別れと出会いと「ATARI」のこと

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一九八六年 八月四日(月)

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『EVERYTHING YOU KNOW IS WRONG』


【マーブルマッドネス】五面スタート時に表示されるメッセージだ。

 ついでに【マーブルマッドネス】は『PRACTICE RACE』『BEGINNER RACE』などステージ毎にレース名が付けられていて、五面は『SILLY RACE』。


「あなたが知っていることのすべては間違い」

「馬鹿げたレース」


 それらの言葉が示す通り、五面はかなり特殊なステージだった。

 一面からずっと最上部がスタート地点で、下方向へ進んで行くコースだったのに、この面では逆に下から上へと登って行く。

 コース上では重力が逆に働いていて、坂道では上方向に「落ちる」。(コースから外れると普通に下へ落ちる)

 これまで出てきた敵キャラがミニサイズで登場して、主人公の青ボールから逃げ惑う。踏み潰すとタイムボーナス。


 すごく面白い。

 そして、すごく難しい。


 とにかく重力が反対になっているのがきつい。操作感覚が狂って、青ボールがうろうろ迷走してしまう。

 これまでの最高記録はピンクの鳥が次々と体当たりしてくる地点。そこまで行けたのも、たった数回だ。

 他の人のプレイを鑑賞して、ゴール間近なのはわかっている。

【マーブルマッドネス】は全部で六ステージだから、ここを越えれば全面クリアだって夢じゃない。


 実際には、まだまだ四面クリアも危ういから、そんなに簡単じゃないだろうけど……。

 でも、もう少しがんばってみよう。

 これまで通り、こつこつ先を目指して行こう。



 この日は他に【スペースハリアー】と【戦場の狼】を一回ずつプレイして、そこで切り上げ。

 磨りガラスの扉を押し開けると、いつものように一斗缶のところでエプロン姿のお姉さんが煙草を吹かしていた。

 軽く会釈をして、駅の方へ足を向ける。


「あ……」


 呼び止めるような声が聞こえた気がして、ぼくはお姉さんの方を振り返った。


「…………」


 しかしお姉さんは宙に視線を向けたまま、ただ煙草を吸い続けている。

 気のせいだったのかな?

 まあいいや。そろそろバスの時間も近いし、早く駅へ向かおう。


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一九八六年 八月五日(火)

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「あれ……?」


 ゲーム・パラダイスに入った瞬間、イヤな違和感を覚えた。

 過去の経験から、反射的に【スペースハリアー】の方へ顔を向ける。

 ……大丈夫、あの大きな筐体はいつもと同じ場所にあるし、故障もしていない。

 だとするとなにが……と視線を移動させて、すぐに原因が判明した。


【マーブルマッドネス】が無くなってる……。


 わずかにふらつく足で店内を進み、大型筐体の並びを確認する。

 やっぱり無い。

 どこかに移動しただけかも……という淡い期待も、これで消えた。


 ぼくもこのお店に通うようになって、もう三ヶ月。

 ビデオゲームが必要に応じて入れ替えられるものだということは理解できている。

 理解はできているけど……やっぱり悲しい。

 もう少しで五面クリアできたのに……。

 全面クリアまでがんばろうと思っていたのに……。


 さよなら、【マーブルマッドネス】。

 これまで楽しませてくれて、ありがとう……。



 めそめそしてたって仕方がない。切り替えよう。

 これまで【マーブルマッドネス】があったところに鎮座しているのは、前任者と同じく、ちょっと変わった形のアップライト筐体だった。

 なにが変わってるって、レバーが四本、ボタンが二×四の八個もある。コインの投入口まで四個分。

 タイトルは【ガントレット】

 迷宮の中を、戦士・女戦士・魔術師・エルフの四人で敵を倒しながら進んで行くゲームのようだ。


 筐体の左上に位置する「戦士」のコントローラーは、『北』高生の一人が操作中だった。

 戦況を確認すると……なんだ、このモンスターの数!

 画面のほとんどがモンスターに埋め尽くされてる!?


