第8話 放送室で××する時はスイッチの確認を。大事な事なので二度言いました
ヘンテコな夢を見た。
何故か僕がハンマー投げのハンマーになって、ぶん投げられる夢だ。
凄い勢いで振り回されて頭はくらくらするわ、何故か色々なものとぶつかって体中が痛いわでサイテーな夢だった。
おまけに着地地点には瑠璃ちゃんが、泣きそうな表情で立っていて、飛んでくる僕に気付いていない。逃げてって叫びたくても声が出なかった。軌道を変えたくても体が動かなかった。焦っているうちにどんどん彼女との距離が近くなる。
もはやこれまでなのかと思ったその時、ついに瑠璃ちゃんが僕に気付いてくれた。
でも、驚くわけでも、逃げるわけでもない。あろうことか、僕を見つけた瑠璃ちゃんは眩しい笑顔を浮かべて、両手を広げて僕を受け止めようとする。
ダメだ、瑠璃ちゃん。逃げろ! 逃げてくれ!
僕は今ハンマーなんだ。
しかも凄い勢いで飛んでいる。
そんな僕を受け止めるなんて無茶だ。
「瑠璃ちゃん!」
唐突に声が出た。
体も動いて、上半身を跳ね上げた。
「きゃふっ!」
「イテェ!」
眠っている僕を見下ろしていた瑠璃ちゃんと、突然跳ね起きた僕は、お互い避ける事もままならず激しくおでこをぶつけ合った。
「ううっ、まだおでこが痛いです」
放送室の長椅子に腰掛け、僕を膝枕しながら瑠璃ちゃんは口を尖がらせて非難めいた表情を浮かべる。
「う、うん、ごめん。変な夢を見て思わず飛び起きちゃった」
僕はしどろもどろになりながら答えるけど、正直それどころではない。
だって、膝枕だよ、HIZAMAKURA! 男性なら何歳になっても憧れるこのシチュエーションで、冷静になんかいられないって。しかも、瑠璃ちゃんの太ももの柔らかさと弾力といったらもう。
人類の宝として認定すべきだ今すぐに!
「でも、良かったです。センパイが目覚めてくれて」
ひとり盛り上がっている僕とは対照的に、今度はほっとしたような、でもどこか不安そうな微笑を浮かべながら瑠璃ちゃんが僕の頭を優しく撫でる。さっきまでの恨めしそうな表情はすっかり消え失せていた。
「瑠璃ちゃん?」
「ごめんなさいです。センパイ、必死になって私を助けようと駆けつけてくれたのに、私、つい……」
言われて思い出した。そうだ、あの時、僕はバランスを崩して仰向けになって、瑠璃ちゃんを見上げる格好になった。足首の縞パン。すらりと伸びた奇麗な足。今もその恩恵に授かっている弾力のあるふともも。そして、その先には――
なんてことだ、瑠璃ちゃんのゲンコツしか覚えてない。
僕は思わず頭を抱えた。
「センパイ! 頭が痛むですか!?」
瑠璃ちゃんが慌てふためく。
「あ、ごめん。大丈夫だから」
「痛かったら遠慮なく言ってください。もっとも、私にはこれぐらいしか出来ないけど」
瑠璃ちゃんは再び僕の頭を優しく撫でてくれた。
何度も。愛しさをこめて。
何度も。祈りながら。
何度も。僕の痛みが少しでも和らぐようにと。
それはとても気持ちが良くて、僕は目を閉じる。瞼に浮かぶのは、ふとももの先の記憶……ではなくて、春の出会いから何度も見てきた、瑠璃ちゃんの太陽みたいに眩しい笑顔。いつも元気いっぱいで、何事にも全力で立ち向かう姿。僕に褒められて少し恥かしそうに、でもその何倍も嬉しそうに喜んでくれる表情。
ゆっくりと瞼を開ける。
僕が好きになった瑠璃ちゃんが、そこにいた。
「よかった」
僕は頭を撫でられながら呟く。
「瑠璃ちゃんが無事で、本当によかった」
心からの言葉だった。
気が付けば、ふとももの先への未練なんて消え失せていた。
どうやってあの窮地から脱したのか。気絶した僕が知るよしもない。でも、いつも通りの瑠璃ちゃんが、何も変わらない無事な姿でここにいる。格好いいところは見せられなかったけれど、それだけで僕は満足だ。
瑠璃ちゃんの顔をもっと近くで見たくなって、左手を彼女の頭へと伸ばそうとする。が、手が頭に届く前に、僕の頬に熱い雫がぽとりと落ちた。
「えっ?」
「……っ」
瑠璃ちゃんが笑顔を浮かべながら、泣いていた。
「あ、あれ、なんだろ、おかしいです……」
頬を伝って流れ落ちる涙の感覚で初めて自分が泣いている事に気付き、慌てて目尻を拭う瑠璃ちゃん。でも、涙は止まらない。
僕の顔に狐の嫁入りの雨が降り注ぐ。
「ごめんなさい、ごめんなさい。だって、私、センパイにあんな酷い事をしたのに……だからきっと、みんなみたいに私のこと……嫌いになるんじゃないかと不安だった……なのに、なのにセンパイは……」
涙ながらの言葉に、僕はそっと伸ばした手を彼女の頬にあてる。
「安心して」
そしてめいっぱいの勇気を出した。
「僕はそんなところも含めて、瑠璃ちゃんが大好きなんだから」
