第13話『俺はまだ変身を残している。この意味が分かるな?』とボスが言った。
「娘よ、本気の力、見セテモラッタゾ」
咆哮をあげ、怒り狂って飛び掛ってくるかと思われた横須賀先輩だったが、僕たちの前方五メートルほどでその足取りを止めた。
「大した力だ。今ノ我デハ勝テヌカモ知レヌ」
ニヤリと嗤う。言っている事は敗北宣言にも等しいが、凄みのある嗤い顔が本人に負ける気がさらさらないのを証明していた。さっきあれほど吹っ飛ばされたというのに、何か秘策があるのかもしれない。もう震えはしなかったが、口の中が異様に乾いた。
「だが、オ前ノ弱点ヲ知ッテイルゾ」
くっくっくと今度は声を出して嗤い始めた。
やっぱりだ。
僕たちが負けるはずがないと信じているのと同様、向こう側も勝利を確信する何かを掴んでいる。だからこそ、立歯は攻撃を受けるというハンデを背負ってまで、横須賀先輩の体に憑依しているのだ。
ファインダー越しの瑠璃ちゃんに動揺した様子は見られない。
敵の言葉をはったりと思っているのか。それとも弱点には気付いていて、それを克服出来る自信があるのか。
そのどちらなのか分からなかったが、瑠璃ちゃんが変わらず落ち着いて構えている事に僕は頼もしさを感じていた。
「笑ってないで、早くかかってくるがいいです」
口には口を。瑠璃ちゃんも無理矢理攻め入ったりせずに、ここは口撃で様子を見る。
「そやそや。弱い奴ほどもったいぶった事言いよるねん。瑠璃ちゃんに弱点なんかあらへん。つまらん事言っとらんで、はよかかってきい。瑠璃ちゃんがボコボコにして、ケツの穴から手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたるわ」
陳さんも口撃に加勢した。関西弁ならではの、よく分からない脅し文句が炸裂する。
「早くかかってこいか。何ヲ焦ッテイル? ソンナニ弱点を知らされるのが怖イカ?」
だが、横須賀先輩も動じない。笑い声をくっくっくからあっはっはに進化させて迎撃した。
「コノ男ニ襲われた時ノ醜態を忘れたか、娘ヨ? コノ体が偽物であると分カッタトシテモ、ホンモノの体に生娘ノソナタハ未だ慣れてはおらぬだろう?」
わーはっはっはと見事悪人笑い三段活用で締めくくる先輩に、僕たちは驚愕した。
すっかり忘れていた。
先輩に取り憑いているヤツが覗き魔のヘンタイだという事を。
空手部主将の肩書きばかり意識していたが、今となってはそれ以上にヘンタイという事実の方がずっと重くのしかかってくる。
そう、かつて一目見ただけで気絶してしまった瑠璃ちゃんが、今では横須賀先輩を真っ向から睨みつけている。それはひとえに全身真っ裸に見える相手の姿が、実は真っ赤な偽物であると分かっているからだ。それは僕たちが教えたし、その時はそれだけで十分だと思っていた。
それがまさかホンモノの男の体に慣れさせる必要があるなんて、一体誰が考えるだろう。
まったくなんて事を考えるんだ。
ヘンタイを舐めていた。
僕の額をいやぁな汗が滑り落ちる。
「言っておコウ。私はまだ変身ヲ残シテイル。コノ意味が分かるナ?」
絶望的な言葉を残し、横須賀先輩はうおおおおっと叫び声を上げて、体全体に激しく力を漲らせた。全身の筋肉が膨張し、ミシミシと嫌な音を立てる。その音はやがて体を包む肉襦袢に亀裂という形で現れ、嫌な予感が現実になることを冷酷に告げていた。
「ふんヌ!」
ひときわ気合の入った声と共に、散り散りに裂けた肉襦袢が飛び散る。その破片は辺りに飛来し、僕のカメラにも視界を遮るような形でレンズに張り付いた。僕は慌ててファインダーを覗きながら、レンズに付いた肉襦袢のゴム破片を取り除く。
そして視界が確保されたファインダーの向こう側には、先ほどの肉襦袢の体とは比べ物にならないぐらい、貧弱な体の先輩が立っていた。
ただし、正真正銘の真っ裸で。
股間の息子さんやおいなりさんを隠そうともせず、むしろ見せ付けるように両手を腰にあてて堂々と。
「あら、横須賀君、意外とかわいいもん持ってたんやなぁ」
ちなみにこれは陳さんの弁。後で聞いたら小学生の弟さんがいて、今でもたまに一緒にお風呂に入るという。その弟さんのとサイズ、形態共にそっくりだったらしい。
「てか、こっちは最終形態迎えてへんやん」
……ホント、そこは触れないでいてほしい、かわいそうだから。
「さぁ、コレデモ我を直視する事が出来ルカ、娘ヨ?」
横須賀先輩の勝ち誇った声で僕は我に返った。
そうだ、今は変な気を使っている暇はない。
瑠璃ちゃんは? 彼女は大丈夫なのか?
