第9話 しまったっ、気付け薬を忘れてたっ!
「おお、すごい」
僕は思わず感嘆の声をあげた。
「すっかり忘れてたけど、思い出して良かったのです」
瑠璃ちゃんが空になった救急スプレーをカラカラと振ってニコッと微笑んだ。
「しかし、ホントに凄いね、これ。全身ボロボロだったのに、一瞬で治っちゃうなんて」
「ですです。なんせ青い薬草と赤い薬草の混合物と同じ効果ですからねー。世界中の特殊部隊さんご用達なのです。でも、非売品なのにどうして学校の保健室にあったんだろ?」
どうやらなかなかのレア物らしい。こんな物まで用意した凝り性な横須賀先輩に感謝だ。
「さて、体力も回復したし、生徒会室にいるボスを倒しに行くか!」
「はい! ボスを倒して、化け物になった皆さんを助けるです!」
あ、そう言えばそんな設定もあったねぇ。陳さんが咄嗟にでっち上げた物だったからすっかり忘れてたけど。
でも、化け物たちがホンモノであると信じている瑠璃ちゃんにとって、それは決して忘れてはいけない重要な話だったのだろう。ボスを倒して、みんなを助けるか。うん、分かりやすくてイイ。
「よし、絶対みんなを助けるぞ!」
気合の一声を上げて、僕たちは放送室を後にする。
目的の生徒会室は……放送室の隣だった。
「分かりやすくてイイのです」
瑠璃ちゃんが数行前の僕の心をトレースした。
「でも、盛り上がりに欠けなくない?」
僕は素直な感想を言ってみる。まぁ、これ以上旧校舎を探索させられるのも面倒だし、ラスボス戦の直前に体力回復ポイントがあるのは助かるんだけど。でも、これまでの道のりを考えるとちょっと呆気ないというか。
すると。
「わはは、ならば盛り上げてやろうではないかーっ!」
目前に迫った生徒会室の中から、僕たちの会話に割り込んでくる者がいた。と同時に扉がみしみしと音を立て、ついには外れて廊下にバタンと倒れる。扉の小窓が割れ、床に破片が飛び散った。
そして中からゆったりとした動きで、真っ黒なコートを着た大柄な男が現れる。頭はスキンヘッド。こめかみから後頭部、さらには頬から肩にかけて浮き上がった血管が生々しい。実によく出来た特殊メイクだと思う。が、
「横須賀先輩がラスボスですかっ!?」
どう見ても横須賀先輩だったので思わず叫んでしまった。
「センパイ、ラスボスを知っているのですか?」
「うん、前に話したよね。写真部の前部長のくせに何もしなくて、その上、僕に部長を押し付けて別の部に移った人」
「ああ、あの最低の先輩だったとか言う……」
「そうそう。まぁ、でも、よくよく考えたら横須賀先輩がラスボスならむしろ好都合かな。瑠璃ちゃんにぼっこぼこにされても全然良心が痛まないというか、むしろすっきりするし」
「そうなのですか!? じゃあ頑張ってボコりますです!」
腕まくりする瑠璃ちゃん。うん、手加減しなくていいからね。
あー、しかし、やっぱり盛り上がらなかったな。登場シーンは確かにちょっと雰囲気を出していたけど、中身は先輩だもんな。瑠璃ちゃんだったら超ラクショーな相手だ。
せめて最後に一枚、僕専用に瑠璃ちゃんの縞パン写真が撮れたらいいなと思いつつ、僕はカメラを構える。小さい瑠璃ちゃんと、大柄なラスボス・横須賀先輩が対峙する図はなかなか絵になっていた。
って、あれ、横須賀先輩ってこんなに逞しい体つきをしてたっけ?
