こうふくのくに
柳塩 礼音
第1話 再会の星空
再会の星空 上
てかてかと光るプラスチック製の道路の上を、1人の男が歩いていく。
見上げれば、頭上を覆う厚い雲が強い閉塞感を感じさせてくれるだろう。周りを見渡せば高いビルやマンションが競うように肩を並べ、その鼠色の図体を曝している。
ディスプレイも兼ねた道路には直接標識や白線が浮かび、それ自身もベルトコンベアーのように動いて男の歩みを助けている。他にも、案内役を兼ねた小さなロボや自動運転の車が道路の上を行きかっている。
彼の周りにも人はちらほらといた。動く道路の上を走ったり歩いたり、時には止まってのんびりと景色を楽しもうとする者もいる。その中に年老いた老人はいない。皆、子供か若しくは壮年の大人達が行きかっていくのだ。
その誰もが、すれ違う黒服の男を見やっては軽蔑とも畏怖とも取れる視線を投げかけていった。時には近くの人とひそひそと悪口を言う者もいる。
揃って彼らの口から出た言葉は『ハンター』だとか、『殺し屋』だとか、そんなものばかりだ。
彼はそんな言葉も聞くそぶりを見せず、淡々とその太くもない道路の上を歩んでいった。
真っ黒なズボンに真っ黒なスーツの黒づくめ。更にその上に外套を羽織り、左胸の辺りを何やら金の七芒星が刻印されたバッジで止めている。
髪は黒い短髪で、スラリとした体型。身長は180センチ程だろうか。顔は平ためでほおが少しこけているが、くっきりとした目元や眉毛で整った印象を受ける。そして口には黒い煙草を加え、もうもうと煙を垂れ流していた。
彼はちらりと腕の辺りを見やった。手首には四角いモニターの付いた小型端末。そこには壮年位の男の顔と、何やら地図が表示されていた。
彼はその地図を見つつ、すたすたと軽い足取りで動く道路を右へ左へと渡っていく。
「……」
しばらくして、彼はとあるマンションに到着した。動く道路から逸れ、入り口に立つ。
手首の端末には目的地と現在地の両方の欄に『ニューホープシティ第17区111-22-4 第四マンション』と、アルファベットと簡易化された漢字が交互に並ぶ『チャイリッシュ』と呼ばれる文字で綴られている。
見上げれば、マンションの汚れ一つない白い壁はどこまでも上へと続いている。その所々には窓が取り付けられ、そのほとんどがカーテンで遮られていた。
彼は手に持っていたタバコを投げ捨てると、目の前のマンションへと入っていった。
入り口はガラス張りのオートロックだった。だいたい中流クラスの平凡なマンションなのだろう。彼は自らの手首の端末を、そのカードキー人称部分に宛がう。
『しばらくお待ちください……幸福安全保障局局員アキラ・サクラギ様、認証しました。ロック解除します』
自動音声が女性の声で流暢に読み上げた。同時にガラス製のドアが開き、彼、アキラ・サクラギはマンションの中へと歩み入っていった。エレベーターに乗り、36階のボタンを押す。
そして彼はこの第四マンション36階、3604号室の前に立った。扉の横にはムラタと表札が設置されている。間違いない。彼の手首の端末に表示された男の名と同じである。
彼はごそごそとマントを探り、ある物を取り出した。黒光りする拳銃である。サプレッサーを付けた小型拳銃。それを扉に向け、そのままチャイムを鳴らした。
ジーという低い音が真っ白な鉄扉越しに聞こえてくる。
「はい、どなたですか?」
しばらくすると、がちゃりという開錠音とともに目の前の扉はゆっくりと開いた。中から現れたのは、見た目30代ほどに見える壮年の男だった。
平ための顔からするに、サクラギと同じアジア系の人間なのだろう。着ているのは白いセーターに黒ジーンズというごく地味な服装である。
彼は目の前で拳銃を構える男を見るなり驚くような表情を見せた。しかし、すぐにその表情は収まり、全てを悟ったかのような顔へと収束していく。