僕らの年代の平均サイズや、その形態と比べていささか残念なものではあるが、それでも生身の男性の裸には間違いない。さきほどまでの肉襦袢も良くできてはいたけれど、やはりホンモノは独特の生々しさがあった。
正直、同性の僕だって思わず目を逸らしたい衝動に駆られる。
「さぁサァさぁ! 攻撃出来るモノナラ、スルが良イ」
「言われるまでもないのです!」
瞬間、瑠璃ちゃんの体が弾かれたように前方に飛び出した。
驚いたのは何も横須賀先輩だけじゃない。僕たちも驚きを隠せなかった。下手したらまた気絶、良くてもまともに正視出来ず苦戦必至だと思っていたのに、それがいきなり何の躊躇もなく敵目掛けて飛び込んでいったのだ。
「な、馬鹿ナ? 何で動けグボエワワワワ」
終盤が言葉にならなかったのは、瑠璃ちゃんに思い切り股間を蹴り上げられたからだ。しかも全く遠慮のない、まさしく全力の蹴り。一瞬、横須賀先輩の体が九の字に曲がって宙に浮かされたぐらいだ。
男なら想像するだけでも恐ろしい攻撃を繰り出した瑠璃ちゃんだが、ここぞとばかりに冷酷に追い討ちをかける。口から泡を吹き出して前屈みに悶絶する先輩に対して、今度は勢いよく飛び上がってのアゴへのアッパー。先輩の頭が激しい衝撃で、がくんと後ろへ仰け反る。
「センパイ、決めるです!」
アッパーの勢いで腰砕けの先輩の高さまでジャンプした瑠璃ちゃんは、さらにその肩を蹴り上げて高く舞い上がり叫ぶ。
僕はその瞬間を逃さないよう、シャッターボタンを押す指に全神経を集中させた。
「化物退散、なのです!」
瑠璃ちゃんは全体重を乗せた渾身の右キックを、先輩の顔面に叩き込んだ。後ろへ倒れ落ちる先輩。その向こうにスカートを翻してお尻の縞パンが丸見えの瑠璃ちゃんが着地していくのが見える。
「今や! 立歯のヤツの自我が出てくるで!」
仰向けに倒れる先輩の体から白い靄が出てきて、一瞬、空手着を来た男の姿が見えた。
僕は無我夢中でシャッターを切る。
「チクショウゥゥゥゥゥ! 俺ノ野望、俺ガ長年夢見テキタ格闘少女トノ、キャッキャウフフナ夢ガァァァァァァ」
哀れな男の慌て叫ぶ声が聞こえたような気がした。
「せめての情けだ。焼く時は味の出る四号か五号で焼いてやる」
僕は思わず呟く。
「俺ノ事ナンテドウデモイイ! ダガ、俺ノ記憶ニアル『トイレ美少女コレクション』ハ奇麗ニ焼キ付ケテクレヨ」
……最後までとんでもないどヘンタイだった。
「やったで! 栗栖君、瑠璃ちゃん、ホンマようやった!」
陳さんが後ろから僕に抱き着いてくる。双丘の膨らみが背中に当たって、なんとも言えず心地がよい。
「今ので除霊完了ですか?」
「ああ、間違いない。見てみぃ、外の景色を!」
立歯に憑依されていた先輩が空けた大穴。そこから覗く景色は、夕暮れになっていたものの、見慣れた学園の物に戻っていた。
「よかった」
僕は安堵の息をつく。
「なんや、今頃になってまた震えとるんかいな」
言われて初めて気が付いた。安心して気が抜けたのかもしれない。
「まぁ、でも決めるところを立派に決めたんや。堂々としたらええ」
ぽんと陳さんは僕の肩を叩いて、おつかれさんやと囁いて体を離した。
この大役を聞かされた時、僕は不安で仕方がなかった。でも、それを何とか隠そうと我慢して、でも隠し切れなくてガタガタと震え、陳さんに心を落ち着かせてもらった。
