レストハウスの【マサオ】のこと
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一九八六年 八月三十日(土)
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夏休み最後の土曜日。
朝食の席で宿題の進み具合を聞かれた弟は、視線を伏せたまま、「もう少し」とぼそぼそ呟いた。
ぼくは、ナスと油揚げの味噌汁をすすりながら、日記や自由研究の類は手伝えないと素っ気なく告げる。
それを聞いた弟は、残ってるのは問題集だけだから大丈夫だと、何故か自慢げに胸を張る。
その問題集はどれぐらい進んでいるのか、さらに母が問い詰めて……。
ほとんど手付かずだと判明した時点で、例年通りに爆発した。
予想はしていた。
この後しばらくお説教が続くところまで含め、我が家の晩夏の風物詩だ。
自分の食器を流しに下げ、そのまま弟の部屋へ入る。
こちらの方も予想通り。
机の上には、まるで誰かのために用意していたかのように、教科書と問題集と筆記用具までが整然と並べられている。
宿題の範囲に付箋まで貼られていることに溜息をつきつつ、椅子に座って問題集を開く。
弟に限らず、中学生が考え込みそうな問題なんて大体わかる。
手が止まりそうなところには、最初からヒントを書き込んでおこう。
甘やかしすぎかと思わないでもないけど、朝から晩まで質問攻めにされては、こっちだってたまらない。
今日と明日は読書の時間と決めたんだ。
これが終わったら、さっそく自分の部屋に引きこもるぞ。
……というぼくの計画は、実行前から頓挫した。
作業を始めようとした矢先、廊下の電話が鳴った。
一番近いのは弟の部屋なので、やむなくぼくが電話に出ると、レストハウスの双子のお兄さんの方。
てっきり弟の呼び出しだと思ったら、「それはついで」だと言う。
なんだかものすごくイヤな予感がした。
三十分後。
多方面から拝み倒されたぼくは、レストハウス二階の双子の部屋で、中学生三人を相手に「答えは教えない」「だけどヒントは出す」という、非常に面倒くさい任務を開始することになった。
……これ、最初からぼくを巻き込む計画だったんだろうなあ。
弟は電話によってお説教から解放されたし、双子の方も問題集以外の宿題は終わらせていた。
このままじゃ終わらないということも、それぞれの親にしっかり認識させていた。
偶然と言うには状況ができすぎている。
少しばかり怒られるとしても、一日二日で宿題の大半が片付くなら、安い代償ってことか。
来年はなにか対策を考えておこう。
あと、弟は帰り道で一発殴ろう。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
すっかり陽も落ちた夜八時。
閉店後のレストハウス店内で、夕食をごちそうになった。
テーブルには、ハンバーグ、エビフライ、ハムサラダ、スパゲッティナポリタン、それにフランクフルトや山菜ごはんのおにぎりなんかがずらりと並んでいる。
どう見てもお店の食材の使いまわしなんだけど、ぼくや弟にとってはこういう外食メニューの方が珍しくてうれしい。
お昼に二階まで運んでもらったカツカレーも、家庭用のルーとは一味違ってておいしかった。
一方、明らかにこういう料理は食べ飽きている双子は、適当に何品か口に詰め込んで、そろってテーブル筐体へ移動してしまった。
おや、珍しい。
このレストハウスに置いてあるビデオゲームは、【ブロック崩し】や【スペースインベーダー】と同時代の、テニスゲームとか、ガンマンが撃ち合うゲームとか、雲みたいな障害物を挟んでビームを撃ち合うゲームとか、そんなのばかり。
誰かと【エアホッケー】で対戦する時と、お店の掃除を手伝わされる時以外、二人がゲーム機の方に近づくのをもう何年も見ていない。
ナポリタンをフォークに巻き付けつつ視線で後を追うと、双子は筐体の天板を開けて中のスイッチを操作、クレジットを大量に投入。
そして、筐体の同じ側に並んで座ってスタートボタンを押し、二人同時に操作を開始した。
二人が筐体の同じ側に座った時点でわかった。
新しいゲームだ。
……いや、ゲームとしては、決して新しくない。
コインの投入音も、ゲームスタート時のBGMも、最新のFM音源ではなくPSG。その音色も、薄いと言うか、軽いと言うか、全体的に安っぽい。
だけど、旋律そのものには聞き覚えがある。
デパートの屋上、それからおもちゃ売り場でも、似たような音楽を聞いたことがある。
記憶が正しければ、このお店、この町内においては、間違いなく「最新」と言っていいビデオゲーム。
それも、今や日本中にその名を轟かすビッグネームの出演作。
「
ハンバーグを頬張ったまま、ガタンと弟が立ち上がった。
それを見たおじさんが、「ガキどもがしつこくねだるんでね」とにんまり笑う。
「欲しかったのは【マリオ】じゃなくて【スーパーマリオ】!!」
「それにこれは【マサオ】!!」
途端に双子が、筐体をバンバン叩きながら猛抗議を始めた。
んー…………。
察するに、ファミコンの【スーパーマリオ】をおねだりしたら、アーケードゲームの【マリオブラザーズ】が来たってことか。
それは、ファミコンと間違えて「セガ・マークⅢ」や「スーパーカセットビジョン」をプレゼントされるより、遥かにレアケースだろうな。
……って、【マサオ】?
