最近中2くさい行動原則に気付きました。
「結果ではなく、行為自体が楽しい」
私に言わせれば世の中は結果に左右され過ぎです。結果が出る前にすでにああ!楽しいかったぜ!です。合格通知なんて届いてから3日後くらいに開封すればいい。そこまでの行為そのものに満足です。
私は書いた瞬間に満足してます。なんか大変なことがあって創作の公開が違法になりどこにも公開できなくなったとしても、私は書いてるし満足です。書くこと自体が楽しい。完成している。あと公開したら違法なもの書くって合法スレスレでテンションあがります。楽しそう。
なんというか、みんなそうしたらいいのにと思ってます。
絶対給料は欲しいです。貰えなかったらガチギレです。でも私はガチギレだけど絶望したり、相手を貶めたりはしません。だって仕事そのものに満足してるから。なので落ち着いてガチギレしながら法に沿った手続きをします。
恋が叶わなかったから、誰も読んでくれないから、合格しなかったから、儲からなくて借金だけ残ったから、たったそんなことで心が落ち込んでしまうのはもったいないです。人生短いんだから。
結果がデスで最悪なのに「でもなんか楽しかったナァ〜…!」です。人生はいつでも鬱ファッキン最高です。
結果より先に満足があるべきです。もしそうできないなら、そんなくだらないこといますぐやめたらいい。結果が必要な限り本質的に満たされることなんてたぶんないです。
結果は常に確定せず、維持し続けるものです。恋のゴールは添い遂げた死です。創作のゴールも同じです。他者を尊重しないといけないので。だって他者があることを確定させるなんてペットに対してだって酷い話ですよ。経済的ゴールはたぶん5億円貯金ですが、大丈夫、こんな駄文をここまで読んでしまえるみなさんは達成しないのでつまり死が先です。酷い?いや才能を褒めてます。5億円より価値ある才能です。
合格通知?それを持ってあなたの人生はゴールなんですか?合格したからもう死んでもいいってっコト…!?せっかく誰かがあなたのために作った制度なので、そこからスタートさせてください。頑張った誰かに楽しいって言ってあげてください。
結果は死のあとです。生きてるうちにはやってこない。死んでから喜べるならそうしたらいいと思うけど、ずいぶん器用な人だなと私は思います。
だから行為そのものを大事に楽しんだらいいのにと思うんですよ。そう気付くべきなのだと思います。
すでに受け取ってるのに、結果によってまるで受け取れなかったフリをするのはもったいないです。ホントはいつでも満たされているのに。
結果も大事です。そりゃ恋が叶ったり、たくさん読まれたり、給料いっぱいの方が幸せいっぱい。でもそういう幸せは満足の上に乗せるほうがいいです。主観的満足という圧倒的白米に乗せるトッピングとして捉えましょ。
つまりカツ丼のカツ閉じのみ求めて食べてるから、なんだか痩せてしまうんですよ。残念ながら結果に繋がらずカツ閉じを世間から頂けなかったとしても、白米食べてりゃ大丈夫です。
まとめます。
「カツ閉じではなく、白米そのものが楽しい」
私はそういうのがいい人生だと思うんです。
ぜひ覚えて帰ってください。