藩公上洛(1)

 二本松藩の上洛人員が発表されたのは、それから間もなくのことだった。京都警衛の任の総大将は、丹羽丹波。それに加えて、彦十郎家の隣人である丹羽掃部助、大谷与兵衛。徒士頭は大谷信任、安井時明。物頭は上田清左衛門、丹羽伝十郎、奥野正居らの名前が発表された。また、どのようなわけか、五番組からは小笠原是馬介が名を連ねていた。そして、一行の中には、三浦十右衛門の名前もあったのである。

 その一方で、アメリカやフランスの攻撃を受けた長州は萎れているかと思いきや、相変わらず攘夷について意気軒昂なのだという知らせが、京に滞在している成田又八郎からもたらされていた。

 何でも、六月二十五日に参内した京都守護職の松平容保公に対し、関東下向を命じる勅命が出されたという。が、そのまま容保公が京都に留まっているところを見ると、急進尊攘派の公家らが帝の名を借りた偽勅を発令したのではないか、というのが又八郎の見立てだった。そればかりでなく、一部の公家らは幕府に対する反発からか長州に接近し、長州藩主である毛利慶親よしちかも攘夷を諦めていないらしい。その証拠に七月十二日、長州藩家老益田右衛門介(弾正)らが藩兵を率いて入京し、御所の周辺を固めた。同月十八日には長州は朝廷に正式に攘夷を申し入れ、関白鷹司卿は、在京の攘夷派大名らに長州藩の権限について諮問した。長州の思惑としては、水戸藩主徳川慶篤及び一橋慶喜の兄弟が藩主である因幡藩や備前藩の賛同を得られると踏んでいたのだろう。だが、長州の目論見は外れた。京都警衛に当たっていた諸藩のうち「攘夷派」と目されていた因州・備前・阿波・米沢の四藩は、いずれも「攘夷は衆議によって行うべきであり、当面は幕府の攘夷の成否を見守るべし」と朝廷側に答申したのである。

「埒が明かぬのう」

 丹波が、相変わらずぱしぱしと扇子を掌に打ち付けながら、苛立たしげに呟いた。だが、それに反応する者はいない。どの道、丹波が直接京に向かうのだから、ここで苛ついても仕方がないではないか。広間には、暗黙のうちにそのような空気が流れていた。

 京都警衛組は、一旦江戸で幕閣らと打ち合わせた後に上洛することになっており、一同出立の日は、盆明けの八月二十日と決まった。

 今は、小書院の中央に家老や城代、番頭、詰番、物頭クラスの人間が集い、月番で回ってくる城下の見回りの打ち合わせをしている最中だった。つい先頃江戸から帰ってきたばかりだというのに、種橋が率いる四番組は今月の当番を割り当てられているのだから、忙しない。そして、来月は五番組の当番なのであるが、和田弥一右衛門は相変わらず病の床についていることから、この頃では詰番の身でありながら、鳴海が実質的に五番組の差配を取り仕切っている。

「鳴海殿。然らば、一之町の留守をお頼み申す」

 掃部助が、軽く頭を下げた。

「志摩殿や御子息の主膳殿もおわします。ご心配召されますな」

 鳴海は軽く口元を上げたが、内心では掃部助の心配も無理からぬことと思っていた。彦十郎家の東隣である浅見家からは掃部助が、向い側に住む本家からは与兵衛が出陣する。そればかりではない。西隣の屋敷の主である成田又八郎も京都に派遣されたきりであるし、斜向かいの青山伊記は六番組の物頭、さらに丹羽主馬はやはり六番組の長柄奉行であり、与兵衛に同行する。一之町は大身の者が多く住む地域であるが、その分、夜になると人の往来は少ない地域でもあった。

「松坂御門の警固は、成田外記衛門ときえもん殿にお任せ致す」

 鳴海がちらりと視線を投げかけると、外記衛門が頭を下げた。源太左衛門の使武者を務める男で、源太左衛門からの信頼も篤い。

 さらに鳴海は、手元にある城下図をじっと見つめた。大壇口の関所には丹羽舎人とねり、久保町門には松井政之進、池ノ入門には浦井滝之丞、竹田門には原久太夫を配する。八月の城下警固の総責任者である鳴海自身は、しばらく城で寝泊まりする。

「よろしいのではござらぬか」

 源太左衛門が肯いたのを確認して、鳴海は胸を撫で下ろした。基本的に各番所には五番組の使番や軍監、物頭クラスの人間を配置しているが、他組の人間も混ざっている。富津在番の他に藩士の大半近くが上京するため、城下に残される人員には限りがある。そのため自ずと混成部隊にせざるを得ない。止むを得ない措置ではあるが、やや心配だったのだ。

「一之町の夜回りは、志摩殿にお任せ申す」

 公の場ということもあり、鳴海は幾分言葉を選びつつ志摩に肯いてみせた。

「承知仕った」

 鳴海の番頭就任の内示を与兵衛から聞いているものか、志摩も神妙な面持ちで答える。

 祐筆役が鳴海の指示を全て書き留めたのを確認すると、鳴海は種橋に頭を下げた。

「それでは、これで引き継ぎと致しまする」

「承知」

 種橋も頭を下げ、引き継ぎが完了した。その様子をじっと見守る視線を、鳴海は背後に感じた。視線の主は、与兵衛だろう。

「それでは鳴海殿。来月、何卒よろしくお頼み申す」

「畏まりまして候」

 鳴海は源太左衛門に深々と頭を下げた。

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