twitterのつぶやきがプチバズりました。
プチとつけたのは前回の海老天(
https://kakuyomu.jp/users/Mark_UN/news/1177354054883767073)と比べたら小規模だからです。RTもいいねも1000前後。どちらも10000前後だった海老天と比較して1/10。固定ツイートにしているカノホモのPVも今回はあまり増えませんでした。とはいえ、バズったことには変わりありません。この世には息をするようにバズる上級ツイッタラーがいることは知っていますが、フォロワー数200にも達しない雑魚ツイッタラー(前回バスる前は100にも達していませんでした)にもかからわず二ヵ月で二回のバズったのは頑張ったと言って良いのではないでしょうか。バズ原さんって呼んでもいいのよ。
さてそのバズった呟きですが、以下のようになります。
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「小説は酷評されるより誤読される方が自分の表現力に自信をなくしてキツイ」みたいな話を見たんだけど、世の中には「南を甲子園に連れてって」と言われて新大阪行きの新幹線チケット買いに走るタッちゃんみたいなのが一定数いるから諦めるしかないと思うの
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大元になった「酷評より誤読の方がキツイ」という嘆きはこちら(
https://togetter.com/li/1133793)。自作小説に対する意味不明な誤読を誰もが知っている国民的アニメ『天空の城ラピュタ』を使って例えた共感性の高いツイートです。このツイートを受け、同じく誰もが知っている国民的アニメ『タッチ』を使って意味不明な誤読をする人を例えたところ、元ネタと同じように共感を得てバズったという経緯になります。いわゆるかぶせ芸。ところで『タッチ』って今時の若い子も知ってますよね? 「南を甲子園に連れてって」ぐらい分かりますよね? 分からなくても分かると言って、お願い。
せっかくなので「小説の誤読」について、少し考察してみましょう。
バズったツイートを要約すると「どうしたって誤読する人はいるから諦めよう」なのですが、僕が「諦める」という結論に至るまでには、実は「どうしたって誤読する人はいる」以外にもう一つ理由があります。それは「誤読の可能性を生むぐらいの文章の方が小説として出来が良い」と思うからです。
自作『彼女が好きなものはホモであって僕ではない』を例にとって語りましょう。取り上げるのは1-1のワンシーン。主人公の純くんがヒロインの三浦さんにBLが好きな理由を尋ねるところです。
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「三浦さんはどうしてホモが好きなの?」
何となく聞いてみる。生き方の参考になるかもしれない。――嘘。単なる嫌がらせ。
「どうしてって……なんか、こう、非日常感というか……」
「非日常かな」
「非日常でしょ。わたしの身近にはそういう人、いないもん」
――目の前にいるよ。
当然、口にはしない。勘違いしてはいけない。彼女が好きなものはホモであって、僕ではない。
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この時点で純くんは自分が同性愛者であることを、三浦さんにはもちろん、読者にも明かしていません。しかし「生き方の参考」「目の前にいる」という文から読み手はそれを感じ取ることが出来る。そして読者は話の大筋をぼんやりと理解する。そういうやりとりです。
しかしこの文章は誤読の危険性を孕んでいます。何が「生き方の参考」になるのか、どういう存在が「目の前にいる」のか、直接的に表現されていないからです。例えば「純くんは腐男子」とか、「純くんはBL作家」とか、あるいは「純くんは三浦さんのことが好き(「勘違いしてはいけない」近辺からの誤読)」みたいな読み方をされる可能性だってあります。もちろん大半の人はそんな誤読しないと思いますが、あくまで可能性として。
そこで誤読を徹底的に避けようとするとこの文章はどういうことになるのか、ちょっと考えてみましょう。
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「三浦さんはどうしてホモが好きなの?」
何となく聞いてみる。僕も同性愛者だし、生き方の参考になるかもしれない。――嘘。単なる嫌がらせ。
「どうしてって……なんか、こう、非日常感というか……」
「非日常かな」
「非日常でしょ。わたしの身近には同性愛者の人なんて、いないもん」
――同性愛者なら、目の前にいるよ。
当然、口にはしない。受け入れられるかも、なんて勘違いをしてはいけない。彼女が好きなものはホモであって、ホモである僕ではない。
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くどいわ!!!!!!!!!!!!!!!!!!
まあ「同性愛者」という固い言葉を多用したので必要以上にくどくなっている感はありますが、やっぱり美しくはありません。テンポぶった切り感があります。もちろん感じ方には個人差がありますが、だいたいの人は同意見ではないでしょうか。
どこの誰が言っていたのか忘れたしググっても出てこないからあまり胸張って紹介出来ないんですけど、以前「小説なんて8割が言い訳」みたいな言葉をどこかで見たことがあって、僕はそれに軽く納得したんですね。本当に書きたいことは2割ぐらいで、あとはそれを自然に魅せるための言い訳。まあ確かにそういう部分はあるかな、と。
僕は素だと「言い訳」が多いタイプです。「部屋に戻った」で済ませばいいところを「ドアノブを握り、ドアを開けて、部屋に戻った」とか書いちゃう感じ。理由がある(例:「真鍮製のドアノブ」と書くことで高級感を演出)ならともかく、ただダラダラ書くだけなら要らないですよね。でもなんか書いちゃう。自分の頭の中にある世界を100%伝えようとして文章が膨れ上がる。要するに誤読恐怖症なわけです。
でもやっぱり「言い訳」は書きすぎると可読性が下がります。場合によっては本当に書きたかった2割がぼやける。なので誤読を恐れずに削れるところは削っていった方が小説としていいものが出来上がると思い、バズったツイートで書いたようにある程度の誤読を「諦める」という結論に至った、というわけです。
なお、ここまで本近況ノートに費やした文字数は2000字オーバーです。長いわ。このザマで「誤読覚悟で削った方がいい」とか言ってるのピエロ感ありますね。まあいいや。創作に正解はありませんし、他人の創作論なんて基本役に立たないとは思うのですが、せっかく長々と書いたのでここは一つ「こういう考え方もある」程度の参考にしていただければ幸いです。それでは。
-----(「彼女が好きなものはホモであって僕ではない」のレビュ返)-----
緋14 E奈 様(なんて読むんだろう……)
自分でも表現できない感情を覚えながら、表現できないなりに言葉を尽くして頂けたことがとても嬉しいです。ありがとうございました。簡単に答えなんて出ない、人生を賭けて向き合わなくてはならない話だということを正しく深く理解して頂けた結果、言葉にならない感情が芽生えたのではないかと僕は思います。