雄介が、北村少佐から預かった拳銃は、南部自動拳銃と呼ばれるものでした。
これは、戦前から軍に採用されていた南部14年式とは異なり、その原型になったものと言われています。
Wikipediaでは「南部式自動拳銃の製作に成功したのは義和団の乱直後の1902年(明治35年)とかなり早い時期にあたる。1904年(明治37年)に東京砲兵工廠での生産準備が整のい、同年の日露戦争に於いて早くも実戦使用された記録が残されている」
とされていて、驚くべきことに、この近未来的なスタイルの自動拳銃は、日露戦争当時には使用されていたのだそうです。
拳銃や小銃の自動化が遅れていたと言われがちな日本ですが、軍全体の補給などを考慮して、技術があってもあえて遅らせていたという事情もあります。
私の短編小説「なぜ「骨格標本」になる事を望んだの?」でも、この拳銃の事情に触れていますので、参考までに下にリンクを貼っておきます。
本作の拳銃は、これをやや小さくしたもので、「ベビー南部」との愛称で呼ばれることがあります。
分解してみると、同時期の自動拳銃とはかなり構造が異なり、自動拳銃初期に、日本がいかにオリジナリティー豊かに拳銃開発をしていたかが伺えます。
現在でもアメリカなどで射撃可能ですが、南部14年式拳銃は米国でもプレミアが付き、一丁40万ドル程度なんだそうです。
↓ 「自称「未来人」の彼女は、この時代を指して「戦前」と呼称した」
https://kakuyomu.jp/works/16816452220196298271↓ なぜ「骨格標本」になる事を望んだの?
https://kakuyomu.jp/works/16817330648038049571/episodes/16817330648038118095