「ふっふっふ、我を見ても臆せぬその度胸、褒めてつかわそう。しかし、我の真の姿を見ても余裕でいられるかな?」
僕の疑問に答えるように、ラスボス横須賀先輩が纏っていたコートを脱ぎ捨てた。コートに隠された真の姿を見て、僕はファインダーから目を逸らし思わず叫ぶ。
「ヘンタイかっ、あんたはっ!!」
コートの下は素っ裸だった。
いや、正確には肉襦袢だ。しかし、これまた無駄に精巧に出来ていて、ぱっと見ただけでは筋肉モリモリのマッチョな真っ裸に見える。
おまけにアレまでよく出来ていて……馬並みにそそり立つそれをさすがに写真に収めるのは抵抗があった。
「くっくっく、我がヘンタイだと!?」
動揺する僕たちに先輩が高笑いを上げる。
「バカめ! 我は単なるヘンタイではない! ヘンタイラントだ!!」
果てしなくどうでもよかった。
あー、ここでもゲームネタか。もうバカだ。死ぬほどバカだ、この人。もう盛り上がりとかどうでもいいから、瑠璃ちゃんにとっとと殺られてしまえ。
と、そこで僕はようやく瑠璃ちゃんの様子がおかしい事に気付いた。
いつもの覇気が無いと言うか、いや、そもそも先輩がコートを脱いだ時に何らかのリアクションを彼女ならするはずだ。
「ふぉふぉふぉ、娘の魂はすでに我の手の中よ」
先輩の声と同時に瑠璃ちゃんの体がゆっくりと後ろに傾く。僕は慌てて支えると、そのまま彼女をお姫様抱っこした。
瑠璃ちゃんは「男、男の人の裸が……」とうわ言を言いながら気絶していた。
「さて、厄介な娘が片付いたところで、お主も楽にしてやろう」
絶体絶命の僕を前に、先輩が股のアレを引っこ抜いて両手で構える。
てか、それ、武器なんだ!? なんて悪趣味な。
「妖刀『馬並み』の錆となれぃ」
先輩が大上段に構える。僕は瑠璃ちゃんを抱えたまま避ける事も出来ず、ただ妖刀『馬並み』と銘打たれたアレが振り下ろされるのを見守るしかなかった。
「ヤット、見ツケタゾ」
それは突然の事だった。
正直、「突然」とか「唐突」とか「不意に」とか、今日一日だけでどれだけこれらの言葉を使ったか分からない。が、お化け屋敷ってものは基本的に不意を狙って人を驚かせるものだ。
だからこれらの言葉が自然と多くなるのは仕方がないことだろう。
それに、今回は本当に突然の事だったのだ。
クライマックスでいきなり現れた火の玉。
しかもそれが人語を操っている。さすがの自分も、それに何故か先輩まで体が固まった。
「火の玉がしゃべるって、これまた無駄によく出来てますね。どうやってるんです、これ?」
「違うぞ、栗栖。こんなのは用意してない、これは」
ホンモノだ、という先輩の声をかき消すように、再び火の玉がしゃべった。
「ソノ娘ヲ倒セシ者、ツイニ見ツケタゾ」
火の玉が激しく揺れ、火の粉が舞う。すると、炎の中ににたぁと笑う顔のようなものが現れた。
同時に瘴気にあてられたような悪寒が僕の体を襲う。ぞわぞわとした、まるで体内に入り込んだムカデが蠢いているような感覚。気持ち悪くて、吐き出したくなった。
正直、認めたくはない。が、火の玉のありえなさといい、横須賀先輩の反応といい、どうやらホンモノの幽霊らしかった。
「娘ヲ乗ッ取ロウトシテ叶ワズ。故ニ娘ヲ倒セシ者ヲ求メン」
火の玉がさらに言葉を綴る。
僕は吐き気と戦いながら、それでも言葉の意味を必死に追った。
そこに活路を求めるとか、そんな格好の良いものではない。ただ言葉の中に出てくる「娘」という言葉が気になったからだ。
間違いなく、娘とは瑠璃ちゃんの事だろう。
そして先ほどの発言では、彼女を乗っ取ろうとして失敗、それでも諦めきれずに今度は瑠璃ちゃんを倒す者が現れるのを待っていた、という事になる。
何のために?
