エピローグ 始まりの終わり
遠くからマイムマイムの音が聞こえてくる。
どうやら近くにある学園の校庭で、学園祭恒例のキャンプファイアが始まったらしい。
おかげで普段はクラブ活動が終わって帰途に着く生徒たちで賑わうこの界隈も、今日はほとんど人影もなく静まり返っていた。
その街角のひとつ。決して狭くはないが、交通量の少ない道端に黒塗りでスモークガラスの車が一台停まっている。
「これが例のフィルムですわ」
「ご苦労」
中には運転席の男を除いて、後部座席に二人の人影があった。
ひとりは学園指定の制服を身に纏った女性徒だった。同じ年頃の平均サイズを遥かに上回るバスト、そして日本の近畿地方で使われる言葉使いが特徴的である。
そしてもうひとりは目つきの鋭い、年齢不詳の男。短く切りそろえられた髪は学生のようであるが、立派な口ひげを生やし、なにより目に宿る光は十年や二十年そこらを生きているだけでは到底出す事が出来ない深みを帯びている。
「思うてたより苦労しましたが、まぁ、無事に捕獲できましたからよしとしてくださいな」
「苦労した、か……それはどうしてかね?」
「まぁ、言いとうないですけど」
言いたくないと言いながらも女生徒はニヤリと笑う。
「総督の娘さん、確かに相当な力の持ち主やが、まだまだウブのお子様ですわ」
「ほう、そうかね?」
「まぁ、でも、今回の一件で彼氏が出来たようやみたいやから、その子が頑張れば……あ、でも、彼も相当なヘタレっぽいから、あかんかなぁ」
彼氏という言葉に少し眉を動かし、反応を見せる男。
が、不敵に笑い、
「ヘタレとは彼が聞いたら怒るのではないかな」
と、女性徒の腰に手を伸ばした。
「あ、なんや、総督。ついにその気になってくれたん? うちはいつでも大歓迎やで」
「いや、悪いが陳、それは今度にしておこう。これ以上となると彼には少々刺激が強すぎるからね」
そして先ほど腰に伸ばした手が、小さなキーホルダーのような物を摘み上げた。
「あ、それ。え、なんで?」
「そのヘタレ君に仕込まれたのではないかな? そうだろう? 栗栖君」
「ちっ、もうバレたか」
僕はマイムマイムを踊りながら、耳につけたピアス式受信機が拾った声に舌打ちした。
「いつも娘が世話になっている。父親として礼を言うよ、栗栖君」
男の声が鮮明に聞こえる。どうやら盗聴器そのものに話しかけているようだ。
盗み聞きしている時はくぐもっていて、イマイチ印象がよく分からなかった。が、改めて鮮明に聞こえてくると、そのイメージに思わず体中に戦慄が走る。瑠璃ちゃんから聞いていたように、何度も死線を潜り抜けた生命力溢れる男の声だった。
「盗聴器故に一方通行なのが残念だよ。また機会があれば一緒に食事でもどうかね。私も自分の息子となるかもしれぬ男の顔は是非見ておきたいしね」
こちらは瑠璃ちゃんをほったらかしにしているようなダメ親父と食事なんてしたくもない。が、会話が一方通行なのを惜しむのは自分も同じだ。出来れば会話が出来るものを用意して、瑠璃ちゃんに一言謝るよう怒鳴りたかった。
「それはそうと、もしかしたら君は今怒っているのかもしれないね。一言謝っておこう」
謝るのなら僕にじゃないだろ。
瑠璃ちゃんに謝れ。
「先ほどは部下の陳がヘタレなどと言って済まなかった」
「堪忍やでー、栗栖君。でも、ただで乳に顔埋めさせてやったんやから、これでチャラにしてな」
しかもどうでもいい事だった。
「ただし、これだけは言っておくよ」
盗聴器の向こうから、ゴホンとひとつ咳払いが聞こえる。
「私は瑠璃の父親として何ら恥じる事はしていない。君は怒るかもしれないがね」
怒るかもしれない?
怒るに決まってるだろう!
何が親として何ら恥じる事がない、だ。
何年も放ったらかしにして、自分の安否すら伝えずに、瑠璃ちゃんがどんな想いでいるのか分かっているのかっ!
