◆十二月

 今年の冬はそれほど寒くないんじゃないかという思いは十二月を境に木枯らしに吹き飛ばされていった。天気予報によれば強い寒気が降りてきているのだという。駅からの通学路に並んでいる欅の木も赤く紅葉した葉を地面に落としている。

 今日は期末試験の最終日。試験の後には久しぶりに図書準備室で佐藤先生との時間を過ごせる。昨夜は期待であまり眠れなかった。

 試験一週間前から、試験の準備といって佐藤先生は準備室ではなく職員室の机の方に行ってしまっている。準備室も鍵がかけられて自由に出入りすることができなかった。ただでさえ、毎日西田さんが図書室に来ているのだから、なおさら先生と過ごす時間が待ち遠しかった。それに何より、あの日トイレで聞いたこともまだ気になっていた。

 学校について昇降口に上がる。自分の下駄箱へ向かったところで、学級委員の加藤さんと目が合った。廊下の端っこで鞄を両手に持って何かを言いたそうに私をじっと見つめている。私は上履きに履き替えて廊下に上がり、加藤さんに近づいて声をかけた。

 「私に何か用?」

 加藤さんは静かにこくんとうなずく。

 「真壁先生がね、山本さんと話がしたいんですって……」

 「話って、何の?」

 「ええと……」

 加藤さんは私と目を合わせようとしない。

 「ひょっとして私が教室に来ない話?」

 視線の端で私の目を一瞬見て、うなずく。

 「真壁先生、すごく心配してるんです……」

 「心配、ね……」

 加藤さんはまたうなずく。心配といったってたかが知れている。

 「今日試験が終わったら職員室に来てほしいって」

 よりによって今日。内心で舌打ちをする。私は目の前の加藤さんを睨みつけようかと思ったがすんでのところで思いとどまった。加藤さんに恨みはない。私はため息をついて「分かった」と答える。加藤さんの緊張が少し和らいだようだった。


 *


 期末試験の全日程を終える。授業は佐藤先生の倫理をのぞけば全く受けていないが、自習を欠かしたことはないから試験はどうにかなる。試験範囲はだいたいどの科目もプリントにして配布されているし、それも佐藤先生の授業のついでに回収していた。

 試験後の終礼を終えて、図書室へ直行してお昼ご飯、といくつもりだったのだが、教室を出たところで真壁が駆け寄ってきた。図書室へ向かう道を真壁が正面からふさぐ。

 「山本、加藤から聞いてないか。少し話をしたいんだが」

 「私はしたくありません」

 横を通り抜けようとするが真壁が立ちはだかる。

 「何か言いたいこと、あるんじゃないのか?」

 「私は何もありません」

 「さすがにこのままだといろいろと困ったことになるぞ……」

 困るのは先生なんじゃないのか、と言おうとしたが私は言葉を呑みこんだ。

 「山本が話に応じてくれないとなると、親御さんに連絡しなきゃならなくなる。その前にまず山本の話が聞きたいんだよ」

 親か。親を出されてひるむ生徒は実際少なくないのだろう。真壁はきっといままでもこうしてきたんだ。私はため息をついて、「分かりました」と答えた。「よかった」と言った真壁の顔から、嬉しさが読み取れる。私は心の中でため息を追加した。

 私が真壁の要求に応じたのは、親を出されてひるんだからというよりも、ただ面倒ごとを増やしたくないからだ。親に連絡されれば家族会議の名目で家庭での聴取が行われ、それから三者面談にでもなるだろう。考えただけでうんざりする。

 「先に職員室に戻るから、すぐに来てくれ」と言うと、真壁は足早に去って行った。

 指示の通り職員室へ行き、扉をノックして開ける。試験が全て終了したとはいえ、まだ終わったばかりだ。回収したテストがまだ採点されていない状態で山積みになっていて、中に入ることができない。近くにいた先生に声をかけて真壁先生を呼んでもらう。

 すぐに真壁が奥から駆け寄ってきた。出席簿と鍵を手に持っている。

 職員室を出た廊下を真っ直ぐ進んだ端っこに面談室はあった。真壁が鍵を開けて私に中に入るように促す。四畳ほどの空間に、一人がけのソファが二つ。その間に小さなテーブルが置かれていた。ソファの片一方に腰かけると、真壁が扉を閉めて向かいに座った。