「初めまして。幸福安全保障局執行課のサクラギです。ジョーンズ・フレデリック・ムラタさん。貴方を『執行』しに参りました」
低い声で淡々と話していく黒ずくめの男。背はムラタよりも高く、彼を上から見下ろしている。銃口はまだ彼に向けられたままだ。
「そうですか……ようこそサクラギさん。まあそんな物騒なものはしまって、上がっていってください」
「おや、抵抗されないんですか」
「はは。抵抗なんて。私は待っていたんですよ、貴方のことをね」
「ふむ……」
「まあ立ち話もなんですから、中で少し話しましょう。飲み物も用意してありますから」
意外そうな顔をして銃を下ろすサクラギ。そんな彼を尻目に、ムラタはまた家の中へと入っていってしまった。サクラギも言葉に甘え、家の中へと入っていく。
ムラタの部屋はまさに凡庸なマンションの一室といった様相であった。
靴脱ぎ場は無く、土足のまま茶色いカーペットの上へと歩んでいく。トイレやキッチンがついた短い廊下を抜けると、大体20畳くらいはありそうな居間が広がっている。一人暮らし用のマンションにしては少し広すぎるような気もしないでもない。
恐ろしいほどきれいに片づけられた居間。机にも本棚にもベッドにも何一つ物は置かれていない。まるで今から引っ越しでもするかのようだ。
そして、中央には小さめで木製のダイニングテーブルが置かれ、同じく木製の椅子が2つ、つけられていた。
「すぐに紅茶を淹れますから、先に座っていてください」
そう言ってキッチンへと戻っていくムラタ。サクラギは、返事もせずにテーブルにつけられた椅子に座った。
同時に一度外套を脱いで椅子の背もたれにかける。先ほどムラタに向けた拳銃は腰につけたホルダーに収められている。
「いやはや、お待たせしました。そういえば、紅茶はお好きでしたか?」
「まあ。コーヒーよりはね」
赤い紅茶を入れたカップを一対と砂糖入れをテーブルに置き、自分も席につくムラタ。サクラギはすぐにカップを手繰り寄せると、砂糖入れから砂糖を3杯、自分の紅茶に溶かし込んだ。
「随分と入れるんですね」
「そうですか? 私はいつもこうしているので」
そしてサクラギはゆっくりと熱い紅茶を一口だけ飲んだ。香りを楽しみ、またカップを机の上へと戻す。
「それで、本題ですが……」
「分かってますよ。私を殺しに来たんでしょう?」
ムラタはサクラギの言葉を遮るように言った。
「……端的に言えばそうですな。貴方の『寿命』は本日で満了します。ですので、本日付で貴方を執行します」
寿命――それは幸福安全保障法で定められた、人が生きていられる時間のことである。
人類は科学技術を著しく進歩させた。人工食料プラントや核融合エネルギーの完成により食糧やエネルギーは無尽蔵に得られるようになり、量子ゲートの発明によって世界のどこへでも一瞬で行けるようになったのである。
結果、国家の地理的隔たりは消え、人類は争いを止め、世界連邦が誕生した。『ユートピア』、それがこの世界連邦の俗称である。
更に人類は医学をも完成させ、ほとんどあらゆる病気を克服できるようになっていた。
その医学はついに老化までもを克服する至り、人類の理論的寿命は無限大にまで拡張するに至った。事故や殺人などで死なない限り、人は永遠に生きられるようになったのだ。
そして世界政府が樹立してしばらくした頃、政府は『幸福安全保障法』を公布した。
その内容は至極単純。食料費、教育費、医療費、税金などといった生きるために必要な費用を全て『寿命』という一つの指標に統一しようというのだ。
今あげたような費用を全て無料にする代わりに、『寿命』を購入させ、それが尽きるまでユートピアで生活する権利を与えたのである。
同時に成立したのが幸福安全保障局である。
業務内容は『人類の幸福と安全を保障すること』。表向きには字面のままであるが、実際の業務はそこまで明るいものではない。
