なりたい自分になれなくても、その後も人生は続いていくし、どうでもいいと思っていたようなこと、「本当の自分」なんてものとまるで関係のないことで生計を立てられてしまったりすることもある。
じゃあ主人公はすごい不幸かっていうと、そうでもないんですよね。
なんだかんだ、状況を受け入れて、社会や生まれ育ちを恨むでもなく、ソコソコやってるんですよね。
メインの2人がくっついちゃうとか、最終的に殺し合うとか、そういうドラマチックなオチじゃなく、淡々と終わるのが「こういう人生もありえるのだなぁ」という読後感になってて、よいと思いました。
ネットの自分は大きくなりがちだ。隠せる部分が多い分、なりたい自分になれるような錯覚を覚える。リアルの自分でいる必要のない環境は別世界に感じる。
そうして作り上げたキャラが誰かに受けてしまうと、歯止めがきかなくなる。フォロワー、リツイート、いいね、PVなど如実に数字として現れてしまう残酷な一面もあるから尚更だ。
続けなければ数字が稼げず、誰かとの縁も切れてしまう。けれど、リアルとネットの自分の間に齟齬が生まれると、本当の自分ってなんだろうと悩み、歪む。
私にとってこの物語はなんだろう。
人を人たらしめるものって意識と記憶だと思う。
どれだけ自分を大きく見せようとしても、結局自分は自分以外の何者になれない。
でもそうやって自分は主人公とは違う、こうはならないと考えてしまうあたり、ちんこ画像を送る人間の側にいるのだろうなとも思った。自分にとってはこの物語は遅効性のある毒薬かもしれない。
未知なる世界への入り口は、元カノが残したストッキングでした。
女装というセンシティヴなメインテーマを主軸に置きながらも、
複雑に絡み合う現代の承認欲求のありのままを描いた意欲作です。
自分が成りたいものと、人から求められる姿とのギャップに苦しみ喘ぐ。
主人公の生々しい苦悩には、他人事とは思えないほどの共感を覚えました。
創作界隈に生きる方には、尚のこと強く訴えかけるメッセージ性があると思います。
けれど。
生きとし生けるすべての人たちが、
それぞれに自分自身の人生を飾るクリエイターである。
私は終盤の展開において、そのように読み解きました。
私たちは何を創り出すでもなく、それでいて常に何かを創り出しているのでは、と。
私たちの毎日は有象無象でありながら、同時に唯一無二である。
たとえ錯覚だとしても、そのような救いを感じられる一瞬を見た気が致します。