第14話 保健室で僕はついに、とうとう……

 学祭の最後を飾る定番と言えば、やはり夜空の下で行われるキャンプファイアーだろう。

 僕たちの学校でもその例に漏れず、先ほどから実行委員たちが準備に追われて忙しく駆けずり回り、ぼちぼちとカップル達も集まってきていた。

 僕はその様子を、保健室のベッドの傍に腰掛けて、ぼんやりと眺めていた。

 ベッドには瑠璃ちゃんが可愛らしい笑顔を浮かべながら、すやすやと眠っていた。

 


 あの後、僕と陳さんは気絶した二人を背負って旧校舎を後にした。

 さすがに陳さんに横須賀先輩を担がせるのは無理があるので、泣く泣く僕の胸で眠る瑠璃ちゃんと交換した。

 素っ裸ではマズイから適当に布を纏わせたとはいえ、ほぼ地肌に近い感覚で横須賀の尻を両手で支えて背負いながら外に出たのは、正直、あまり思い出したくない。事実、運びながら必至に頭の片隅から陳さんのおっぱいの記憶をダウンロードして、気を紛らわせていたほどだ。

 しかも腹が立つ事に、保健室に着くやいなや意識を取り戻した先輩は、そそくさと着替えをすませると「頭を打っているから病院で検査してもらいなさいね」と呼び止める保健の先生を無視してどこかに行ってしまった。

 こんなに早く意識を取り戻すのなら、旧校舎の三階廊下でとっとと気付いて欲しかったものだ。そうすれば僕は瑠璃ちゃんをお姫様抱っこして、旧校舎から出る事が出来たのに。それはなんと絵になることだろう。少なくとも半裸の野郎をおんぶして出てくるより、百億倍芸術的だ。

 おまけに陳さんもまた、僕から撮影済みのトライXを回収すると、挨拶もそこらに「気が付いたら瑠璃ちゃんにもよろしゅう言っといて」と一言残して横須賀先輩を追いかけていった。

 まぁ、それはともかく。

 額のかすかな裂傷を消毒して、瑠璃ちゃんをベッドに横たえると、保健の先生は少し用事があるからと席を外した。こちらは少し僕たちに気を利かしてくれたのかもしれない。保健室に若い男女が二人。ちょっといいシチュエーションだ。思わずこう、息が苦しそうだからと胸のボタンをひとつふたつ外してみたり、スカートが乱れているよと直しつつ中を覗きこみたくなる。

