なぜ「骨格標本」になる事を望んだの?

独立国家の作り方

~ 秘密 ~

 この本が医学書なのか、元々それには興味がなかった。

 ただ、ちょっと人体、特に骨格標本に興味を持つ、ちょっと変わった趣味があるだけだった。

 グロテスクなものが好きとかではなく、その標本になった人たちの、そこに至る人生を想像することが好きだった。

 幸いなことに、この趣味の最大の理解者は、付き合って半年になる彼女だ。

 彼女こと、赤坂 美代あさかさみよには、やはり少し変わった趣味がある。

しっかりお洒落が出来て、見た目も良い彼女の場合は「解剖」が、それである。

 昔から、生き物の生態に興味があったと言っているが、絶対に彼女は色々隠している。

 しかし多分、私の趣味とは少し違う。

 でも、こんな根暗な私の会話に、しっかり付いてこれる女性は正直かなり貴重だ。

 年も私より上で、大学生の自分から見れば、彼女は社会人の大人の女性だ。

 元々、私の通っていた高校の卒業生で、非常勤講師でいたところを、生物部に誘ったのがきっかけだったが、彼女も元は同じ生物部であったらしく、打解けるのに大した時間はかからなかった。


 私に、解剖の古い図書を勧めてきたのも彼女であった。

 戦後まもなくに発刊されたであろう、この古い図書には、今現在では違法となる、本物の人体骨格標本や、解剖されたものの写真がかなり掲載されていた。

 当時の印刷物なので、拡大してもドットが荒く、たいして見えないのだが、ある日、意外な発見をした。

 あばら骨に銃弾がめり込んでいる骨格標本だった。

 私はこの本が、思わずとても欲しくなった。


「赤坂先生、こんな本、どうしたんですか?」


「ああ、神田の古本屋街で偶然ね」


「こんな本の専門店なんてあるんですか?よく手に入りましたね、高かったでしょう」


 高校生の私から見たら、赤坂先生は大人の女性に見えたが、少しおっとりとした性格に、際どい趣味のアンバランスさが、何か毒気のような怪しい魅力に拍車をかけた。

 教師と言っても非常勤で、先日まで現役大学生だった彼女とは、多分それほど年齢にも差はない。

 生物部は、私を除けば委員会を掛け持ちしている女子が1名、幽霊部員の先輩1名という廃部寸前の部だったから、放課後のこの時間は赤坂先生と私で部屋を占領していた。

 占領していたとはいえ、何かをするでもなく、私は覚えたての赤坂ワールドに変なスイッチが入るのを感じていた頃だった。

 天然なのか、狙いなのか、赤坂先生は解剖関連の図書を観ている私の背後からそっと近づき、テンション高めで標本の素晴らしさを語りだすのだ。

 テンションは高いが、声は小さく囁くように耳元に来るのだから、幼児が母親に絵本を読んでもらうようなワクワク感と、後頭部にジンジンと来る不思議な寒気のような感触が病み付きとなり、そして忘れられなくなっていった。


 この趣味の入口に彼女の存在があるため、私はこの趣味を維持し続けている間、彼女との縁が切れないような気がしていた。

 