「ふざけるなっ!」
相手に声が伝わらないとはいえ、思わず小さな声で呟いてしまった。
音楽にかき消されて、隣で踊っている瑠璃ちゃんに聞こえなかったのは幸いだった。
盗聴器は陳さんに抱擁され、腰へと手を回した際に付けさせてもらった。その時は瑠璃ちゃんのお父さんが現れるなんて思ってもいなかった。ただ、陳さんがイベント終了後に組織の関係者と会うだろう。その会話を拾えば、瑠璃ちゃんのお父さんに関する情報が入手できるかもと思ったのだ。
しかし、いきなり本人の登場に驚いてしまったが、今からでも遅くはない。
瑠璃ちゃんに、最低のヤツではあるが、お父さんの声を聞かせてあげるべきだろう。
それに上手く時間を稼げば、近くにいるであろう本人を捕まえる事も出来るかもしれない。
「あ、そうそう栗栖君」
瑠璃ちゃんに声をかけようとした時だった。
「もし、この会話を瑠璃に聞かせようとしたり、私の居場所を突き止めようと変な動きを見せるようだったら、残念ながら私の部下が君たちを始末することになるからね。校舎の屋上を見てみるといい」
驚愕しつつも、瑠璃ちゃんに気付かれないように屋上へと視線を飛ばす。
暗闇の中、不意に懐中電灯の明かりがついた。屋上に誰かいるのはどうやら間違いない。すでに日が落ちているとはいえ、僕たちはキャンプファイアの周りに集まって、温かい火の光に晒されている。こちらからは向こうが見えなくても、向こうからはこちらが丸見えだろう。
「お互いに今はまだ会う時ではない。時を誤った再会はえてして不幸な状況を作り出すものだよ。理解してくれると助かるのだが」
あちらの事情なんて理解できない。
ただ、今、瑠璃ちゃんとはなんとしてでも会いたくない、声も聞かせたくないという事だけはよく分かった。
「さて、状況が飲み込んでもらえたところで話を続けさせてもらうよ。君は私たちが何か怪しげな組織と思っているかもしれない。その誤解を解くとしようか」
怪しげも何も、間違いなく怪しいだろう。
確かに僕も今回の件で幽霊の存在を信じるようになったけれども、だからと言ってそれを真面目に研究するのもどうかと思う。ましてや呼び出して捕獲するなんて、意味が分からない。
「君も今日の事で幽霊の存在を信じたのではないかと思う。そして我々もまた、同じように私たちの常識では計り知ることの出来ない霊的存在を、十年前に認めざるを得ない事件に遭遇したのだよ」
ふぅと溜息が聞こえる。
「そして私たちはその事件の被害者なのだ。私たちは今や組織という形を取っているが、そもそもは被害者の集まりに過ぎない。陳も、横須賀君も、同じ傷を負っている。その傷を癒すために身を寄せ、知恵を出し合っているだけなのだよ」
言葉は淀みなく、淡々としていた。演技っぽい変に力が入ったような話し方はなく、むしろ努めて感情を廃して事実だけを述べようとしている節を感じる。
「もっとも組織を運営するためにも、資金の調達は必要だ。そのために私たちの研究が軍事目的に使われる事も致し方ないと割り切っている。何事も奇麗ごとだけではいかないのが世の中だからね。だが、これだけは信じて欲しい。私たちは自分の愛する人たちの為に活動しているのだと」
最後のセンテンスで感情が零れたのを感じた。
そして一度零れ始めた感情は、なかなか元には戻れないものだ。
「本音を言うと、私も瑠璃に会いたい。会って抱きしめたい。会って苦労かけたと詫びたい。が、いまだ目的半ばの中途半端な状態で出会ってしまったら、私の意思は大きくぐらついてしまうだろう。それは私を信じて付いてきてくれた仲間達を裏切ることになる。それは決して出来ない。やってはいけない事なのだよ。分かってほしい、栗栖君」
……悔しいけど、その気持ちが分かってしまった。
親しい人に迷惑をかけちゃいけない、失望させてはいけない。そんな事ばかり考えて十数年生きてきたんだ。仲間を裏切れないという気持ちはよく分かる。
でも、だからと言って、実の娘を裏切っていいものだろうか。
会えないのならば、せめて生きている事を伝える事はできなかったのだろうか。
ここまでウソは言ってないように思う。
でも、全ては言ってないと感じた。
事実、真実らしきものを語りながらも、肝心のところは何一つ話していない。
十年前、何があったのか。
何をしようとしているのか。
そして今さら瑠璃ちゃんを巻き込んだ目的とは。
偶然とは言わせない。
今回の騒動は瑠璃ちゃんを巻き込むために仕組まれた物だ。
ああっ、くそっ。盗聴器という一方通行のコミュニケーションがもどかしい。
「栗栖君、悪いがそろそろ時間が来たようだ」
おまけにこれ以上、情報を漏らすつもりはないようだ。
聞きたい事はまだまだいっぱいあるのに。ふざけるなよ。
「私たちは必ず目的を果たす。そしてその時は私も瑠璃に会うことが出来るだろう。が、それまで待てないと言うのなら……」
盗聴器の向こうで「総督、ちょっと」と陳さんの慌てた声が聞こえた。
「探したまえ、私たちの
それを最後に受信機からはノイズしか聞こえなくなった。
どうやら壊されてしまったらしい。
僕も耳からイヤリングを取り外すと、ポケットにしまいこんだ。
「センパイ、楽しいですね!」
ふと隣の瑠璃ちゃんと目が合った。
心からの笑顔に、僕もつられて笑顔になる。
最後に言われた「極楽都市」について何か知っているか聞こうとして思い留める。
今はやめておこう。
今はただこの時間を楽しむ事に使おう。
「あ、センパイ、次はオクラホマミキサーなのですよ!」
マイムマイムで盛り上がったところに、次はオクラホマミキサー行きますとのアナウンスが流れる。
「パートナーを変えずにずっと一緒に踊っていたいというリア充な人はこちらに来てくださいー。てか、リア充爆発しろー!」
実行委員の粋な計らいと、だだ漏れの本音に会場がどっと沸く。
そして数人のカップルがリア充組へと移動して、冷やかしの声が上がる中、
「僕と踊ってくれますか、瑠璃さん」
僕は恭しく肩膝を付いて、右手を差し出す。
「もちろん。よろこんで、です」
瑠璃ちゃんが僕の手を優しく握ってくれた。
その手はとても暖かくて。
僕は何もかも忘れて、瑠璃ちゃんの手を握り返し、心の中でガッツポーズした。
おしまい。
学祭のお化け屋敷でヒドイめに遭いました タカテン @takaten
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