再会の星空 下
彼らはマンションを出ていくつかの
大通りの両端には多数のビルが並び、様々な看板がビルの横からはみ出している。どれもこれも汚れひとつない白いビルばかり。均質的に揃えられ、なんとなく殺風景な印象を抱いてしまう。歩道を歩く歩行者の数も案内役のロボットの数も、先ほどまでの小道に比べて何倍にも多い。
人々の中にはムラタのように地味な服装をしている者もいれば、少し高級そうな派手な服を着ている者もいた。ムラタが来ているような服は政府から無料で配給される、国営企業の生産品なのだ。そして少し派手なものになるとそれ以外の企業のものになる。
一方の道路には全く同じデザインの黒い車が何十台も行きかい、一面を覆い尽くしていた。それらの屋根には公共タクシーと書かれた札。
そのタクシーには運転手はおらず、国営の管理会社が一括操縦する自動制御システムで運行している。黒く塗られたシックなデザインの車にはタイヤがなく、リニアモーターカーのように磁力で車体を浮遊させて走行している。
このニューホープを走る車はほとんどがこの公共タクシーだ。料金は無料なうえ、電気で走っているため空気汚染の心配もない。車を持つぐらいなら寿命を買ったほうがいいと、中産階級以下の人々はほとんど車を持つことはない。
「行き先はどの辺なんですかい?」
「12区の方です。12区にあるニューホープタワーが私の目的地ですよ」
「ニューホープタワーですか」
言いながら、彼は近くを走るタクシーに停車の合図を出した。ニューホープタワーとは、このニューホープシティの中心街である第12区の中心に建てられた超高層タワーのことである。
あまりの高さにその頂上はドーム状になったニューホープの天井を貫き、更に上まで続いていた。ニューホープのシンボルである。
彼らは近くに止まったタクシーに乗り込んだ。運転手のいない前席からは、合成音声で目的地を訪ねるアナウンスが入った。そこでサクラギはニューホープタワーとだけ答え、背もたれにもたれかかる。
タクシーはすぐに発車し、大通りを進んでいった。揺れ一つなく静かに進んでいくタクシー。無駄なものは置かれず、ただ黒くてフカフカなシートが付けられただけの車内である。
「ちょっと失礼」
そう言って、サクラギは煙草に火をつけた。レトロなガス式ライターで黒い煙草の先をあぶり、白い煙を車内に充満させる。
「はぁ、保障局員が超高給っていうのは本当なんですね。煙草を吸う人なんて今時ほとんどいない」
「そんなこともありませんよ。与えられた職務に比べれば安いもんです」
「職務、ねぇ……」
ムラタは少し嫌そうな顔をしながらサクラギに突っかかった。嫌な臭いの少ない高級たばこではあるが、それでも不快感が拭いきれるわけでもない。
寿命に使うべき貴重な金を煙草のような嗜好品に使う者など、この時代一部の富裕層しかいない。
「先ほども言ったように、何も私達は好きで人を殺しているわけじゃないんです。例外もたまにはいますが……国民の幸福と安全の保障のため、寿命の尽きた人々を正しく執行せねばならないのです。そうしなければ、世界の秩序が著しく乱れることになる」
「そうなんですか……貴方がたも苦労されているんですね」
「ま、それはお互い様でしょう」
静かな会話を交わしながら大通りを下っていく二人。しばらくすると、車はニューホープの中でも高層ビルが立ち並ぶ中心街のあたりへと入っていった。
車窓に移る白いビルの高さは見る見るうちに背を高くし、そこらじゅうに立体道路が網のように張り巡らされている。
通行する車の量もさっきまでとは桁違いだ。タクシーだけでなく、トラックや高級自家用車も辺りを並走しているのがわかる。
そして中心街のさらに中心にはひときわ目立つ灰色のタワーがそびえ、すべての建物を見下ろしている。背の高い三角錐型に複雑な骨組みが組まれ、一定の高さごとに丸く象られた節のような構造物がくっついている。頂上付近は人工雲を突き抜けて、さらに上まで伸びていっているようだ。
あれこそがニューホープの中心。幸福と安全の象徴たるニューホープタワーである。
「やっぱり、この12区のあたりは栄えていますね。いつかはこんなところに住んでみたいと思ったものですよ」
「……目的地はニューホープタワーでよかったですよね」
「はい。そこの最上階が妻との思い出の場所なんです」
彼らは静かな車内、流れていく景色眺めながらニューホープタワーへと近づいていった。この辺りを歩いている人間は大体が富裕層ばかりだ。
大企業及び政府の省庁が集中するこの第12区。それらの関係者専用の居住区もこの第12区に設置されているのである。区外から来る人々は大体地下鉄かタクシーで通勤するのだ。歩く人はほとんどいない。
大企業の重役の家族に政治家の家族、政府の職員など皆傲慢に満ちたような表情をして、この第12区の歩道を渡っていく。先ほどからちらちらと見える自家用車も、大半が富裕層の所有なのだろう。