 骨格標本となったのは、若い男性であったが、古いとはいえ、銃弾が体に入り込んだ骨であることから、元々軍人だった可能性もある。

 不思議と、この骨格標本となってしまったこの男性の生い立ちや、その後の人生、そして死に至るまで、それがどんな人生であったのかが、とても興味を引くものであった。


 何か手がかりがないか、他のページを探してみたが、直ぐには手がかりを見つけることが出来なかった。


 それ以来、私はこの骨格標本と赤坂先生に魅了される日々が続く。

 そして、それは思いがけないきかっけだった。

 一番最初に参考にした、骨格標本の写真と、別のページの写真には、共通点があることが解ってきたのである。

 写真の右下には、何かコードのような数字やアルファベットが入っていた。

 写真が荒くて気が付かなかったが、そこには同じコードが入っているものがかなりある。

 つまり、この一冊だけでも、「銃弾の彼」の標本が複数あると言う事だった。

 これは、多角的に物を見ることが出来る、、、意外とイケるのではないかと思った。


「赤坂先生、この写真なんですが、見覚えあります?」


「ああ、これね、はいはい、もちろん」


「この銃弾が入っている骨の部分、、、。」


「流石だねえ、この写真に気付くなんて」


「先生も、この写真に気付いていたんですか?」


「好きだったんだ、高校のとき」


「もしかして、何か調べたりしました?」


「そうね、私が高校時代の自由研究テーマにしたから、一応資料あるよ」


 そうなんだ、先に先生は調べていたんだ。

 先生ほど解剖が好きではないが、同じ個体に興味を持ち、それを同じ年代だった頃に調べた女性の存在は、少し運命のようなものを感じた。


 赤坂先生に、その自由研究資料を見せてもらうようお願いすると、直ぐに快諾してくれた。

 、、、そして、なんなら家にくる?と、軽く誘われた。


 女性の家にお呼ばれするという緊張よりも、女教師宅へ行くという変な緊張感が先行した。

 だが、行ってみると、それは意外と言うか、少し予想外のシチュエーションだった。

 もっと、女性の一人暮らしのワンルームアパートをイメージしていたのだが、そこには白い洋館が現れた。

 先生が言うには、元々曾祖父の代までは町の開業医だったので、この白い木造建築物は病院だったのだそうだ。

 

「先生のご実家は、病院だったんですね」


「そうだよ、意外だった?」


「いえ、考えてみれば、生物の先生ですから、可能性はあったわけですよね」


 なんとなく、私好みの建物だった。

 レトロで、大きくて、落ち着いていて、清潔感がある。

 私は、応接間にでも案内されると思っていたら、意外にも先生の曾祖父が使っていた書斎に通された。


「さあ、君はこれから、ここで色々調べてください。ここの本は好きに見ていいからね」


 先生は、そう言うと私を部屋に一人にして出て行ってしまった。

 他人の書斎のはずなのに、なんだか随分落ち着く。

 先生の遺伝子には、きっとこのイメージが刷り込まれていることだろう。

 どこか、赤坂先生を見た時に感じたノスタルジーのようなものまで共通するものを感じていた。


書斎のデスクには、先生が自由研究でまとめたであろう一冊のノートが置かれていた。


 書斎の本棚に目をやると、そこには見慣れた本の表紙も揃っていた。

 それは、生物部でいつも読んでいた骨格標本のシリーズであった。


「ああ、これってシリーズだったんだ」


 ただ違和感を感じた、この本は先生が神田で見つけてきた本のはず、どうしてシリーズが揃っているのに、先生は古本屋で買ってきたと言っていたのだろう。


壁には、古い写真もいくつか飾られていた。

 これは曾祖父と、奥さんだろうか、二人でこの病院の前で撮られたであろう写真もあった。

 先生の曾祖母に該当するのか、どこか先生に似て、おっとり美人な印象を受けた。

 それにしても、ここは謎を解くことに、とても適した環境だ。

 おおよそ、私が欲しいと感じていた資料の多くが、そもそも最初から揃っているような気がした。


 そして何より、先生が高校時代に謎解きに挑戦した時のノートは、とにかく胸を躍らせる内容だった。


 1 疑問点

 ○ この弾丸は、何と呼ばれる、どこの国のものか

 ○ この骨格の人種は

 ○ 弾丸が入り込み、摘出しなかった理由は

 ○ なぜ、この書籍の中で、弾丸について触れられていないのか。


 なるほど、正論だと思う。

 そして、これらの回答は、次のページでいくつか解かれていた。


 ● 弾丸は摘出しなかったのではなく、出来なかった。

   部位が、当時の手術では、神経を損傷させる可能性があったと予想される。

   しかし、年代によっては矛盾が生じる、戦前の技術であれば、これらの摘出は不可能ではない。

 ● 骨格の特徴、歯の状態から、東洋人、年齢は30歳前後と予想される。

 ● 弾丸の種別は、旧日本軍が採用していた14年式拳銃じゅうよねんしきけんじゅうの実包である可能性が高い。


 よく調べたものだ、弾丸の種別まで、既に解明されているなら、これは結論が早いと思われた。

 研究ノートは更に続く。


 ● 14年式拳銃の採用年は大正14年であり、射撃を受けたのはそれ以降と予想される。

 ● 以上の点を踏まえると、この人物は、日本軍に撃たれた経験のある、30歳前後の東洋人と予想される。

   ただし、この図書内で、これら弾丸に関する記述が無い理由、依然不明


 なるほど、これは良い考察だ。

 特に、弾丸種別だんがんしゅべつから分析しているのは、分析眼ぶんせきがんが鋭いと感じる。

 だが、その後、この考察は一つの壁に当たる


 ● 当初、14年式実包じゅよねんしきじっぽうは、大正14年採用と考えていたが、この実弾は、それ以前の南部拳銃用なんぶけんじゅうように開発された弾丸を、軍が採用した年が大正15年であって、実弾自体は、明治37年に開発されており、西暦では1904年となる。