そして瑠璃ちゃんの言葉で勇気を貰った僕は、自分でも驚くぐらい冷静にシャッターを切った。なんせ立歯がしっかり写るのは勿論の事、倒れ込む横須賀先輩のアレが入り込まないようにとか、瑠璃ちゃんの縞パンをアングルに入れようとか、そんな事を考える余裕すらあった。
ホント、我ながら単純だと思う。失敗してみんなを失望させる事を勝手に恐れ、それがないどころか、心から信じてもらえていると分かると途端に余計な事まで出来てしまう。
『お前は頑張れば出来るヤツだ』
いつか横須賀先輩に言われた言葉を思い出す。悔しいけれど、その通りだと思った。
「って、そうだ、瑠璃ちゃんは?」
直前の流れから言って、横須賀先輩の心配じゃないんかいってツッコミが聞こえたような気がした。が、無視する。あの人の事なら大丈夫だ、多分、きっと。今も陳さんが様子を見ているけど、棒先でアレをツンツンされる度に「あふんあふん」言ってるから、まぁ間違いなく大丈夫だろう。
それより瑠璃ちゃんは?
「セ、セ、セ、センパイ~」
瑠璃ちゃんは倒れた横須賀先輩を青白い顔で眺めていた。が、僕の視線に気付くと大袈裟に先輩の体を避けて駆け寄ってきた。
「瑠璃ちゃん! やった、やったよー!」
僕は瑠璃ちゃんを思い切り抱きしめる。
やり遂げた充実感。元の世界に戻れた安堵感。他にもどさくさに紛れて陳さんのおっぱいの感触を顔で楽しめて幸せだったよなぁとか、最後の縞パンショットは良かったなぁとか。もちろん瑠璃ちゃんとの関係がさらに深まった事も嬉しくて、とにかく色々な気持ちがごちゃごちゃになって思わず抱きしめてしまった。
が、ウキウキな僕とは対照的に瑠璃ちゃんはどこか浮かない顔だ。
「ん? どうしたの、瑠璃ちゃん? 頑張って強敵を倒したのに?」
「あの、あの、あの! アレなんですけど……」
瑠璃ちゃんが僕に抱きしめられながら、僕の後ろを指差す。
この構図、あの時とは逆だけど旧校舎に入った時もあったなぁと思いながら、僕は後ろを振り返る。
真っ裸の横須賀先輩がまだ気絶して倒れていて、陳さんにおもちゃにされていた。
「あ、横須賀先輩のこと? 大丈夫、大丈夫、あの人、殺しても死なないから」
「いえ、そうじゃくてー」
泣きそうな声で瑠璃ちゃんが僕の胸を叩きながら叫ぶ。
「本物の裸、なんですよぅ」
……はい?
「えっと、そうだけど。もしかして気付かなかったの?」
「はい、気付かなかったのです。だって、普通、ボスの変身は二回ですよね? 一回目だから絶対に今回も偽物だと思ったのです」
なるほど。それで戸惑うことなく攻撃を仕掛ける事が出来た、と。
あの時は驚いたけれども、理由を聞くとバカらしいぐらいに単純な勘違いだった。
「ま、まぁでも良かったじゃない。勘違いしたおかげでこうして無事に倒せたんだから」
「よくないのですっ! だって、私、あの人の股間蹴り上げちゃったんですよぅ!」
その感覚を思い出したのか、瑠璃ちゃんはぞわぞわと全身を震え上がらせる。
「なんかこう、むにゅっとして、気持ち悪くて……。あの、センパイもあんなのが付いているですか?」
「あんなのとは心外だなぁ。僕のはもっと立派だよ!」
アレと同じだと思われたら堪らないと、ついツマラナイ意地が出てしまった。
「も、もっと立派……きゅぅ~」
変な声を出して、瑠璃ちゃんが僕の胸の中で気絶した。
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