藩公上洛(2)

「鳴海殿も、番頭としての振る舞いが様になって参りましたな」

 詰番らの控えの間である落ノ間に戻ると、樽井が茶菓子の水羊羹を黒文字で切り分けながら、ほうっと溜息を漏らした。

「そのようなことはござらぬ。与兵衛様らから後でお叱りを受けるのではないかと、汗顔の至りでござる」

 ようやく上役らから開放されて、鳴海も体の強張りを解いた。鳴海が詰番の座に就いてから、今度の八月で一年になろうとしている。基本的には詰番の者らの方が平均年齢が若いため、自ずと雰囲気も打ち解けたものとなる。そのためか、鳴海と同い年の種橋も身分は番頭ながら、ちょくちょく落ノ間に来ては鳴海らと談笑に興じるのだった。

 鳴海自身も、先に番頭就任の内示が出されてはいるものの、もうしばらくは若い者らで気兼ねなく交わりたい気もしている。

「再来月には、大内蔵殿が富津から戻られます。源太左衛門様と同じように温和で理知的な御気性の方ですから、鳴海殿にも色々と御教示下さいますでしょう」

 鳴海よりも長らく番頭としての付き合いがある種橋が言うのだから、間違いないだろう。確かに、富津に赴く前に彦十郎家の縫殿助を訪ねてきた大内蔵は、温厚な人柄の印象があった。

「叶うならば、和田様がご回復されるよう願うばかりでございますが……」

 鳴海の番頭就任は既定路線とはいえ、人が病に倒れるのはやはり胸が痛む。鳴海が憂い顔を作ると、樽井も釣られたように顔を曇らせた。

「我が父も、このところきりきり舞いをしているようで……。母が心配しております」

 樽井の父である倫安は、家老の一人である。家老陣が神経を尖らせるのも無理のないことで、先について長州藩が「攘夷決行」とした際に、長州藩は小倉藩にも協力を求めた。だが、小倉藩はこれに応じなかったため、長州藩は無断で小倉藩領内に侵入。幕府に訴え出ていたのである。

 また、問題を起こしたのは長州ばかりではない。昨年八月二十一日に薩摩藩主島津茂久の実父である久光が、江戸からの帰藩の途中、横浜近くの生麦村で英国人らを切捨御免に処した。英国側はこの事件に対する賠償金を幕府とは別に薩摩にも求め続けていたが、薩摩は応じなかったため、業を煮やし、錦江湾で薩軍と激突。薩摩方は鹿児島城下の一割を消失した他、多大な損害を受けた。だが、どのようなわけかこれを機に薩摩と英国は接近していくことになる。

「西国諸国は、些か問題を起こしすぎではござらぬか」

 呆れたように、志摩が胸元を寛げながら嘆いた。言われてみれば、西国の雄藩の一つである土佐藩も、各方面から不興を買っていたと鳴海は思い返した。

「西国諸藩はその昔、関ケ原の戦いで徳川に敵対した家も多いでしょう。それ故、徳川への忠誠心が薄く、いつか己等が政を行えると夢を見ているのではござらぬか」

 種橋が、鼻を鳴らした。この様子からすると種橋もまた、西国の雄藩らをあまり快く思っていないのだろう。

「そう言えば、秋の学館の試験も間もなくですな」

 蚊にでも刺されたのか、樽井がぽりぽりと首筋を掻きながら述べた。その言葉を聞いた志摩が、首を竦める。

「学館の試験監督も、番頭の仕事ですからね。我が父が京都へ出張、右近様が富津在番となれば、座学の採点くらいは我々も手伝わされるかもしれません」

 その言葉を聞いて、鳴海は不安を覚えた。お世辞にも、鳴海の手蹟は流麗とは言い難い。一兵卒として武人の生涯を終える腹積もりだったため、武芸ばかりに力を注いできた結果なのだが、番頭の立場としてはもう少し、書にも力を入れておくべきだったか。

「それよりもうちの場合は、あれです。右門の武術の成績が心配ですよ」

 志摩の兄らしい愚痴に、鳴海は思わず吹き出した。そういえば、竹之内擬戦において彦十郎家で右門の身を預かった際に、武術はあまり得意でないようなことを右門は述べていなかったか。

 そんな鳴海を、志摩はじろりと睨みつけた。

「笑い事じゃないですよ、鳴海殿。右門の奴、弓術の成績は『丙』しか取ったことがないんですから。毎回四本のうち、二本当てられれば御の字という有様。それ故、試験の度に父上に叱られております」

「それは……困りますな」

 種橋が笑いを噛み殺しながら、目元を細めている。学館の弓術の試験において、矢数は四本と決められている。そのうち半分も当てられないのでは、確かに不安である。よくよく考えてみれば今年から右門は五番組に所属しているのだ。彼の成績は、そのまま鳴海の評価にも繋がってくるではないか。鳴海としても、組の子の成績が悪いのは困る。

「右門はあれでなかなか目上の者らに可愛がられておる。成渡らと連れ立っているのを城下で見掛けたこともあるしな。武術の成績ばかりが全てではあるまい」

 成績が悪いのは困るとは思いながらも、内心の焦りを押し殺した鳴海の口調は、自ずと右門を庇うものになった。

「ふうん。鬼鳴海と言われる方が、それを申されますか」

 揶揄の色を含んだ志摩の言葉に、鳴海がむっとしたところで、落丿間の襖が開かれた。襖の向こうにいたのは、意外な人物である。

「お寛ぎのところ、恐れ入ります」

 穏やかな笑みを浮かべているのは、小川平助だった。

「小川殿。その節はお世話になり申した」

 鳴海は慌てて頭を下げた。平助は、微笑を浮かべたままである。

「何やら愉快な話をされているようで、恐れながら、畳廊下にて少しばかり拝聴致しておりました」

 鳴海が詰番の座に就いた頃、危うく和左衛門親子の口論に巻き込まれかけ、その会話の流れで新十郎から小川平助に紹介してもらったことがあった。二本松藩きっての山鹿流の軍学者だが、非常時には物頭も務める藩の要人の一人である。本来は組外の立場の人物だが、先の江戸警衛の一行にも加えられたところを見ると、上層部からの信頼も篤いのだろう。

「今、留守居役の御家老方や植木殿、羽木殿らが話し合っておりまして……。次の学館の試験には、志摩殿の申されるように、鳴海殿にも検分役をお願いすることになりそうですよ」

「左様でございますか」

 学館の教授方の一人である平助が言うのならば、ほぼ決定事項だろう。鳴海は先程の志摩の話を思い出し、平常心で右門を見守れるか、我ながら心配になった。

「そう身構えられますな。常日頃から左様に構えられていては、若い者らが鳴海殿を怖がり己の実力が発揮できませぬ」

 穏やかに諭す平助に対し、鳴海は頭が上がらない。そして、やはりこのような話しぶりが教師たる所以なのだろうと感心するのである。

「小川殿。何か我らに御用向きでございますか?」

 種橋が首を傾げた。基本的にこの部屋は詰番の者らの控えの間であり、それ未満の身分の者らが出入りするのは、ごく限られた場合である。

「いえ、去る御方から鳴海殿への言伝を預かっております」

「言伝……」

 鳴海は首を傾げた。平助を使い走りにできるような人物に、心当たりはなかった。だが、わざわざ平助がこの間に来るということは、何か意味があるに違いない。

 鳴海は平助に目配せを送り胡座を崩して立ち上がると、そのまま畳廊下と儒者控丿間を通って城の庭に平助を誘った。

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