 そのため、更に銃撃を受けた年代特定には幅があり、再検討が必要となる。

 ● 上記内容とは別に、銃弾が入り込んでいる肋骨部分に注目したい。

  この傷は、弾丸を骨が包み込むように治癒したような痕跡があることから、当該人物が銃弾を受けた後、数年程度は生存していた可能性がある。


 研究ノートは、医学書シリーズに触れること無く、なぜかここで失速するようにトーンを下げ、突然終わってしまうのである。


 私は、この話の顛末が見えた気がした。

 、、なるほど、そう言うことだったのか。


 私は、自分の推理が正しければ、恐らくこの部屋のどこかに、謎を解く鍵がまとまって存在することに気付いていた。


 これは最初から仕組まれた謎解き。



 この部屋の配置で、最初から違和感を覚えたのは、本棚だった。

 もちろん、本の内容が、この謎解きに必要な分量であることも、その理由の一つではあるが、実は最大の問題は、この本棚の形状にあった。

 これは、ちょっとした図形の問題だ。

 多分、ここの主であった先生の曾祖父は、この手の考察が得意だったのだろう。

 

 この部屋の本棚は、微妙に段差があり、高さが均一ではない。

 また、その高さの配置もバラバラで、理路整然としたこの部屋のコンセプトと合っていない。

 棚の上に、何かを飾るような作りにも見えるが、棚の上には一切の置物がない。

 本棚や踏み台は、恐らくオーダーメイドであり、材質や年代から、これらは同じタイミングで作成されたと考えるのが自然だろう。

 すると、これら本棚の段差には理由がる、ということが導き出される。

 そして、この無秩序に置かれた配置は、それら理由を「隠す」必要性があったことを意味する。


 、、、つまり、こういうことだ。


 この本棚の一部は、簡単に動く作りになっている。

 その動く本棚は、動かない二つの本棚の間にぴったり収まる、そして、それは最終的に高いものから低いものへ、綺麗に並べることが軽易に出来る構造となっている。


 要するに、この本棚は、少し配置を換えるだけで、階段状になる仕組みなのだ。

 一番低い本棚の隣に、本棚専用の二段踏み台、最後にこれを足せば、天井まで伸びる階段が完成する。

 そうすると、この部屋は、天井裏に何かを隠していることになる。

 そして、それは梯子などではなく、階段状の土台が必要な重さのものが出入りする前提があると言う事。

 そんなもの、隠し部屋以外には考えられない。


 私は、これら条件を全て満たす隠し部屋の意味にも気付いていた。

 私の予想が正しければ、先生もこの部屋の構造を理解し、先ほどの研究ノートの先にあるものが、続きとして書く必要がなくなったことも、これが理由となるだろう。


 そう、この上には、この「銃弾の彼」の日記が存在するはずだ。

 そこにすべてが書いてある。

 そして、それこそが研究ノートが突然失速した理由、もうこれ以上調べる必要が無くなった事情がそこにはあると言う事。


これが、私が出した結論、この話のオチ。

 

 私は、ここで完成した階段を使って天井めがけて上ってゆく、そして、天井に手を添えると、、、案の定だった。

 天井は上へと開き始め、奥には真っ暗闇が広がっていた。

 多分、探せば電気のスイッチもあることだろう。

 なぜなら、ここで数年間、銃弾の彼は生活していたのだから。


 目が闇に慣れると、すぐ手前には予想した通りの日記やアルバムが並べて置いてあった。


「さすがね、もうたどり着いちゃったんだ」


 さすがにびっくりして、階段を踏み外しそうになった。


「先生、これはどこからが先生の準備した仕込みなんですか?」


「、、そうね、もう気づいているんでしょ?もちろん最初から。でも、このお話自体はノンフィクションよ」


 あの古書が、全て作り物には見えない、これではっきりした、先生の目的が。

先生は探していたのだ、この謎解きを、最初から最後まで完全に共有出来る人間を。

 