「そんな事やったら停学にするからね、キミ」

 もっとも、そんな僕を見透かして、先生は部屋を出て行く時に釘を刺していった。

 まったく。もう少し信頼してほしいものだ。僕と瑠璃ちゃんはとっくにそんな関係を卒業して、お互いの信頼関係のもと、これから清く正しい交際を始めていくというのに。

 だから、僕は何もせず、ぼんやりと瑠璃ちゃんや外の様子を眺めて過ごした。

 わずか数ヶ月前に出会った、小柄な女の子。

 出会ってすぐに自分の夢は特殊部隊の隊員だってカミングアウトした変な女の子。

 いつも稽古だ、修行だ、スキルの習得だと忙しく駆け回っている珍しい子。

 でも、とても熱心に僕からカメラの説明を聞いて、何事にも果敢に挑戦して、失敗にもめげず、成功を心から喜んで、一緒にいると僕までもワクワクしてくる不思議な子。

 さらに困った親父さんの存在やら、寂しく孤立した子供の頃やら、そして幼少時代からの稽古のおかげでとんでもなく強い事も今日知った。

 最初は僕の事も敬遠しがちだったと言われた時は少なからずショックだった。けれど、今では僕の事を受け入れ、信頼してくれている事はとても嬉しかった。

 ちょっと変わったところはあるけれど、それは純粋だからこそでもある。

 そしてその純粋さが眩しくて、彼女に惹かれた。

 僕は目を細める。

 外の校庭ではキャンプファイアーの準備が着々と進んでいた。

 瑠璃ちゃんはさっき寝返りを打って僕に背を向けたままだ。

 おかげでスカートがめくりあがって水色縞々パンツのお尻が丸見えのまま、数分がすでに経過している。

 僕はさらに目を細めた。



「あれ、ここ、どこです?」

 瑠璃ちゃんが目を覚ましたのは、さらに十分くらい経ってからだった。

 夕日の傾きと共にキャンプファイアー開始も近くなり、校庭には大勢の生徒達が集まってきている。そのざわめきで気が付いたのかもしれない。

「ここは保健室だよ。あ、もちろん、新校舎の、ね」

「あ、センパイ」

 ベッドに横になったまま、瑠璃ちゃんは首を僕のほうに向けた。

「そうか。私、あのまま気を失って……」

 言葉が途切れ、顔が真っ赤になる。

 思い出してしまったのだろう、あのおぞましい経験を。

 実を言うと、僕も思い出してしまった。背中に背負った横須賀先輩、その体を支えるために掴んだ尻の感触を。

 僕はかいつまんであれからどうなったのかを瑠璃ちゃんに説明した。

「だからお互いに嫌な事は忘れようよ。せっかくの想い出が、こんな事で汚されるのは勘弁だしさ」

 僕はにっこりと微笑むと、瑠璃ちゃんも照れ隠しに笑って返してくれた。

「センパイ、お疲れ様でした!」

「なんの。瑠璃ちゃんこそお疲れ様。とゆーか、ゴメンね。僕が横須賀先輩の口車に乗って、あんな怖いところに誘っちゃったのがそもそもの原因だし」

「そんなことないですよー。それに原因だったら、私のお父さんこそ元凶と言うか」

 少し沈黙。

 そしてお互いほとんど同時にぷっと吹き出した。

「それじゃあこれもお互い忘れると言う事で」

「ですです」

 その後も僕たちはお互いの健闘を讃えつつ、思い出話に華を咲かせた。



「間もなく校庭におきまして、恒例のキャンプファイアーを行います。皆さん、奮ってご参加よろしくお願いいたします」

 瑠璃ちゃんが後学の為にモノクロフィルムでの撮影上の注意を聞かせてほしいと言うので、簡単な説明をしていると、不意にジリジリと校内放送のスイッチが入った音がした。

 次いで聞こえてきたのは、救援コール……なんて事は勿論なく、校庭のキャンプファイアー開催を知らせる放送だった。

 気が付けばとっくに日が落ちて、外はすっかり真っ暗になっている。

「センパイ、キャンプファイアーなのですよ。行きましょう!」

 瑠璃ちゃんがベッドから立ち上がろうとする。

 でも、僕はそれをちょっと待ってと片手で静止した。

 不満げな表情を浮かべる瑠璃ちゃんに、僕は一つ気分を落ち着けるために深呼吸をする。

 うん、大丈夫だ。ドキドキしているけれど、緊張はしていない。

 僕は瑠璃ちゃんに、過去の僕の事を話した。

 子供の頃は極度の緊張症だった事。カメラのおかげで日常生活には支障ないレベルにまで回復できた事。それでもやっぱりここぞという時には緊張してしまう事……情けなくて、格好悪くて、今まで誰にも話した事も相談した事もない全てを瑠璃ちゃんに話した。

「僕はなんだかんだ言ってやっぱり人に嫌われるのが怖いんだ」

 特に友人と呼べる人たちに迷惑をかけてしまったり、失望させてしまったりして、自分の元から離れていってしまうのが怖い。だから僕は友人を吟味してきたし、嫌いな人には冷たい態度を取るようにしている。何故ならそうしないとやっていけないからだ。むやみに友人を増やしては自分が傷付く危険性が増すし、嫌いな人に懐かれても困る。そんな人でもむこうから嫌われたり失望させてしまったら、僕は簡単に傷付いてしまうからだ。