 真壁が膝に出席簿を置いたまま口を開く。

 「体調はどうだ? 辛かったりしないか?」

 「おかげさまで。いたって健康です」

 「そうか……」

 真壁は何を言うべきか迷っているという風に見えた。どうせ本題に入る前んい手さぐりをしているんだろう。私は早く面談が終わることを願いつつも、こちらから口出しをする気にはなれず、黙ったまま座っていた。

 しばらくして意を決したという風に真壁が口を開く。

 「何か、変わったこととかないか……?」

 「変わったこと、ですか……?」

 「ええと、たとえば教室になじめないとか…… ひょっとして教室の誰かに困ってるとか……」

 「ありません」

 「本当か……? 何か言いたいことがあったら言っていいんだぞ?」

 「ありません。……先生の方こそはっきり話してください」

 真壁は居心地が悪そうだった。それを見ていると、わけもわからずいらいらしてくる。

 「それじゃあ話すが、山本は五月からほとんど教室に来てないよな……?」

 「私、学校に来てますよ、毎日」

 真壁は一瞬虚を突かれたような表情をするが、すぐに何かを納得したようだった。

 「学校に来ているって言ったって図書室だろう。試験の成績はそこそこだけど、授業それぞれの出席日数が足りないんだ」

 「出席日数?」

 「高校は授業ごとに単位があって、それぞれに最低限必要な出席日数が決まってるんだよ。だから学校に来てるだけじゃダメなんだ。授業を受けないと」

 そんなこと、知っていた。

 「山本は入院もしてるし、一年生も二年遅れてるから、もうあまり引き伸ばさない方がいいんじゃないか……」

 「それってどういう…… 退学……?」

 「いや、まずは話を聞いてくれ。山本は入院してたから、体調の問題ということで、出席日数について、それぞれの先生と相談してみようと思う。試験の成績もそれほど悪くもないから。まあ、山本にその気があればの話なんだが」

 「私を進級させてあげる代わりに懐柔しようっていうんですか?」

 「ずいぶんと人聞きが悪いな……」

 真壁が苦笑いをする。

 「このままだと山本、今度の春から学校にいられなくなる。せっかく退院して、二年遅れてでも戻ってきたんだ。卒業まで頑張ってみないか?」

 選択の余地はなかった。

 「そうですね…… 進級、したいです……」

 真壁は「そうか」と言って表情を少し和らげた。

 「じゃあ先生の方は、他の先生に相談してみることにするよ。で、ここからは山本自身の問題なんだが」

 私は目を細めて身構える。嫌な予感がした。

 「教室に来てくれれば一番いいんだが、まあそれができないとしても、図書室じゃなくて保健室に行くようにしてくれないか? 保健室なら、体調不良という話にも説得力が出る……」

 「は?」

 「いや、あのな、山本が毎日授業も出ずに図書室に行ってるってのは、結構有名なんだ。それで悪い噂が立ってる。山本は図書室の佐藤先生と付き合ってるんじゃないかって」

 「何ですかそれ!」

 「いや、噂だよ、噂」

 「先生は信じるんですか……?」

 「いや、本当だとは思っていないよ、もちろん…… でもこの噂してるの、生徒たちだけじゃないんだよ。職員室でも聞くんだ」

 私は言葉を失う。

 「驚くのも無理ないよな…… 先生たちがそんな噂してるんだから…… すまん……」

 「佐藤先生は? 佐藤先生は何て言ってるんですか?」

 「ああ、もちろん佐藤先生も否定してるよ。教頭と校長が佐藤先生と面談してね、はっきり否定したんだそうだ。先生も佐藤先生が直接否定しているのを聞いたことがあるけど、嘘をついているようには見えないな」

 私は力を失ってソファにもたれかかる。

 「でも佐藤先生を悪く言う先生が少なくないのも事実なんだ。山本と付き合っている、っていう噂だけじゃない。図書室に山本と三年の西田くんを閉じ込めてる、って言ってね。正直、図書室って良い噂、ないだろ?」

