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夢の中における「現実」の描写


 よく考えてみれば、目を閉じて、耳栓もしている状態なのに、夢のなかでは映像があって、音が聞こえるのというのは、どうにも不思議なことではないか。

 どこかの本で「目や耳、鼻というのは、外部に露出した脳の一部なのだ」という表現を見た。
 それら感覚器官は現実を感知する為に用いられる。感知された現実(入力情報)をうけ、脳で編集された結果が「私の」現実(出力情報)なのだ。
 目を閉じて、耳栓をしていても、それは入力情報のうち最新の数時間だけが控えめなデータ量になるだけで、今までに積み上げた情報を基に、脳が編集を行うことに変わりはない。その結果には景色や音、匂いが含まれることになる。
 アメリカ人なら夢の中の会話も「英語」なのだろう。おにぎりもまた別のポピュラーな食べ物になっているのだろう。 

 今後病気をして、視覚に影響が出たら(例えば、全体的に赤みがかる)どうか。
 現実では平均よりも赤い世界を生きることになるのか。バナナがオレンジのような色になったような世界。オレンジはリンゴに近い色になった世界。
 しかし夢の中では、おそらく……その以前のバナナが黄色だった頃の視界になるのではないか。そして、今はもう会えない生前の彼らを再現した映像とお喋りをする。
 
 私が夢を夢だと思えるのは、映像が浮世離れしているのもあるが、直前に「寝る」という行為をしていることを覚えているからというのもある。
 これは小説の見出し番号が「4.」から「5.」になったとか、「男は回想を始めた」というような地の文があるから、シーンの切り替わりがあるのだと思うのと同じだろう。
 仮にそういった儀式もなくシームレスに切り替わったとしたら、「色々ある時代だし、こういうことが起こっても不思議じゃない。そもそも量子力学の上では世界は……」と思って、
 夢の中における「私の」現実を、本当の……皆が「現実」だと定義し、共有しあった現実のそれだと感じるものかもしれない。

 ブレックファースト代わりに巨大なブロック肉を頬張るかもしれない。ただ、肉は久方食べていないので、匂いや味の情報が足りず、結果的に巨大な消しゴムを食べているのと同じような感じになるのかもしれない。
 そうならないように、今日はステーキガストに立ち寄り情報収集をしなくてはならないだろう。

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