「それにね、僕は僕が自信を持っていることにしか興味がないんだよ。だから瑠璃ちゃんのように何事にも興味津々になれるのは羨ましい」

 僕は少し自虐的に微笑む。

 友人の期待を裏切りたくないあまりに、僕は自信のない事、初めての事にはとことん消極的な姿勢を取ってしまう癖がある。今回の事だって、もし撮影のルールが無くて腕力が全てだったら、僕は瑠璃ちゃんを誘ったりはしなかっただろう。

 もっとも、撮影ルールは結局のところ、何の役にも立たなかったわけだけど。

「だからかな。僕は当初、瑠璃ちゃんの何でも果敢に挑戦していく姿にとても惹かれたんだ」

 僕は話を本線に乗せる。もう後には引けない。

「何でも一生懸命で、笑って、怒って、失敗してもめげずに何度でも挑戦して、そんな姿を見ていると自然に応援したくなってしまう。失敗を恐れ、頑なに自分の世界に閉じこもる自分とは全く違うからね。だから僕は惹かれ、そして同時に恐れたんだ」

 瑠璃ちゃんが不思議そうに僕を見つめてきた。

「どうしてって顔をしてるね。うん、つまりね、ここでも僕の悪い癖が出たんだ。僕は瑠璃ちゃんに惹かれている。でも、瑠璃ちゃんはどうなんだろう? 僕なんかどうだっていいと思っているんじゃないか? そんな人に想いを寄せられるのは嫌なんじゃないか? 下手に告白して嫌われたらどうしよう、ってね」

「そ、そんなことないです、絶対!」

 瑠璃ちゃんが首を大きく横に振ってくれた。

「うん、ありがとう。でも、その答えを僕はもう数時間前に手に入れていたんだ」

 僕はもう一度深く深呼吸する。

 気持ちは、さっきの撮影同様、これまでの自分とは思えないぐらい落ち着いていた。

「僕は瑠璃ちゃんを信じている。だから瑠璃ちゃんをこれからも輝かせる事が出来ると思う。そして瑠璃ちゃんも僕を信じてくれている。瑠璃ちゃんが信じてくれるなら、こんな僕でもこれからもっと色々な事に挑戦する事が出来るかもしれない」

 だから……

 僕は横になっている瑠璃ちゃんの唇にそっと顔を近づけた。

「これからも僕と一緒にいてくれないか?」

 初めてのキス。ただ唇と唇を合わせただけの軽いキスは、ほのかにレモンの味がした。

「センパイ……」

 唇を離して見つめる僕が、瑠璃ちゃんの潤んだ瞳に映っていた。

「それってつまり……」

 瑞々しい唇が艶かしく動く。ああ、この唇にさっきまで僕の何ら手入れもしていない無骨な唇がドッキングしていたんだなと思うと無性に謝りたくなってくる。

 でも、今はそれどころではない。

 言葉の続きが、早く聞きたい。

「それってつまり?」

 気持ちが急って思わず先を促してしまった。

「はいです。つまり……センパイも」

 センパイも?

「特殊部隊の隊員になりたいって事ですね!」

 ………………ハイ、ソノトオリデス。

「うわ、うわっ、うわー。嬉しいです。初めて仲間が出来たです。それも大好きなセンパイなのです。私、嬉しくて死んじゃいそうです」

 いや、死なれては困るし。

 思わぬ展開に頭を掻く僕。

 対して、瑠璃ちゃんはベッドからぴょんと跳ね起きた。

「よーし、そうと決まれば早速校庭に出るですよ、センパイ」

「え? 校庭?」

「キャンプファイアです。キャンプファイアと言えば、ダンスがつきもの! 特殊部隊の隊員たるもの、ダンスの一つや二つ踊れないと貴族の仮面舞踏会に潜入捜査する時に困るですよ」

 そして僕の手を取って瑠璃ちゃんが走り出す。

 うーん、貴族の仮面舞踏会ではオクラホマミキサーとかマイムマイムとかは踊らないと思うけどなぁ。

 でも、そんな事はこの際お腹の中に飲み込んで、僕は瑠璃ちゃんと一緒に校庭へと駆け出して行った。

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