 でも最後に一つだけ、解らないことがある、どうしてこの謎解きの回答者に私を選んだのか。



 先生が言うには、教員として短い期間、母校に来ている間に、生物部で一人でいる私を見つけ、思い付いたのだそうだ。

 希少な生物部の後輩である私のことを、高校時代の自分と重ねたらしい。


 その頃の先生は、同じく生物部に在籍していた。

 そのとき、偶然に書斎の古書の中から、銃弾が入った骨格標本の写真を見つけ、私と同じように謎解きを思いついたのだそうだ。

 しかし、当時の生物部として、これを文化祭用の研究材料にしたいとの提案は、誰にも同意してもらえず、むしろ、何十年も前の遺体に興味を示す赤坂先生を、変人のように扱う部員までいたらしい。

 彼女は、いつかこの部に、自分と同じような疑問を持ち、調べてくれる人が現れることを願っていた。

 そして、その念願叶って、私がこの写真に気づいたという事だった。


「で、どうしてこの書斎の上に、隠し部屋があることに気づいたの?」


「そうですね、まず、先生が調べていた研究ノートが、銃弾の年代特定に至った付近で終わってしまった点です」


「それだけでは、隠し部屋には繋がらないよね」


「いや、先生がそれは一番ご理解されているでしょ。先生は、銃弾の採用年代だけでは、この骨格標本の主の年代にたどり着けないと悟った、でも、ヒントはそれだけじゃない。」


 そうなのだ、この拳銃弾は、開発されたのは1904年だが、日本は戦争に負けて、それまで使用していた弾薬の規格は1945年以降、占領軍によってほとんどが廃棄されている、日本が二度と戦えなくなるように。

 戦後は占領軍規格せんりょうぐんきかくの銃弾が強制されたから、それ以前の拳銃はほぼ使えない。

 こんな日本軍の銃弾が入った人体標本が、戦時中か、それ以前に世に出てしまえば、調査対象となってしまうため、この標本が作られた時代はそれよりも後の時代。

 骨格標本の彼が、年齢30歳前後ということは、銃撃された年齢が18歳~30歳までの間で、更に銃弾を包み込むように傷が治っていたことから、銃撃された年齢は、没年齢から数年は引かなければならない。

 つまり、終戦まもなくに30歳で亡くなり、銃撃されたのが死亡の数年前、つまり太平洋戦争開戦前後に日本軍の拳銃で撃たれた東洋人ということになる。

 東洋人と言っても、外国人の遺体を骨格標本として輸入出来た時期は一時期だけで、この終戦直後に外国から死体を輸入することは不可能だ。

 これらを総合すると、銃弾の彼は、開戦前後の昭和16年頃、日本軍の拳銃によって銃撃を受けた25歳くらいの日本人、と言うことになる。

 時代背景を考えれば、日本人が日本軍の銃弾で撃たれるという状況は極めて希な事だったろう。

 そう、日本人が日本の銃弾で撃たれている時点で、脱走兵だっそうへいか政治犯の可能性が高い、何故なら普通の事件で銃撃を受けるなら、警察の拳銃で撃たれるはずで、軍用拳銃で射撃されることはあり得ないのだ。

 ましてや、当時の巡査はサーベル携行で、拳銃携行は限定的だ。


 、、、、恐らく、憲兵に撃たれたのだろう。


 憲兵に撃たれた人物が、銃弾を摘出することなく、そのまま生きていたとすれば、それは摘出手術が受けられない環境で数年生きていたことを示す。

 つまり、脱走兵や政治犯として憲兵から追われていた人物は、ひっそりと発見されることなく数年間潜伏していたことを意味する。


「これが、ここの天井に隠し部屋があると判断した理由ですね」


「まったく流石だわ。君を選んで正解だったわ」


 先生は、積年の思いを晴らしたような、清々しい表情を浮かべた。

 