 「人が死ぬ、ってやつですか……」

 「ああ。もちろん、単なる噂だと先生は思うんだけど、古くからいる先生の中に図書室と佐藤先生のことをよく思わない先生が多いんだ。先生は去年赴任してきたばっかりだから事情をよく知らないんだけど、山本が入院したのも図書室にいたからだ、なんて言う声があるのも本当なんだ」

 私の様子を見て気を使ったのか、真壁が言葉を付け足す。

 「あ、いや、最後のは山本に話すようなことじゃなかったな、すまん…… まあ図書室に行くな、とは言わないよ。生徒が図書室に行っちゃいけない理由なんてないんだから。でもこんな噂がある以上、入りびたるのはやめた方がいいんじゃないかな。山本だって、こんな噂立てられたら迷惑だろう……?」

 私はその質問には答えなかった。真壁がふうと息を吐いて話を再開する。

 「まあ、ともかく、山本に進級する意思があることがわかってよかったよ。こっちはうまくいくように動いてみるから。山本も、今話したこと、頭に入れておいて、な」

 私はただ黙ってテーブルの上の小さなシミをじっと見つめていた。


 *


 面談を終えて真壁と別れると、私は図書室へ直行した。準備室の扉が開いていて中の電気が付いているのが見える。話し声は聞こえない。準備室の入り口まで行くと、デスクの椅子に腰かけた佐藤先生の後ろ姿が目に入った。私は開けられた扉をノックして先生の名を呼ぶ。

 「ああ、山本か。入りなよ」

 先生は本を読んでいた。私はいつもの定位置に座る。

 「今日も西田さんが来てるんだと思ってました」

 「ああ、西田は用があるって、いま職員室だよ」

 帰ったんじゃないんだ。

 私は気を取り直して、「何読んでたんですか?」と聞いた。

 「ああ、これはウィトゲンシュタインの本だよ。西田がどうやら興味を持ったみたいなんだけど、僕もだいぶ忘れてるから復習しようと思って。山本も読む?」

 私は首を横に振る。「哲学は分からないから」

 「分からないって言って避けてるだけじゃ、分かるようにはならないんだけどな」

 「私避けてません…… 昔読もうとして、ダメだったって経験の裏打ちがあるんです」

 「まあ得意不得意があるし、必要としていないなら強くは勧めないけどね」

 先生は本を閉じて足元に置かれていた鞄の中にしまった。

 沈黙が二人を包み込む。耐え切れず先に口を開いたのは私の方だった。

 「先生、先生は私が図書室にいると、迷惑ですか……?」

 先生は座ったまま静かにこちらへ振り向く。

 「何かあった?」

 私は何も言わずにうなずき、そのままうつむいていた。

 「誰かが何か噂してても、気にしちゃいけないよ……」

 私は顔を上げた。「先生は……? 先生は、どう思ってるんですか……?」

 「根も葉もない噂だからね。山本もあんまり気にしなくていいんだぞ」

 「そうじゃない…… そうじゃないんです……」私はまたうつむいてしまう。

 「そうじゃない……?」

 私はうつむいたまま、先生のスーツの裾を掴んだ。

 「私、先生のこと好きなんです……」

 水が器を満たして零れるように思いが溢れて涙が零れる。

 「山本…… 慕ってくれていることは分かってたよ……」

 「違うんです!」私は思わず叫んでいた。

 「そうじゃないんです…… 私、先生のこと、好きなの……」

 涙がぽろぽろとスカートの上に落ちる。

 「一年生のときたまたま図書委員になって、先生のこと知って、先生、私にいろんなことを教えてくれて…… 入院が決まったときも、退院するの待ってるからって…… 私にこんなに優しくしてくれる人がいたんだって…… 嬉しかったんです……」