第一にあるのは、幸福安全保障法の執行である。具体的には寿命の尽きた人間を出頭させる、もしくは連行する、若しくは直接赴いて生命を断つ――つまり『執行する』というものだ。
『生きる権利を失った時をもってのみ、人は幸福なる死を与えられる』。それが幸福安全保障法の教義であった。
アキラ・サクラギはそんな業務を担当する執行課の職員だった。寿命が尽き、出頭命令に応じなかった人間を連行、もしくはその場で命を絶つのが彼の仕事である。
方法は自由。銃で撃とうが麻酔で眠らせようが絞殺しようが彼の自由なのである。もちろん罪には問われない。
「そうですか……」
それだけ言って、ムラタは窓の外を見た。曇天の下には立ち並ぶ白い建物たち。遠くには背の高いビルが集中した地区も見える。
あの曇天も本当は人工で作られた映像に過ぎない。ユートピアの首都、ここニューホープシティは南極点に建設されたコロニー型の人工都市なのである。どこの国家にも属さなかった最後の中立地区。世界政府は、そここそが首都に相応しいと判断したのである。
再びサクラギの下へと視線を戻すムラタ。すると、彼はまるで思い出を語るかのように言葉を紡いでいった。
「私はしがない平凡なサラリーマンでした……子供はいませんでしたが、妻と二人で一応は不自由ない幸せな生活を送れていました。まあ、収入は2人分の寿命を買うので精一杯だったんですがね……」
「ほう。で、奥さんは?」
サクラギは静かに聞き返した。明らかに、今彼が夫妻で暮らしているというような形跡はない。表の表札もムラタ一人分の名前しかなかったのだ。
「死にましたよ。もう20年も前にね……私の勤めていた会社の業績が傾いて、社員全員減俸を食らったんです。それで2人分の寿命を購入できなくなって……それで、どうするかって話になって……」
サクラギは黙って紅茶を一口すすった。一方のムラタは拳をぎゅっと握りしめ、顔をしかめていく。言葉も絞り出すようだ。
「私は、私は自分が犠牲になるって言ったんです。でも……妻の方は結局私が死んで収入が無くなったら一緒だって……結局私は……妻の命を犠牲にして生きながらえてしまったんです」
「それは心中お察ししますな」
「……」
取って付けたようなサクラギの言葉。ムラタも何も言うことも出来ず、ただただ苦い表情をする。
相当な苦労があったのだろう。長い長い別れの物語を彼の表情が代弁してくれているように思う。だが、サクラギは一切そんなことには関心が無いようだった。というより『慣れ』というものの方が大きかったのかもしれない。
「はぁ……妻は、最後に私にこう言いました。私の分まで幸せに生きて欲しい、と。その言葉を頼りに今まで私は生きてきたんです……! でも、去年ついに80歳を迎えて会社を退社させられました。もう次の年の寿命を買うお金もありません……」
「そうですか。それじゃあ今まで局の方に出頭しなかったのは何故です? 通知は行っていたはずですがね」
サクラギが気になっていたのはそこだった。寿命が尽きそうになった人は保障局に出頭するように通知が送られる。専用の施設で死までのカウンセリングを受け、幸福な死を迎えられるように配慮されているのである。
しかし彼はそうしなかった。そういう人間には必ず何かがあるのだ。出頭できない何かが。出頭したくない何かが。彼、サクラギはそんな人々の下へと出向き、それらを処理しなくてはならないのである。
時には死への恐怖のあまり逃亡を図る者だっている。それを防止することも執行課職員の役割なのだ。
「それは……そう、そのことなんです。サクラギさん……でしたか、貴方にどうしてもお願いがあるんです!」
「お願い?」
「ええ……とある場所に行きたいんです」
「ほう……」
