学祭のお化け屋敷でヒドイめに遭いました

タカテン

第1話 昇降口でゾンビに遭いました

「それでは三年生有志主催『恐怖! 旧校舎のお化け屋敷』、行ってらっしゃいませー」

 受付を務めるお姉さんの口調は、とても軽かった。

 対して僕たち二人の後ろで閉ざされた分厚い扉は、さすがに鉄製だけあって、重厚な音を古い校舎に響かせた。

「旧校舎には初めて入るのですが……中は結構ひんやりとしてるのですねぇ」

 薄暗い蛍光灯に照らされた、もう使われなくなって久しい昇降口。ぼろい。埃っぽい。そしてなんと言っても気味が悪い。十年間も放置されていた旧校舎は、なるほど確かにお化け屋敷としての雰囲気十分だった。これに目を付けて学園祭のアトラクションに仕立てたのは、企画者を知っているので口惜しいが、お見事と言えるだろう。

 が、それらの印象を押しのけて、瑠璃ちゃんの口からまず零れたのは外との気温差の事だった。確かに少し肌寒い。九月下旬のまだ暑い日差しを受けて、先ほどまでじんわりと吹き出ていた汗も、中に入った途端すっと引いてしまった。

「うう、これなら冬服を持ってくればよかったのです」

 瑠璃ちゃんは、ただでさえ僕の胸あたりまでしかない身長をさらに縮こませる。そして制服の半そでから覗かせる健康的で細い腕を、左右の手で擦って暖め始めた。見ると少し震えているようだ。

「瑠璃ちゃん。一応訊くけど、怖くて震えてる、ってわけじゃないよね?」

「へ? 怖い、ですか?」

 僕の質問に瑠璃ちゃんはきょとんとした表情を浮かべる。

「寒くてちょっと震えるですけど、怖いことなんて何にもないですよ?」

 瑠璃ちゃんは「なんで?」と首を傾げた。

 一緒に長いポニーテールも左右に揺れる。

 うん、予想した通りではある。でも、お化け役で参加された三年生の皆さんには、お詫びせずにはいられない答えだ。恐怖ではなく寒さで震えているなんて、驚かす側からすれば不本意な事この上ないだろう。

「あ、でも、見てください、栗栖センパイ。下駄箱にいっぱい埃が溜まってるですよ。すごーい、まるで雪みたいですねぇ」

 そんな瑠璃ちゃんが次に関心を持ったのは、昭和レトロの趣きが薫る木製の下駄箱。正確に言えば、その上に積もっている塵芥だ。

 床にも埃は溜まっている。が、それらには足跡がいくつも残されていた。僕たちよりも先に入った生徒たちのものだろう。でも、下駄箱はまったくの手付かずであった。そりゃそうだ。普通は埃なんか触りたくもない。

 が、瑠璃ちゃんは戸惑うことなく、自分の背丈よりも遥かに高く、自分の年齢よりもずっと年上の下駄箱にそっと指を走らせる。

 山盛りに積もった塵はカラカラに乾燥していた。だから触った途端、指に引っ付くことなく空中へと舞い散った。蛍光灯の光を反射してキラキラと輝く。その様子はまぁ雪に見えなくもない。

「うわん、ごほっ! ごほっ!」

 でも、雪で咳き込む人はいないだろう。やはり塵は塵で、雪ではないのだ。

 涙目で「うー」と唸る瑠璃ちゃんに僕は苦笑いした。

「それにしても……」

 その後も「蛇の抜け殻を発見したです! これをお財布に入れておけば、大金持ち間違いなしですよ。やたっ!」とか「相合傘の落書きがどこかにあるはずなのです。センパイ、探しましょう!」と、はしゃいでいる瑠璃ちゃんをよそに、僕は辺りをぐるりと見渡す。

 十年前に新校舎が出来て以来、ずっと放置されていた旧校舎は、昭和の初めに建造された骨董品だ。老朽化による危険性から長らく立ち入り禁止とされ、僕自身も中に入るのは今回が初めてだけど……

