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電子小説家としての自分


『無限の猿定理』は実に哲学的な問いかけである。
 どんな文章でも出せるのならば、もはや電子媒体に小説を載せる私の存在は不要となる。
 読みに来る人達からすれば、小説家の私生活や思いの丈などはどうでもよく、その人の頭を使って出された話こそが目的なのだから。 
 究極的な話ーーその人が既に死んでいたとしても、電子の世界では生き続けて、執筆を繰り返すことになる。
 これぞ本当のゴーストライターというやつだろう。

 SFの世界でありがちなディストピア「機械(プログラム)により支配された」という世界とは、人間とプログラムの区別がつかなくなれば、自ずと達成されるのかもしれない。
 適者生存の原則に従うのなら、人間と同じことが出来、より高速で、より正確な「彼ら」が成り代わるのは自然な話と言える。
 
 猿がシェイクスピアになれたのなら、この世は、人が支配していながら、プログラムにも、猿にも支配される可能性を持つことになる。

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