サクラギは眉を軽く吊り上げた。彼の業務はようやくここから始まるのだろう。そんな気持ちを胸に抱いて。
「場所っても色々ありますがねぇ」
「私と妻の思い出の場所なんです。一年に一度だけ現れる景色、それを見られる絶好のポイント……妻と出会ったのも、告白したのも、婚約したのも、そして彼女が死ぬ前に最後に2人で行った場所も……全部そこだったんです。そこは私と妻の全てが詰まっているんです。出来れば、最後にそこに行きたい……いや、そこで死にたいんです」
「なるほど」
サクラギは大体の事を理解したようだった。こんな風に死ぬタイミングをどうしても指定してほしいというのは割とよくある案件である。
彼も執行課に配属されて20年余り、こんな事例には何度も遭遇して来た。業務の中ではかなり穏健な方だ。
「大体のことは分かりました。それで、結論だけ言うと……それはできません」
「えっ……!? ど、どうしてですか」
「当然でしょう。貴方は本日付で寿命が尽きています。本来ならば、私が訪問した時点で大人しく死を受け入れてもらわなければならないんです。私だって次が控えているんでね。業務を滞らせるわけにはいかない」
淡々と説明していくサクラギ。そこまで言い終えると、彼は冷めた紅茶を一気に飲み干した。
「許してくださいな。これも公務ですから」
そう言って、彼は腰にかけていたサプレッサー付きの銃をムラタに向けた。この時代には珍しくなった弾丸式の銃。ワルサーPPK、それがその銃の名前である。
「そ、そんな……待ってください! あと一日……いや数時間でいいんです! お願いします! 妻に、妻に会わせてください!!」
ムラタは顔色を真っ青にし、サクラギに向かって嘆願を投げかけた。
「お願いです……殺さないで……」
「……」
それでもサクラギは銃を下ろそうとはしない。ムラタの顔にはついに涙が溢れ、二筋の滴が頬を伝っていった。
重い沈黙と鋭い緊張感が殺風景な部屋を満たした。ムラタはもう何も言うこともできず、ただ涙目でサクラギに嘆願することしかできない。
「……ふ、なんてね」
サクラギはふと銃を下ろした。にやりと口元を歪め、腰元のホルスターに銃を収める。
「巷では私達のことをハンターなんて呼ぶ輩がいるそうですが、私達も好きで人殺しをしているわけじゃありません。幸福安全保障局の最大の業務は『人々の幸福と安全を守ること』です。つまり、人がその命を終える瞬間まで幸福を保証してやるのが私の仕事という訳です」
「……じゃ、じゃあ……!」
「ただし、タダとは言いませんぜ」
ぴしゃりとムラタの言葉を遮るサクラギ。その顔には真剣かつ狡猾な表情が浮かんでいる。
「ただとは言わないって……?」
「当然でしょう。貴方を少しの間でも生かしてやるということは寿命を延ばしてやるも同じです。それならその価値に見合った礼を頂かないと私としても割に合いません」
「なるほど……金を払えってことですか」
「そういうことです。貴方が欲しがる時間が本当に対価に見合う価値のある時間かどうか……知りたいだけですよ。まあこの辺はただの私の趣味なんですがね」
一気に呆れたような口調に変わるムラタ。この期に及んで死にゆく人間に金をたかるとは。欲深さに辟易を禁じ得ない。
「で、値段は……?」
「そうですね……貴方が遺す予定だった遺産全てとしておきましょうか」
「……いいでしょう。どうせ貰い手もいない物です。私の願いをかなえてくれるならそれくらい安いものですよ」
「分かりました。承りましょう」
そう言って、彼は椅子から立ち上がった。マントを羽織り、ムラタと共に玄関の方へと向かう。
「それでは行きましょうか。貴方の思い出の場所とやらに。案内は頼みましたぜ」
「分かりました」
こうして、彼らはマンションを後にした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます