これは別に良い悪いではないのですが語る主体の重心をどのくらいしっかりさせるかって小説の文体の要素として見落としがちだけど大事だなと感じます。
私って無意識に書くと「~だった」と語尾を過去形で書いてしまうことが多いです。このクセのために小説体験を損なってるなといつも感じています。
私の物語は現在進行形でありたいと思ってます。読者と一緒に体験したい。なので意識して「~かもしれない」「に見える」「と聞こえる」みたいな確認過程中で書きたいと思っています。今見て、聞いて、ちょっとまだわからんけど多分そう、くらい。最後の結末もそんな感じで締めたいです。私ちょっとまだ下手くそなんですけどね。
一方で物語的な語りでおもしろいものっていっぱいあると思います。つまりメタ的でもいんですよ。落ち着いて読むと「絶対こんな風に思考することないよな」と思うようなものです。
終始すっごい純文学な語りでこの人は脳の活動がフル回転する病気なのか?と感じたり、物事の理解がおそろしく早かったり、感情の言語化が秒でできたり。悪く聞こえてると思うのでもう一度強調すると、おもしろければいいんですよ。
こういう例に出すのってよくないなと思うんですけどシャングリラ・フロンティア(大好きです。アニメですが全部見てます)は戦闘中にめっちゃ思考セリフがあるんですよね。
正直に言うと(危機迫るピンチのシーンなのに今、20秒くらい頭の中で喋ったな???話、跨いだな??)と思ったりします。でもおもしろいです。
別にリアルかどうかではないんですよ。リアルじゃなくてもおもろいものはある。これはこの前の近況ノートの補足でもあるんですが、呼吸はそれぞれでいいのだと思うんです。
きっと逆なんですよ。私は自然体でいこうとしてます。息してる強い実感がほしいので。でも理性で考えたら息してないような不自然でもそれが呼吸ならいいんですよ。
だって色んな生物を観察して見つけた概念が呼吸です。おそらく小説においてもそうです。「普通に考えたらおかしい。でもこれは呼吸してるぞ」現実が先で、定義は後からです。実際に呼吸して生きているものを否定するなんてバカです。むしろ注目すべき新発見とは理論的に破綻してるほうです。だってそっちの方がびっくりじゃないですか。
だから私のように自然体で書こうとしてるほうがダサいまであるかなと思ってます。だって当たり前やん。
【時間がない鬼気迫るシーンでなんか今、5ページくらい喋ったなっ!!??誰と戦ってたけ!!??でもめっちゃ熱いっ!!!!おもろいからいいや!!!】
こっちの方がすごいです。
だけど私がリアル寄りが好きでそれしかできないからそう思うだけど、通常を突っ切ることも矛盾を成り立たせることも結局はパワーなのかと思います。圧倒的パワーで「おもしろい」という現実を突き付けたら勝ちです。
私はあらゆるプロの足元にも及びません。たぶん今ぶつかったら向こうはトラックで私はクリップです。それくらい質量が違う感じで負けます。でもどうにかクリップ運転するのは卒業して原付きくらいまでは大きくなりたいなと思います。