【メトロクロス】と「学ぶ」こと

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一九八六年 八月十九日(火)

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 本日の特別授業、終了。

 荷物をまとめながらクラスメイトと話していると、さっきまで同じ教室にいた運動部員たちがグラウンドへ走り出て行くのが見えた。

 チャイムが鳴って十分も経っていないのに、みんな体操服に着替えている。

 それでいて部活の練習を始める気配はなく、サッカーやバレーやバスケットのボール混ぜこぜで、変則的なパス回しのようなことを始め出した。


 お昼もそこそこにグラウンドへ飛び出してボール遊びを始めるとか、まるで小学生だ。

 夏休みの空気は、県下有数の進学校である『南』高生をも童心へ返してしまう力があるらしい。


 眺めているうちに、遊びのルールが変わって来た。

 ボールを持った生徒が一箇所に集まり、一人に向かって次々にボールを転がし始める。

 狙われた一人は、ボールを受けるでも蹴り返すでもなく、タイミング良くジャンプでかわしながら投げて来る一団に向けて前進する。


 ボールが当たったら負け、相手のところまでたどり着いたら勝ち……ってことかな?

 ちょっと、最近遊んでるゲームタイトルを思い出させる光景だ。


「【ドンキーコング】、みたい……」


 えっ……?


 思わず振り返ったぼくの表情を、視線の先のクラスメイトは別の意味に解釈したらしい。


「あ、【ドンキーコング】っていうのは、ファミコンのゲームソフトで……えっと、『ファミコン』は知ってる?」


 どうやら、期末テストで学年ベストテン入りを果たした優等生は、ゲームのことなんてなにも知らないと思われているようだ。


 しかし、ここでうかつなことを口走るわけにはいかない。

「【ドンキーコング】って、ゲームセンターのゲームじゃなかった?」

 ……なんて、墓穴な発言をするわけにはいかない。

【ドンキーコング】のことも、家庭用ゲーム機のことも、本当に「一応知ってる」程度なので、そのことをそのまま回答する。


「あ……あのね!」


 教室の中より、図書室のカウンターで短く言葉を交わすことが多かった図書委員は、軽く内側に巻いたボブヘアーを人差し指でくるくるいじりながら、【ドンキーコング】のこと、【スーパーマリオブラザーズ】や【ドラゴンクエスト】のこと、そして兄妹でコントローラーの奪い合いになったりお母さんに本体を隠されてしまったりする家庭内ファミコン事情のことを、色々と話してくれた。



 図書室では気弱で引っ込み思案な女の子という印象だったけど、あんなに楽しそうにゲームの話をする一面もあったんだな。

 それに、家の中ではお兄さんとファミコンのコントローラーを奪い合っているというのも、予想外というか、未だに具体的なイメージが想像できない。

 ちゃんと話してみないと、その人のことなんて案外わからないものだ。



 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 もっとも今のぼくを見れば、図書委員の方こそ「人は本当にわからない」なんて思うんだろうな。



 いつものゲーム・パラダイス。

 テーブル筐体の丸椅子に腰を下ろし、カバンを足元に置いて、五十円玉を投入。

 ぼくがグラウンドの光景から連想したのは、【ドンキーコング】ではなく、このゲーム。


【メトロクロス】。


 舞台は、未来的なデザインの屋内通路。

 その中を、通路いっぱいに並んで転がって来る巨大な缶コーラを始めとして、ハードルや、落とし穴や、ジャンプ台や、踏んだら爆発する床や……。

 多種多様な障害物を、避けたり、逆に活用したりしながらゴールまでひた走る、不条理かつ過酷な世界観のゲーム。

 こんなムチャクチャな障害物競走を強いられる主人公キャラには、同情を禁じ得ない。

 名前からして「傷だらけのランナー」なんて、傷付くの前提になってるし。


 しかしこれが、遊んでみると面白い。

 ……と言うか、面白くなってくる。


 最初のプレイでは次から次へと障害物に引っかかり、制限時間を止めてくれるスポーツドリンクも、大きく距離を稼げるジャンプ台もまともに踏みつけることができず、ストレスばかり感じながら三面でゲームオーバーを迎えた。


 二回目のプレイでは、缶コーラやハードルをある程度飛び越え、スリップする床や落とし穴を事前のコース変更でかわし、スポーツドリンクもジャンプ台も半分ぐらいは有効活用できて、ギリギリで四面をクリアできた。


