一体何をやっている人?の感もありますが、たまに「俳人」もやっています(*^^*)
一応、松山市の俳句ポストにも出していて、今月も夏井いつき先生のお世話になりました。
さて、句意について。
この句が生まれたのが、実は地元でカフェ経営者&ラジオ・パーソナリティ&俳人の顔を持つ、沢田様とお話させていただいたときのことです。
丁度俳句ポストの締め切り間際(毎月19日です)だったこともあり、沢田様とのお話でも「囀り」が話題になりました。
その時に私が抱いていたのが「子供の燥ぐ声などは、絶対に類想として厳しくチェックされるだろう」というイメージです。
また、一昨年に使われた「百千鳥」との相違も問われるかな?と密かに思っていました。
ですが、いつき先生の月曜日の選評を拝読すると、むしろ選んでいただいた句の方が、「類想パターン」に限りなく近いですねえ^^;
この感覚の機微が、毎回悩ましいところです。
あまり奇を衒い過ぎても選ばれませんし、かといって類想ど真ん中だと、平凡な句になる。
このさじ加減は、本当に難しいです……。
個人的に少し捻ったのが、下五の「うちの中」でしょうか。
これは、「うち」の解釈に幅を持たせたくて、意図的に平仮名にしました。
また、ストレートに読めば、家の中にいるにも関わらず、外の「囀り」が聞こえてくる句なのですが、短歌風に読めば、不器用な求愛に耳を傾ける……とも。
ただこの手の遊びゴコロは、割と幕末前後の句などで良く見掛けており、現代俳句ではあまり評価されないとしても、私は好きなのですよねえ(*^^*)
そんなわけで、今月の「俳句ポスト」の結果でした。
多分もう一ランク上げるには、私が苦手な「二物衝突」のセンスなども必要なのだろうなあ……と思いつつ、もうしばらく修行に励むことになりそうです。
ちなみに、ボツ句はこちら。
梢より囀り降れり川逍遥
恐らくこれが駄目だった理由は、下句が「六音」だったため。
私にしては珍しく字余り句なのですが、どうしても川辺のお散歩と鳥の囀りの組み合わせが捨てがたかった次第です^^;