医療が完成し、技術も進歩した人類はあらゆる社会問題を解決したかに見えた。量子ゲートにより民族問題は消え、人工食料プラントの完成により食糧問題は克服された。人々は働くこともなく生き続けることが出来るようになったのだ。
しかし、それでも消せない問題が一つだけ残った。それが格差である。ニューホープの街も中心街こそこのように華やかだが、外縁部に行けば行くほど人々は貧しくなり、結果的に寿命も短くなっていく。
『真の平等など存在しない。その当人に見合った生こそ最も幸福な生なのである』。それが世界政府の言い分であった。
サクラギ自身、それが悪いことだとは思っていない。実際のところ世界にいるほとんどの人々はこの状況に不満を抱いてはいないし、自分に見合った生をしっかりと享受している。
そもそも世界連邦は民主制だ。幸福安全保障法だって連邦国民の総意に基づいて成立したもの。この世界は国民自身が選んだ世界なのだ。
だが、彼にはそれを全て肯定してやるような義理も無かった。世界が……政府が彼に強いた困難は、彼一人で背負うには重すぎるほどに苛烈であったのだ。
しばらくすると、彼らはタワーのふもとへとたどり着いた。タクシーを降り、タワーの入り口へと入っていく2人。
タワーのふもとには第12区の住人ではなさそうな人々も垣間見えた。いや、むしろニューホープの人々でもない、どこか別の大陸から人々なのだろう。服装も雰囲気が違うし、目新しそうに辺りの高層ビルを眺めている。ニューホープタワーは観光地としても有名なのだ。
一応、元々の役割としてはこの街の中心にあるメインコンピューターから街全域への情報通信のための塔だ。先ほど彼らが乗ってきたタクシーや地下鉄などの公共設備全てがこの傘下にある。
彼らは受付を抜けると、そのまま大きなエレベーターに乗り込んだ。同乗するカップルや家族連れの人々。彼らも上階の展望台へと登るつもりなのだろう。同じ景色を見に行こうとしているのだろうか。
『展望エリアに到着いたしました』
電子音声とともに目の前の鋼色の扉が開く。その向こうには美しい展望エリアの景色が広がっていた。
見上げれば、球場のガラスで覆われた向こうに満天の星空が広がっていた。今にも飲み込まれてしまいそうな星々の海。時間はまだ昼だったはずなのだが……
もともとニューホープシティは南極点に位置する都市である。これが極夜というものなのだろうか。
さて、目の前には広い草原が広がっている。この世界に存在するあらゆる植物を植えこんだ庭。、そこいらに古めかしいデザインの街灯が佇んでいる。それらが漆黒の庭園を照らし、妖美な風景を生み出しているのだ。
隅のほうまで行くと、目下には白くて球状のコロニーの外郭が。ここは南極都市ニューホープの外郭のさらに上。ニューホープタワーの頂上に設置された展望台だったのだ。人工ではない、本当の空を見ることができる唯一の場所である。
「本当にその景色とやらは今日見られるんですかい?」
ふと、サクラギがムラタに向かって聞く。彼らは庭園の中ほど、人気のない柔らかな草葉の上に2人、腰を下ろしていた。
「ええ。一年以上前からずっと予測されていたんです。私の寿命もそれに合わせて尽きるように設定しました。すべては……妻に会うためなんです」
「そうですか」
何でもムラタはどうしてもこの展望台で眺めたい景色があるということだった。1年に一度ほどでしか見られないという珍しい景色。あまり知られてはいないが、若いカップルの間ではひそかに人気なのだという。
確かにこの展望台に上るときもカップルが多い印象だったが、そういうことだったのだろうか。
しかしサクラギは具体的にそれが何かを聞くことは無かった。彼にとってはそんなものは興味の無いものに過ぎない。彼が見たいのはムラタの求めた最高の命の散り様に過ぎないのである。
「ははは。私が若いころは毎年ここに妻と来ていたものですよ。妻が死んだ後も、ね。何だかここにいると、妻がふと帰って来たんじゃないかって、そんな気がするんです」
「帰ってきた、ですか……私にはよく理解できませんな」
「そうですか……でも本当なんです。あの景色が見えた瞬間、妻の顔が目の前に現れて……そう、声も聞こえる」
「一度亡くなった人が蘇るとは思えませんがね」
「信じてもらえなくても結構ですよ。私は聞こえるんです。妻の声が、息遣いが……私がここで死ねば、きっと彼女の元に行ける、彼女にもう一度会うことが出来るはずなんです」
「そうですかい」
サクラギは素っ気ない返事を返した。他人のロマンチズムに興味はない。だが、ムラタが嘘偽りなく本心でそう語っているのは彼にも重々理解できる。
失った愛人の幻想と共に生き、そして死んでいく男。哀れではあるが、またそれが美しくもある。
「……でも、良かったと思います。このユートピアに生まれて、そして死んで行けて……」
「ほう、何故そう思います?」
