なくした明日は過去で待つ
響きハレ
◆四月
入学式は欠席した。行く理由が無かったからだ。
私が教室にやって来たのは入学式の次の登校日、週明けの第一月曜日だった。花見の季節は過ぎ、桜の花びらが散り始め地面を桃色に染めるころ。
高校一年生の教室。扉を開けると、生徒たちのきらきらとしたまなざしがこちらに集中する。それは新しく高校生活を共に過ごすメンバーへ向けられたはずだった。だが彼らの表情からにこやかさが一瞬で消える。波を打ったように静寂が広る。すぐに誰もが入り口に立つ私から視線を逸らしてもとの状態に戻って行った。教室がまたざわめき出す。何事もなかったかのように。
私は構わずずかずかと教室へ入り、教壇の下を覗き込む。案の定そこには教室の座席表が仕舞われていた。座席表の、廊下側の一番後ろの席のところに私の名前が記されている。名前順に割り振られた席。その席を見ると、机の上に女子が座っていた。彼女は隣の女子と喋っている。入学式の次の登校日から、よくもまあこんなことができるものだと思う。私はため息をついて席へと直行する。
目の前に立つと、そこに座っていた女子が私に一瞥をくれた。彼女は無言で机から降り、反対隣りの机に同じように座り込んだ。隣で会話が再開する。
私は席に座ると鞄から本を取り出して、ホームルームが始まるのを待った。教室の中の誰もが、新たに始まる高校生活に胸を躍らせているように見えた。その空気がいまの私には息苦しかった。
しばらくすると鐘が鳴り、担任教師が教室へと入ってくる。挨拶が済むと、ホームルームが始まった。
入学式の後にクラスの自己紹介は一通り行われたのだろう。今日のホームルームでは自己紹介という儀式は行われずに済んだ。おそらく私のこともクラスの人たちに話しているのかもしれない。教師は私のことには触れなかった。
さて、今日のホームルームの主題は、各種委員などの役割分担である。私は今日このためにわざわざ教室に来たのだ。
まずは学級委員からである。担任教師が立候補者を募るとすぐさま一人の男子が手を挙げた。その男子の短く切り揃えた髪はツンツンと上に尖っていて、やる気に満ち溢れているのが手に取るように分かった。もう一人の学級委員は女子のグループの推薦によって決められた。中学のときに同じ学校だったらしい。おとなしそうな眼鏡の女子だった。推薦したグループの子だとは思えない。大方、都合よくまつりあげられたんだろう。
二人はさっそく教室の前に出てこの場を仕切り始めた。次々、文化祭実行委員や体育祭実行委員などが決められていく。
あるところで男子の方の学級委員の言葉が少し詰まる。
「図書委員なんですが…… クラスから一人出さないといけないんですよね……」
教室は静まり返っていたが、空気が淀んでいるようだった。しかしそれに構う必要はない。
「はい」
私が手を挙げると、教室中がざわついた。前を向いていた顔が次々にこちらへ振り返る。「誰かなりたい人なんているの?」「いたらヤバいでしょ」そんな言葉が小声で聞こえてきた。
「えっと……」
男子の方の学級委員がまごついている。
「山本美波です。私、図書委員やります」
「いいんですか?」
学級委員の男子の表情が曇った。あからさまに気を使われているようだった。
「大丈夫です。図書室好きですから」
教室中に驚きの声が響いた。私が図書室を好きだったら変だろうか。
「そうですか…… ほかにやりたい人は……」学級委員が教室を見回す。
「いない、ですよね…… では山本さん、お願いします」
黒板に「図書委員 山本美波」と書かれた。今日の役目を終えた私は再び本へと視線を戻した。
*
その後のホームルームをやり過ごして私は図書室へと向かう。
扉を開ける瞬間、私は今日一番の緊張を迎えていた。朝の教室などくらべものにならないほどだった。心臓の鼓動が全身を打ちつけている。
