第2話 永遠に口付けを

永遠に口付けを 上

「それで、この娘はどうするおつもりで?」


 木製のテーブルについて座るサクラギ。そんなテーブルの脇には、一人の少女がきょとんと佇んでいた。


 金の長髪は驚くほど美しく輝き、目には透き通るような青い瞳を浮かべている。年は高々十歳といったところだろうか。肌は白く、美しく整った顔からは彫の深い白人の美少女という印象を色濃く与えてくれる。


 しかしその服はボロボロで、恐らく元は固めの黒スカートと薄手の白シャツだったのだろうということが微かに分かる程度である。


「どうするってもねぇ……兄にまさか隠し子がいたなんて想像もつきませんでしたから……」


 そんな少女を見つめ、サクラギと対面して座っていた中年の男はため息交じりの返答を返した。


 名前はウィリアム・サザン。この少女に関するとある事情のため、自らの家にサクラギを呼び出したのである。今は、ウィリアムは彼の妻とともにテーブルにつき、サクラギと対面しているところだ。


 ウィリアムは小太りで狡猾な印象を強くする男であった。丸い顔には常に油が浮かんでてかてかと輝いている。声もまるで油が跳ねるようなぬめっとしたもので、サクラギの神経を直接嘗め回すかのような不快感がある。


「そうですわ! あれだけ優秀でニューホープの中央研究所にまで勤めていた義兄がねぇ。まあ、エリートにも魔がさすことだってあるかもしれませんわね」


 そこに、サザン夫人がやたらと高い声で付け加えてくる。彼女は金の髪をグルグルと丸め、まるでタワーのように頭の上でくくっていた。細い眼は吊上がり、これでもかといわんばかりに厚化粧で顔を固めている。


 全体的には痩せ型でひらひらとした高級そうな服を着込んでいる。さらには宝石がちりばめられた指輪やネックレスなんかをじゃらじゃらとひっさげ、今にもその重みだけで折れてしまいそうだとサクラギはつい思ってしまうのだった。


 事の発端は彼、ウィリアムの兄であるビル・サザンが先日事故死したことにあった。ビルはウィリアムとは違い昔から成績優秀で、飛び級で最上級大学であるニューホープ大学へと入学、そして卒業を果たしてしまうほどの天才であったのだ。


 彼は若くしてニューホープ中央研究所へと就職すると、それから30年以上の間その世界連邦最高の科学機関にて研究を続けてきたのである。


 彼の研究分野は脳科学、とりわけ人工知能やアンドロイド工学が専門だったということだが、ウィリアムはそれ以上詳しくはよく知らないという。


 もともとそこまで兄弟仲がよかったわけではなく、兄に対する彼の言葉には決まって羨望や嫌味な言葉がついて回った。


 さて、そんなビル・サザンは先日の昼間、ニューホープ研究所から自宅へ戻ろうとしていたところ、自動運転であるはずのタクシーに轢かれ、そのまま命を落としたという。


 医療技術の完成した現代でも事故死だけはどうしても無くすことはできない。事故の原因は結局コンピューターのプログラミングミスとだけ発表され、それ以上は特に調査されることもなかった。


 ウィリアムも兄のまさかの死に動揺を防ぎきれなかったという。もともと寿命以外で死ぬことなどめったにないこの現代で急死するなど運が悪いにもほどがある。保険などというものも存在しないのだ。


 彼は兄の余った分の寿命を現金として受け取ると、その一部を用いて葬儀を行った。


 少女が現れたのはそんな時であった。ビルの遺体を遺体安置所から運び出そうとした際、彼女はビルの遺体のすぐ脇に佇んでいたのだという。


 どこから来たのかを聞いても反応は無し。ただ”イナミ”という名だけを応え、ひたすらビルの遺体から離れようとしなかったのだという。


 結局ビルの遺体は南極にあるニューホープ都市外部へと送り出され、氷葬されたのだが、この少女の処遇をどうしたものかというところで一悶着おこったのだという。


 誰かわからなければ寿命を調べることすらできない。もし寿命無しで生き延びているのであれば重大な犯罪行為だ。それらを調べてもらうことも含めて、幸福安全保障局執行課へと通報が入り、サクラギが派遣されたのだ。


 隠し子や孤児がらみのこういった案件は少なくはない。サクラギは執行課長から直接命令を受けると、ニューホープ第6区にあるウィリアムの自宅へと訪れたのだった。


「しかし……民事局なんかには問い合わせをしたんですかい? いくら隠し子とは言っても普通は孤児や別人の子なんかと偽って市民登録はしてあるもんですぜ。寿命を得るためにね。そうでなけりゃ幸福安全保障法に背いたとして重罪ですよ」