 三回目。

 四回目。

 遊べば遊ぶだけ、到達面数は伸びて行った。

 コース内容がすべて決まっている【メトロクロス】は、学んだことをきちんと結果に反映してくれるゲームだった。


 ジャンプ台からジャンプ台への乗り継ぎがうまく行かないとか、お助けアイテムのスケートボードをすぐに失ってしまうとか、まだまだ課題は多い。

 だけど、コースを覚えて、可能な限りタイムとスコアを稼げるルートを模索して、それを実行する――。

 その作業は、公式を覚えて、適切に組み合わせて応用して、求められた解答を導き出すのと、そんなに変わらないように思える。

 このゲームなら、自分の得意分野を活かせる。

 もっともっと先へ行ける。


 なによりこの作業は、数学の問題集を相手にしているより、ずっと楽しい。


 今日は初めて八面を突破し、九面のゴール目前でタイムオーバーを迎えた。

 このステージは、制限時間は厳しいけど、スリップゾーン以外の障害物がほとんどない。

 コース取りさえ間違えなければクリアできる。明日、改めて再挑戦だな。

 そのためにも、苦労した八面の内容は、バスの中でもう一度復習しておかなくちゃ。


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一九八六年 八月二十日(水)

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 いつもの裏通りへ向かう途中、自分が小さく鼻歌を歌っていることに気付いた。

 ノリが良く、それでいてどこか哀愁を感じさせるメロディーは、【メトロクロス】のVGM。

【ゼビウス】に【ディグダグ】、お盆休みにナムコランドで聴いた【スカイキッド】や【トイポップ】もそうだったけど、ナムコのゲームは音色もメロディーもとにかく耳に残る。

 他のゲームにない特徴と特長があり、ゲーム内容の個性とも合わさって、なかなか頭から離れない。


 それはそれで楽しいことなんだけど、アーケードゲームの曲を口ずさんでいたなんて噂が立つのはよろしくない。

『南』の生徒がアーケードゲームの曲を知っている可能性は低いだろうけど、図書委員みたく意外なところにゲーム好きがいるかもしれないし、油断は禁物。

 そもそも、鼻歌を聞かれること自体が結構恥ずかしいことだしね。

 壁に耳あり。用心、用心。



【メトロクロス】は、『北』高生がプレイ中だった。

 どこかで見た顔だな……と思ったら、いつもの三人組の一人だ。今日は珍しく単独行動なので、すぐにはわからなかった。


 そう言えば、『北』の三人組のハイスコアネームが、まだ謎のままだった。

 うまく行けば、今プレイしている一人の名前ぐらい確認できるかもしれない。

 ぼくはそっと【メトロクロス】の筐体に近付いて、後ろから画面を覗き込んだ。


 ハイスコアネームのことなんて、一瞬で頭から消し飛んだ。

『北』高生の操る「傷だらけのランナー」は、並んで転がって来る缶コーラを避けることも飛び越すこともなく、缶と缶の間をすり抜けながら疾走していた。


 缶コーラだけじゃない。

 ハードルも落とし穴もまったく避けようとせず、ただまっすぐにその隙間を走り抜けて行く。


 何らかの条件で、無敵状態になってるのかとも考えた。

 だけどその割には、スリップゾーンは踏まないようにしてるし、ゆっくり転がっている赤い立方体だの、ぴょんぴょん跳ねてくる巨大なチェスの駒だの、一部の敵には当たらないよう動いている。

 一体どういうことなんだろう。

【メトロクロス】って、こんな走り方が可能だったの……?



 頭を捻っているうち、ふと、【ハングオン】の陰から向けられる、困惑したような視線に気が付いた。

 あ、いつもの三人組の、残り二人だ。

『南』高生がそばにいたんじゃ、合流するにも気を遣うのかな?

 もう少しプレイを見ていたかったけど、ここは遠慮しておくべきと判断。

 その場を離れ、近くの【魔界村】の丸椅子に腰を下ろした。



 お姫様が大魔王にさらわれた直後、【メトロクロス】の方からくぐもった悲鳴が聞こえた。

 ゾンビを倒しながら目を向けてみると、プレイ中の『北』高生が、残り二人に首を締め上げられている。

 それほど深刻な雰囲気は感じられないし、多分、いつものじゃれ合いだろう。

 相変わらず仲が良いようでなによりだ。



 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・



 それにしても……あの走り方は、なんなんだ?