 どうやら答え合わせは正解だったようだ。




 大学受験が終わり、私は再び赤坂先生の実家に足を運ぶようになった。

 そしてあの、先生の曾祖父が使用していた書斎で本を読むことが、私の至極の時間となっていた。

 少し早く咲いた桜の花びらが、書斎の窓から迷い込んでくる、この部屋で起こったであろうかつての事件と、不憫な人生に花を添えるように。


 この天井には、書斎の主であった曾祖父の弟が戦時中、ずっと匿われていたとのことだった。

 赤坂 英次郎あかさかえいじろうさんと言ったらしい。


 どうして追われる身になったのかは日記に詳細が出ていないものの、それはかなりのリスクを犯してのことだったろう。

 憲兵が、徹底的に調査する中、兄の英一郎は自分の書斎に絶対の秘密である隠し部屋を作った。

 不自由な生活の中、病院とはいえ、さすがに街の開業医では銃弾の摘出手術は出来ず、そのままここに戦争が終わるまでの4年近く潜伏していたらしい。


 戦後、憲兵隊けんぺいたい自体が解体され、晴れて自由の身となった英次郎さんだったが、長い潜伏生活への疲れからか、まもなく結核を患い、そのまま帰らぬ人となった。


 日記の最後には、ほとんど遺言状のように、後に残された人への想いが書かれている。



 お世話になった兄さん、そして美津代さん、どうか平和な世を謳歌してください。

 私が果たせぬ想いを遂げてください。

 私には、恩に報いるものが、何一つありませんが、せめて、この身体を標本にでもして頂けたら幸いです。

 私が生きた証を、痕跡を、後世に少しでも残せる事が出来たなら、この弾丸の意味を理解出来る人がいてくれたなら、それでもう十分です。

 


 ついに日の目を見ることの出来なかった弟が可哀想でならず、静かに怒れる医師となった英一郎さんは、弟の遺体を骨格標本とし、医学の世界へ提供したのである。

 銃弾の痕跡を、わざと残して。


 それはまるで、誰かに気づいてほしいと言わんばかりの行動であった。

 

 弟の、恵まれない人生に、少しでも理解者を求めてのことっだったろう。


 しかし、そんな英次郎さんにも、心の底から幸せにしたい相手がいたことは、日記の中から察することができる。

 溢れんばかりの愛情と、一途なまでの想いは、私の心を今でも切なさで満たし、そのままトゲのように刺さったままになっている。


 旧姓、泊川 美津代とまりがわみつよさん、後の赤坂美津代さんとなる人、、、。

 

「また、こんなところで読書かい?相変わらず根暗だね」


 赤坂先生が書斎を覗き込む。

 私は、彼女が書斎に入ってくる度に、心臓が飛び出る思いである。


 それはきっと、戦時中、誰もいない時間帯を見計らい、こっそり読書を楽しんでいたであろう、英次郎さんの気持ちが、よく理解出来るからだ。


 書斎の写真に写る一組の夫婦、この赤坂先生によく似た女性こそ、英次郎さんが愛した人ではなかっただろうか。

 先生の曾祖母は、元々この病院の看護師だったそうだ。

 つまり、医師をしていた兄と、看護師と、弟の英次郎さんは、同居状態だったことになる。


 

 そこに、何かが芽生えたとして、誰が文句を言えようか。


 

 そして、私は最後に仮説を立てた。

 それは、今となってはあまり意味を成さないものかもしれない。

 この二人で写った夫婦の写真、、、この、やさしい笑顔の男性こそが、骨格標本の本人、英次郎さんではないかと。

 それは同時に、兄英一郎さんにとって、亡き弟の唯一の遺影として、大切に飾られていたのではないか。

 この笑顔が、英次郎さんに許された、短い自由の一時であったことの証明ではないかと。

彼と彼女の物語は、きっと日記には書ききれないものがあったことだろう。

銃弾を受けた英次郎さんを、誰がここへ運び入れ、誰が介護していたのか、それを考えると、この物語はもっと別の深みに迷い混むことだろう。

そんな小さな物語に想いを馳せると、私の思考は、どこまでも飛んで行けるとさえ思えるのであった。

きっと、戦時中の世界へも。


 そんな、誰にも知られることなく埋もれた物語と、この書斎は私にとって宝物だ。


 そして、私は小さな目標を持つことになる。

 この書斎の、新しい主となることだ。

 

 なので私は現在、医学生をしている。

 しかし、この目標を達成するためには、医師免許と、もう一つの条件が必要となるだろう。

 

 私が医師となり、ここで開業することを、英一郎さんと英次郎さんは歓迎してくれるだろうか。


 もっとも、その答えは、彼女次第なのだ。

 もうしばらく、その答えは彼女に聞かず、保留にしておこう。


 この小さな物語を継承してゆく資格は、もう既に得ているのだから。








 

 

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