作り手には相反する二つの欲求がある。
一つは自分の作った世界を他者に広めたいという外向きの欲求、
そしてもう一つは自分の作った世界を自分だけのものとしたい内向きの欲求。
両者を仕切る境はシンプルで、口頭でも文面でも何でもいいが「出すか出さないか」だ。
出せば前者であり、出さなければ後者となる。
表向き、前者ばかりが評価されるし、推奨される。どんな下手だと思ったものでも、認められるかは出してみなければ分からず、ひょっとしたや誰かを救えるかもしれない。
そういう前向きな風潮が認められている。
対して後者は独りよがりで、ワガママで、未成熟だとされる。
「もったいない」とか「奥手な人」とか「勝負しない俺カッケー(笑)」とされる。
というより、自分でそう思ってきた。
最近、そのあたりがよく分からなくなってきた。
自分一人だけで構築される独りよがりな世界は、どれだけ積み上げようと、その人が忘れたり死んだりしたら瓦解する。何の価値もなく消滅する。
でも、それの何が悪いのだろう。
端的な話、あの世にはこの世の資産も実績も持っていけない。
前向きと称される道の結果と、何が違うというのだろう。
むしろ、自分とともに崩れ去る世界に、微塵の解釈違いも起こさずにいられるなら、これほど作り手として嬉しいことはない……そう考えている。
世界の中の部品である自分が、自分の中に部品としての世界を作ろうとする。
罪深いサガだ。