特殊部隊の隊員になる。
その夢に瑠璃ちゃんが走り始めたのは、五歳の頃だったそうだ。
理由はやはり特殊部隊の隊員であった父親が、とあるミッションで消息不明になってしまったから。かれこれ十年も生存が確認されていない父親を、瑠璃ちゃんはどこかで絶対生きている、そして私が助けに来るのを待っていると信じている。
幸いにと言うべきか、それとも運命の皮肉とでも言うべきか。父親の同僚で、引退して総合格闘技の道場を開く男が隣町にいた。五歳の瑠璃ちゃんはそこで父親譲りの才能を次々と開花させ、小学校を卒業する頃には大人でも敵わない技術を身に付けた。
さらに大人たちを驚かせたのは、瑠璃ちゃんの小さな体からは到底説明が出来ないパワーだった。そのあまりの力強さゆえに、父親が取り憑いているんじゃないかと一部の大人たちは噂した。
それを聞いた瑠璃ちゃんは、大好きだった父親がいつも自分と一緒にいてくれるんだと嬉しく思ったという。ただし取り憑いているという表現は嫌いだった。力を一時的に貸してくれているんだ、そう信じた。
夢に向かって着々と突き進む瑠璃ちゃん。でも、成長すればするほど、同年齢の友達との関係がぎくしゃくしていったそうだ。
修行の毎日で世間の流行はおろか、遊園地やカラオケ、ゲームセンターといった同年代の子が集まる場所にも縁が無い。一人我が道を行く彼女の元から、気が付けば友達が一人またひとりと去っていった。
その流れに拍車をかけたのが、中学二年生の時に起きた事件だ。
付き合うという意味も分からないまま、告白してきた男の子と付き合う事になった翌日。その子が「俺の右手には世界を滅ぼす力が封印されている」なんて言うものだから、興味を持った瑠璃ちゃんは昼休みの体育館で軽く手合わせをする事にした。手始めに牽制のジャブ。当てるつもりもなく、仮に当たったとしてもそれほどのダメージを相手に与えられるはずがなかった。
しかし、結果的にそれで相手の男の子はアゴを骨折。長期入院を余儀なくされた。
もともと同意の元に行われたものであり、クラスメイトもその事を証言してくれたから、瑠璃ちゃんにお咎めはなかった。が、男の子を一撃で倒してしまった事実は瞬く間に学校全体に広まり、多くの人が瑠璃ちゃんを恐れるようになった。
そのような状況を打破しようと、瑠璃ちゃんは色々と頑張ったらしい。が、どれも裏目に出て、ついには仲の良かった数少ない友達も彼女の力を恐れて拒否するようになっては、瑠璃ちゃんの心に暗い影を落とすには十分だった。
「だから、私、今も人と接するの、ホントは苦手です」
これまでの人生を話してくれた瑠璃ちゃんは少し押し黙った後、ポツリと呟いた。
「うん」
「写真部とかサバイバル部とかへの入部も、実は道場の先生に命令されたからです。本当なら先生が全部教える事が出来るのに、お前はもっと人と接しないとダメだ、って」
「そうなんだ……」
「だから、写真部への出席だって、何かと理由を付けて一週間に一度だけにしてたのです。ホントはセンパイも最初は怖かった、です」
「あはは、気付かなかった」
「本当にごめんなさい、です」
瑠璃ちゃんは深々と頭を下げた。後ろで束ねたポニーテールが翻って、その先端が彼女に膝枕されている僕の鼻腔を擽る。それも相俟って、なんともくすぐったい気持ちになった。
「今でも、怖い?」
僕は俯く瑠璃ちゃんを膝の上から覗き込む。
「さっきの言葉を聞くまではちょっとだけ怖かった、です。また嫌われちゃったらどうしようって」
僕は少し上体を起こして、彼女のポニーテールを背中に戻した。
「だったら今は?」
垂れ下がる前髪を両手でかき上げる。
「あ、あの、その……わ、わたしも大好き、です!」
ようやく見えた笑顔の瑠璃ちゃんに顔を近づけて……僕は……
「痛てててててて!!!!」
体の芯に響くような痛みに耐えかねて絶叫した。
「ああっ! まだ動くのは無茶ですよ、センパイ!」
瑠璃ちゃんは慌てて僕を抱き寄せて、再び膝枕に戻す。
「気絶したセンパイをジャイアントスイングして、化け物を蹴散らしたんですから。もうちょっと安静にしていてくださいです」
うん、パウンドされた頭だけじゃない。腕も肩も胸も腰も、どこもかしこも痛みで悲鳴を上げていた。
「こんな酷い事をしちゃったのに……センパイ、大好きっ!」
瑠璃ちゃんが心からの笑顔で僕に微笑んでくれる。
それは痛みを代償に手に入れた幸せ。僕も瑠璃ちゃんが大好きだ……ただ、まぁ、出来ればもう少し丁重に僕の体を扱って欲しかったという要望もあるけど、今は言うまい。
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