私は小説はなるべく場面で見せたい派なので、説明文が長く続く小説は読むのも書くのも好きではない。だから本当は、いま書いている銀狼さまの長丁場の独白シーンは避けたかったのだけど、いいアイデアが浮かばず。それでしかなく、現在、だらだらと銀狼さまのお喋りが続いている。
銀狼さまのお喋りの途中で、聞いている寧安上人との会話を入れたりと工夫はしているのだけど。人の普通の日常で、頭を垂れままで長々と相手の話を一方的に聞くなんて、説教以外にありそうでないと、言い切れるシーンではないだろうか。
だから私は、ポアロとか金田一の登場する推理小説や探偵小説とかは好きではない。
「そこまでの明察な推理力があるのなら、事件を途中で防げよ!」と思うのは当然ながら、最後の謎解きお披露目のシーンでは、「関係者はどうして皆、探偵のお呼び出しに雁首揃えて並ぶのか? 『そんな集まりに出席するなんてまっぴらごめん』とか、『忙しいんです、つき合えません』って言う人が、ひとりもいないなんて変!」と、そちらのほうに意識が飛んでしまう。(笑)
変な方向に愚痴ってしまったけれど、このシーンさえ書き終われば、完結は目の前だ。頑張ろう!
『銀狼山脈に抱かれて、少女と少年はアサシンとして出逢った』
https://kakuyomu.jp/works/16817330650010982993 画像は、我が家の床の間を飾っている掛け軸の一部分。
菊の花が飾られたお屋敷で、着飾った人たちが秋の月を愛でている。優雅とは思うのだけど、絵には描かれていないところで、多くの使用人が理不尽に働かされているのだろうなあ。