 先生が私の肩を両手で掴んでうつむいた私の顔を覗きむ。

 「山本の気持ちは嬉しいよ…… でも……」

 「でも、何ですか?」涙で滲んだ視界の中で、先生はどんな表情をしているのだろう。

 「私に好かれたら、先生は迷惑ですか……?」

 「そんなことはない、そんなことはないよ……」

 静かに、私を諭すような声だった。

 「じゃあどうして私の気持ち、受け取ってくれないんですか……? 誰か忘れられない人がいるから?」

 先生がはっと息を呑んだ。私の肩を掴む手が離れる。

 「恋人が、図書室で自殺した、とか……?」

 「山本、誰から聞いたの? それ」

 先生の声は震えていた。

 「三年の、女子から…… 歳の離れたお姉さんが先生と同級生だったって……」

 先生ゆっくりと息を吐いた。

 「あんまり噂を鵜呑みにしちゃいけないよ…… 僕が知ってるかぎり、図書室では誰も死んだことないんだから……」

 「図書室では……?」

 先生は何も答えなかった。沈黙が私には深い肯定のように感じられる。凍りついたような時間が私の体にのしかかるような気がした。

 先生は私の肩を再びつかんで、私を椅子に押し戻す。先生の表情は少しぎこちなかった。

 「りんご、食べない?」

 「えっ?」

 「実家からりんごがたくさん送られてきてね……」

 そう言うと先生は足元から紙袋を取り上げて膝に置いた。中から真っ赤なりんごが三つ出てくる。

 「実家はりんご農家ってわけじゃないんだけど、ご近所さんからたくさんもらったらしくて、うちに送られてきたってわけなんだ。どうする?」

 私は黙ったままうなずくことしかできなかった。

 続けて紙皿と果物ナイフが紙袋から取り出される。先生がナイフを右手に持ったままりんごを左手で取ったところで、私は声をかけた。

 「私がむきます……」

 「いいの?」と聞かれ、私はまたうなずいた。りんごの皮むきはそんなに得意ではないけれど、今は手を動かしたい気分だった。

 先生からりんごとナイフを受け取る。私はまずりんごを縦に四分割し、続けてへたの部分を切り取った。分割されたりんごの皮の下にナイフを入れて、薄く表面をえぐり取るようにしつつ、左手でりんごを動かしてゆく。皮をむいてから中心部を切り取る。そうしてできあがったものから皿に並べていった。

 「結構上手だね」とりんごを見てた先生が言う。

 「包丁を使うのは嫌いじゃないですから……」

 先生はまじまじとりんごを眺めている。

 「あの、りんご食べませんか? むき方に問題ありました……?」

 「いや、綺麗にむけてるよ。ただ西田遅いなって」

 「西田さん……?」

 「三人で食べようって思ってたからね」

 私はナイフを落としそうになる。

 「先生、やっぱり私がいるの、迷惑なんですか……?」

 「いや、そうじゃないんだ……」

 「いっつも西田さんのことばかり…… 本だって、西田さんと一緒に話してるの、私といるときよりも楽しそうですよ……」

 「ちょっと待って、落ち着いて。お茶でも飲むか? ティファールがあるんだ、この部屋」

 そう言って先生は立ち上がる。使われていないデスクの上にあった電動湯沸かし器を手に取ると、「水入れてくるよ」と言って先生はすぐに出て行ってしまった。やっぱり迷惑なんだろうか……

 そう思いながら私は切られたりんごをただ見つめていた。

 「あれ、佐藤先生は?」

 西田さんの声。振り向くと西田さんは準備室の入り口に立っていた。つかつかと近づいてくる。

 「りんごだね。これどうしたの?」

 今日だけは顔を見たくなかったのに。

 私はナイフを手に取ってその刃を西田さんに向ける。西田さんは声を上げて飛びすさった。

 私は椅子から立ち上がる。寒気がしていた。ナイフを持った右手ががたがたと震える。その震えは全身へと波及して、息が上がり、私は息を吐く余裕を失っていた。意識して柄を掴んでいないと、今にもナイフを落としてしまいそうだった。

