私は詩人
どこにでもいる詩人
私はそんな詩人です。
音楽を目指し
ジャーナリズムを目指し
作家を目指し
文系の人間が理系に方向転換したのは
文学なら自分で勉強できると自信満々で
理系は専攻しなければ受験すらもできない。
そんなある日
知り合いの作家に原稿を送りました
君の物語を読んでみたいと言われたから
この頃は素人ながらにも音楽を通じて
他には、絵描きさん、彫刻家さん、など
多くの人と出会い
悩まされ、夢を見させてくれたりと
苦しくも楽しく美しい日々であったと思います。
そして返信があり
原稿と共に添えられていた手紙は
悲惨なものでした。
テーマは良い
けれども
血と汗と涙を感じられない
君に必要なのは生きて深い経験を積むこと。
因みに原稿のあらすじを聞いてください。
ある青年が病に侵され命短しと医者に言われます
彼は絶望に打ち拉がれ死に場所を求めて一人旅に出ます
降りた知らない駅での出会いに
自分自身を見つけます
それは儚くも美しい人生
死んでしまえば全てが無くなるのなら
どんな人生でも受け入れて汚れてもいいから生きてやろうと。
そこで作家先生の手紙の続きです
文章に説得力が無い
文学とは常に生きることと死ぬことと宗教哲学的考えが存在する
君の文章には
全く経験が足りなく、見つけられない
先ずは一生懸命に生きなさい。
と書かれてありました。
流石に成る程と思いました。
そして現在
どこにでも居るありふれた詩人です。
では最後に
もうこれで終わりますと言った
イタリアの写真を添えましょう。
この写真は
彼ら農夫が畑に出る前に見る
畑の向こうの山から昇るありふれた朝の光景です。
海外に住む農夫の友は
毎朝この朝日を見て畑仕事をするのです
そして飲んで歌って踊って今日を楽しみ
明日を生きているのです。