深呼吸をしてから扉を開ける。視界に飛び込んできたのは、一人の男子生徒だった。窓際に立ってカーテンをめくって外を眺めている。横顔が隙間から差し込む日光に照らされていた。小柄で少し幼げな顔つき。私の心臓はまだばくばくと脈打っていた。行き場を失った期待が私の体から力を奪って行く。
窓際の男子生徒の学ランの襟には組章がつけられていなかった。配られたまま付けるのを忘れているのだろう。中学の制服がブレザーで、付け忘れてしまう生徒は毎年かなりいた。
男子生徒が私の姿に気づく。しかしまたすぐに視線を外へと戻した。
「図書室にあまり日光を入れないようにしてください」
彼の前を通り過ぎるとき、私は彼に投げつけるように言った。彼は「ごめん」とだけ言ってカーテンから手を離した。
私は本棚の間に目当ての人物がいないか確認しながら図書室の中を歩き回る。どこにも見当たらない。準備室の鍵が開いていたので、中を覗き込んでみる。そこにも人の姿はなかった。
「君、何してんの?」
背後から声をかけられる。びっくりして振り向くと、窓際に立っていた男子生徒が私を見つめている。
「私、図書委員なんで」とだけ答えて準備室の中に入った。一つだけ使用されているデスクを見る。いつもの鞄がない。
「だからさ、君何やってるの?」
声の主が再び話しかけてくる。私は振り返って彼を睨み返した。
「佐藤先生を探してるんです。あなたこそ何してるんですか。ここ、準備室なんですけど」
「俺も図書委員だから」と彼は穏やかに言った。
私は愕然とする。うちの図書委員は盛んじゃないから、他に人が来ないんじゃなかったのか。
「佐藤先生なら会議があるからって、もう行っちゃったよ」
私はそのまま崩れ落ちそうだった。佐藤先生、私を待っててはくれなかったのか。
「そうですか」とだけ答えてそのまま準備室を出て行こうとしたとき、ふたたび男子生徒に声をかけられる。
「何ですか!」
「図書委員の仕事、教えてほしいんだけど。佐藤先生が他の人に教えてもらえって」
私はため息をついた。
「中学のとき図書委員やったことないんですか。だいたいおんなじですよ」
返答までにやや間があく。視線を斜め上にやって何かを思案しているように見えた。それから男子生徒は「まあ、そうだね」と言う。
「俺、西田諒平っていうんだ。図書委員は初めてだけどちゃんとやるから」
私はまたため息をついた。目の前の西田さんにちゃんと聞こえるように。
「ひょっとして君、俺のこと嫌い?」
しばらく沈黙。
「山本美波……」
「そうか、山本さん、山本さんね。山本さんは、俺のこと嫌い……?」
「別に…… どうでもいいです」
「はっきり言うね…… 迷惑かけないようにするから、しばらくここにいさせてよ」
「どうしてそんなに図書委員の活動にこだわるんですか?」
「だって、図書委員じゃないのに図書室にいたらおかしいでしょ? まあ図書委員でも図書室にいたらおかしいんだけど……」
「は?」
思わず声が飛び出す。
「何言ってるんですか?」
西田さんは目を丸くしていた。合点がいかない、という様子だった。
「だって、誰も図書室になんか来たがらないよ。この図書室、呪われてるってもっぱらの噂だから」
「え?」
「この図書室に関わった人間、特に図書委員かな。図書委員は、死ぬんだってさ」
噂だって?
「西田さんはそんな噂、信じるんですか?」
西田さんは真顔になる。
「だって噂じゃないから」
「噂じゃない?」
「本当だから」
その表情にはこれ以上ないというほどの迫真さがあった。
「死ぬよ」
正直に言うと、私はその表情の醸し出す雰囲気に圧倒されていた。
「馬鹿じゃないの」
そうは言ったものの、私の背中に嫌な汗がひとすじ流れ落ちる。
その日、佐藤先生には会えなかった。
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