その重荷を背負うて歩け
夜が明けて日が昇ると、背を曲げて歩く醜い男の姿は、城下でも街道でも目立った。すれ違うものは目をそむけ、子供達は面白がって石を投げた。
昼頃になって、何かがとぼとぼと後をついて来ているのに気付いた。痛む身体に母親を背負って歩くので精一杯で、立ち止まって振り向く余裕もなかった。
夕暮れ時になって、まみちがねは街道を外れ、丈の高い草が生い茂る野原に踏み込んだ。草むらの中にも、道はあった。人ではなく、獣たちが通る道であった。その道に沿って、まみちがねは歩いた。草むらをかきわける、かさかさという音が後を追ってきていた。
西日がまっすぐに差してきた。背中で母親が聞いた。
「どこへ行くのじゃ」
まみちがねは答えた。
「この道の行く先じゃ」
母親はたしなめた。
「これはけものみちぞ」
まみちがねは答えた。
「私はもう、人の中では生きられぬ。人とは人の中で生きるもの、人から離れれば、もはや人ではない。人でなければ獣であろう」
母親がつぶやいた。
「行く末を案じることがなくなれば、冥土へ行けるのじゃがのう」
その時、背後で何かがガサリと動いた。まみちがねは立ち止まって尋ねた。
「そこにいるのは人か獣か。人ならば答えよ。獣ならばそのまま私を喰らうがよい」
背後で動いた者が答えた。
「人なれば、喰うことはない」
ぬちんだからの声であった。まみちがねは曲がった腰でよちよち歩きながら振り向いた。そこには誰もいなかった。
背中に母がいるのも忘れるほど冷たいものが体中を走り抜けるのを覚えながら、まみちがねは問うた。
「ぬちんだから、どこにおる。おるならば答えよ。おらぬとなれば、もしや死んで迷い出たか」
丈の高い草の中から、ぬっと手が伸びた。
「死んではおらぬが、このままでは生きてもゆけぬ」
母親の重さが背中に戻ってくるのを感じながら、まみちがねは尋ねた。
「どうしたら生きてゆかれる」
ぬちんだからは答えた。
「私を背負うてゆけ」
まみちがねは答えなかった。背中はすでにふさがっている。ぬちんだからが草の中から言った。
「夜が明けぬうちに城を出て、ずっと歩いてきたのじゃ。背負うてくれねばそれでよい。私はこのまま死ぬことにする」
伸びていた手がすとんと草の中に落ちた。まみちがねは草の中にしゃがんで、ぬちんだからの手を捜した。草が余りにも多すぎるのと草いきれでむせたのとで、まみちがねはひとまず立ち上がった。すっくり伸びた背中から、何かがからりと落ちた。母親の声がかすかに聞こえた。
「行く末を案じることがなくなったら……」
ぬちんだからの名を呼ぶと、まみちがねの名を呼ぶ声が聞こえた。その辺りの草に手を突っ込むと、ごわごわとした手が握り返してきた。腕を掴んで引っ張ると、ぬちんだからの醜い顔があった。べそをかいているせいで、醜い顔が余計に不細工になっていた。
まみちがねを見て、ぬちんだからは目を背けた。まみちがねは何も言わずに、せっかく伸びた背中を再び曲げた。ぬちんだからは物も言わず、そこにおぶさった。やってきたときと同じ格好で、まみちがねはもと来た道を戻り始めた。ぬちんだからを背負う影が、西日に照らされて目の前に真っ直ぐ伸びている。その影が指す先には、先程外れた街道がある。
まみちがねは歩き出した。振り向こうとは思わなかった。振り向いてもそこには丈の高い草むらがどこまでも続いているだけだ。その下のどこかに母親の骸があるのだろうが、別に気にもならなかった。背中にいるのは母親ではなくぬちんだからであるが、振り向けばその顔がすぐ目の前にあるはずだ。気があるなどと誤解されてはたまらない。こんな身体になってもこんな顔になっても、ぬちんだからがどれほど惚れてこようと、まみちがねにその気は全くないのであった。
(完)
まみちがね 兵藤晴佳 @hyoudo
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兵藤晴佳 @hyoudo
ファンタジーを書き始めてからどれくらいになるでしょうか。 HPを立ち上げて始めた『水と剣の物語』をブログに移してから、次の場所で作品を掲載させていただきました。 ライトノベル研究所 …もっと見る
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