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番頭鳴海誕生

久しぶりの更新です。

https://kakuyomu.jp/works/16817330661491248711/episodes/16818093073425916234

というわけで、この話から鳴海もいよいよ「番頭」として、藩内での地位を確立していきます。

Xでもちょろっと呟きましたが、実は鳴海の番頭就任時期については、文久3年10月説と元治元年(文久4年)1月説があります。本人は「1月から」と言っているようですが、藩兵の半数近くが京都&富津出張、臨時で番頭職を引き受けていた和田弥一右衛門は病の床についているという中で、人手不足なのは明白^^;

というわけで、私は10月説を採用しました。
後で出てきますが、番頭のお仕事の中に「学館(敬学館)」の監督も有るのでして、秋は丁度学館の試験もあります。
「番頭二人も出張中の状態で、採点&検分は誰がやるの?」という疑問もあり、この時期は大忙しだったはず。
さらに、今回は久しぶりに「小川平助先生」も登場しています。
→「北条谷談義」以来の登場。

小川先生も、後で「天狗党討伐」に参加していますし、何よりも藩内切っての軍師兼物頭(足軽部隊を指揮する役目)ということもあり、本当はもっと登場させたかった人物です。
ですが、優秀過ぎて江戸警衛にも行かされており、また、人柄などの伝聞があまりない御方で、案外描くのが難しい人物かもしれません^^;

さらに、二本松藩史にさっぱり出てこない?京都の情勢については、会津藩の「七年史」などを参考にしています。
二本松藩が上洛の途中江戸に立ち寄ったのが、恐らく8/26(史実としては、28日に長国公が将軍に拝謁したのが確認できます)~9月上旬。そこから京都に向けて出発しているのですが、この直前の8/18に、「八月十八日の政変&天誅組の変」と、大激動の出来事が発生しております。

マジで、二本松藩はセーフだったなあ……^^;と、冷や汗を掻いたんじゃないでしょうか。藩史及び市史にはさっぱり出てこないですけれど。

そんなわけで今回の「藩公上洛」は、かなり密度が濃いです。その分話も長いですが、どうぞお楽しみ下さいませ!

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