 「山本さん……?」

 「西田さん、私に恨みでもあるんですか……?」

 私の口の中はからからに乾燥していた。

 「俺なんか悪いことした……?」

 「自覚がないところが余計に頭にきます……」

 「そうか」

 西田さんはふう、と息を吐く。

 「なら、いっそのこと一息に刺してくれ」

 「は?」

 叫んだのは私の方だった。

 「俺のこと殺したいんでしょ? なら一思いに殺してくれ」

 西田さんが両手を広げて近づいてくる。一歩、また一歩。私はナイフを持つ右手に左手を添えた。震えで刃が上下する。

 「死なせてくれ……!」

 準備室の外からばたばたと駆け寄る足音が聞こてくる。

 入ってきたのは佐藤先生だった。準備室に入るなり先生は水の入ったティファールを足元に投げ出す。先生はさっと私の目の前に立ちふさがった。

 先生はじっと私を見据えている。

 「先生、どいてください!」そう叫んだのは先生の背後の西田さんだった。

 「えっ!? 西田!?」

 私は両手に持ったナイフの刃を前に向けたまま震える足で立ち尽くしていた。

 「生きててもしょうがないんです! 死なせてください!」西田さんが先生の背中から脇へ抜け出ようとする。

 「だめだよ西田!」

 先生が西田さんの体を背中で押し戻す。けれど体重をかけた西田さんの体が先生にのしかかり足元のバランスを崩した二人は倒れてしまった。私は思わず声を上げる。

 気がつくと目をつむっていた。その瞬間、暗闇の中で手元に重さを感じる。直後、誰かが私の肩にのしかかった。

 おそるおそる目を開ける。目の前には佐藤先生。手が重たい。下を見ると、ナイフの刃が半分ほどスーツの上から腹部に突き刺さっていた。

 悲鳴。

 気がついたときには、私はナイフから手を離していた。

 先生がその場にへたり込む。床に手をついて肩で息をしていた。

 「先生! 先生! 私……!」ひざをついて先生の顔をのぞきこむ。

 「心配するな…… 死にやしないさ……」

 先生の顔に大粒の汗が浮かび上がってくる。

 「ごめんなさい…… 先生……」

 「謝るな……」

 先生の背後、西田さんがうろたえている。

 「先生、俺のせいだ……」

 顔が青い。

 「西田、お前も謝るんじゃない……」先生の呼吸は苦しそうだった。

 「巻き込んだ、僕が悪かったんだ…… 二人を傷つけるつもりなんてなかった…… けれど、こんなことになるなんて…… 謝るのは僕の方だ…… 誰か保健室に行ってきてくれないか…… ついでに、救急車も……」

 「お、俺が行ってきます!」と言って西田さんは飛び出して行った。

 どうしよう…… 大変なことをしてしまった…… どうにもならない思考がぐるぐると渦を巻く。

 「山本、大丈夫だよ…… 死にやしないさ…… いや、死んでたまるかよ……」

 先生は引きつった顔でふふふと笑って見せる。私の頬を涙が伝った。

 すぐに保健室の先生を連れて西田さんが戻ってきた。保健室の先生は状況を見て悲鳴を上げた。

 「救急車はもう呼びましたから……!」と言うと応急処置を始める。私も西田さんも、それを黙って見ていることしかできなかった。


 *


 それからすぐに事態を聞きつけた先生が来て、私たちは連れてゆかれた。佐藤先生が救急車で運ばれてゆくところを見送ることはできなかった。

 私たちはそれぞれ別々の部屋に入れられた。先生たちから何があったのか報告が求められた。その面談の最中に病院から連絡が入り、数針縫ったが佐藤先生の傷は浅く、四週間ほどで治るとの連絡があったと聞いた。

 それからすぐに私たちは自宅へと帰された。もちろん親のお迎えで。無期限の自宅謹慎ということだったが、その後すぐに佐藤先生からの聞き取りが行われた結果、謹慎期間は二週間となった。

 授業を受けていないことも親の知るところとなり、親の追求を受けることになったが、伸びきったバネのような状態だった私はいったい親に何を答えたのかはっきりと記憶していない。謹慎の二週間を、空っぽになったように過ごした。

 終業式間際に謹慎期間が終わり、クリスマス・イヴと重なった終業式の日、私は西田さんと佐藤先生と、二週間ぶりに図書準備室で顔を合わせた。三人でお互いに謝って、気がつくと私たちは笑っていた。今まで胸につかえていた緊迫感も不思議と溶けているような気がした。

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