 イイ。すごくイイ。

 お化け屋敷なのにちっとも怖がらない瑠璃ちゃんも瑠璃ちゃんだけど、独特の薄気味悪さに恐怖ではなく魅力を感じてしまう僕も、ちょっと困ったお客さんなのかもしれない。

 僕は持ってきたカメラを構えると、夢中になってシャッターを切った。このカメラは基本的に最後の学祭を楽しんでいる先輩たちの姿を写す事になっている。でも、こんな魅力的な被写体を見せられては、写真部部長として居ても立ってもいられない。うん、こういった誰からも忘れ去られ、時が止まったかのような場所は僕の好みど真ん中だ。独特の寂寥感がたまらないよね。

 さらに言えば、そんな廃墟じみた場所に小柄な女の子が一人佇むのも趣があっていいじゃないかいいじゃないか。

 僕はあちらこちらへ関心の目を向ける瑠璃ちゃんを呼び止めると、そこで立っててと合図する。

 数枚ぐらい、今回の趣旨に反した写真があってもいいだろう。いや、いいに違いない。ダメって言われたら、そのフィルム代くらいは僕が弁償するよ、もう。

 ファインダーの中で、瑠璃ちゃんがちょっとはにかんだ笑顔で微笑んでいた。

「さて、じゃあそろそろ先に進もうか。お化けの皆さんも待ちくたびれているだろうしね」

 思わず三十六枚撮りのフィルムを一本丸々使った僕は、フィルムを交換して立ち上がった。

 しかし、そんな僕を瑠璃ちゃんは不思議そうな表情で見つめると、急にぷっと吹き出して

「やだなー、センパイ、お化けなんているわけないのですよー」

 と、クスクス笑い始める。

「えっと、うん。瑠璃ちゃん、お化け屋敷ってどういうものか知ってる?」

「あ、もうまたバカにして。それぐらい私だって知ってます」

 さっきまで笑っていたのに、今度はぷくぅと頬を膨らませる。

「お化け屋敷とは、お化けが出てきそうな建物の事を言うのです。でも、お化けなんて存在しませんから、安心して欲しいのです」

 そして残念ながら決して大きくない胸を張る。

 うん、そうか。なるほどなるほど。

 やはり「お化け屋敷」というものを理解していなかったか。

 僕は笑いながら「だよねー」なんて瑠璃ちゃんに同意する。もっともそれは彼女の発言にではなく、僕自身の認識に間違いがなかった事に対するものなんだけど。

 そう、やっぱり瑠璃ちゃんは、ちょっとおかしな子だった。


 彼女、仁堂瑠璃は今年の春、写真部に入ってきた期待の新人だ。

 はっきり言おう。かなりカワイイ。

 小柄な体格だけでなく、顔も、手も、あとこれは個人的に少し残念だけど女性特有の胸の膨らみまでも全て小さなパーツで構成されている。くりっとした眼、微笑んだ時に見える八重歯、普段からげっ歯類のように口をむにっとしている事もあって、まるでハムスターのような愛くるしさだ。

 おまけにポニーテールにした長い髪が、活発な彼女が動き回る度にゆらゆらと揺れるのもポイントが高い。

 一見すると普通の、ちょっと小柄なカワイイ女の子。

 が、残念ながら多少変わった子でもある。

 例えば普通の人は部活動の掛け持ちはそんなにしないものだろう。

 やっても二つか、三つ。五つ以上ともなると、部員というよりも一時的なヘルプ扱いなのではないかと思う。

 ところが、瑠璃ちゃんを正式な部員として登録している部活動は、僕が知っている限りで十は下らない。しかもどれも幽霊部員ではなく、ちゃんと定期的に参加しているのだから恐れ入る。僕の写真部だって、一週間に一度は必ず出席してくれていた。

 だが、それだって、もしかしたらどこの高校にも一人はいるのかもしれない。

 しかし、その入部理由が「将来の特殊部隊入隊に向けて技術を取得するため」なんて子はまずいないだろう。ましてやそれが若さゆえの憧れだとか、一時的なマイブームなんてものではなく、幼少の頃から本気で目指してきた日本人なんて瑠璃ちゃんぐらいではないかと思う。