 どうも、通路に敷き詰められたタイルとタイルの隙間に位置すると、一部の障害物にぶつからなくなるようだけど……。

 転がって来る缶コーラ、ハードル、落とし穴、ジャンプ台。

 どれもタイルいっぱいの横幅があり、横にきっちり並んでいたら、その隙間をすり抜けられるようには見えない。

「傷だらけのランナー」だって人間なんだから、それなりの厚みは持っているはずだ。

 ぺらぺらの紙のような存在でもあるまいし、わずかな隙間を通れるわけが……。



「……………………」



 いやいやいや、なにバカなこと言ってるんだ、ぼくは。

【メトロクロス】はゲームだ。

「傷だらけのランナー」はゲームの世界の存在だ。

 ただの絵。ただのコンピューターグラフィック。

 三次元のような身体の厚みなんて最初から持ってないし、障害物にぶつかったかどうかもコンピューターの判定次第。

 わかっているつもりで、忘れていた。

 自分で操作するキャラクターが、まるで本当に生きて動いているようで……ごくごく当たり前の現実を忘れていた。


 つまり、こういうことか。

 見た目ではわからないけど、障害物には「傷だらけのランナー」が通り抜けられるだけの隙間がある。

 見た目とは別の、障害物にぶつかるかどうかの判定が存在している。



 ああ、そうか……。

 ベーマガで時々見かけていた言葉、「当たり判定」って、こういうことか……。



 だったら、次にやるべきことは決まった。

 障害物をすり抜けられる場所、タイルとタイルの隙間に「傷だらけのランナー」を移動できるよう、次のプレイで練習してみよう。

 あの技が使えるようになれば、スコアも到達ステージも大幅に伸びるはずだ。


 それと、もうひとつ。


「当たり判定」って言葉の意味はわかったけど、それがどういう仕組みなのか、今ひとつピンと来ない。

「傷だらけのランナー」も「絵」、缶コーラを始めとする障害物も「絵」。

「絵」と「絵」が、ゲームの中でぶつかったか、ぶつからなかったのかの判定をどうしているのか、それがぼくにはわからない。


 ゲームの仕組み。

 そこに興味を持ったのは、これが初めてのような気がする。


 興味が湧いたなら、調べてみたい。

 幸い、ぼくの部屋にはベーマガが――プログラム関連の記事が充実している「マイコンBASICマガジン」がある。

 手始めに、これまで流し読みしかしてなかったプログラム講座と投稿プログラムの記事を読み返してみるかな。

 確か、最初に手に入れた六月号に「命中と判定」の解説が載っていたはずだ。

 最初に読んだ時はなにがなにやら全然わからなかったけど、今なら少しは理解できるかもしれない。


 もし、理解できなかったら……。


 夏休みに色々使っちゃって、今月はお小遣いが厳しい。

 本屋さんでプログラムの本を買うのは苦しい。


『南』の図書室に、コンピューター関係の本はあったかな?

 図書委員に相談すれば、なにか良い本紹介してくれるかなあ……?


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一九八六年 十一月十七日(月)

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 夏休みが終わって、もう二ヶ月以上が経った。

 初めて「ライン合わせ」を目撃してからしばらく【メトロクロス】のプレイを続けていたけれど、先月から別のゲームに熱中してしまったせいで、「傷だらけのランナー」との再会は久しぶりになる。


 もちろん【メトロクロス】が嫌いになったわけじゃない。

 こつこつと攻略を進めた結果、到達ステージは二十面を越えている。

 それに【メトロクロス】は、プログラムのことを学び始めるきっかけになったゲーム。

 今でも思い入れの深いタイトルであることは間違いない。


 それなのに、ゲームを開始するのがちょっと怖い。

 ひょっとすると以前より良い結果が出せるかもしれないのに、そうなってしまうのがなんだか怖い。

 だからと言って、このまま放置しておくのも落ち着かない。

 意を決して五十円玉を投入。スタートボタンを押下。


 一面。

 通路いっぱいに並んで転がって来る缶コーラを、タイルとタイルの間のラインに位置合わせすることで、かわすことなくすり抜ける。


 二面。

 お助けアイテムのスケートボードを獲得したら、ライン合わせするだけでクリアできる。

 ただし、それをやるとスコアが伸びない。

 蹴ると点数が入るスポーツドリンクや、飲むとスピードアップするスペシャルドリンクは積極的に取りに行く。


 三面。ジャンプ台がメインのステージ。

 ここも難なく……これまでに経験したことが無いほどに、あっさりとクリアする。

 思わず、深い深い溜め息。

 タイムボーナスの加算VGMを聴きながら、がっくりと肩を落とす。


 影――。


 ゲーム中、「傷だらけのランナー」は、常に通路上に影を落とす。

 ジャンプ中もそれは同じ。

 画面上高く舞い上がった時も、「影」の位置さえ見ていれば「傷だらけのランナー」がどこに着地するか把握できる。


 できるんだけど……。

 ぼくはこれまで「影」の存在を見落としていた。

 見落としたまま、「このゲームは空中で自分の位置を把握するのが難しいなあ」なんて思ってた。

「自分の操るキャラクター」=「傷だらけのランナー」とだけ認識していて、それ以外にも注目すべき点があるなんて思いもしなかった。


 別のゲームで「影」の存在価値を知り、「もしや」と思って再プレイしてみたけど……。

 やっぱり【メトロクロス】にも「影」はあった。

「影」を見ながらプレイすると、ジャンプ台からジャンプ台への乗り継ぎもむちゃくちゃ簡単だった。



【メトロクロス】には色々と学ばせてもらったけれど、今回はまた極めつけだなあ。


「問題は隅から隅まできちんと読みましょう」


 まずは、目の前に提示されている情報をきちんと把握すること。

 要点を読み飛ばしてあれこれ考えたところで、正しい解答を導き出せるわけもない。

 テストでもゲームでもしっかり点数を稼ぐため、この教訓は忘れないようにしておこう。

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