本日公開分の話の中で、鳴海の義姪(義妹の可能性も)である那津の嫁入り道具として、「雛人形」の話が出てきます。
季節外れではありますが、せっかくなので少し解説を。
彦十郎家で那津の為に買い求めた「岩槻人形」ですが、幕末に流行したのが「裃雛(かみしもびな)」。
ちょっと他のお雛様とは違う系統で、雛人形の「五人囃子」が独立したようなもの……と思っていただければいいでしょうか。
岩槻独特の雛人形だそうで、一体は結構な大きさがあります。
文字通り裃を身に着け、袴のところで行儀よく手を重ねているのが特徴。目は玉眼、口元に笑みをたたえた優しい表情をしています。
私の地元(須賀川)の市立博物館では、毎年春に「雛の笑顔に会える街」というキャッチフレーズを元に、テーマを変えながら雛人形を展示しています。
毎年享保雛や古今雛など各種の雛人形が展示されるのですが、私が一番気に入っているのが、この「裃雛」。天保年間の頃から流行していたといいますから、那津の嫁入り道具としても相応しいかなあ……と思い、選んでみました。
派手過ぎないながらも少し独自のセンスは、堅実な家風だったであろう彦十郎家の娘に相応しいのではないでしょうか。
余談ですが本宮の某家では、「丹羽様の借金の質」として、十数段の大きな雛段飾りを預かっていたそうです^^;
「丹羽様」と一口に言っても、さまざまな「丹羽家」があり、特定は出来ていないそうですが、やはりあの家かなあ……なんて、想像が膨らみます(笑)。
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娘や姪のために、はるばる岩槻へこのような雛人形を買い求めた……かもしれない、大谷彦十郎家。
きっと史実の彦十郎家でも、娘たちはこのような愛らしい人形と共に、御家の為に嫁いだのではないでしょうか。