 しかもそれを隠しもせず、あけっぴろげに話すのだから、彼女に好意を抱いている僕ですら「ちょっと変わっているね」と言わざるをえない。

 まぁ、でも、自分を偽って「ちょっと変わった子」を演じているのはイタイけれど、瑠璃ちゃんの場合は天然モノだ。それはそれで純粋無垢でカワイイと僕は思う。


 と、ひとりニヤけた瞬間、蛍光灯がパチパチと音を立てて全て消灯した。


 本来は立ち入り禁止の旧校舎は、誰かが中に入って悪戯をしないよう全ての窓に板が打ち付けられている。だから外からの光はほとんど入ってこない。かろうじて非常灯の弱々しい光が辺りをぼんやりと照らしているものの、圧倒的に闇が支配する旧校舎は、まさしくお化け屋敷そのものだ。ただでさえ独特の薄気味悪さがあるのに、こう暗くては何かこの世ならざるモノが這い出てきてもおかしくない雰囲気すら漂ってきた。

 そして、僕の予想に応えるように「のあー」とも「ぬぼー」とも聞こえる低い呻き声を発して、下駄箱の向こうからズリズリと現れたのは……

「うにゃあああああああああああ!!」

 ドロリと溶け落ちた片目。まるで腐敗したかのように爛れた皮膚。体のあちらこちらには白い骨が見えて、特殊メイクがばっちり決まったゾンビだった。

 が、それに感心する間もない。突然奇声を発した瑠璃ちゃんは問答無用で突進すると、ゾンビ役の先輩の鳩尾に鮮やかな前蹴りを食らわせていた。

「ぐぼうぇあうわぁ」

 ゾンビが派手に口から液体を撒き散らすのは、多分、きっと、いや間違いなく演技でもなんでもないのだろう。実際、ゾンビらしからぬ動きとゆーか、床に横たわって両足を激しくじたばたさせて痛がってるし。

 うーん、まさかいきなり攻撃されるとは思ってもいなかったんだろうなぁ。かく言う僕もこれは予想外な展開だ。僕のシナリオでは突然現れた化け物に、驚いて抱きついてくる瑠璃ちゃんを守りながら、ルールに則って鮮やかに撃退する事になっていた。

 それなのに、いきなり攻撃しちゃうとは……さすがは瑠璃ちゃん、恐怖で足がすくむよりも撃退する本能が勝っちゃうステキな子だ。

 てか、そもそも瑠璃ちゃん、化け物とか怖くないのかも?

 一瞬、そんな疑問が頭をよぎる。お化けなんか存在しないと言っていたし、これも化け物ではなく単なる襲撃者として撃退した可能性もある。さっき聞いた奇声だって実は気合みたいなもので、彼女の流派ではあのような掛け声をあげるのかもしれない。

 にゃんこ拳法ネコジャラシ的な?

 が、僕のそんな妄想は

「セ、セ、センパイ、化け物ですっ! 化け物なのですぅぅぅぅ!!」

 僕の胸に顔を埋め、子猫のように震える瑠璃ちゃんの様子からあっさり否定された。

「う、うん、そうだね。だってほら、ここお化けが出るって有名な旧校舎だからね」

「おおおお化けってホントにいるのですかぁぁぁ!?」

 瑠璃ちゃんが顔を上げ、僕を怯えた瞳で見つめる。

「うーん、そうみたいだね、僕も信じられないけど」

 溜息をつく僕に、瑠璃ちゃんはますます泣きそうに表情を歪ませる。

「は、はやく、外に逃げるのです! 今すぐ!」

「そうしたいんだけど、どうもね、無理みたいなんだ」

 僕は、先ほど入ってきたばかりの鉄の扉を肩越しに指差す。僕に抱きつきながら、こわごわと背後の扉を覗き込む瑠璃ちゃんは、途端に体を強張らせ、そして

「うわん」

 と一言呟いて気絶したのだった。


『この扉が開く時、それはお前が死んだ時だ』


 蛍光灯が灯っていた時は、そこには昇降口と書かれた張り紙があったはずだ。おそらくは明かりが消えてゾンビの襲来があった時に、外から張り紙を回収したのだろう。扉を開けなくとも、紙に釣り糸をつけて外から引っ張ってやれば、扉の隙間から回収は可能だ。

 血を想像させる赤いペンキで扉に書き殴られたその言葉は、子供だましではある。

 けれども、瑠璃ちゃんの恐怖メーターを振り切るには十分すぎるのだった。

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