第2話 夢現 -5-
思い出したくもないことを思い出してしまい流石に気が滅入る。廊下と台所を仕切るのれんが動いたのにも気付けず、私は背後に響いた足音に驚いてしまった。体を震わせながら振り返れば、そこにいるのは琥太だった。
「戻りが遅いなって思って。これ、準備してくれたんだ。ありがとう」
いつも通り琥太はにこにこ笑って声をかけてくる。
昔のことを思い出し過ぎた。夏の暑さにやられてしまっているのか、滅入った気持ちを整えられずにじっとしていると、
「あんまり無理しちゃダメだよ。柚眞。今日は早く休んだ方が良いんじゃないかな。顔色がわ……」
悪いよ、と言おうとしたのだろうが私はそれをテーブルを拳で打つ音で断ち切って、
『うるさい。アンタに言われなくても自分の体調くらい自分で管理できる。黙ってて』
そう手話で言ってから横を過ぎ去ろうとして、ぽかんとしている琥太の背中に向けて私は話しかける。
『ねぇそうだ。小五の時の話なんだけど』
突然のことに面食らった様子の琥太は微笑は絶やしていなかったものの、少しだけ体が疑問に傾いていた。
『あんたって何で五年になってから急に自分の事、僕って言うようになったの』
という質問にあいつは、
「えー? 内緒」
少しだけの気恥かしさを
『そういうのいらない。答えて』
と私が食い下がっても、あいつは
「小五ってもう十一歳じゃん。一人称がこた、ってのはいい加減どうなの? っていう話だよーそんな深い意味なんかないってば柚眞ったらやだなぁ」
と、にこにこした笑顔を崩すことなく答えるだけだ。だから私から核心を問う。
『ひいじいちゃんが死んだこととは無関係なの? 本当に関係ないって言えるの?』
曽祖父のことを出した時、その瞬間に琥太は私に背中を向けた。ほんの一瞬だけ、背中越しに琥太の表情に緊張が走ったような雰囲気を感じた。表情を隠した分、体から感じられたのかもしれない。
とにかくその一瞬だけ、琥太は笑顔でなかったように感じられた。
「…………」
無言のまま琥太は歩き出す。手には私が準備したお盆。続きは戻りながら話そう、という意味だろう。その分厚い背中にぶつからないような距離をとってついて歩く。
「別にひいじいじから一人称を改めろ、と言われた訳じゃないよ」
私が横についたのを見計らって琥太が口にする。表情はいつも通り。にこにこと。へらへらと。
ひいじいじ。幼い頃から琥太が曽祖父のことを身内に話す時の呼称。これは幼い頃から変わらない。
「ひいじいじには別のことを伝えられたんだ。もっと、別のことをね」
『どんな?』
という私の問いかけに琥太は、
「うん。ごめんね。それは……内緒」
ときた。私は無言のまま睨んでいた。背中越しの目線を痛く感じたかどうかはわからないが琥太はアハハ、とわざとらしく笑った。
「今話すのは気恥かしいから。それにお茶も氷が溶けちゃうと薄くなってまずいでしょ?」
どうしたって核心を話すつもりはないんだろう。私が知りたいと思った琥太の変化のきっかけを、私はついに知ることができなかった。年齢を重ねたなりの成長、ということにしておいてよ、という琥太の言葉は、要はそれが不正解である証にしか思えなかった。うまく言葉にできないとかいうような不器用な感情の類ではなく、明確な不正解。
「よぉ。お長いラブラブチュッチュタイムは終わったかい?」
軽いノリで語られるケビンの妄言は筆談機の角でお返ししてやる。結局私は自分の手元に置いた、氷の溶けきり薄くなりすぎた麦茶のようにすっきりしない味気なさを抱いたまま今日を過ごしているのだった。
瞳 子 常磐 誠 @evagredora
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