こちらでも書きましたっけ?
実は、ついに二本松藩顕彰会に入会したワタクシ。
ただ案外二本松藩の歴史というと、戊辰戦争のときに話題が集中していて、実際に「藩の運営がどのように行われていたか」の実態を掴むのが、難しいんであります。
目下の悩みが、「それぞれの役割」に応じたお仕事の具体的な内容。
「鬼と天狗」の主人公が「大谷鳴海」なわけですが、彼は「番頭(現在はまだ見習いの詰番)」です。
で、その役割から言えば「軍事方面の担当」でかつまだ見習いなので、普段は何をしていたんだろう……というのが、謎。いや、ホントに「常州争乱」までは二本松藩だって実戦経験がないわけですし。
ところが、意外?と二本松藩の人使いの粗さが気になると言いますか……。
「水戸の甲子変と二本松藩の義戦(多分稀覯本)」の読解を進めるうちに、常州争乱(天狗党の乱)の折に、日野七郎次(御使番頭)という初見のお名前の方と、「物頭:植木次郎左衛門」という、わけのわからない役割分担が登場。
前者は、「家老(日野源太左衛門)の親戚筋だろうな」というのは見当がついたのですが、後者がわからん^^;
植木次郎左衛門の職務は「郡代」のはずで、本来は行政部門のトップなんですよね。
まあ、戦時下でも地元の治世のお仕事があるので、郡代が同行しても不思議ではないのですが、問題は、「物頭(仕事は歩兵のお頭)」として扱われ、かつ水戸藩への使者を務めたり、本当に戦闘指揮も取っていたらしいこと。
水戸藩への使者を務めるのは、家格からして(結構高いです)釣り合いを考えたのだろうなあ……と思うのですが、それにしてもマルチタスクをこなし過ぎじゃないですかね。
また、日野七郎次は分家の息子で、恐らくこれも「家格重視」(+もしかしたら、それなりに有能だったのもあるかも)での人選なのでしょう。
これらの事実を踏まえて、鳴海の仕事内容も色々再考察が必要だなあ……と感じています。
さらに、一見「手持ち無沙汰」の鳴海のようですが、時は「将軍家茂公が京都に呼び出し」を受けている真っ最中で、西の方ではかなりゴタゴタしていた時期。
小説ですし、そこまで「史実」にこだわらなくても良いのでしょうが……。
この分だと、第二章の執筆はまだまだ時間がかかりそうです……🙏