同じ疑問を抱いたらしい弟が、山菜おにぎりを持ったまま筐体へと移動する。
そして、大爆笑。
「マサオだ、マサオだ!」
「コージって誰だよ!」
インストラクションカードとゲーム画面を交互に見ては、ひたすら笑い転げる。
双子もぶーぶー文句を言いながら、プレイはやめようとしない。
流石に気になって、ぼくも口の中のスパゲッティを飲み込んでから席を立ち、ゲーム筐体を確認した。
うん、やっぱり何度か見たことのある【マリオブラザーズ】の画面。
下水道(だと思う)に湧き出した、カメや、カニや、虫などの敵を、下から床を突き上げて引っくり返し、さらに蹴飛ばして退治する、固定画面のアクションゲーム。
【ツインビー】のように、二人同時プレイが可能。
今も双子が赤い服と緑の服のキャラクターで画面の中を跳ね回っている。
この赤いキャラが「マリオ」、緑のキャラが「ルイージ」だと、どこかで読んだ。
でも、インストラクションカードに書かれているゲームタイトルは【マリオブラザーズ】ではなく、【マサオジャンプ】。
ゲーム画面にも、左側のスコアに「MASAO」、右側のスコアに「KOHGI」と、聞き慣れない名前が表示されている。
微妙に違うゲームタイトル。
微妙に違うキャラクター。
微妙に違う効果音。
あー……。
これ多分、駄菓子屋さんの【ZIGZAG】と同じだ。
任天堂が発売してる正規品じゃなくて、どこかのメーカーが勝手に改造した違法ゲームだ。
とは言うものの、双子たちは相手の獲物を横取りしたり、やられそうになったところを助けたりしながら、にぎやかにステージを進めている。
弟も手にしたおにぎりをかじりながら、ゲームオーバーになった方と交代しようと待ち構えている。
「【マリオ】じゃない!」とは言いつつも、正規品か違法品かなんて気にしている様子は無い。
かく言うぼくも、遊んでみたい気持ちはあった。
あったけど、あの三人に混じるのは色んな意味で無理。強いてなんでもない風を装いつつ、テーブルに戻って食事を再開する。
その目の前で、おじさんは瓶ビールの栓をしゅぽんと抜き、グラスにこぽぽぽぽと注いで、一息で飲み干した。
そして、いかにも満足そうな吐息と共に一言。
「値段の割に、受けがいいんだ」
それはきっと、双子と弟だけじゃなくて、ここを訪れる観光客の反応も含めての言葉なんだろう。
旅先でこんなゲームを見つけたら、思わず遊んでみたくなるのは良くわかる。
お子様の反応については目の前で実証済みだし、普段ゲーム・パラダイスに出入りしているような人たちだって、話のネタにコインを入れてみようかという気になるはず。
古い上に正規品でも無いのなら、値段だって他のゲーム機に比べて格安だと思うし。
費用対効果をそこまで見越して【マリオ】ではなく【マサオ】を入荷したのなら、おじさんの経営感覚、相当すごい。
「あんた、この後の運転は?」
「うっ……」
誰知らずぼくからの尊敬を受けたばかりのおじさんは、瓶ビールと空いたグラスを手にしたまま、おばさんにゲンコツで殴られた。
おかげで大事なことを思い出した。
結局おばさんの軽自動車で家の前まで送ってもらったぼくは、道路から玄関までの短い道のりの間に、丸めたノートで弟の後頭部を思いっきりひっぱたいた。
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