北野武が映画の構成を数式にたとえたの有名ですよね。
主役が複数人を殺す時に実際には1人だけきちんと描写すればいい。後の何人かは続けざまに違う場所で凶器を持つ主役のカットを挟めばその数だけ殺したことが伝わる。
つまり同一の描写は丁寧に「1+1+1+1…」ではなくてよくて「n×回数」で省略していいんですよね。
でこの数学構造はさまざまに発展させることができて
4(2x+8y)=12x+20yなら
2x+8y=3x+5yとも言ます。
代入した計算結果を文字数に見立てると、たぶん同じテーマでも両側を等しく整えれば文量を変えても大丈夫に見えます。たぶん短編を中編、長編にすることもだし、逆に短くもできるのだと思います。物語の何をx,yに、両編をどう設定するかですね。
もっと奇抜なことをするなら余計な操作をしても結果は変わりません。
4π(2x+8y)=π(12x+20y)にしても結果は同じ。急に円弧の計算に登場する丸そうな何かを全体に掛け合わせてもテーマはブレないらしいです。しかも計算結果はπの性質上、小数点以下が無限に続くのもよいですね。終わりのない計算結果になります。
なのできっとそのアイデアで書いた物語は丸くてだらだら続きますね。で「上長だなおい」と思わせておいて終盤で一気に4πで割ったら超気持ちよさそうです。今までダラダラ見てきたものが一気に1つのピースで綺麗に整ったら絶対いいです。
きっとうだうだした主人公に向かって今まで静観していた北野武みたいなキャラが「4πだろうが、バカヤロウ」って一喝することで物語が一気に駆け出します。
もし構造を理解した上で物語をダラダラ丸く偽装できたら、任意のタイミングで読者を鋭く刺すことができるかもです。
そもそも数学的に言えば省略できるものを付け加えてるのでセンスないのだと思いますし、数学にたとえなくても普通に文学的にも同じことが言えるかもしれませんが、とにかく結果を変えずにさまざま変形できる気がしてきますよね。
いや、ホントに物語も同じことができるかどうかなんて知らないですよ。だって数学と物語は違うので。でもイメージが大切なのだと思います。信じる心。できるかもしれないという理由なき自信。無闇な構造の模倣。
数学って嫌じゃないですか。でもちょっと説得されかけたでしょう?だいじょうぶ、好きなものでいいですよ。北野武にとっての数学を私達流でいいんです。
例えば料理の味の作り方だったり、服のコーディネートの感覚だったり、運動している時の心拍の心地良い上下の波だったり。そんな感覚的な構造を信じてしまえばいいんですよ。
これは絶対に正しい。だから物語にこの構造を転写しても成功するはずだ。みたいな無謀がけっこう必要なのかもしれないと思います。思い切るために。未踏に一歩を踏み抜くために。オリジナルに至るために。
念のため繰り返し強調しておくと大方は失敗するんですけどね。でも大切なのかなと思います。信じて書き切るためにはいいのかなと思います。