今回は新作を扱う「カクヨム金のたまご」のレビューを担当することとなったが、作品数の多さにたいへん驚いた。ちょうど取り上げた『少女九龍城』はこの迷宮感をそのまま体現したようで興味深い。こんな感じでランダムによい出会いがあれば素晴らしいが、異分野すぎて肌に合わなかったり、好きなジャンルなのにマンネリを感じてしまうことも十分あり得るだろう。これは作品の問題なのか、それとも受け取り手の問題なのか。こういうことを『恋する規則のパラドックス』から考え直すことも一興だ。ポイントは"差異"にある。『空白と悲しみの郊外日記』の内容は90年代的だが、その舞台設定は全くの現代だからこそ目を引くし、王道の"日常の謎"ミステリ然として描かれる『風文の宛先』の舞台は魔法学園であるが、そのことでより日常の謎解きが盛り上がる。レトロな問題やモチーフを取り上げているだけにも見えるが、作品化するためには調整が必要だ。新作を読む醍醐味とは、こういった問題意識の発見や、その調整の様子を感じ取るところにあるのである。

ピックアップ

テロや災害を経て到達した"現在"なのに未だ終わらない90年代的"日常"

  • ★★★ Excellent!!!

本作は、宮台真司の郊外論を取り入れた――
率直に言えばそのパロディ作品なのだが、興味深いものだった。

内容は大学生の主人公・志賀の日常と煩悶の様子を描いたもの。
とはいえ、起きる出来事はせいぜいバイト先の女子と会話することくらいであって、大げさに打たれている衒学的な口上はもっぱら妄想先行のもの。

こういったスタイルはかつて"理論武装型童貞"と呼ばれていた。
それにしてもこの志賀の語り口といえば本当に90年代リバイバルという感じで、オウム真理教がどうのこうのというレトリックからしてまさに生きる"終わりなき日常"であるのだが、
本当にこんな言葉遣いを現代でするやつがいるのかどうかはさておいて、驚くべきはその自然さである。
スマートフォンがあり、SNSが隆盛し、『ラブライブ!』が放映し、そのほか様々な事件を経た2017年の今であっても、である。

だとすれば果たしてこの"日常の終わらなさ"は何に由来するのか? 
そんなことを現在を共有しながら考えさせてくれる作品である。
ぜひ続きにも取り組んで頂きたい。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)

超巨大迷路女子寮の中で営まれる、少女たちの息遣いに肉薄せよ!

  • ★★★ Excellent!!!

九龍城とは90年代まで香港に存在した迷宮的スラムのことであり、私たちがしばしば思い描く猥雑でロマンあふれる香港のイメージの大部分がこれに依拠しているのではないか。

この作品の表題でもある「少女九龍城」は、その名に違わぬ魔境の"女子寮"である。
そこには、迷宮の地図を作ろうとする加納千鶴や、学校から近いというだけの理由でうっかり迷宮に入り込んでしまった竹原涼子、引っ込み思案なメガネっ娘の木下真由など、多数の女子が住んでいる。
増改築を繰り返した寮の中に様々な生徒が存在することで、物語がまさにモザイク状に展開されるのだ。なぜ私たちはこのようなイメージにときめいてしまうのか。それは、グーグルマップがあればどこにでも行けてしまう高度に情報化したこの社会が失った不透明性がここにあり、そこから生じる、何が出てくるか分からない期待感が、郷愁とともに私たちに突き上げてくるからだ。

こうしたロマンに風味付けをする香料はここが"女子寮"だということ――、
ほのかな百合成分が迷宮見物の絶好の肴となる。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)

魔法が使えない無能力科のトリオが、魔法学園の謎を解く

  • ★★★ Excellent!!!

暗号の書かれた紙飛行機を拾ったことから謎解きに挑戦することになった少年たちの姿を描いたのが本作だが、
普通の"日常の謎"系ミステリと異なるのは、この舞台が魔法学園だったということだ。
とはいえ、清涼院流水のJDCシリーズのように、魔法や超能力を使って推理するわけではない。

主人公の立野みのりたちは「無能力科」所属で、この世界では珍しい、魔法を使えない人たちである。
そんな彼らだからこそ、科学と推理の力で他の学生たちの鼻を明かそうという基本方針があり、それがミステリであることの必然性に繋がっている。

ところで、珠玉の日常系ミステリが軒を連ねている中で、新しく作品を足していくことは難しいことだが、舞台を魔法学園にしたことで新たな魅力が生まれている。
みのりたちが推理をする過程で学園内を冒険する必要が生じるのだが、その探索の様子が面白く、私たちの日常とは似て非なる情景を楽しむことができるのである。
むしろ魔法学園的な舞台こそ、私たちには馴染み深い日常のようになってしまったのかもしれない。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)

誰かを好きにならねば退学になってしまう――だが人を好きになるとは?

  • ★★★ Excellent!!!

規則のパラドックスとは後期ヴィトゲンシュタインの『哲学探究』に登場する議論で、のちにソール・クリプキによって整理された。
簡単に述べると「規則に私的に従うことはできない」ということ。

この構図は、主人公・品近社が、「誰かを好きにならなければならない」という校則の学校に入学してしまったのに、シスコンなのでそのルールにそのまま従えないという形で表現されている。
しかしこれは必ずしもシスコンでなかったなら問題にならないわけではなく、それこそ付き合っていることと実際に両思い(もしくは片思い)であることは決定的に違うのであって――

しかし本当はどう違うのだろうか? 
この花園学園では自分のパートナーの名前を誓約書に記載することが求められる。
自分が好きになる対象がいなければ記入できないのだが、逆に自分が記名を求められたら?
それは学園に残るための単なる方便でしかないのか? 
そもそも人から好かれてしまうとは? 

そんなコミュニケーションの機微を、哲学の意匠とともに味読していける意欲作である。

(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=村上裕一)

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