞬間だった。突然立体映像は乱れ、そのままぶつりと消えてしまったのだ。


「プログラムにエラー。一部が破損、修復を試行……失敗。メッセージの再生不可。再生を中止」

「おい、どうした!? 何が起こったんだ」

「わからない。メッセージが再生できない。おそらく外的なプログラムの侵入が原因だと思う」

「外的なプログラム? ウイルスってことかい?」

「わからない」


 ぴしゃりと言って捨てるイナミ。そこまで会話が流暢というわけでもなさそうだ。


 サクラギにコンピュータプログラムの知識はない。これ以上は手を出せないか。


 しかし今のを見せられては彼女が生体アンドロイドであるということは確定なのだろう。しかも父とつながりのある個体だ。


 LAといえば生体アンドロイドLive Androidの製造番号、それの173番目ということなのだろう。


 それが父のメッセージを持って現れたとなれば……もしかしたら何か父の殺害についての情報が秘められていたのかもしれない。復讐相手の手がかりももしかしたら……


「そいつは参ったな。どうやったら治る?」

「わからない。でも、メッセージは外的なプログラムによってロックされているらしい。だから、メッセージをロックした相手を特定し、それを解かせればまた再生できると思う」

「なるほど。で、その相手の心当たりは?」

「わからない」

「そうか……」


 彼は再び椅子に腰を下ろした。ふと胸ポケットから黒い煙草を取り出し、火をつける。もうもうと甘い香りを含んだ煙が辺りに充満する。


「まあ大体のことは把握したよ。お前さんは生体アンドロイドで、父さんの形見ってわけだ。寿命も戸籍もなかった理由はそれなんだな?」

「寿命? 寿命って何?」

「ん、寿命を知らないのか?」

「ソウゲンもビルも教えてくれなかった」


 彼女は突然、好奇心で目を輝かせた。これまで無表情だった顔に急に光が宿っていく。口調も表情も何となく単調な印象を拭えないが、ただちょっと無口な人間の少女という風に見えなくもない。本当に精巧なアンドロイドだ。


「はぁ……まあいずれ教えてやる。そうだな、取りあえずこれからどうするかを考えなきゃならんだろう。一応例の夫妻にも説明しておかなきゃならんだろうし……」


 もちろんイナミが生体アンドロイドであることは伏せるつもりだ。下手に噂が流布すれば誰に狙われるかもわかったものではない。


 そんなことを思いながら、彼は吸っていた煙草を灰皿に擦り付けた。


「イナミはソウゲンから、アキラに尽くすようにと命令を受けた。アキラのことはソウゲンとビルからずっと教えてもらっていた。だから、イナミはアキラが好きだ」

「ぶっ、好きってお前なぁ……」

「何かおかしい?」


 突然そんなことを言い出す彼女である。彼女の表情から察するに本気で言っているらしい。そういうプログラムなのかどうかはわからないが……


「尽くすったってどうやって尽くすっていうんだ?」

「家事のプログラムは持っている。アキラの生活を補助できるように。だから家においてほしい」

「簡単に言ってくれるがね……お前は誰に狙われるものか分かったものじゃないんだ。当然私はリスクを負うことになる。隠蔽するにしても寿命の取得や戸籍の登録なんかの工作も骨が折れるんだぜ」

「それでもイナミはアキラといる。そう命令されたから。アキラが好きだから」


 アキラは辟易して彼女から顔をそらしてしまった。どうやら彼は会う前から彼女になつかれてしまっていたらしい。順序が逆だ。


「ま、心配はしなさんな。はなから手放すつもりはないさ。父さんからのメッセージもまだ聞けちゃあいないしな」

「じゃあ、ここにいていい?」

「ああ。ただし家事はちゃんとやることだ」

「嬉しい」

「うわっ!?」


 すると彼女はサクラギの体に飛びついた。サクラギは腹にイナミの頭の直撃を受け、小さくうめき声をあげる。


 彼女は、そのまますりすりと頭をアキラに擦り付けた。言葉や表情の割に表現は豊かな奴である。


「まったく。子供はあまり好きじゃないんだがね」

「大丈夫。私はもう21歳。人間ならもう大人」

「見た目と中身はまだまだ子供じゃないか」

「……イナミはずっと研究所にいたから……」


 そう言ってアキラから離れ、もの悲しそうな表情をする彼女。生体アンドロイドとなれば感情というものも存在しているのだろうか。まあ、まだまだ教育のしがいがあるということにしておくか。


 こうして、サクラギの元へイナミという少女が転がり込むのであった。

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