「妻を失ったとはいえ、私はかねがね平穏な人生を送れたんです。昔は国ごとに戦争なんかをしていた時代もあったのでしょう? そんな時代に私はこの年まで生き残っていませんよ。何の才もない人間が80年も健康に生きながらえることが出来るんだ。こんな幸福なことはないでしょう?」
「……」
サクラギが言葉を返すことは無かった。確かに、彼くらいの中産階級層であればこのような心境を持つ人間も多いことだろう。
だが彼にはどうしても同意しかねるところがある。彼の過去、そして彼の運命は幸福と称するには余りにも遠すぎたのだ。
「私の執行を貴方に担当してもらえてよかった。貴方はそこまで悪い人でもなさそうだ」
「ふふふ、そいつは光栄ですな」
彼らはそのまま二人草原の真っただ中に腰を下ろし、その空を眺め続けた。今にも吸い込まれてしまいそうな景色。不意に恐怖すらも想起させられてしまう。
「もうすぐです、もうすぐ……」
「……!」
しばらく待ち続ける二人。すると、突然彼らの目の前に広がる空に異変が現れた。
空にあった漆黒が淡く緑色に色づき、輝き始めた。と思うとそれは瞬く間にカーテンのように薄く広がっていき、妖美な光を空一面になびかせ始めたのだ。
ゆらゆらと色と形を変え、時には幾重にも枝分かれし、まるでこの漆黒の空へといざなうかのように、それは美しい姿を揺らしている。
「ああ、やっぱり来てくれた……会いに来てくれたんだね……」
「……」
ムラタはその景色を見るや否や、ふとその場から立ち上がった。両手を広げ、空に向かって語りかける。今にもそのまま空へと浮かび上がってしまいそうだ。
サクラギもゆっくりと立ち上がり、その光景を黙って見つめ続けた。自然と、煙草に手が伸びる。ライターで再び火をつけ、煙を吸う。そのまま彼は自らのマントの中へと手を収めた。腰のあたりを巡り、再びマントの外へと戻ってくる。
「あぁ……今いくよ……」
ムラタの口からふわりと舞う一人女性の名前。その声は目の前の夜空へと登っていく。そのまま彼は涙を流し、空に浮かぶ帯をつかもうと更に手を伸ばしていた。
「……」
サクラギの手には、黒い銃。彼はそれをゆっくりとムラタのもとへ向け、そして、引き金を引いた。
ーーーーーー
執行課の職務は寿命を全うした人間をあの世へと送り出してやることにある。時には逃亡する者もいるし、死するその時を思い通りにしたいと欲する者もいる。それらすべてを捌ききるのは困難だ。
いくら高給であるとはいえ、人を殺す仕事であるということには変わりがない。生半可な精神ではすぐに心を病み、生きることをやめてしまうだろう。彼、サクラギ自身も、そういった同僚を何人も見てきた。
「ふぅ……」
ニューホープシティ第13区。高級住宅マンションが集中するその上級都市のど真ん中に位置する高級マンションの最上階にて。サクラギの自宅はそこにあった。
玄関をくぐれば広いシャンデリア付の居間とキッチンが広がっている。部屋の数も一人暮らしにはもったいなさすぎるほど多い。
彼はすぐに居間に置いてあるソファに腰を下ろし、一面すべてが窓になった壁からニューホープの景色を見下ろす。
時間はもう深夜になっていた。人工空はもう明かりも消え、真っ黒に染まっている。そして傘下のニューホープシティは様々な色の光で彩られていた。
第12区の夜景。ビルや道路に沿って整然と光る夜景は少し均質的で、無機質な印象を与えることだろう。
彼は目の前のガラスのテーブルへと視線を戻した。そこには何種類もの錠剤が無造作に置かれている。名称には『抗ガン薬』、『老化防止剤』などの文字。近くには医師の診断書もおかれていた。
「あと五年がせいぜい……か……」
医学が完成し、人が老いることも病気で死ぬこともなくなった現代。だがそれにも唯一の例外がある。
人が何もしなければ老いるのは言うまでもない。しかし、現代では老化を完全に治療することも可能になったのだ。
『老化とは、人類が最初及び最後に直面した難病である』。これは老化の治療法を確立したロード博士の言葉である。
今では寿命を購入したすべての人々が老化の治療を無料で受診し、何歳になってもせいぜい20代後半の肉体を維持できるようになったのである。
ただし、ごく稀にその治療に適合しない人間というものも存在する。彼らはむしろ老化の治療によって急激な老化を引き起こし、最後には末期の癌で死に至ってしまうのだ。
彼、サクラギもそんな不運な人間の一人であった。彼は末期のガンと診断され、抗ガン剤でなんとか進行を遅らせても40台を迎えることはできないとの診断を受けたのである。
これではいくら幸福安全保障法で寿命が延ばせても意味がない。肉体的寿命が尽きるのでは制度ではどうにもならないのである。
彼は目の前にある薬のいくつかを飲み干すと、再びその夜景を後にした。
明日もまた人を殺めねばならない。そんな思いを胸にしまいながら。
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