Set the Fire *©2017 aze_michi

 服を脱いだ異性のみすぼらしさを、私は未だに何と表現していいか知らない。腰のあたりの脂肪であったり、脂ぎった背中であったり、妙に白い、粉を吹いた肌。性別が同じ男と言うだけで、見た目は色々だった。内面の方は、わからない。案外あまり差がないのかもしれない。


 セックス自体に何か幻想や期待を見出す人間も多かった。自己表現なら他のことでしてくれ、と言いたくなるような変わった性癖やプレイを好む人間。父親気取りで世話を焼きだがる人間。ただ女性の体に憎悪を燃やしているような人間。いろいろな人間と寝た。見た目やしぐさは様々でも、最終的にやることは同じで、そこにはなんの面白みもユニークさもなかった。個性を追求しようとするとかえって個性が没してしまう。セックスにはそういうおかしみがある。私が彼らの内面が、じつはなにか共通の雛形で形成されているのではないか、と疑う所以だ。



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 私が売春を始めたのは高校生の春だった。文字通り春を売っていたのだ。馬鹿らしい。私は女子高生。彼らが思い通りに理想を仮託する、JKとしての体を持っていた。実際には何の変哲もない、ただの地味でパッとしない女なのに。笑ってしまう。年齢が私の人生に、なにか虚飾というのか、突飛な飾りを与えてくれるようだった。お前らだってどこかの時点ではDKだったくせに。

 引き締まった胸板の下であえぐのも、白すぎる柔らかな脂肪に押しつぶされることも、私にとってはなんの感情も産まない、同じことだった。相手の性器をこすったり口に含んだり噛みつかされたりした。最後には結局同じところに突っ込む。同じことの繰り返し。時と場合によって、相手や金額が変わるだけだ。

 私がそうやって稼いだお金はそのまま家の家計に吸収されていく。母は私がやっていることを知っていたはずだ。一緒に産婦人科へ連れていかれたこともある。「定期的に通わないとダメ」と母は言った。それなりに体を心配してくれていたのだろうか。

 

 母は真面目な人だった。売春なんかしたこともないと思う。水商売に着こうという発想もないような人だ。母は真面目に、安い賃金で長時間働いていた。私は母が稼ぐお金よりも、はるかに多い金額を売春で得た。驚くほど、短期間で。


 母が稼いだお金は綺麗なお金。私が稼いだお金は汚れたお金。そんなことがあるだろうか。どちらも同じ現金だ。私がお金を稼がなければ、兄の専門学校代でうちは破産していた。私だって、大学を諦めなければならなかったはずだ。


 母は私を叱らなかった。やめて。とも言わなかった。やめて、と私は言われたかったのだろうか。そんなことは、望んではいない。


 社会人になった今でも、週末に客をとる。もうあのころほど稼げなくなった。それでも私にしみついた習慣のようなものは、なかなかとれなかった。セックスと筋トレはほとんど同じことだ。相手がある分、芝居がかっているかいないかの違いがある。

 私は気がそぞろで、なににも集中したことがない。セックスだってそうだ。でもそれがかえってよかった。冷静に相手の望んでいることを提供することができる。ほんとうにセックスが好きすぎて死ぬなら、売春なんかきっとしない。好きな相手とだけ思う存分するだろう。好きじゃないから、やっていける。


 ときどき買春しにきた身分のくせに、露骨に売春する女をバカにしている男と出会う。死ね、と思う。そういうときに私の心に宿る炎が、かろうじで私を生かしている。生きたゾンビみたいな私を、生かしてくれる。目を閉じると、透明な炎が血管から私の内側を焼いていくのがわかる。体中に炎をまとうと、ほんとうに体が熱くなっているのを感じる。

 相手の男を蹂躙して焼き尽くすための炎。透明の炎。バカにしている相手に体を弄ばれる気持ちというのは一体どういうものなんだろう。これも一種の倒錯したマゾヒズムなのだろうか。相手の男の気持ちはわからないけど、私は。

「熱い、燃えてるみたいだ」

 空っぽの頭から出てくる貧相な語彙。感じているから動くのではない。腹圧で膣内を収縮させる。内部ほとんど真空に近いはずで、粘膜に覆われた臓器にはかすかな感触があった。熱いのは内臓に直接体の一部を突っ込んでいるからであって、私の内部が燃えているわけではない。

 憎しみの対象に性処理を任せる気になる、男の判断機能の衰えだけが心配だった。私は憐れみを込めた視線を男に投げかける。それはほとんどオーガニズムの表情に似ていた。実際彼らには、憐れまれているのか、求められているのか、分別がつかない。悲しいことだ。


 派手に体を揺らさなくても、膣の収縮だけで終わらせることができた。そういう意味で、私には才能があったのかもしれない。いや、ほんとうは誰にだってできることなのだ。必要に駆られないから、しないひとは、しないだけ。

 虫だって鳥だって教えられなくても交尾ができる。誰にでもできることなのだ。ただその武器を、使わないまま人生を終える人もいる。私は必要に駆られて。生活費を捻出する必要に駆られて、繰り返しているだけ。


 だけ? 今となっては定職について、収入に困っているわけでもないのに。それでも同じことを、繰り返したくなる。ほとんど機械的に、繰り返してしまう。



 愛がほしいとか、満たされたい、と思っているわけではなかった。

 ロマンもない、夢もない。興奮もしない。セックスには何もない。何も生まない行為で、私は金銭を得る。肥った体を横たわらせたマグロ、単調な動きを繰り返す筋肉バカ、脂肪の少ない体に虚栄心だけを膨らませた内面デブ、私が相手にしたのは、どれも愛と性欲の分別もつかない赤ん坊だった。仮想のセックスに頭を囚われていつしか考えることすら辞めてしまうのだろう。腰を振るだけしか脳がない、猿みたいな、人間。


「君としてると、性欲って永遠に満たされない渇きみたいだって思う」

 大学生だという、若い男が言った。文学部で西欧の文学を学んでいるとかで、いちいち言い方が気取っていて嫌いだった。均整の取れたやや痩せすぎの体、子どもみたいに幼い顔。アンバランスだ。

「渇きを分け合ってるの」

 自分の魅力に気がつきもない若さが鼻について嫌いだった。なんて傲慢なんだろう。美しく着飾って他人を支配しようと考えたこともない、幼い人特有の夢を見るような響きが彼の声にはあった。

「渇いているのは、あなただ」

 彼はシャツに袖を通し、指定した額面の紙幣を正確に、机の上に揃えて置いた。


 透明の炎がいつか誰かを燃やし尽くすように。私はいつでも心の裡に炎をまとっている。肌を通して侵入した私の炎が、いつか誰かの胸にたどり着いて、心臓を炭にしてしまうまで。

 そんな日は永遠に来ない、私の心はいつまでも乾いたままだ。そう男に言われている気がして、私は紙幣を握りしめた。手のひらに爪の跡が残るまで、強く。



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第一短編集:みんな誰かを愛してる 阿瀬みち @azemichi

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