嫌な予感がする。
体を蝕むぞわぞわはさらに酷くなってきたが、僕は叫ばずにはいられない。
「瑠璃ちゃんに何をするつもりだ!?」
「野望ヲ果タス。生前ニ果タセズ、死シテ尚、我ヲ囚エシ願望。今、成就ノ時」
火の玉は無理をして強がる僕を見透かすように、ケタケタと笑った。そして天井辺りに上昇すると、僕たちに身構える暇を与えず、横須賀先輩の口の中へと飛び込んだ。
「せ、先輩!」
「うおっ? 熱っ!あちちちっ、熱っ、あつ……って、熱くないな、別に」
先輩は咄嗟の事に口を押させて騒ぐも、思ったようなダメージがない事にきょとんとする。
「いや、熱いとかそんなことより、火の玉、先輩の中に入っちゃいましたけど」
「あ? そう言えばそうだな。よし、ちょっとトイレで出してくる」
……あんたは緊張するという事を知らないのか?
てか、トイレで出るかぁ、普通?
あまりにお気楽な返答で脱力する僕をよそに、そそくさとトイレへと向かう先輩。
が、不意に立ち止まったかと思うと、その場に膝を付き、ガタガタと震え始めた。
「先輩、大丈夫ですか?」
僕は声を掛けるも、近付きはしなかった。やはり事態はお気楽なものではなかったのだ。異様な状況は分かっている。でも、気絶している瑠璃ちゃんを抱えてあまり動けない上に、正直、怖くて近付きたくなかった。
「く、来るな、栗栖!」
苦しそうに肉襦袢の上から胸をかきむしる先輩。その化け物のコスプレに似つかわしい動きは、これがもし演技だったら今ならば拍手喝采で済ませてあげよう。
でも、どう見てもこれは演技などではない。
本気で苦しんでいる。
本当に人知を超えたモノに乗っ取られようとしている。
信じられない事が今、目の前で起きていた。
「そ、そうか、分カッタぞ、こイつの目的ガ! 栗栖、瑠璃ちゃんヲ連れて早ク逃ゲロ! コイツノ目的ハ彼女のののののノノノノ!!!」
とうとう火の玉に乗っ取られてしまったのか、それとも正気を保つためにだろうか。先輩は廊下の壁に激しく頭を打ちつける。そんなに何度もぶつけたら、さすがに壊れてしまう。出来れば止めてあげたいが、今の僕にはやるべき事が別にあった。
僕は体を支配しようと意気込む震えを無理矢理押さえ込む。そして勇気を振り絞って瑠璃ちゃんを抱える腕と、これから全力疾走しなくてはならない足に力を込めた。
逃げなければいけない。今すぐに。
活路を開くためには、やはり下に逃げるべきだろう。一階まで行けば昇降口から出られるかもしれないし、いざとなれば窓の板を無理矢理取り外して脱出する手もある。
が、階段は化け物に変わろうとしている横須賀先輩の向こう側にあった。つまり何とかその脇を通り抜けないといけない。ここでもし捕まったら全てが終わりだ。
いまだ頭を壁に打ち付ける先輩を見ながら、今ならまだ間に合うと思う反面、しかし捕まったらどうしようという不安が僕の足を廊下に縫い付ける。
逃げなければいけないのに、どうしても一歩を踏み出す勇気が出なかった。
何か。何かきっかけがほしい。
焦る僕の視界に、急いで階段を駆け上ってきた陳さんが飛び込んできたのはまさにそんな時だった。
陳さんは一目見て僕たちのピンチを理解すると、あの豊満な胸元からなにやら筒状の物を取り出す。それにライターで火をつけると、勢いよく白い煙が噴出した。コロコロと僕らの元に転がってくると辺りは濃い煙で覆われ、自分の足元だってよく見えない。
これに賭けよう!
僕は瑠璃ちゃんを抱えて走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます