「鬼と天狗」の「終焉(5)」で鳴海に詠じさせた、満江紅。
今回、天狗党(というか大発勢)の悲運を思いを馳せ、暗に諸生党の市川三左衛門への批判の意味も込めて、鳴海に詠ませてみました。
バリバリの武闘派のイメージが強い鳴海ですが(苦笑)、普通に執政(家老)も輩出する家柄ですから、多分公文書である漢文などの教養も身に付けていただろう……ということで、選んでみたわけです。
ちなみに今回取り上げた岳飛の「満江紅」は、中国で「マンジャンホン」として有名な憂国の詩だそう。
一応世界史選択だったので、岳飛は知っていましたが、この詩は今回それっぽい漢詩を探していて、初めて知った次第です。
意味は、こんな感じとのこと。
>憤怒のために髪が逆立ち、冠を突き上げるほどだ。
手すりに寄りかかる時、
雨が寂しく降って止んだ。
頭を上げて遠方を見わたす。
天を仰ぎ、声をあげて、心の奥底に溜まった鬱懐を出せば
雄々しく、激しい感情がこみあげてきた。
私が三十余歳(岳飛の当時の年齢)までに立てた功名と功績は小さな取るに足らないものだ。
これまでの昼夜問わず、各地での激しい戦い。
なおざりにしてはいけない。もう少年の頭は白くなってしまった。
空しく、悲しみが刃物が肌に密着したようにぴったりと密着しているようだ。
<引用元>
https://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/p8yuefei.htm***
大発勢のリーダーだった松平頼徳(大炊頭)や、どちらかと言えば激派の暴発を抑える役回りだった武田耕雲斎(伊賀守)は、いずれも処刑されました。
彼らに捧げるとしたら、この詩がぴったりかなあ……と感じて、鳴海に詠じさせてみた次第です。
国のために一身を捧げてきたのに、その歳月が虚しく感じられるような、権謀術数。そんな思いで、彼らは最期を迎えたのではないでしょうか。