いうてここ2年くらい人の物語にあーだこーだ言ってきたじゃないですか。わたし、氣付いてしまったんですよね。
創作って具体的な修正案を伝えていいときもあるけど、多くは主体性を削ってしまいがちなんですよ。作者から物語を奪いかねない。例えば発表後、賞の選考終わってからの感想戦だったらいいと思うんですけど。これからよりよくするって時はあんまり具体的な修正案はよくないかも。
『ペディグリーチャムの王は商品名だからなんかそれっぽいオリジナルのものに置き換えたら?たとえばドッグ・フード・キングでもいいのでは?』
これダメです。少なくとも一回噛み砕くべきです。
なぜ商品名ではダメなのか?
1,ペディグリーチャムを知らない人に伝わらないから
2,出版等に載せられない可能性が高いから
3,知っていても商品の印象が人によって違うから
『ペディグリーチャムに対しての印象にバラつきがあり、意図しない読解になる可能性が高い。だから物語の軸になるドッグフード、神的存在を抽出したタイトルにした方がいいのでは?』
これがおそらく創作改善として伝えるべき軸です。でもまだです。これをそのまま伝えてもたぶんまだダメです。
「読解のバラつきそのものに価値はないか?」
ペディグリーチャムについては作者本人もおそらく正解だと思ってるんですね。読んだ感じなんとなくですが。なぜってペディグリーチャムのことを作者もあんまり知らないからです。
「なんか黄色と赤のパッケージのドックフードだったな。CMが流れてた…?気がする…?」が知ってるすべてです。
そもそも「よく知らんけど印象に残っている」が大事だと思ってるんですよ。なんかわからんけど「赤と黄の服着て天から舞い降りる人物にあらゆる犬種が飼い主の言うことも聞かずに集まってる」「ほなペディグリーチャムの王か」この主人公のなんの根拠もない適当でなんかぽい解釈が核です。
なのでこれは人によって解釈の違う物語ですね。「んなわけあるか!」でも「ほなペディグリーチャムの王か」でもいいんですよ。愛犬にペディグリーチャムを食べさせてた人と、なんか聞いたことあるなの人は感想変っていいんですよ。
もしかしたらペディグリーチャムの会社の偉いさんの娘さんが読むかも。毎晩遅くまでかえって来ない父。さみしく過ごした参観日や運動会。そんな想いの具体化であるペディグリーチャムがこんな適当に使われている。「てめえの物語で適当に触れるなよ!」いい感想!!
物語の解釈にぶれを生み出す装置として具体的な商品名っていいんですよね。読者が玄関から侵入できる。
もちろん至高の技術は誰が読んでもまったく同じ感情になる物語を書くことだと思います。性別、年齢、人種、文化、時代、すべて普遍的に貫く技術はすげえ。私もその技術は目指してます。
でも同時に真反対も目指したい。つまり読んでみて誰一人同じ感情にならない。読んだ全員が自分の解釈を持つことができる。しかもそれを作者に文句言えるくらい確信を持って自分の意見だと言える。作者が縛るべきでないと思うんです。対等です。私の書いた物語は読んでくれた人、それぞれのものです。
というように考えることもできます。
なので『ペディグリーチャムの王はドッグ・フード・キングとかに変えるべきだよ』はダメですね。作者は「かわいいお気持ち」って言って終わりです。
いや「かわいい」って言うだけならいいんですよ?自己認識強めの厄介作者ならいいんです。もし「ああ、そんなもんか」と変更しちゃったら私のような未来の日本文学をしょって立つ鬼才をつぶしかねない。
たぶん創作で悩む人に伝えるべきは『具体名が書かれてるのに、解釈はかえってふんわりしてておもろいよね。出版のときとか困りそうだけど、でもそのぶん解釈が自由でおもしろさがあるね』ですね。
もう少し具体的に言うなら『ペギーマンでない理由は…?いっそ猫にしてちゃおちゅーるでもいいのでは…?だって普段散歩しない家猫が集まってくる方がインパクト強いよね』ですね。
同じ視点に立って『なぜペディグリーチャムなのか?』の方を問いとして投げます。具体的に伝えるとしても足元から歩き出す可能性を伝えた方がいいのだと思う。
だって「北にずっと行ったら正解がある」なんて知らんのですよ。寒いの嫌いかもしれないし。「ここから歩き出してみては?」そのきっかけになることを伝えるべきです。
旅行会社でもないんですから1つの目的地に向かわせる必要はないんですよね。「楽園がある」ではなくて「休みをずっと家で過ごすんですか?」の方がいい。どこに行くかは別にどうでもいいんですよ。
少なくとも私達が見たいのは作者が一般的正解に向かうことではなくて、今いる場所から一歩でも進むとこだし、なんならその場に強固な砦を築いて籠城はじめるとこです。
この近況ノート、読解カロリー高いですね。コンガラガッテきたみなさんや私のためにもまとめると『目に見えて変化するか』が批評の価値ではないんですよ。
もちろん「目に見えて大きく変わった!」も分かり易くていいですね。でも「めっちゃ頑固に変えない!!」ってなって「なんか作者に嫌われた!!!」としてもすごい成果だと思う。
作品を通して誰かを嫌いになるって、それは作者にとって大きな成果です。ここからは私は許せない。絶対に譲れない。大事です。嫌われたくないし、出来る限りそんなこと起こさないようにしないとだけどね。
つまり結果を固定しない方がいい。何が変わったか?目に見えない部分の方が大事で、本質的な批評の成果は作者の思考の中にあって不可視だと思う。以降の物語に現れたとしても正確に確認はできない。
具体、抽象、どっちを伝えるにしても作者の態度や姿勢を照らしているか?が大事なのだと感じてます。みんな見えていない暗がりを照らして作者が今どんな場所に立っていて、結果的にそれあなたにとって正しいの?です。
うん、わかるような、わからんような。達人みたい。良い気分です。