「もちろん問い合わせましたとも! しかしそれでも全くデータが無かったんです。顔認証もDNA鑑定でも一切一致しなかった」

「そうですわ! この子は存在しないはずの人間なんです!」


 サクラギは一度黒髪を携えた頭をかいた。まあ目の前の夫妻の言うことが正しいならばではあるが……いくらなんでも市民登録すらされていないというのは妙だ。


 一体この少女は何者なんだろうか。寿命もなしに生き続けているのだとしたらそれは極刑クラスの重罪である。即その場で執行されても文句は言えないだろう。


 しかしまだ詳細が分かっていない以上下手に処分してしまうことも出来まい。保護者であったと思われるビル・サザン博士が死亡してしまったからには、これはもう少し聞き込みや調査などが必要となるだろう。厄介なことだ。


「しかし……貴方たちには全く心当たりがないんですかい? ビル・サザン氏の身辺の女性関係だとか、養子についてだとか……」

「そもそも兄は生涯独身でしたからね。女性関係も大学の時以来全く聞いてませんよ。愛人を作るくらいなら研究に没頭するタイプの人間でしたからねぇ」

「全く、私には良く理解できない人でしたわ」

「ふむ。養子を得たという話も?」

「知りませんね。まあもっとも、そういう話があったとしても兄は私には言わないでしょうが」


 ぶっきらぼうに言い放つウィリアム。夫人もうんうんと細い首を振るばかりで有益な情報は得られそうにない。


「……分かりました」


 そう言うと、サクラギは一度脇に佇む少女”イナミ”の下へと視線を移した。


「君は何者なんだい? 両親は?」

「……」

「黙っていちゃあ分からんよ。何か答えてくれ」

「……」


 しかし彼女は答えない。青い瞳の浮かんだ目を丸くして、小さく首をかしげるのみである。これでは埒があかなさそうだ。


「まったくこの娘ったらずっとこうなんですわよ!? やっぱり知恵でも遅れてるんじゃないかと……」

「おいこら! 滅多なことを言うんじゃない!」


 そう言って夫人を制止するウィリアム。微かに小声で、『政府の職員の前だぞ』という言葉も聞こえてきた。


 遺伝的欠陥や障害は確かに幸福安全保障局の下監視の対象となる。それに言及するのもタブーだ。しかしサクラギはあくまで聞こえないふりを貫くと、再びサザン夫妻の下へと向き直った。


「この件に関しては一度持ち帰って調査してくることにしましょう。それまで彼女は貴方がたに預かっていただきたいのですが、どうですか?」

「えっ!? しかしですね、私達もあまり余裕が無くてですね……」

「そうですわ! 子供たちもいるんです。いきなり見知らぬ少女が家に居座ったりしたら驚いてしまいますわ」

「ですがあなた方以外に彼女を預かれるような近縁の親戚もいないのでしょう? もし市民登録の確認が取れたらいずれ貴方がたの家に正式に養子として預かってもらうことにもなるでしょうし……」

「いやいやいや、そんなとんでもない! いくら兄のものとはいえ母親も分からない子供ですよ? そんな親や他の親戚に何と言われるか……私はごめんですね」

「ええ彼の言う通りですわよ。私の一家だってそう裕福ではありませんでしてよ? それなのに子供が一人増えるなんて……寿命の負担だってそう軽くはないのに……」


 ならその手に付けた指輪を一つでも売り払えばよいではないか。そう吐き捨てたくもなるサクラギだったが、特に言い返すこともしなかった。結局はそれが彼らの本音なのだろう。


 どうして兄が勝手に作ったような子供の寿命を払ってやらなくてはいけないのか、と。いや、この夫妻なら隠し子でもない本当の兄の娘であったとしても同じような反応を返すことだろう。


 結局は自己中心的な考えしかもっていないのだ。自分の金は自分の金で自分だけの寿命に使う。そう言う人間もサクラギは過去に何度だって見てきた。願わくは、こんな人間の最期には付き合いたくないものだと心底から思う。


「仕方ありませんね……そこまでおっしゃるなら一旦私の方で預かりましょう。貴方がたの方でも一応親戚などに声をかけていただけますか? 孤児院ももう入る隙が無いとかいう話ですからね」

「分かりました。努力しましょう」


 心無い返事を返すウィリアム。そろそろ彼の吐いた息を吸うのも気分が悪くなってきたものだ。


「君はイナミでよかったのかな」


 彼は可憐な金髪の少女の前に膝をついた。そして、右手を軽く差し出す。


 すると彼女は思ったより素直にうなずき、出した手へと答えてくれた。ちゃんと後もついて来てくれそうである。


「それじゃあ行きますか」


 彼はイナミの手を引くと、彼女を連れてサザン夫妻の家を後にするのであった。

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