『北』高生操る「戦士」は、細い通路の途中で宝箱の隣に位置し、襲いかかって来る幽霊の群れを単独で迎え撃っている。

 モンスターは宝箱を乗り越えられないらしく、周囲から袋叩きにされる事態は防いでいる。

 だけど、どうやら幽霊は無限に湧き出して来るらしい。

 少し先に落ちている白骨死体が発生源……かな? 別の通路でも、四角い箱だかピラミッドだかから棍棒を持った蛮族っぽいキャラが増産されている。

 これ以上ないぐらいの「多勢に無勢」。

『北』高生の顔にも苦悶の表情が浮かんでいる。


 その肩を、ぽんと叩く者が現れた。

 いつもトリオを組んでいる『北』高生の、残り二人。

 それぞれ「魔術師」と「エルフ」のコイン投入口に百円玉を入れ、戦線に参加する。


 ……このゲーム、途中からでもゲームに参加できるんだ。


 戦力が三倍になって、モンスターの撃破スピードが上がる。

 これなら大量の敵にも押し負けることなく、先に進めるかも……。


 そう思った矢先、「戦士」が悲鳴を上げて白骨死体と化した。


 新たに加わった「魔術師」と「エルフ」が、言葉と膝蹴りで死んでしまった「戦士」をなじる。

「戦士」はポケットから財布を取り出し……百円玉を切らしていたらしい。慌てて入り口近くの両替機へ向かう。

 ちょうどそこに、ガラス扉を開けて<MOR>が入って来た。

「戦士」、有無を言わさず確保、連行。

 筐体の前に引きずって来られた<MOR>、「女戦士」はイヤだとごね始めた。

 そうこうしているうちに、今度は参戦したばかりの「エルフ」が白骨死体と化す。

「魔術師」、そしてすかさず百円玉を投入して復活した「エルフ」に急かされて、「戦士」と<MOR>はじゃんけんの態勢に入る。


 結局<MOR>が「戦士」になり、元「戦士」は「女戦士」に転職した。

 かなり不満そうだった「女戦士」。

 ステージクリアした時点でいきなり野太い女言葉でしゃべり始め、他の三人どころか、ぼくを含めたギャラリーたちまで吹き出させてしまう。



 なんだ、これ? なんだ、このゲーム?

 ゲームそのものについてはまだ良くわかってないけど、ゲームの「外」のプレイヤーのやり取りが、ものすごく面白いぞ?



 ひょっとしたら、ここまで周囲を湧かせているのは『北』高生たちの個性のせいかもしれないけど……。

 でも、それを引き出したのが【ガントレット】という四人同時プレイ可能なゲームであることは間違いない。

【ガントレット】の筐体には「namco」、そして【マーブルマッドネス】と同じ「ATARI」のロゴが描かれていた。

「ATARI」――アタリ。

 多分、海外のゲームメーカーなんだろう。【マーブルマッドネス】と同じ、ゲーム全般からどこか日本と異なる空気を感じる。


 海外にも面白いゲームはあるんだ。

 当たり前か。

 世界初のコンピューター「エニアック」だって、作られたのは確かアメリカだったしね。


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一九八六年 八月六日(水)

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 久しぶりに美味しいパンが食べたいという母のリクエストを受け、特別授業の帰りに大きい方のデパートへ立ち寄る。

 ガラス張りの外壁に面した焼き立てフランスパンが人気のパン屋さんは、とりあえず後回し。

 まずはエスカレーターに乗って、屋上プレイランドへ向かう。

 夏休み中なので、平日のお昼という時間帯でもお客さんが多い。

 邪魔にならないよう、そしてなるべく目立たないよう、できるだけ人の少ない通路を選んで、昨日から気になっていたゲームを見て回る。



【ルナランダー】。

 アップライト筐体の月面着陸ゲーム。

 着陸船の向きを変える二つのボタンと、がっしりしたスロットルレバーで操作する。

 光る「線」だけで描かれたシンプルな画面なのに、動きが非常に滑らかで、むしろリアルに思えて来る。

 その分ゲームの難易度もリアルに近いらしく、無事に着陸させている人を見たことがない。


【テンペスト】

 アップライト筐体の……これは3Dシューティング、で良いのかな?

 円形や十字形、いろんな形の「通路」の内側で、画面奥から攻め寄せる敵を撃ち落として行くゲーム。

 操作はショットボタンと、【ブロック崩し】に使うような丸いパドル。

 パドルを回すと、通路の内側を自機がくるくる移動する。

 これも画面は「線」だけで描かれている。


【スターウォーズ】

 このゲームは、かつて弟のお気に入りだった。

 映画「スターウォーズ」の主人公と同じく、宇宙戦闘機に乗り込んで帝国軍のデス・スター破壊を目指す。

 これまた「線」だけのゲーム画面でありながら、コクピット型の筐体とコクピット視点のゲーム画面、そして要所要所で入る映画と同じBGMと英語の音声が、臨場感をいや増している。

 過去にぼくが遊んでみたいと思った、数少ないゲームでもある。

 当時は実際に遊んでみる勇気が出なかったけど。

 今日は今日で、小学生のグループが筐体を取り囲んでいて、とても遊べる状況じゃないけど。


 この三タイトル、予想通りアタリのゲームだった。

 加えて、筐体のゲーム説明欄に「セガ」と書かれていた【アステロイド】、同じく「タイトー」と書かれていた【ミサイルコマンド】にも、デモ画面に「ATARI」の文字を確認した。

【ガントレット】にも「namco」と描かれていたし、これは多分、開発がアタリ、販売が日本のゲームメーカーということなんだろう。


 この屋上プレイランドに置いてあるのは、ほとんどが古いゲームだ。

 その中に、これだけアタリの製品が存在しているのはすごい。

 ぼくが知らなかっただけで、アタリというメーカーはゲームの歴史の中で重要な存在なのかもしれない。



 しかし、これまで見てきたアタリのゲーム、操作方法から筐体のデザインまですべて違っているのは偶然なんだろうか?

 日本のゲームなら、同じテーブル筐体に色んなタイトルが入っているし、シューティングゲーム、アクションゲーム、レースゲーム、ジャンル毎に色々と共通の部分がある。

 アタリのゲームにはそれがない。全部が全部、まるっきり違っちゃってる。

 強いて言うなら、【ガントレット】の一レバー二ボタンがオーソドックスではある。

 ただそれも、四人分が一緒にくっついてちゃ普通とは言えない。あんな変わったゲーム、少なくともぼくは初めて見た。



 アタリ、恐るべし。

 世界って本当に広いんだなあ。

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